魔女と世界の隠し事

稀山 美波

魔女と世界、母と父

優一ゆういち。お母さんはね、実は魔女なのです」


 母の正体が魔女だと知ったのは、僕が六歳の時だった。


「ええっと、ああ、ごめんなさい。私は、優一のお母さんです、はじめまして。ずぅっと会いたかったよ」


 僕は今でも、あの日の衝撃を忘れることができない。僕の六歳の誕生日、母と名乗る女性が突如として液晶に映し出されたのだ。


 液晶の向こうにいる母は、当時の僕から見ても美しい女性であったと思う。じぃっと僕を見つめる瞳はガラス玉のように澄んで丸く、肩まで伸びた艶のある黒髪が印象的であった。


 居間にあるテレビが独りでに光り出したことに驚いたこともあるが、そんな母の姿から目を離せないでいたのを覚えている。


「優一は『どうして僕にはお母さんがいないんだろう』って思ったこと、あるでしょう? お母さんも優一の傍にいてあげたいんだけど、どうしてもやらなくちゃいけないことがあって、今は魔法を使ってお空の向こうにいるの」


 テレビ越しに見える母がひどく悲しそうな顔をしていたことも、僕の脳裏に焼き付いている。 


「でも悲しまないで。お母さんは空の上にいるけれど、ずっと優一を見守ってるからね。そうだ、優一にだけ特別、すごいことを教えてあげる」


 僕は呼吸をすることもまばたきをすることも忘れ、テレビの傍へとにじり寄り、母の姿を見、母の言葉を待った。



「優一の住むその世界には、秘密があるの。世界には、隠し事があるの」



 僕はこれまで、母の言葉を糧に生きてきた。

 母の言う、『世界の隠し事』とやらが知りたくて、これまでどうにかやってきた。


「どう? 気になるでしょう? でも、駄目です。優一にはまだ教えられないなあ」


 いたずらっぽく笑う母を見て、僕は憤りやじれったさを感じないではなかった。けれどもそれ以上に、どこか安心感を覚える自分がいた。今思えば、あれが母の素であったのだろう。それを当時の僕は感じ取っていたのかもしれない。


「そうだなあ。優一が高校を卒業するくらいになっても良い子で元気でいたら、教えてあげる。これから毎年、一年に一度だけ、優一の誕生日に、お母さんはこうしてお空の向こうから優一の様子を見に来ます。だからそれまで、優一は良い子で待っていてね」


 世界の隠し事、なんだろう。母がまた会いにきてくれる。母が見ているから、僕は良い子でいなくてはならない。


 幼い僕の小さな頭に、多大な感情が渦巻いた。それでも僕は、大きな母の姿に向かって、小さな首を何度も縦に振っていた。



「優一、大好きだよ。じゃあまた、来年の誕生日にね」



 父と二人で過ごす誕生日。

 それからは、そこに魔女の姿が混じるようになった。



 ◆



「優一。この一年、良い子でいたかな?」



 母の正体が魔女でないことを知ったのは、僕が十歳の時だった。


「お母さんは相変わらず、お空の向こうで毎日一所懸命働いてます。毎日毎日大変だけど、雲の下に見える優一の元気な姿を見て頑張っています」


 魔法とか、ファンタジーとか、ましてや母が魔女であるとか。十歳とは、それらが空想の産物であることに気づかない年齢でない。


「さて、今年も魔法で優一に会いにくることができました。優一、十歳の誕生日おめでとう。小学校は楽しい? 友達は沢山できたのかな?」


 毎年僕の前に現れる母は、録画された映像でしかなく、こっそりとテレビの電源を入れるのは父以外の何者でもない。それを証明するかのように、テレビ台の中にすっぽりと納まったDVDプレイヤーの電源が淡く光り、円盤が忙しなく回転する音がして、食器を洗う父のズボンにはリモコンが押し込まれていた。


「そんな優一の様子を隣で見れないのが、本当に残念。けれど、お母さんはいつでも優一を見守っているからね」


 つまるところ、母はもうすでにこの世にはいないのだ。


 僕を産む前か後かはわからないが、自らの死期を悟った母は、こうして映像を残すことに決めたのだろう。一年に一度、僕の六歳から十八歳までの誕生日のために。


「さあ、優一。お母さんが毎年言っている『世界の隠し事』だけど、わかったかな?」


 十歳の少年とは、単純そうに見えて意外と聡い。映像を残した当初の母は、そのことがわかっていなかったのだろう。こうして今年も、相も変わらず『世界の隠し事』とやらの話をした。


「ふふん。その様子じゃあ、わかっていないみたいだね。そうでしょう、そうでしょう」


 それでも僕は、一年に一度聞くことのできるこの言葉を、楽しみにしていた。もう既にこの世にはいない母の姿を見れることは、もちろん楽しみだった。だがそれ以上に、『世界の隠し事』とやらを話す母はどこか子供っぽく、なんだかくすぐったくも暖かな気持ちとなれたのだ。


「これは、優一が高校を卒業するくらい、十八歳の誕生日になるまでは秘密です。それまで良い子でいたら、ちゃあんと教えてあげるから。だから優一も、それまで元気で良い子でいてね」


 世界の隠し事とやらの正体は、実のところこの時点で割とどうでもよくなっていた。一年に一度、母の姿が見れるだけで、僕は十分に満たされていたのだろう。



「優一、大好きだよ。じゃあまた、来年の誕生日にね」



 父と二人で過ごす誕生日。

 そこには既に魔女の姿はなく、母の笑顔があった。



 ◆



「優一。この一年、良い子でいたかな?」



 母の言いつけを破り、良い子でなくなったのは、僕が十四歳の時だった。


「優一も中学二年生かあ。時が経つのは本当に早いなあ。来年はとうとう受験だけど、勉強は順調かな? 友達とは上手くやっている? あ、もしかして、彼女とかもできてたりして」


 一年に一度聞く母の声が煩わしく思えてしまったのは、この時が最初で最後だったと思う。思春期の男児と子煩悩な母の声というのは、今思えばまさに水と油であったのだろう。それらが絶妙に混ざり合うことは決してなく、僕は画面から目を逸らしながら、母の声を聞き流すように自室のベッドへと寝ころんだ。


「優一も思春期真っただ中だからなあ。駄目だよ、悪いことしちゃ。お父さんとも仲良くして、ちゃんと言うことを守らなきゃね」


 僕のこれまでを見てきたかのような母の物言いに、思わず心臓が大きく跳ねた。


 中学二年となった僕は、お世辞にも『良い子』であるとは言えなかった。父母ともに健在である同級生たちとの間にどこか隔たりを感じてしまい、僕と同じように両親の愛情に飢えた同級生たちと、日夜不健全な行動に勤しんでいたのだ。


「でも優一は、お母さんと約束してるもんね。良い子でいてね、っていうお願いを破るような子じゃないって、お母さんは知ってるから」


 当時の僕のような青年を指して、『不良』と呼ぶのだろう。良くあらず、と書く存在が、良い子であるはずがない。母の声を煩わしく思う反面、母の言いつけを初めて破ってしまったことに対する罪悪感が胸の中で腫瘍のように育っていることも、また事実であった。


「今年もお父さんと誕生日パーティをしたのかな? お父さんは口数も少ないからわからないだろうけど、ちゃんと優一を愛してくれているから。あ、もちろんお母さんには敵わないけどね?」


 母は本当に魔女で、本当に空の上から僕を見ているのではないかと、その時思った。それはまるで、最近の僕の様子を咎めるような、今日の僕の父に対する言動を宥めるような物言いであったからだ。


 母が言うように、父は口数が少なく、非行に走ろうとしている僕に対しても強く注意したりしなかった。今思えば、早くに母を失った悲しみや、僕に対する負い目や懺悔の念があったのかもれしない。


 そんな父でも、僕の誕生日は必ず一緒に祝おうとする。それがどうしても煩わしく、僕は『この歳になって親と誕生日会なんてやってられねえよ』と悪態をついて、自室へと引きこもったという訳だ。


「さて、優一。これまで毎年言ってきた『世界の隠し事』だけど、優一はわかったかな?」


 そんな悪態をついてもなお、母に会うことだけは、どうしても欠かすことができなかった。今ここで母を拒絶すれば、一年に一度しか会えぬ母を見ずにいれば、僕は一生母の愛を受けることはないのではないかと、そんな気分にさせられてしまったのだ。


 DVDの隠し場所については、あらかた検討がついてた。何をやっているんだと頭では考えながらも、僕はそこから『優一 十四歳』と書かれた円盤を取り出して、自室に持ち込んだ。


「いやいや、皆まで言うな。優一はまだ気づいていないはず。ふふふ、気になるでしょう」


 ベッドに横たわり、寝返りをうちながら母の声に耳を傾ける。僕の視界には見飽きた天井しか映っていないが、少し体を起こせば、きっとそこにはいたずらっぽく笑う母の姿があるのだろう。僕が六歳の時から変わらぬ、その姿と笑顔が。


「でも教えない。優一がちゃあんと良い子で十八歳になるまでは、秘密です。どうしても知りたければ、あと四年、お父さんと仲良く良い子でいてください」


 すべてを見透かしたかのような母の物言いに、僕は思わず大きな舌打ちをした。その対象は、時に囚われた母の子煩悩さに対してだったのか、それとも母の言いつけを守らず非行に走る不甲斐ない自分自身であったのか。


 気恥ずかしさと後ろめたさから、今年はこれまで母の姿を一度も見ていなかった。DVDを再生してからは、苛立ちと自己嫌悪を抱きながらベッドに横たわり続けてきた。


 けれども、体は母の愛を求めていた。

 例年通りであれば、そろそろ母はかの言葉を口にするはずだ。


 僕は自らの意思とは関係なく、勢いよくベッドから立ち上がり、暗く狭い部屋の隅でぼぅと光る液晶へと目をやった。



「優一、大好きだよ。じゃあまた、来年の誕生日にね」



 独り、部屋で過ごす誕生日。

 そこには父の姿はなく、母の無償の愛だけがあった。



 ◆



「優一。この一年、良い子でいたかな?」



 母に最後に会ったのは、僕が十八歳の時だった。


「とうとう優一も高校を卒業かあ。晴れ姿を直接見れないのは残念だけど、私の自慢の息子だから、きっと凛々しくカッコよく、堂々とした姿だったんでしょう」


 母の言いつけを破り不良の道を歩んでいた僕だったが、途端に非行がくだらなくつまらない行為に思え、不良連中とつるむこともやめてしまった。十四歳の誕生日、母の言葉を聞いたことがきっかけか、それとも他の要因か。今となってはわからないが、きっと前者であったのだろうと思うようにしている。


「さて、と」


 見ることが叶わない息子の成長姿を思う母の言葉は、例年にも増して長かった。母数分もの間語り続けた後、大きく深呼吸をし、閑話休題とでも言いたげに表情を強張らせた。


「優一。とうとう、十八歳になったんだね。お母さんは、本当に嬉しいです。でも優一はきっと、そんなことよりも知りたいことがあるはずだよね。これまでずっと、それが知りたくて、良い子でいたんだもんね」


 母がここまで悲しげな表情を浮かべるのは、僕の六歳の誕生日以来かもしれない。嬉しさと悲しさ、喜びと寂しさとが渦巻いた表情は、これから起こることを伝えるのに十分すぎる材料となった。



「お母さんが優一に会えるのは、これが最後。最後に、『世界の隠し事』を伝えて、お母さんはさようならします」



 なんとなく察していたことだが、やはりこれが最後の母の姿であるらしい。覚悟していたこととはいえ、胸が締め付けられるのは避けられなかった。


 世界の隠し事とやらにはもはや興味もないし、そこには大した秘密があるとは思えない。幼い僕の興味をひくための言葉以外の何物でもないだろうし、それよりも僕は母の言葉がもう聞けなくなることが、なによりも寂しくて仕方がない。



「それでは、世界の隠し事、ひとつめ。実はお母さん、魔女でもなんでもないの。えへへ、ごめんね優一。これまで騙して」



 けれどもその寂しさが、何とも言えぬもやもやとした、それでいて気の抜けた間抜けな感情に押し殺された。


「いやあ、実はね。お母さんは魔女で空の向こうにいる訳じゃなくて、本当は優一が産まれたすぐ後に死んじゃったの。この映像も、死ぬちょっと前に撮ったものなんだ。これまで十八年間、黙っててごめんなさい」


 六歳から十八歳まで、計十二年もの間、思いもしなかった。僕の母は、どこか抜けているところがあるらしかった。息子が幼い頃に吐いた『私は魔女です』という嘘を、息子は今でも信じていると思っているらしい。


 腰を据えて母の最後の言葉を待っていた僕は、がくりと項垂れて、苦笑にも似た小さな笑みをこぼした。それに釣られるように、僕の隣で画面を凝視していた父も、小さく笑った。


「なんてね。優一も十八歳だもんね。さすがにもう、魔女とか魔法とかを信じてる歳じゃないよね。ごめんごめん」


 けれども、そんな僕たちの様子をまるで遠巻きで見ていたかのように、母はすぐさま自らの言葉を訂正した。画面の向こうで笑う母に倣って、僕と父は顔を見合わせた後、お互いにくしゃっと顔を綻ばせた。


 しかし、すぐに僕の頭の中には疑念が浮かび上がってくる。いつまでもにこにこと笑う父を尻目に、口角と目尻の位置を戻して、もう一度母へと向き直った。



「ええと、ごほん。それでは、世界の隠し事、ふたつめです」



 先ほど母は、『世界の隠し事、ひとつめ』と確かに言っていた。



「これは孝彦たかひこ――優一のお父さんと、『優一が高校を卒業したら打ち明けよう』と決めていたことです」



 世界には本当に、隠し事があるというのか。

 母と父が、僕に悟られまいと世界に閉じ込めた、隠し事が。



「優一のお父さんは、本当のお父さんじゃありません。孝彦は、私の弟です。つまり、優一の叔父さんです。早くに亡くなる私の代わって、優一を育ててくれました」



 世界の隠し事が解き放たれた瞬間、僕の頭の中は真っ白となった。それこそ、まるで魔法にでもかけられたかのように。


「これが、『世界の隠し事』です。お母さんは魔女でもないし、お父さんは実は叔父さんだしで、困惑させちゃったかな。ごめんごめん」


 ようやく自らの支配下に戻りつつある思考を手繰り寄せて、隣に座る父の姿を見る。苦しさや申し訳なさ、そして何よりも悲しさを携えたその表情を窺うに、母の言葉に嘘はないようだった。


「でも、ちゃんと良い子に育ってくれた優一なら、受け止めてくれると思います。ちゃんと受け止めて、素敵な大人になってくれると思います。それを見れないのは本当に寂しいし悔しいけど、私は優一を生んで本当にとよかったと思っています」


 僕の動揺を掻き消すように、母は息子に対する愛を語る。驚愕に支配されていた僕の心を優しく包む母の言葉が、段々と僕に冷静さを取り戻させた。


 やはり母は、魔女のように思えてくる。いつだって母は、僕の心情を見抜いた言葉と表情をくれていた。



「優一、大好きだよ」



 例年と同じ締めの台詞には、『来年の誕生日にね』という言葉が欠けていた。そのことが、これが母の最後の言葉であることを、嫌なほど物語っていた。


「ちょっと孝彦、なに泣いてんの――」


 けれども、例年とは違うものが、最後に一瞬だけ流れた。

 母を映す映像が大きくぶれ、男性の嗚咽とそれを気遣う母の声だ。ぐるりと回る世界の中で、頬に涙を伝わせる母の画が映ったかと思った刹那、映像はぷつりと切れてしまった。


 これまでこの映像を撮影してきたのは、僕の隣に座り、大粒の涙を零しながら、すでにこと切れた映像を未だ見続ける男であったのだ。それは、僕の叔父であると母は言う。


「すまない。優一」


 彼はゆっくりと僕に向き直って、頬を伝い膝へと落ちる涙を隠そうともせず、重苦しい口を開いた。


「すべて、お前の母さんが言った通りだ。俺は、お前の母さんの弟で、叔父だ。父親なんかじゃ、ないんだよ。今まで黙っていてすまなかった。本当に、すまない」


 声と肩を震わせ、深々と頭を下げる男に、僕は何も言えないでいた。色々とかけたい言葉はあるのだが、喉の奥に詰まって出てこない。色々と彼に思う感情はあるのだが、脳の中で暴れ回ってまとまらない。


 こんな状況を打開できる力は、まだ僕にはない。母は僕を褒めてくれたが、まだまだ自分は子供なのだ。父と母の愛がなければ何もできない、ただの小さな子供なのだ。


「何を、しているんだ」


 だから僕は、黙って立ち上がり、テレビ台の下にあるDVDプレイヤーへと手を伸ばした。


 魔女が言うところの、『世界の隠し事』とやらの、三つ目を携えて。



「それは――」

「魔女が残してくれた、最後の魔法だよ」



 僕が手にした、ラベルに『孝彦 四十歳』と書かれたDVDは、ゆっくりとプレイヤーに飲み込まれていった。



「おっす孝彦。元気? いやあ、あんたも四十とは、歳を取ったねえ。こっちはもう歳取らないからね。へへへ、どうだ羨ましいか」



 液晶に映し出された映像には、やはりというか母の姿があった。けれどもそれは、毎年僕に見せてくれていた姿や口調ではない、少々荒っぽいものであった。きっと弟の前では、いつもこんな様子であったのだろう。


 このDVDは、僕が十四歳の頃に見つけたものだ。DVDの隠し場所、その奥の奥、世界の目から隠されるようにして、それはあった。


「きっと私の息子だからさ、思春期あたりにこのDVDを見つけてくれるんじゃないかな? おうおう、色々漁ってくれるんじゃないよ、このバカ息子め。しかし今回ばかりは褒めてやる、偉いぞまったく」


 にかっと笑う姿や、肝っ玉母さん的な口調をする母は、初めて見るものだった。しかし彼女の弟にとってはそうでもないらしく、どこか懐かしさを感じる表情を浮かべながら、テレビに噛り付いていた。


「あんたのお陰でさ、こうして優一は立派に育ったよ。本当に感謝してる。子供ができた途端、男には逃げられて。追い打ちをかけるように私は余命幾ばくときたもんだ。孝彦がいなかったら、どうなっていたか」


 母は弟に色々と声をかけているが、声をかけられた当の本人の嗚咽のせいで、よく聞こえない。けれどもそれは、彼にだけ聞こえていればよいのかもしれないと、僕は半ば諦めながら映像の中の母を見る。


「だからさ、孝彦。もう、いいんだよ」


 テレビにしがみつきながら項垂れていた母の弟は、母のその言葉を聞いた途端、はっと顔を上げる。その顔は、涙やら鼻水やらで汚れていて、いつもの毅然とした無表情さは欠片も残されていない。



「きっと真面目なあんたのことだから、優一のことを最優先にこれまで生きてきたんだろ。だからもう、いいんだよ。優一もあんたのお陰で立派に育った。あとは自慢の息子に支えられながら、自分の幸せのために生きなよ」



 母の言葉を聞き、これまでの人生を振り返る。僕が非行に走った時でさえ、彼は僕を叱らなかった。それがかえって当時の僕の反感を買ったのだが。趣味もなく、家庭を顧みないわけでもなく、逆に仕事にやる気がないわけでもない、よくわからない男だった。


 今思えば、それは全て僕のためであったのだ。

 実の息子ではないことを隠す後ろめたさ、男手ひとつで姉の息子を立派に育てなければいけない義務感。そういった全てが彼を形成していて、そういった全ては僕に起因していた。



「優一が自慢の息子なら、孝彦は自慢の弟だ。あんたら、幸せになりなよ」



 その言葉を最後に映像は途絶え、男は膝から崩れ落ちた。


「姉さん、姉さん、姉さん、姉さん」


 彼もまた、僕と同じであったのだ。

 大切な存在を奪われ、一年に一度空から届く言葉に耳を傾けてきた。母の言葉に、僕も彼も救われてきた。それはまるで、魔法のように。


「ゆう、いち」


 魔女と共に、世界の隠し事を守り抜いてきた、魔女の弟。懺悔と哀情に心を埋め尽くされた男は、僕の足元に縋りつく。どんな言葉をかければ、彼は救われるだろう。どんな言葉をかけてあげれば、僕は彼を救えるだろう。


 魔女の魔法で救われた僕になら、きっとその答えがわかるはずだ。


 空の向こうにいる魔女の母よ。

 どうか僕に、一度だけ魔法を使わせてほしい。



「ケーキ、一緒に食べようよ。



 その言葉は、父を救う魔法足りえただろうか。

 まだまだ未熟な僕に、それはわからない。



「ああ、そうだな。優一」



 けれどもきっと、僕の思いだけでも届いたはずだ。

 母から受け継いだ魔法に乗せた思いが、父のもとへ。

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魔女と世界の隠し事 稀山 美波 @mareyama0730

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