新潟県文化賞 応募作品

羽衣石ゐお

本編


 突として、いっぱいに車輪の軋るのが宵のうちに木霊した。

『お客様に連絡させていただきます。本、信越線快速列車長岡行きは暴風のため、新津駅でしばらくの間停車させていただきます。急な対応になり、誠に申し訳ございません。ただいま、復旧の見込みを確認しております。……』

 窓のくもりを袖で拭ってみると、ぼんやりと白くぼやけた歩廊のすぐそばを、減速していた。男は濡れた袖を頬に押し当てて、これが自分の涙であるかのように、大事に抱きしめていた。――そうして深々と雪にうずまった駅舎に、列車は不時着でもするみたく、ガタンとひとつ揺れて停まった。雪にべたべたとはりつかれた電灯が、立て看板の『新津』の文字を殊更くすませていた。

男はメールをひとつだけ送って、イヤホンで耳をふさいだ。こんなとき、いったいどんな曲に浸ればいいのかもわからなくて【月の光】を流した。他の乗客も、眩しいくらいの灯の中でわざとらしく眠っていた。途端に寒くなってきた。ふたたび窓を覗くと、庇に連なった氷柱が確と彼の目に入る。寒空の藍色を稠密に取りこんだのが、ぼやけた暮と列車の灯とに縁取られて潤んでいた。しばらくして反射した自分の虚ろな瞳が見えて、はッとした、胸の高鳴るその刹那、たしかに彼女の長い髪が、吹雪の中に流れていた。ひどく寒そうな丈の短いスカートを穿いて、そこに、立ち尽くしていたのである。

それが途轍もなく冷たくて、おもわず、手が宙を彷徨っているのに気付いて、それで気付いてからも、どうにもおさまりがつかなくて、余計にニ三周した。着信は、なかった。客の数が減っていた。イヤホンを外して、

『お客様に連絡させていただきます。本、信越線快速列車長岡行きは、本来十八時三分に長岡駅に着く予定でしたが、一時間半遅れで、運行しております。大変ご迷惑をおかけしております。――また、お乗り換えのご案内をいたします。ニ十分後に当駅の二番線に停車する予定の、信越線普通列車長岡行きが、本快速列車よりも十分ほど早く当駅を発車いたします。お手数ですが、二番線へのお乗り換えをお願いします。』

 成程、と思って急いで駆け降りた。これだけ遅れておいて、乗り遅れたのでは洒落にならない、点呼の時間を過ぎてしまう。

 向いのホームまで走ってくると、たくさんの人がちぢこまって列車を待っていた。そういえば、これだけ吹雪いていたのだ。先まで乗っていた列車が明るくて、余計に寒くなってくる。耳がちぎれそうでかなわないから、階段まで折り返すと、すぐ隣で屈みこんで震える女学生が居た。蛇のように複雑にうねった白いうなじには薄い色の後れ毛があった。粟立っていた。

 男はいつの間にか自分のコートの釦のそのほとんどを外していた。風が入り込んできた、刃をあてられているのではないかというほどに。翻る裾をそのままに、どうしたものかと携帯を取り出した。着信があった。急ぎ確認すると、寮の同室者からだった。もしかしたら、点呼に間に合わないかもしれない、と返信しておいた。続いて、先に送ったメールを見返して、やっぱり、ポケットにしまった。こんな寒空に佇む哀れな自分と、彼女とはずっと、いつでも繋がれるようで、まったくそうでないからだ。今からずっと昔だったなら、どうだっただろう、連絡も取り合えないで、ずっと顔を合わせるまではどうなったのかもわからないなんて。

 それから、ニ十分が経った。

 列車は来ず、案内だけがえんえんと繰り返されて、いよいよ男は泣いてしまいそうだった。それでも、もっとずっと泣きそうな目の前の彼女が、声ひとつ出さず、俯いているだけだから、どうしたものかと思った。コートを今すぐにでもかけてやりたかった。

 すると、遠くでまた列車の這うのが聞こえた。彼女もいよいよ顔を上げた。目が合って、互いにはにかんだ。

 ホームに躍り出た、途端、目の中が真っ白に膨らんだ。その直前に、たしかに、黒く、エントツのついた車体を見た。この駅には停まらないようだった。そうして少しずつあたりは晴れてきて、目に映ったのは、ガラス張りの列車だった。そこは、甘く黄色い灯に包まれた、大正時代のような装いであった。杖を立てかけた、洋服の老夫婦が居た。手をつないで微笑んでいる。

 それが通り過ぎて、薄白い夜だけが残った。どこまでも冷たい夜だけを残していった。女学生はまたゆっくりと、その場で脚を折りはじめた。


 次第に列車は来て、中間駅やなんでもないような場所で停まることを繰り返しながら、本来の二時間遅れで、長岡に着いた。もう、二十一時ぐらいだった。改札を通って、ちょっと行った先の柱。いつも、彼女はここに凭れて音楽を聴いている。そうしてこちらに気付くと、名残惜しそうに片耳だけ外して、嬉し気にこちらを黙って見つめて、手を振る。

「やっぱり、君はいつもはじめて会ったときみたいな顔をするのだね」


 今日は、いなかった。


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新潟県文化賞 応募作品 羽衣石ゐお @tomoyo1567

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