神の知恵を継ぐ少女は生きる意味を問う
1 権力者は茶番劇を演じる
これは、国の歴史を語るだけのとても退屈な話。
歴史が好きな人からしたら面白いのかもしれないけれど、出会ったこともなければ同じ時代を生きてすらいない過去の人が行ってきたことに関心がない人からしたら酷くつまらないだろう。
私も耳に非生産的な胼胝ができるくらい、西暦から諳んじることができるくらい、聞かされた話でうんざりしている。
……少しだけ、嘘を吐いた。耳に胼胝ができるくらい聞いたのは本当のこと。でも、そんなに聞かなくても歴史が記された書物を一読すれば西暦どころか月日まで諳んじることができる。壱檻になる者というのはそういうもの。
私の話は隅に寄せておこう。個人の特性なんて興味のない国の歴史と同じくらい聞いていてつまらないでしょう。
「昔々あるところに。なんて、ありふれた切り出し方にしよう」
千年以上前の話。この地は多民族の集まりであった。言語、文化、宗教。ありとあらゆるものが異なっていたが、集団として成立していた。
どこかで聞いたことのある話? その通り。鳥籠の成り立ちはイシアとよく似ているの。だからこそ、鳥籠はイシアに目をつけて属国にしたのだけれど。大きな違いといえば……そうね。
「テクノロリアとアルケミア。その呼称が存在していなかった、つまり戦時中だったということね」
魔法や魔術が使えない人への差別が激しかった。決して、その人たちが無能であったというわけではない。ただ、魔法どころか魔術すら使えない人は神から見放されているから。前世で神の逆鱗に触れたから。そう蔑まれていた。つまり、悪しき存在とされていたということ。
魔法や魔術を扱うために必要な魔力とは神から与えられし贈り物であり、とても尊いものである。更に古い時代から伝えられてきた教えは数多くある宗教に共通しているものであり、多くの人たちは無能な者への迫害を当たり前のものだとしていた。
けれど、迫害される者が増えれば不満も募る。そして、気付く。自分たちは少数派ではないことを。それからこう思うようになる。自然を自在に操る者たちの方こそが異常なのではないかと。
ここまで意見が対立してしまえばその後がどうなるか、考えるまでもない。
「長きに渡る戦争となった」
鳥籠はイシアと異なり、自ら集まった多民族国家ではない。自分たちには扱えない、理解し難い力を自在に操る相手との戦争の最前線を押し付けられた人たちの集まりだった。つまり、国ですらない。
鳥籠が鳥籠という国として、建国したのは戦争が終結してから更に長い年月が経ってからのこと。
「それはまた別のお話ということで」
歴史は長く、説明も長い。そんな話は酷く退屈。そこに壱檻という存在が絡んでくるのだから尚のこと。
もし、機会があったら語ることにしよう。
目を覚まして最初に覚えるのは違和感。不規則な振動がなく、身を沈めるほど柔らかいベッドの寝心地の良さは帰国して二週間経っても慣れない。
贅沢な違和感だと怒られてしまいそうだけれど、それについては許してほしい。三年四ヶ月、正確には二年十一ヶ月。数少ない欠点が揺れの大きさという大型キャンピングトレーラーに乗って過ごしていたのだから。あの環境にいたおかげで横にさえなれたらどこでも眠れる。野宿でも熟睡できるようになった。
だからこそ、柔軟剤の優しい香りで包む柔らかい布団にも高さが絶妙な枕にも寝返りを打っても手足が出ることのない広いベッドにも、違和感しかなかった。
「自ら起きるのと、起床から世話をされるの。どちらがお好みですか」
「……気配を消して入室するの、やめてほしいわ」
「気配を消そうと、存在感を放とうと、どちらにしても思考の海を漂う貴女は気付かないでしょう」
「ところで、服の趣味変わった?」
「露骨な話題転換ですか。いいでしょう、乗って差し上げます。どこぞの誰かさんのせいで私の仕事にも影響が及びましてね、あまりにものストレスに可愛いものに身を包まないとやっていけねえ状況になりまして」
「話題を間違えたことだけはよく分かった」
蕩けるような甘い声が降り注ぐ。枕から顔を離すために寝返りを打ち、声の主を確認する。久し振りに見たその姿は私の記憶とは異っていて少しだけ戸惑う。
艶やかな黒髪にはピーチパープルとベビーブルーのインナーカラーが、猫のようにつり上がった目にはマリンブルーとコーラルピンクの二色が混ざったカラーコンタクトが入っている。綿飴が食べたくなるような色合いに似合う愛くるしい化粧を施しておきながら、着ているものは細長い足を強調するパンツスタイルのダークスーツ。皺一つないスーツから彼女の性格がよく現れている。
アルケミアの国でなら目立たないであろう姿は鳥籠で浮いてしまうだろう。黒髪黒目のぴっちりお団子だった彼女が突然のイメージチェンジを果たした日、周りはどのような反応をしたのだろう。どのような反応をしたところで、彼女の性格上全部聞き流していそうだけれど。
「おかえりなさいと温かく迎えられるなんて思わないでください。溜まりに溜まった仕事があります」
「どうせ私がいなくても回る仕事でしょう」
「貴女がいなくても回りますが、貴女が把握しないとまとまりません」
「二錠がいるじゃん」
「二錠の座につく者はもれなく性格が終わっているので」
否定はできない。これまでの二錠、そして現在の二錠の行動を振り返り、頷く。だからといって私が立派な人間かというとそんなはずもない。
二錠の性格について批難した後に続くのは壱檻は理性を手綱にしている人格者だという賞賛の言葉。これは鳥籠の国民の九割が定型文のように語る。でも、本当にそうであるなら私は近隣諸国に指名手配書を配られるようなことをしていない。
そう思っても、そういう返しをすればよくお分かりですねという言葉から始まり、寝起き早々にお説教を聞くことになるからお口にチャックとしよう。
言わずとも私の考えていることを察することができるのが壱檻萩野の世話役である
綿音は手に取るように分かりますからね、と目で語っていた。これは分が悪そうと目を逸らせば、深い溜め息を吐いて私の身を包む羽毛布団を勢いよく剥ぎ取る。そして。
「お手入れについては後ほどたっぷりとさせていただきます。それでは最初に本日のスケジュールをお伝えしますね」
私が鳥籠から脱獄した三年四ヶ月なんてなかったかのように、三年四ヶ月前と同じように仕事を始めるのであった。
そして、私はそれを素直に受け入れる。人に世話をされるのも久し振りになる。自分のことは自分でやることが当たり前、なんなら私以上に人の手を必要とする子の世話を焼く旅をしてきたのでベッドと同じく違和感を覚える。……でも、近だけは文句を言いながら甲斐甲斐しく世話を焼いてくれていた気がする。とはいえ、着替えまで手伝われるとなると良いと拒みたくなる気持ちになる。けれど、そうしてしまえば彼女の立場を否定することになるので堪える。
あと、やっぱり楽なのよね、整容を人任せにするというのは。
「まず、これから査問があります」
「形だけのね」
「必要なものです」
「したという事実を作ることがね」
「入れ替わりがあったからですよ」
「へえ」
差し出された制服に袖を通しながら、綿音から今日のスケジュールを聞かされる。
査問とはどういうときに行うものかご存じだろうか。犯した不正や過誤について取り調べるときに行うものだ。
鳥籠は許されし者以外の者が国の外に出ることを固く禁じている。いかなる理由があれど、だ。そして許されし者というのは外交を担当する三縛と右腕にあたる四獄。そして、三縛に指名された付き人のみ。それ以外の者が国を出ることは脱獄罪にあたる。国外逃亡ではなく脱獄、この罪を刑法に取り込んだ壱檻の気持ちを考えると笑ってしまう。
脱獄はこの国において殺人に並ぶ重罪。それを犯した私は裁かれるべき存在である。けれど、そうならないこと。つまり、私がこれから受けるものは査問とは言い難い。
脱獄をしてからイシアで再び袖を通すまで、放置していた中学時代のセーラー服は早々に没収されてしまったが、新しく用意されたものは以前のものとよく似ているものだった。着心地がうんと良くなったセーラー服に身を纏った自分の姿をドレッサーの鏡を通して確認する。そんなことするまでもなく、綿音の身支度は完璧なのだけれどね。
「七監が代わりました」
「へえ。七監のおじいさん、ついに入れ替わったんだ」
「また、五裁が後継者候補を連れております」
「気が早いこと」
「本来であれば壱檻も」
「綿音」
「失言でした」
着替えを終えた私をドレッサーの前に座らせ、綿音はブラシを手に取る。絡みついた寝癖を見ては険しい表情を浮かべ、もう一週間早く手を出させてほしかったなんてぼやきながら髪を梳かし始める。
少し前にした失言について、これ以上掘り下げる様子はないので私もそれ以上語ることはしない。知らない方が都合良いことってあるわよね。
背もたれに寄りかかり、息を吐く。丁寧な手つきで髪を触られると、眠気がやってくる。このまま二度寝ができたら素晴らしいことこの上ないのだけれど、綿音はそれを許してくれない。
「その後は何人かと会談を」
「それ、査問の後に組む予定じゃないよね」
「壱檻として健在であることは既に証明されておりますので」
「この調子だと私が反乱を起こしても無罪になりそう」
「タチの悪い冗談はおやめください」
帰国して二週間。ようやく軟禁から解放されると思いきや、分刻みの予定を発表される。憂鬱すぎて心地の良い眠気は一瞬で霧散した。
眉間に皺を寄せて形ばかりの面倒臭い査問に対する文句を遠回しに言えば、綿音はこれでもかというくらい顔を歪める。本当に嫌そう。
きっと、私の世話役という立場であったせいで私が脱獄した後、誰よりも苦労したのでしょう。監視役も兼ねていたわけだから当然のことね。それでも八鎖という座を保持し、こうして三年四ヶ月前と変わらず世話役を担おうとしているのはどういうことか。彼女ほど要領がよければ適度に手を抜いて八鎖の座を降りることもできただろうに。七監が代わったというのであれば尚更のこと。
「整いました」
「十分すぎるほどやってもらっているけれど……この後更に手入れされるの?」
「やります。頭頂部から爪先まで全て」
「お姫様になった気分ね」
「何を言っているのですか」
久しく磨かれていない爪を睨まれたので、袖で隠す。伸びきったジャージと異なり、袖の伸縮性の悪いセーラー服では肝心の爪が隠せない。結局指先を手の平に埋めるように丸めることになった。
二週間前にイオンに整えてもらったにも関わらず、私が放置したせいで四方八方へ跳ねていた髪は綺麗にまとまっている。健康的な食生活ではフォローし切れない軟禁生活のストレスで荒れた肌は艶を取り戻している。これ以上に何を手入れするというのだろう。
そういえば、蜂蜜を垂らしたような金の髪をした泣き虫のお姫様は薔薇風呂などで身を温め、侍女にマッサージをされていた。そういうことをされるのだろうか。今の綿音の勢いならしかねない。
あのお姫様に付き添った日のことを思い出し、冗談を言えば綿音は呆れた様子で深い溜め息を吐く。そして、彼女は冗談ではなく本音でこう返す。
「貴女はこの国のお姫様ではなく神様でしょう」
ああ、本当に面倒臭い。
壱檻の座に就く者には絶対的な権力を与えられ、自由を奪われる。
否。この場合、権力を与えられるという表現は不適切だ。
正確には盲目的な信頼を寄せられ、狂信的に服従される。
故に、壱檻の思考は全肯定され、壱檻の判断を否定する者はおらず。結果として、絶対的な権力を得ることになる。それはもう神を崇めるようなものだ。そして、壱檻を失うことを恐れ、国外の空気に触れさせないように徹底する。時代が時代なら足の腱でも切って行動を制限していたことだろう。
「お待ちください。いくら八鎖様のお連れとはいえ、部外者を中へお通しすることはできません」
「その発言、四獄の部下は無知であると言っているようなものですよ」
「八鎖様の立場で四獄様を侮辱する発言。許されませんよ」
「壱檻様を部外者と称した者に無知と言って咎める愚か者がいるならば、是非ともお会いしたいわ」
例えば住居。
壱檻に就く者。そして、次期壱檻とされた者は例外無く、国の心臓部である議政堂に住まうことになっている。だから、重鎮が揃う会議への参加は容易である。というより、ほとんどの時間を会議の席に費やしている。自室から会議室を往復する日々。運動不足になるのも仕方がない。何もないところで躓くほど運動能力が低いのも仕方がない。だって身体を動かし慣れていないもの。
「萩野様」
「ん?」
「ぼうっとしていないで、中へ入りますよ」
一昨日、暇潰しに読んだ資料に記載されていた警備員は昨年四獄の部下となり、今年から会議室前の警備を担当することになっている。私が脱獄してからのことだから知らなくても仕方がないというのに棘のある言い方をする綿音の様子から、四獄との仲は相変わらずであることが察せる。
青ざめた警備員に気にしなくていいと声をかければ深く頭を下げる。地面に頭を擦り付ける勢いに呆れる。深い溜め息を吐いた綿音が扉を開けるように催促すれば、飛び上がるようにして取っ手を握る。
ブロンズ製の扉が重々しい音を立てて開いていく。一歩前に出ると複数の視線が一斉に向けられる。その視線に緊張するとかはない。ただ鬱陶しくはある。
「壱檻萩野様をお連れしました」
綿音が頭を深く下げれば、二色のインナーカラーが入った黒髪が揺れる。髪が揺れると甘酸っぱい香りが漂ってくる。これは洋ナシに……ベルガモットだろうか。しつこくない甘さが爽やかな気持ちにしてくれる。
それでもまあ、残念なことにその爽やかさだけではこの重苦しい空気をどうにかすることはできそうにない。
「わあ、勢揃い。歓待されているね」
「こほん」
「わざとらしい咳払いをしなくても分かってるって」
円卓を取り囲んで席に着いている見知った顔ぶれを確認する。一席だけ、知らない顔がある。彼が代替わりしたという新しい七監なのだろう。
照明いらずの明るいブロンドヘアをしているが、根元が焦げ茶色なことから染髪しているものだと分かる。あの髪を見ていたらプリンが食べたくなった。舌の上で蕩ける柔らかいプリンが今の気分だ。耳朶だけでなく軟骨にまでピアスを身に着けている派手な容姿はこの場では見慣れないタイプね。それにしても、頬杖までついて退屈そうにしている彼をよく誰も咎めないわね。彼の一つ上、六牢の座に就く夜市あたりが怒り散らしそうなのに。とまで考えていると、彼が欠伸をした瞬間に左手に座る夜市が舌打ちをしたので、やはり快くは思っていないらしい。
それからもう一人、見知らぬ顔がある。五時の方角に座る五裁の後ろに立つ青年だ。棒を入れているかのように背筋を伸ばし、詰襟までボタンを留めた見るからに真面目そうな容姿。きっと彼が後継ぎ候補なのだろう。胃薬を手放せなくなりそうな子ね。予防のために早期的に主治医をつけるように後で言っておこう。
入れ替わりをしているとは思っていなかったから序列上位者の資料には目を通していない。部屋に戻ったら一読しておこう。
会議の行く末を見守るように傍聴席に座る者たちについては以下省略とする。見覚えのある顔も初めて見る顔もあるけれど、彼らは議員として名を並べるだけの聴衆だから。
「私は査問をかけられる者としてしおらしく中央に立つべきかしら。それとも壱檻として席に着きましょうか」
「無意味な雑談に割いている時間はない。三年四ヶ月分の話をするためにも効率的に行おう」
「じゃあ、席に着くね」
全体を見渡してから溜め息を一つ。立ちっぱなしは面倒臭いと思いながら確認をすれば、相変わらず眉間に深い皺を刻んでいる三縛が答える。
求めていた通りの答えが返ってきたので、席までエスコートしようとする綿音に手間を短縮しようと提案し、自分の席に着いてもらう。
三年四ヶ月ぶりに壱檻萩野として席に着くけれど、懐かしいという気持ちはない。強いて言うなら面倒臭いなあといったところ。
私の感想はさておき。二つの空席が埋まったことを確認した
「これより、壱檻萩野様の脱獄についての査問を始めます。ご存知の方が多いかと思われますが、序列上位者に入れ替わりもありましたので事の経緯を」
わざわざ資料まで作ってご苦労なこと。国民に向けて公表するわけでもなければ、結末が分かりきった査問に関心を抱いて熟読する人もいないだろうに。これこそ資源の無駄使いだと思う。
五裁によって説明される話は他でもない私が一番知っているけれど、ビードロのような澄んだ声がとても心地良いのでそのまま聞き入ることにする。しかも、資源の無駄だと思っていたこの資料、ところどころ小説の一文のような書かれ方をしていて面白い。これはきっと九束が作ったのだろう。このような場に提供される資料に遊び心を加えるなんて彼しかやらない。
私が口を挟ませないために面白おかしく資料を作ったというのならば、全てが無駄というわけでもない。事実、名ばかりの査問もとい茶番劇を制止することなく読書に興じている。
「時間の浪費もそこまででいいだろう。各自資料に目を通せ」
「もう少し聞いていたかったのに」
「当事者が聞きたがるな」
「資料は読み応えあるし、何より五裁の美声を長々聞けるのはこういう機会しかないじゃない」
「お褒めに預かり光栄です。しかし、査問にかけられているご本人が資料を読書の如く楽しむのは看過できません」
「退屈な茶番に付き合うには暇潰しの道具が必要でしょう」
「壱檻様を裁ける立場は存在しないからには確かに茶番でしょう。しかし、五裁として言わせていただくと一連の流れはやっておくべきかと思います」
恭しく頭を下げた五裁は困ったような顔をして三縛に視線をやる。彼の立場を考えればそうなるでしょうね。
私としては早く今日の予定を済ませて自分の時間を作りたいところなのだけれど、どうしたものか。三縛や四獄ならともかく、五裁の面子を潰すようなことは率先してしたくない。
後半は資料として役目を放棄して個人が好き勝手綴った小説と化した書類を眺めながら考える。そうしていると三縛は資料を円卓に叩きつけて乱暴に立ち上がる。その勢いで重厚な椅子が倒れそうになるが、すかさず四獄が後ろに回って椅子を引く姿は長年私の世話役をしてきた綿音に引け劣らない。
「ならば先に聞くことがあるだろう。凪と虹、次期壱檻はどこへやった」
三縛の口から二人の名前が出た途端に周囲がざわつく。何の反応も示さなかったのは私から毎日定時連絡を受けていた涼蘭と彼女の手足となって動く天くらいだ。上辺だけの反応でもしないと共犯者と疑われるリスクがあるというのにいいのだろうか。もっとも、疑うまでもなく私の協力者であり、二錠に罰を課せるのは壱檻である私だけなのだけれど。
三縛からの質問を無視して無反応の二人を眺めていると鋭い視線に刺される。視線で物理攻撃が可能であったら、私の顔は間違いなく蜂の巣になっていただろう。
「さあ」
「罪状を脱獄だけで済ませているうちに吐け」
「知らないものを吐けと言われても」
「壱檻である貴様に知らぬことなどないだろう」
「あの子たちは鳥籠にいるべきではないと私が判断したのよ。それ以上、何か語る必要はある?」
奥歯を軋ませ、これ以上何も言わない三縛の姿につい溜め息を吐く。少し考えたら、否、考えずとも私が二人について教えるわけがないと分かるだろうに……どうして問い質そうとするのか。それこそ時間の無駄というもの。
背もたれに寄りかかり、天井を仰ぐ。ネルトリアの礼拝堂に描かれた天井画も見事なものだったけれど、この議政堂の天井画も負けていない。天井画に込められた物語をよく知っている分、こちらの方が馴染み深い。
「そんなことより、ここ二年で税が重たくなったのはどうして?」
天井画を眺めている間、誰も発言しない。私が口を開くのを待っている様子だったので、視線を天井画に向けたまま問いかける。
会話のキャッチボールではなくドッジボールをするな。旅の最中に散々言われてきたことを思い出して口元が緩む。そう言いながら会話を続けてくれていた近とイオンの会話力は高かったのだと改めて思う。
皆、どうしてるかな。贅沢を言うならばイシアがある程度復興するまで残っていてほしいけれど……イオンの都合を考えると難しいでしょうね。
首が疲れてきたので視線を戻す。周囲を見渡せば、三縛はばつが悪そうな顔をしている。傍聴席で行く末を見守る議員たちは野次を飛ばすことはしないが、ざわつき始める。私が話題を変えたことに対してというよりも触れてほしくない話題に触れられたことに動揺したといったところか。見逃すわけないのに。
綿音に視線を向ければ、彼女は息を吐くように溜め息を吐いて立ち上がる。
「それについては私、八鎖から説明させていただきます。
「トラブル?」
「トラブルの詳細は不明です。説明を求めても一切口を開かず」
「ふうん。あの絵天が、ねえ」
「また、ここ数年で出生率も下がっております。ゆくゆくは徴収できる税も減っていくことを見越し増税に」
「逆効果でしょ、それ。誰が言い出したの」
テクノロリア、アルケミアの呼称がまだなく、戦争をしていた頃から存在するテクノロリア最古かつ最大の国、
序列上位者は国民の安寧のために全てを捧げるべし。鳥籠として建国以前より定められていること。だから、資金が足りないから増税するなんて発案を序列制度上位者から出るはずがない。三縛や八鎖の表情がそれを語っている。
「人生、金が全てというわけではない。なんて綺麗な言葉を並べたところで貨幣制度を取っている限り富貧で心の余裕が変わってくるというのは語るまでもないよね。税を重くし、国民から心の余裕を奪えば出生率どころか婚姻率まで低下するに決まっている」
「しかし、出生率が下がっているのは事実です! 今後生まれるか分からない次世代に経済を回すよりも今いる国民に」
「ねえ。序列上位者の平均年齢が若くなる傾向にある。時には経験が物を言うことがあるため、若手のサポート目的で序列に関係ない議席を設けているわけだけれど……まさか、こんな人のこんな声を聞き入れて税を重くしたわけじゃないよね? あと、きみに発言を許していないよ」
「壱檻様!」
私の言葉を受けて口を開こうとする綿音を遮り、傍聴席に座っていた議員の一人が立ち上がる。彼の言う、今いない者よりも今いる者を優先するという考え方そのものまで否定するつもりはない。ただ言い方にかなり問題があり、公の場でしたら炎上不可避の発言だ。
炎上するということは大多数の人がひっかかりを覚えるということ。そんなことも分からず発言するような人、今すぐ摘まみ出したい。でも私の発言は命令に等しいから安易に言ってはならないのよね。代わりに夜市に視線を向ければ小さな溜め息を吐き出してから立ち上がり、発言をした議員の方に向かっていく。相変わらず気の利く男ね。
「だが、絵天からの輸入品が価格高騰していることで我が国の財政を圧迫しているのも事実だ。全体的に見直して削減できるところは削減し、その上で増税している」
「アルケミア側にかけている防衛費を削っていいよ」
「国防を疎かにするつもりか」
「二錠の結界魔術があれば十分だし、それ以上のことは何をしても無駄」
「それは
「今以上のことはしなくていいよ。でも今してることはきちんとやって。二錠の結界魔術をすり抜けるようなものは鳥籠の魔法や魔術では為す術ないから別の方法で対処しよう」
「二錠以外にその手の対処ができる者はいないのは承知の上だな」
「うん。別の方法については考えがあるから少し時間を頂戴。それと私に給付するお金を国民に還元して、それでも足りない分は議員の給料を削っておいて」
傍聴席が再びざわつき始め、序列上位者の大半は額に手を当て溜め息を吐いていた。
いったい何に騒ぐ必要があるのか。そもそも、脱獄している期間も給付しているのがおかしいのよ。私に充てられるそれは国民から徴収した税金で成り立っているのだから。そして、傍聴席に座っているだけ、序列上位者の指示をこなしているだけの人たちに高額な給料を支払うことも問題視すべきこと。報酬に応じた成果を出す確約がないのであれば、仕事の成果に応じた報酬を与えるべきよね。
「それで賄えるわね」
「十分なほどに。しかし、よろしいのですか?」
「序列上位者は国民に全てを捧げるべし。それは私財であろうと命であろうとよ。足りないのなら国民から徴収するのではなく、まず私から削るべきでしょう」
「議員の給料削減については」
「九束、あとで個人の成果をまとめた書類を頂戴。一人一人、成したことを確認してから決めるわ」
「了解でーす」
「私への給付金の還元については八鎖に任せるわ」
「……かしこまりました」
綿音は一礼してから着席する。彼女に任せれば何も心配いらないでしょう。後ほど、お手入れを受けている間にでも厄介な仕事の振りやがって、なんてお小言を言われるかもしれないから聞き流すつもりでいよう。
さて、他に早急に片付けておくべきことはあっただろうか。胸元に転がるペンダントを指先でいじりながら、軟禁されていた二週間で読んだ資料を思い出す。
「うはっ。めちゃ権力乱用するじゃないですか」
七監交代の影響か、防犯システムが一部変わっていることについて。直近で行われている国民能力検査とストレスチェックの結果が良くないこと。十年前に流行った感染症。今後、 絵天とどう関わっていくか。イシアの復興援助の件。
話すべきことはいろいろある。問題はどこから進めていくか。頭の中で優先順位を組み立てていると、空気を吐き出すような笑い声が上がる。それは査問開始時から今まで一言も発言をせず、気怠そうに傍観していた七監から発せられたものだった。余計なことを口走った議員を摘まみ出していた六牢は彼の笑い声を聞くなり眉間に深々とした皺を刻んでいた。でしょうね、見た目からして相性悪そうだもの。
「なんか聞いていた話と全然違うっていうか、壱檻様ってこんな感じでいいんすか」
「七監、口を慎め」
「いやいや、六牢様。このワンマンプレーを見て何にも思わないわけ? 俺、壱檻様は思慮深くて威厳に満ちた国の脳って聞いてたんすよ。でもこの人は凡人っぽい見た目をしているし、威厳のイの字もなければ、脱獄するっつー鳥籠において重罪を犯しているのに反省の色なし。それどころか国の方針を一人で決めてるとかさ、まじでやべー奴じゃん」
「威厳に満ちていたのは先代の壱檻様だ。この人に求めるものではない」
「ねえ、ちょっと。否定はしないけれど、よりにもよってそこを肯定するのやめて」
「見た目は平凡で威厳がなくても、鳥籠から脱獄して三年四ヶ月も逃げ回ることができたのよ。その時点で十分な能力があるとは思わない?」
「ねえ、二錠。六牢が既に肯定したことを重ねて言う必要あった?」
「他でもない二錠様が手を貸していたら可能でしょ」
「あら。私を共犯者だと言いたいの?」
「だとしても、二錠様を罰することができるのは壱檻様のみっすねー。上位二名が組んでる時点で詰んでるってか、八鎖は壱檻様のお目付け役だし、九束は二錠様の世話役。加えて、六牢様は壱檻様の御学友って話じゃないですか。偏りすぎてまともに機能してなさそうだなーって」
貶しながらフォローをするという器用なことをして私を会話から弾き出す二人にこれ以上口を挟むのはやめることにした。昔からそういうところがあるし、そういうときは何を言っても聞き入れてもらえないのよね。事実ではあるし。
二人だけでなく新しい七監も私を無視して会話を進めるのだから将来有望よね。その点で考えるとこの状況に一人慌てふためいている五裁の後継ぎ候補の方が心配。今のうちに自分に合う胃薬を見繕うことをお勧めしておこう。
「三縛。イシアの復興援助についてだけど」
「俺の発言は無視ですかァ?」
「二錠と六牢が既に答えているからあえて私が答える必要はないでしょう」
「そんなこと言わず、新参者かつ最年少の俺とも会話してくださいよ」
「じゃあ一つだけ」
煽って相手を乗せようとしている。悪戯めいた笑みを浮かべながら探りをいれてくる姿からそれは一目瞭然だった。なんて分かりやすいのだろう。経験が物を言うというのはこういうことよね。
無視してもいいけれど、この類は自分が満足するか高くなった鼻が折れるまで繰り返す。つまり非常に面倒臭い。
軟骨にもピアスが刺さった耳を触りながらこちらの出方を窺う七監を数十秒ほど観察してから、私はこう答えることにした。
「序列制度がまともに機能しているから壱檻である私は鳥籠において重罪である脱獄を犯しても茶番な査問で終えるし、権力は一切揺るがない。他人の意見を聞くことなくワンマンプレーをしても許される。それが鳥籠において壱檻という存在よ。私に不満があるならきみが壱檻になればいいだけの話」
条件さえ満たしてくれれば、私は喜んでこの座を譲るのだから。
そう締めくくれば、三縛が小さな声でそれができればとっくにしていると呟き、舌打ちをするのだけれど……それについては触れないでおこう。藪蛇は面倒臭いもの。
ちぐはぐるーぷ きこりぃぬ・こまき @kikorynu
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