美味しい味噌汁の作り方

羽間慧

美味しい味噌汁の作り方

 俺のために、毎日味噌汁を作ってください。

 父のプロポーズの言葉は、定番の台詞だったらしい。


「ベタすぎて笑えるよね。あのときも笑いすぎて、父さんにムッとされたっけ」


 母は腹を抱えて笑っていた。じゃがいもを洗いながら俺は呟く。


「父さんが不憫すぎる」


 寡黙な父のことだ。台詞を何度も練習して、伝えるタイミングを逃すまいと緊張で固まっていたはずだ。大げさな反応でもいいから、母が喜んでくれれば安心しただろうに。


「よく喧嘩にならなかったな。あんな態度を許せる父さん凄いよ」

「そりゃあ、母さん可愛いもの」


 母はあっけらかんと言った。


「りんごの箱に運ばれて、花よ蝶よと育てられたの」


 マザコンではないが、母の可愛さは認める。特売の付き添いでスーパーに行くと、同級生から「姉弟で買い物とか仲良すぎかよ」と言われるほどだ。


 ほうれい線とか首のたるみを見てみろ。オバサンを女子高生と間違えた事実に悶絶するから。


「みっくん。今、悪い顔してたわよ」

「ソンナコトナイヨ」


 俺はスマホで顔を隠す。母の視界には、料理研究家の笑顔が映っているだろう。


『いかがでしたか? 切ったじゃがいものレシピが知りたい方は、別の動画で紹介しているので参考にしてみてください』


 あぁ、また見終わってしまった。初心者向けと銘打っていても、テンポが早すぎて作業が追いつかない。にんじんの皮むきよりも難しいな。


 動画を再生する息子を、母は冷ややかに見ていた。


「早く手を動かして。じゃがいも、変色するわよ」

「まじ? りんごだけだと思ってたわ」


 こんなことなら日頃から手伝わせれば良かったわ。母のわざとらしい溜息が聞こえる。蛇口を捻り、聞こえないふりをした。


「仕方ないだろ。調理実習はいつも皿洗い担当だし。料理できる奴らに任せていれば丸く収まったんだよ」


 俺は再び包丁を手にする。皮剥きなんて、ピューラーでやれば簡単なのに。なぜ調理実習室には、文明の利器が備わっていないのだろう。怪我の危険性を想定しとけよ。いや、どの班員も味見希望なんて、滅多に起きないのか。


「今日の班分けは残念だったわね。たまに料理する子はいないの?」

「お菓子作りが趣味の子はいるけど、皮剥きは専門外だって」


 そうよねぇ。レンチンすれば簡単だけど、実習室にはレンジなんてある訳ないし。


 母は歌うようにじゃがいもを剥いていった。俺の切ったものと全然違う。


「調理動画を見ても、全然うまくできねーじゃん。来週まで間に合うかな」

「みっくんが不器用だからでしょ」


 ぐうの音も出ません。

 えぇっと、乱切りは先に四等分にするんだっけ。


「同じ班に好きな子がいるの?」

「はぁ? そんな訳ないから」


 切ったじゃがいもを水に晒しながら、動揺を抑えた。だが、母の目はごまかせない。


「家庭科で作ったっていうエプロン、アイロンかけるときに綺麗すぎる縫い目だと思ったのよね。ひょっとして盗んだものなんじゃ……」

「息子を変態扱いするな!」


 同級生のエプロンを盗むなんて、紳士のする行動じゃない。疑いを晴らすため、俺は正当な入手経路を告白する。


「交換したんだよ。と」

「あら、その子は汚い縫い目のエプロンを着るのね。菓子折を持たせなきゃ」

「母さん、強奪したと思ってる?」


 俺が心を込めて彼女のために縫ったのに。初めて挑むまつり縫いはレベルが高すぎたが、並縫いなら真っ直ぐをキープできる。斜めになっていることは否めないが、ゆがみはない。


 大事なのは、一人のために心を込めて作ることだ。そのおかげで苦手な裁縫を頑張れた。


 自分の縫ったエプロンを彼女に着てもらう。たいして膨らみのない胸が、妄想だけでエロく見えるから不思議だ。シャツのボタンが悲鳴を上げるような谷間より、揺れない輪廓の方がそそられる。


「ふへへ」

「ほらほら。味噌汁担当はシャキッとしなさい。先に親子丼が完成するわよ」


 本当は玉ねぎを切りたかったな。一人で泣いていれば、作業している風を装える。でも、彼女にじゃがいもを切らせて怪我させたくない。ガスバーナーの実験のとき、彼女は点火できずに横髪を焦がしていた。あれ以来、過保護と罵られていいから危険を回避したいと思うようになった。


 自分から立候補した手前、まずい料理は出せない。馴染みのある味噌汁なら、特に安心感を裏切れない。

 

 俺は鍋に具材を投入し、試作品第一号を完成させた。




「今日の味噌汁も美味いな」


 最初に試食したのは、何も知らない父だ。俺の腕前はそれなりにあったらしい。これで調理実習は安心だ。


 食べ進める俺の横で、母の頬が引きつった。味を信頼してもらう嬉しさより、自分の料理ではないものを賞賛されることが悔しいのだ。


「そういえば隠し味変えたか?」


 微妙な空気の流れに、父は本能的に察したようだ。俺は母の名誉のためにネタばらしをする。


「そうか、実習のために練習したんだな」


 父は椀を置いた。


「こんな味噌汁を毎日食べられたら幸せだろうな。お前の大事な人は」

「WHOOOO!」


 あまーいと両手で顔を覆ったのは、母だった。恋愛ドラマを鑑賞しているときのように、黄色い声を上げている。


「ちょっと母さんは黙って」

「いいんだ、湊。今日も母さんの笑顔を見れて幸せだから」


 愛情表現は母に届かない。味噌の香りを堪能するのに夢中だった。


「湊。どうして俺が母さんの味噌汁に惚れたと思う?」

「唐突だな!うーん。実家の味と似ていたからじゃないの?」


 父は首を振る。


「こわごわと包丁を握っても、同じ幅で切っていたからだ」


 そんな細かいところを見てたのか。俺は、自分の切った具材を箸でつまむ。不格好ではないのは油揚げくらいだ。こんな味噌汁は彼女に食べさせられない。


「食べる人のことを考えろ。こんな太いイチョウ切りは初めて見た」

「気を付けます」


 息子の料理と知ったら、手のひら返しかよ。まったくもう。


 本番は集中した。

 先生は俺の味噌汁を味見して、クラスで一番美味しいと評価した。具材の切り方も、だしの香りも。彼女を含んだ班員も目を丸くしていた。いつもの味を思い出したのだろう。


「湊の作った味噌汁、好きだよ」


 彼女の椀は空になっていた。

 最高の褒め言葉だ。この台詞が聞きたくて、一週間作り続けた。


 でも、何か大切なことを忘れているような……


 俺は彼女の笑顔から視線を逸らした。主張のない胸は、シャツの上だと起伏が分かりづらい。


 しまった。エプロン姿を堪能するの忘れてた。

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美味しい味噌汁の作り方 羽間慧 @hazamakei

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