死んでも追放してやるから
叶奏
死んでも追放してやるから
一ヶ月前、ばあちゃんが死んだ。
寿命で死んだ。
祖母が亡くなった当初は悲しみもあったが、時が流れるにつれ退屈に変わっていった。
両親は変わらず朝から晩まで働きに出ているし、家にいる使用人の下等生物、魔法の使えない人間は下手なことを言って殺されないよう沈黙を保ったまま。
エルフのなかでも平凡な家庭で生まれたカンターティオは、日々の暇を持て余していた。
じいちゃんはカンターティオの幼い頃に亡くなっている。
だから昼間も家にいて優しくて話し相手になってくれていたばあちゃんのいない生活は、無感情な時間ばかりで、時々祖母を亡くした喪失感に襲われるものだから、必然的に人間にあたることが増えていた。
毎日朝起きて、ご飯を食べて、宿題をして、人間大量虐殺ゲームをして、家庭教師の先生が来たら授業を受けて、帰ったら復習をして。
友だちなんていないから、自分一人で時間を潰さなくてはならないのだ。
今日はさらに暇な時間があったから、苛立ちを抑えるためにとりあえず近くの人間に一発魔法をぶつけてから書斎に来ていた。
なにか面白そうな本はないかと棚を見回す。
壁にかけられた電球がゆらゆらとカンターティオの横顔を照らしだしていた。
電球も含めた機械は、人間が持っていなくてエルフだけが持っている魔力と呼ばれる力が、現代では動力源となっている。エルフしか生み出せない魔力を魔石という小さな丸石の見た目をした、魔力を溜めておくために開発されたものを使うことが主流となっている。
科学が全盛期だった頃は電力を使っていたが、地球が汚染され科学の力が忌むべきものとなってからは魔法で世界が回るようになった。
魔法は、エルフのみが自然に生み出せる魔力を用いて、世界の理を歪める方法のこと。規模に応じて発動させるための時間が増え、その分隙もできるが、やはり科学を失った人間に対抗手段はほとんどない。
エルフは、なんで人間を下等生物と迫害しているのだろう。
本の背表紙を流し見しながら、ふとカンターティオは疑問に思った。人間を苛立ちの的にすることは生まれてから当たり前のことだったけど、もし自分がやられたら痛いに決まっている。
まだ習ってないけど、なにか理由があるのか?
見逃さないように、一つ一つ題名を確認していく。
書斎の奥まで探してもなくて諦めかけていたとき、ようやく求めていたであろう本が見つかった。
手に取って、その場に座って読み始める。
約数十年前、科学が地球を汚染して空が排気ガスなどで汚れた空気で覆われ閉空するよりも前、太陽の光を苦手とするエルフは迫害を受けていた。
どうやらエルフは、突然変異した人間だったようだ。魔力を生み出す力を得るも、あくまで体は人間と同じ性能。
寿命が短いなど、代償もある。
日光を苦手とすることも、代償の一つだった。
人間たちは、魔力を持ち超常的な現象を引き起こす魔法に恐れ、日差しが苦手なことを利用して弾圧していたそう。
つまり、太陽が隠れて日光に怖がらなくても良くなった今、エルフは人間たちに報復しているということだ。
やられたらやり返す。
まだ十五歳のカンターティオにとって、人間から迫害されていた時代は歴史でしかないから、正直実感は湧かない。
だが疑問が解けたのと、暇つぶしにはなったからいいやと、カンターティオは本を閉じて元あった場所に戻した。
自分の部屋に帰ってから、また暇な時間に押しつぶされそうになる。
腹いせに人間を虐殺するゲームをするも、気分が乗らなくて部屋の隅に投げ出した。
もし自分に友だちがいたら、やるせなさの混じったこの気持ちも解消されるのだろうか。
鏡に映る自身の姿を見て、思いつく。
そうだ、出かけよう。
一人で家の外に出たことがなかったカンターティオは、何気ない感情で外出を決意したのであった。
カンターティオの家はエルフの特権地区にある。
現状、地球がひどく汚染されたことで、生き物はエルフの高度な障壁の魔法によって守られた区域でしか生きられない。
エルフの特権地区はその障壁の中央に存在する。
下等生物たる人間の立ち入りは使用人などの労働を除いて禁止されており、ゆえに道歩くのはエルフだけ。装飾も特権地区外と比べて煌びやかなものであると、家庭教師の先生が言っていた。
祖母が生きていた頃は、ときどき外に連れていってもらっていた。だからある程度はどこに何があるのかも知っている。
外出したときにいつも連れて行ってもらっていた高台に足を運んでみることにした。
とはいえ、道すがら見知らぬものはほとんどない。
高台に到着して、いつもの場所に立つ。
「……なんか、味気ない」
輝く特権地区を見回してみたけれど、ばあちゃんと来たときみたいに楽しくなかった。
空はいつもどおりの灰色で覆われていて、やっぱり退屈さなんて紛らわせそうにない。
――昔はね、カンターティオ。空が青かったんだよ。わしらエルフは陽の光に弱いけれど、わしは好きだったのう。どこまでも広がっているような気がして、とてもきれいじゃったからなぁ。
ここは高台で、いつも暮らしている家よりずっと空に近いのだから、少しくらい青空を見せてくれたっていいのに。
そう思っても、やっぱり空は淀んだまま。ムスッと不機嫌そうな顔をして、カンターティオは違う道から家に帰ることにした。
行きとは異なる風景だったが、退屈なのは変わらなかった。
きょろきょろと辺りを見回してみるも、話せそうな同年代のエルフもいない。
カンターティオは落胆のため息を吐いた。
なんだ、結局家のなかも外もつまらないのは変わんないじゃん。
持て余した気分をぶら下げながら歩を進めていくと、無数の電球で煌々と照らされた大通りから身を潜めるようにして、仄暗い脇道が目に入った。
知らない場所に行ったら、面白いものが眠っているかもしれない。
脇道、入ってみようかな。
どうせ暇なんだし。
理由もなく罪悪感に似たものを感じつつ、カンターティオは脇道、路地裏へとつながる道に足を踏みいれた。
どんどんと暗さを増す細道を歩く。
迷わないようにしないといけないと思い、突き当たりの分かれ道では右側を選ぼうと考える。前に読んだ冒険小説で、主人公が迷宮を探索するときに使っていた手法だ。
まるで主人公になったみたいだ、と心が踊った。
紛れてきた退屈さをわずかに表情に残しつつも、ニマニマしながら右に曲がる。
直後、思考が止まった。
「なんでここに、人間が――」
驚きと共に出てきたのは、小さなつぶやき声。カンターティオは瞬きすらも忘れてその場に立ち尽くしていた。
だってここは、エルフだけが立ち入りを許された地区。
あんぐりと口を呆けさせていたカンターティオに、目の前に立つボロをまとった下等生物は音も出さずに近寄る。
首筋を襲ったのは、異様なほどに冷えた感覚だった。
「喋るな」
人間は淡々と告げる。
「僕のナイフと君の魔法。どっちのが早いかは、考えなくてもわかるよね?」
殺されそうになってる、と鈍い頭でも理解できた。
なんでエルフの俺が、人間に。
けれども今は、従う他に取れる行動はない。
「僕が背を押すままに歩いて」
人間に命じられるままに、カンターティオは足を動かす。
直進して、不規則に角を曲がる。
魔法を発動させる準備だけはできているが、発動のキーを唱える隙がない。
だんだんと息が細切れになってきて、そこでようやく止まれといわんばかりに人間は服を引っ張ってきた。
「ここはもう、エルフの特権地区じゃない。どうもエルフ様は魔法さえあれば、地区を区切る壁を作らなくとも不要な人間の侵入を見逃さないと考えてるみたいだからね」
下等生物の人間が入ることを許されないのは、国の中心にある王城から半径百キロ。
今もナイフを首筋にあてている人間の言っていることを嘘であるとは、言い切れなかった。
「僕がこの場所にいるだけでは罪に問われない。しかも大声を出したところで、衛兵は来ない。
君がエルフの特権である、一方追放を宣言したところで意味はない、ということ」
さて、取引をしようか。
人間はナイフを当てる力を少し強めて囁いた。
「僕は、ここからどうやってエルフの大通りに出るのかを知っている。おうちに帰りたいなら、僕のことを忘れるんだ」
ばくばくとなる心臓を抑えるように、カンターティオは息を吸う。
どこの角を曲ったのかは覚えていなかった。
電灯の下げられた大通りから暗がりの路地裏に入ってから少し時間は経っているけど、まだ目は闇に慣れていない。迷子用の魔法なんてものも知らない。
そもそもナイフを当てられたのが突然すぎて、帰り道のことなど考えていなかったのだ。
「受け入れるなら頷いて。家に、帰りたいよね?」
下等生物にしてやられるままなのは癪だが、受け入れる以外の選択肢はない。
カンターティオは、かぶりを縦に振る。
エルフとして育てられてきたプライドが、人間に八つ当たりをしてきた今までの記憶と共に歯軋りとなってわずかに洩れ出た。
取引に応じると返事をして少しして、ナイフが首筋から離れる。
思わず魔法を発動しそうになるのを必死に堪えた。
「偉いね、君は。そこらの、人間を殺すことしか考えていない能無しエルフとは違うみたい」
人間が愉快そうにナイフを宙に放ったのがわかった。くるくると回って人間の手に吸いこまれるようにして戻っていく。
「僕はおさらばさせてもらうよ。僕の姿が見えなくなるまで、君はその場から動かないでね。帰り道の地図は僕が今立っている場所に置いてってあげるから」
カンターティオと同じくらいの背丈をした人間がかがみ、地面になにかを置く素振りを見せた。
今彼が言っていた地図だろう。
「じゃあね、能無しじゃないエルフ君」
人間の姿が次第に闇に溶けていく。
ふとカンターティオの心に疑念が浮かんだ。
「おまえ、なんで俺を殺さないんだ?」
口封じをするなら、殺すのが一番。
周りに誰かがいるのならばともかく、路地裏の裏とも言えなくないこの場所に、他の誰かがいるとは考えにくい。
カンターティオの問いに、しかし人間はなにも言わずに離れていく。
返答はないままに人間が見えなくなる、その一瞬前だった。
「気になる?」
ぐわんぐわんと響いて広がった、人間の声。
なのにカンターティオの耳にぎりぎり届くようにして発された、計算されつくした音量。
「箱入り娘ならぬ、箱入り息子。
どきりと、胸が鳴る。人間の言葉はカンターティオを的確に表していたから。
「じゃあ、取引の内容を変更しよう。僕が君に差し出すものは変わらず、ここからの帰り道。君からもらうものを変えよう」
さっき一言話しただけで、人間はカンターティオの内心を見破った。
下手になにか言うよりかは耳を傾けていた方がいい。
「もし君が面白いことを欲していて、その一環で僕と話がしたいと思うなら、君は僕のことを忘れなくてもいい。代わりに、僕のことを誰にも話さないこと」
どう違うのか、と尋ねそうになる口を閉ざして続きを待つ。
「そして、明日も今日と同じ路地裏で待ち合わせしようか」
待ち合わせ、というワードに少しだけ惹かれた。
友だちとの秘密の約束みたいで。
「取引の変更に応じるなら、一回、手を叩いて」
迷う前に、体が動いた。
パン、と手を叩く音が壁で反射する。
おーけい、と返ってきた人間の声に含み笑いが混ざっていることをなんとなく感じた。
「じゃあ、明日、待ってるから」
人間の姿は、そこで途切れた。
少し、動くことができなかった。今まで生きてきたなかで、一番現実味のない体験をしたカンターティオの心は、バグを起こしてしまったのだ。
けれど、いつまでも突っ立っているわけにはいかない。
人間は言っていた。ここはエルフのみが立ち入りを許された特権地区から外れていると。
エルフの特権は国のなかならどこでも適用できるが、こんな路地裏で万が一他の人間に襲われでもしたら、対処のしようはない。
魔法を発動させるためにも多少の時間は必要だから、不意打ちなんてされたらたまったものではないのだ。
カンターティオは地図を拾うと、それを頼りにしながら元来た道を早足で歩いていく。
ほどなくして、煌びやかな大通りに出た。
空は灰色。
かつて下等生物が地球という星を痛め続けた結果、青色の空は隠れてしまった。そうカンターティオは家庭教師の先生から習っている。
「……家に、帰ろう」
明日も出かけるなら、今日の分の課題は早めに終わらせておかなければならない。
無数の電球で照らされ明るい大通りから、さっきまでいた暗い路地裏を振り返る。
退屈さに苦しくなって家を飛び出してきた。明日も人間に会うのは、飽いた世界を変えるきっかけになるのだろうか。
「……ん?」
ポツリと、頬になにかが当たる。
雨だ。
黒く澱んだ、空の涙だ。
眉をしかめながらもカンターティオは息を吸うと、明確なイメージを脳内に浮かべながら想像したままに唱えた。
「《天を覆い世界を穢す曇天より零れる汚さから守るための防壁を》」
掲げた右手のひらの先に淡い光が生まれる。わずかに色づいた薄い板がカンターティオの頭上に現れた。
強くなりつつある雨足がカツカツ音を立てて弾かれる。
魔法。
地球を汚しすぎたことで控えなくてはならなくなった科学の力のみしか持たない人間を下等生物とする、大きな要因だ。
魔力や魔法についてはまだ詳しくは解明されていない。
もしかすると、エルフの特権である魔法がどのようなものかがわかってしまうと、下等生物の人間に模倣されてしまうから、わざと探究していないだけなのかもと、カンターティオは暗い路地から目を逸らす。
「どうしたの? お父さんの帰りでも待っているの?」
ぼんやりと立っていたら、声をかけられた。
振り向くと、いくつもの宝石で飾った恰幅の良さそうなおばあさんが微笑んでいる。
身なりから、おばあさんがエルフのなかでも上流階級に属するのだろう、ということはなんとなく想像がついた。
父さんや母さんはもっと質素だし、家にこんな大きな宝石はないから。
家庭教師の先生から、エルフにも階級があることは教えられていた。
自分が、どちらかといえば下流階級にあたるということも知っている。
「い、え。大丈夫です」
だからカンターティオは愛想笑いを浮かべる。
差し障りのない返事を返して、お辞儀をして、そして逃げるようにして歩き出した。
退屈でどこか窮屈な今の世界が嫌だと、心のなかで叫んで。
同時に、明日、路地裏に行こうと決意を固めながら。
☆☆☆
路地裏に通う生活は、いつも刺激的だった。
初めて人間の少年――エルメスに出会った次の日からほぼ毎日、カンターティオは彼に会うために家を出た。
エルメスは毎回カンターティオの知らない面白い話をしてくれるし、エルフと人間とで価値観が違うところもあったけど、逆に楽しいと感じられた。
時々エルメスに用事があって会えない日もあった。
家で一人で過ごす時間は、前は楽しいと思えていたゲームも同じくひどくつまらなかった。
なによりも、下等生物と一括りに見ていた人間にもエルフと同じように一人一人違うのだと知ってからは、人間を虐殺するゲームを厭うようにもなっていた。
そのことをエルメスに話すと、彼はそっと目を細めた。
「カンターティオもそういうゲームが好きだったんだね。
どうもエルフという種族は下等生物たる人間をおもちゃとしか見ていないようだ。魔法を使えるから、人間は陽の光がなければ弱ってしまうからという理由しかないのに」
言葉に棘があるのは、いつものこと。
というより、エルメスの話すことは基本的に皮肉を含んでいるということを、カンターティオは三ヶ月近くの時間で学んでいた。
「普通のエルフからすれば、人間なんておもちゃのような存在だろ」
「おっ、言い返すようになったじゃん。でもカンターティオは嫌いになったんだよね?」
からかわれるようにして問われ、ちょっと恥ずかしくなって目を逸らしてしまう。
「人間もエルフも、中身は変わんねぇじゃんか」
返答を聞いたエルメスは不気味な笑みを浮かべる。
視線を戻して目に入った、背筋が凍りかねないその表情にカンターティオは肩を揺らした。暗い路地裏を照らす一つの電球が、怪しくエルメスを照らし出している。
「そっかそっか、君は僕たち人間のことをそう考えるようになったんだね」
クソほど甘ったれた言葉だ、と吐き捨てられる。
「どうせエルフとして恵まれた人生を送っていたんだろう? だから路地裏に立ち入ることによる危険なんて考えない」
カンターティオは言い返すことができない。
だって、エルメスの着ている服は、自分のものの品質とは比べ物にならないほどに劣っているから。
エルメスは怒々しい口調で続けた。
「なにもしなければ平穏に生きられるくせに、ちょっとお友だちができたら甘い顔をして。反吐が出るよ。本当に。僕なんて、毎日が死と隣り合わせな生活だというのに」
下等生物と見下されている人間は、エルフの一声で物理的に首が落ちる。陽の光で体の栄養の一部を取っていた人間たちは、もともと強力だったエルフの魔法により敵わなくなったから。
いくら魔法が、想像して詠唱して、と発動させるまでに時間が必要であろうとも、地球の汚染が目に見えるようになり科学の力さえ封じられた人間たちに太刀打ちできる代物ではない。
毎日死を連想する立場の
人間も、エルフと同じはずなのに。
「人間が今も生きていけるのは、汚染された区域から守る魔法の障壁内にいるからだってことは知ってるよ。
だいたい、汚染の原因を作ったのは人間の科学だし、守られて生きながらえている以上、僕だって威張り散らかしたことは言えない」
科学は人間にもエルフにも害のある副産物を遺した。
今のところ、負の遺産から身を守る方法はエルフによる障壁の魔法しか存在しない。
「けどさ、おかしいと思わない? 障壁外の汚染を無くした方が、住む場所も広くなるし、将来的なことも考えれば、汚れを綺麗にする方法を研究した方が、エルフにとっても利益になるはずなんだ。
人間だけに責任を押し付けるっていうなら、さっさと人間を見殺しにでもするか、人間に、空気を綺麗にさせる方法を探らせているはず」
カンターティオは授業の内容を思い返す。
たしかエルフは、人間に汚染を解決させる方法を探らせようとするどころか、むしろ汚染のことには触れないようにしていた。
まるで、人間たちを下等生物と見下し続けることの方が優先すべきであるかのように。
「――ねぇ、カンターティオ」
エルメスの瞳に挑戦的な光が混じりこむ。
「もし君が、世界をおかしいって感じるならさ。明日、またここに来てよ」
三ヶ月近く言われてきた誘い文句と同じ内容のはずだった。
なのになんで、緊迫した怖さがあるんだろう。
人生を大きく変えてしまうような、人間を見下す普通のエルフとしてはやっていけないことに手を伸ばすような雰囲気を、カンターティオは感じ取っていた。
「じゃあ、僕はもう行くよ」
呆然と口を開けたカンターティオを横目に、エルメスは立ち上がると、路地の隙間に消えていった。
カンターティオは友だちだと思っていた人間の消えた闇に目を向けたまま、しばらく何も考えることができなかった。
ようやく息を吸いこむと、ジメッとした空気にまた心が揺さぶられる。
人間とエルフ。
今でこそ人間を下等生物と足蹴にしてるエルフだが、前に暇潰しで読んだ本には、昔、エルフも人間から迫害を受けていたという記述があった。
きっとエルフは怖いんだ。また、人間たちから弾圧されることが。
特に、人間たちを高圧的に扱っている今がある以上、報復の意味も含めて、今の人間とエルフの立場が逆転したらより激しいものになるかもしれない。
いや、絶対にそうなるだろう。
じゃなかったら、現在の人間たちは命の危険に脅かされることはなかったかもしれないから。
電球がじりりと音を立てた。
カンターティオは一粒の灯りを手に取ると、電源を切って懐にしまいこむ。
人間もエルフも、みんな仲良く暮らせる世界はないのだろうか。
少なくとも、平和の世界しか知らないカンターティオにとっては、友人のエルメスが誰かの気まぐれで死んでしまう世界は、間違っていると、思った。
だから翌日、カンターティオはいつもと同じ時間に同じ路地裏へ向かった。
いつもと違って、着いたときにはエルメスがいた。
ひんやりした笑みを浮かべて立っていた。
「来たんだね」
嬉しいよ、と手招きされる。
カンターティオは懐から電球を取り出すと、周囲を照らし出す。
「……なんなんだよ、いったい」
昨日までとは全く異なる雰囲気をまとうエルメスに、思わず声をかけてしまった。
世界がおかしいと感じていることが、エルメスにとってなにか好都合なことでもあるのだろうか?
流れでいつもと同じ地面に座る。
エルメスも向かい合うようにして座った。
「僕のお願い、聞いてくれるかな?」
返答せず黙るカンターティオに、エルメスは笑いながら続けた。
「実は僕、開空のための研究をしているんだ」
開空。
聞き覚えのない単語に首を捻りかけるも、ふと気づく。
科学の副産物によって太陽と青空が見えなくなったことを、
なら、エルメスのしている研究は――
「そんなことしたら、追放……いや、殺されるぞっ!?」
カンターティオはつい叫んでしまった。
だって、
「昨日話しただろう?」
エルメスはなんともないように続ける。
「僕ら人間が不当に殺される世界を変えるには、まず、エルフにとって不利益となる要因を生み出す必要があるんだ」
言っていることは理解できる。
だが、どう考えたって危険すぎる。
「ただでさえ寿命が短いエルフに、陽の光という脅威を与えればさらに寿命を縮めることができるだろ?」
「おまッ、それは!」
反射的に立ち上がったカンターティオに、エルメスは顔を曇らせる。
「ごめん、今のはわざと差別的に言った」
エルフは人間と比べて寿命が短い。
日光のない現在でさえ、人間はエルフよりも長く生きるのだ。
エルフが魔力を有しているから、肉体の劣化が激しいのだと、どこかの研究結果で出ている。
だからこそ、エルフにとって、寿命が短いことはエルフどうしでかつ冗談であったとしても言ってはならない禁句。
エルフ自身が、自分の寿命が短いことを皮肉で言うことすらも
「わざとだろうがなんだろうが、言っていいことと悪いことがあるだろっ」
他種族が触れることは、もってのほか。
特に約四ヶ月前に優しくしてくれていた祖母を寿命で亡くしたばかりのカンターティオにとって、エルフの生きる時間が短いことは目の当たりにしたくない事実でもあった。
もしも人間だったら、もっと長い時間、ばあちゃんと話せたはずだから。
「ねぇ、カンターティオ。君はおばあちゃんを亡くしたばかりだと言っていたよね」
エルメスは俯いて問いかける。
「僕もね、両親が死んでいるんだよ? 別に寿命だからじゃない。君たちエルフの機嫌を損ねたから、八つ当たりで殺されたんだ」
「お前のことと、ばあちゃんのことは関係ない!」
「なにが関係ないだっ」
ダンッと足を踏み鳴らして立ち上がったエルメス。
「お父さんもお母さんも、エルフが殺したんだ。
しかも理由は、エルフたちの、エルフたちだけの会話で気分が悪くなったから。寿命が短いことを軽口で言われて、たったそんなことで人を殺さないでよッッ」
荒い息がでこぼこの壁に当たって鈍く響いた。
「知らないよ、どうだっていいよ、寿命なんてものは。そんなに寿命が短いのが嫌なら、魔力を撤去するような方法でも考えればいいのにさ。
魔法を使いたいなら、人間から突然変異で現れたに過ぎないのに超常的な力を使いたいなら、寿命が短いことくらい、受け入れろよ……っ」
なぁ、カンターティオ。
いつにもない形相を向けられる。
「それでもエルフにとって寿命が短いことを指摘されることが憎悪を生むことを身をもって体験しているから、謝るよ。君が僕の両親を殺したわけじゃないから」
カンターティオには生きた両親がいる。
エルフとしては平凡だけれど、カンターティオを育ててくれている親がいる。
エルメスは両親を亡くして、辛い世の中に一人で必死で喰らいついてきたのだろうか、とぼんやり考えた。
親の守りがないのなら、人間は下等生物な世界で生きることは倍以上に大変なものだったはず。
「……いいよ、もう。俺がキレたところで、ばあちゃんは帰ってこないから」
今のように怒りたくても、エルフを問い詰めたくても、エルメスは人間。
もしも対等な相手なら口論で済むような言葉でも、命に関わってくる。それ以前に人間の地位がエルフと同じなら、エルメスの両親は殺されなかった。
「ごめん。……話を、戻すよ。そこまで長くはならないけど、座ろう」
カンターティオはうなずいて、ゆっくりと腰を下ろす。
エルメスは一度深呼吸をすると、開空について語り出した。
「僕は開空のための研究を進めている。それはさっき言った通りだね。理由は、僕みたいにエルフの気まぐれで大事な誰かを亡くす人を減らすため。
カンターティオも、わかるよね? ある日突然大事な人と話せなくなる辛さ、ってのは」
首を縦に振る。
経験しているからこそ、ただの自分勝手な正義でしかないだろうとは言えない。
「それでね、開空のために君たちエルフの魔力が必要なんだ。というより、行き詰まってきたから別の方面からのアプローチを試してみたいということなんだけど」
話が見えてきた。
「エルメスは、俺に魔力を差し出せと言いたいのか?」
声が震えたのは、内容が今の生活を手放しかねない未来につながっているから。
謀反を企む人間の少年は、力強く肯定した。
「すぐに結論――を出せるに越したことはないけど、きちんと考えてから答えを出して欲しい。方法は、魔力を最大限込めた魔石を渡してもらう形でお願いしたい」
「なんか、いつもより強引じゃないんだな」
こぼれたカンターティオの呟きに、ヘルメスは苦笑いを浮かべた。
「君を話そうって誘った当初は魔力を
ここ三ヶ月で、どうやらこんな僕も、エルフを憎んでいる僕でさえも、君のことを友人としてみていたようだ」
「む、むしりとる……」
エルメスの言葉に棘があることはいつも通りだった。
けれどいつも通りに軽口で返答できる内容ではない。
魔石は普段使いの消耗品だから、どこにでも売っている。
だから、魔力を込めすぐに渡すことは可能だ。
しかし、自分の将来が脅かされる可能性がある以上、その場の感情で動くわけにはいかない。
あるいは単に、世界を変えてしまうような一手を打つことが怖いだけなのかもしれないけれど。
「明日まで待ってくれ」
期限を設定したのは、だらだらと考えても仕方ないとわかっているから。
エルメスは真剣な表情でうなずくと、息を吸いこんだ。
「いい結果、待ってるよ」
普段より早くに路地裏でエルメスと別れたカンターティオは、家に帰ろうとして思い直す。
久しぶりにばあちゃんとよく行っていた高台に行ってみようか。
坂道を早足で進む。高台に到着するころには少しだけ息が上がっていた。
額に垂れてきた汗を拭って、深呼吸で心臓を落ち着かせる。
エルフの特権地区の一角を見回すことのできる場所。
どこもかしこも、キラキラとした風景を眺めることのできる場所。
闇に包まれた狭い路地裏とは真反対にある、広々とした開放感も味わうことができる場所。
空は相変わらずどんよりした雲が肩身を狭そうにしながら泳いでいる。
人間は、狭いエルフの作った障壁のなかで、苦しそうにもがきながら生きているのだろう。
エルメスに魔力を込めた魔石を渡したところで、開空なんてことはできないのかもしれない。
けれど、彼なら成し遂げてしまうのかもしれない。
さらっと言っていたが、どうもエルメスはカンターティオに会った一番初めのときから、魔力を
エルメスのことはまだ全然詳しくは知らないけど、実は大の天才でしたとにこやかな顔で告白されても、まぁそうっぽいもんなぁと素直に受け入れる自分が想像できた。
カンターティオはエルフとして、平凡な家に生まれた。
他の同年代の子と同じく、裕福でもないから学校には通わずに家庭教師の先生から教育を受けていると、両親も先生も、ばあちゃんも言っていた。
一度エルフの特権地区でも中央にある学校の文化祭へ行ったとき、あまりにギラギラとしていたものだから、やっぱり自分は平凡なんだなぁと感じたことは今でも鮮明に覚えている。
だがカンターティオには、平凡じゃない友だちができた。
それでもやっぱり、カンターティオが平凡なエルフであることには変わりないのだ。
平凡じゃないなら、他にもエルフのいる高台でぼんやり一人で考えごとなんてできない。学校に通っている平凡じゃないすごいエルフは、毎日護衛が付いてるらしいし。
平凡なエルフなら、魔力を込めた魔石なんて渡したりしないのだろう。
エルフだから、人間が有利な方向に世界を変えてしまうかもしれない行動なんてしないのだ。
「はぁ……」
もう一回、地区のほうに視線を降ろしてみる。
大事な祖母が死んでも、今の世界は当たり前のように輝き続けていた。
いつか自分が死んでも、世界は変わらずに廻り続けるということを目の当たりにした気がして、目を背けたくなる。
平凡な俺でも、世界を変えることができるのだろうか。
命を賭しても変わらない世界に、あっと言わせることが可能なのだろうか。
そして俺は、――変わった世界の責任を取る覚悟を決めれるのであろうか。
大きなことをするにはリスクを被る必要があることを理解できるくらいには、カンターティオは大人に近づいていた。
明日、エルメスに魔力を込めた魔石を渡したとして、たとえ開空ができなかったとしても、渡したことが他のエルフにバレたら、罰されてしまうことは確実。
殺される可能性もある。
――あぁ、けど。
魔石を渡さずに生きながらえたとしても、退屈な日常からは抜け出せないのだ。
どうせなにもできずに死ぬくらいなら、ばあちゃんよりずっと早くに死んでもいいから、ばあちゃんの言っていた青空を見てひと目見てから死にたい。
開空のことが公になって、責任でエルメスが殺されそうになったら、その前に自分が障壁外に追放すればいい。
パシッと首を切られるより、生きれる確率は高いだろうから。
未来がどうなるにせよ、ここで平凡でいることに固執したら後悔することは間違いない。
「……よし」
再度空を見上げると、雲で覆われていた空は気持ち、灰色が薄くなっているような気がした。
今はまだ汚染で青い空は見れないけど、いつか見てみたい。
そのために、家に一回帰ってから、自分の全財産で買える一番魔力を込められる魔石を買おう。
☆☆☆
いつも通り路地裏に入ると、昨日と同じでエルメスが先に来ていた。
彼も緊張することがあるみたいで、顔が強張っているのが暗がりでもわかった。
カンターティオはポケットのなかにあるひんやりとした感触に息を呑む。
「今日も俺より早く来てたんだな」
反対側のポケットから電球を取り出して、狭い闇を明るくする。苦笑いを浮かべたエルメスの顔がくっきりと目に映りこんだ。
「さすがの僕でも緊張していたみたいでね。昨日は意図的に早く来たんだけど、今日は気づいたらここにいたよ」
「そっ、か」
開空に向ける想いの強さが、エルメスにはあった。
平凡とか平凡じゃないとか、彼にとっては関係のないことなのだろう。
ならこれからの行動は、自分自身のものなんだ。
カンターティオは頭の隅で気づいたことに震えそうになる。責任を背負うってことも、自分の意志で動くことに関係してくるんだ。
「エルメス」
「うん」
真剣な面持ちで頷いた友だち。
カンターティオは一つ深呼吸をすると、小さな丸石のようなものを取り出した。
「これで、いいか?」
何軒か店を回って、一番魔力が溜められるものを選んで、そのなかからさらに持ち運びに便利そうな小さいものをチョイスした。
カンターティオの
「……本当に、いいの?」
揺れる言葉でささやいたエルメスは、いつもの刺々しさを失っていた。
彼なりに心配してくれているのだ。
もしかすると、エルメスもカンターティオと同じで、今まで同年代の友だちがいなかったのかもしれない。
「君が人間に魔力を渡したってことが他のエルフにバレたら、罰で殺されるかもしれないんだよ?」
「覚悟の上で、だ。
だいたい、お前だって開空について研究してることがバレたら殺されんだろ。俺より容赦なく、下手したらその場で殺されるかもな」
「だったら――」
続くエルメスの声を遮り、カンターティオは意を決する。
「だからエルメス、お前は俺が
これが魔石を渡す条件だ」
エルフにとって、寿命の話題を出すことがタブーであることはエルメスもしっかりと理解していた。
ゆえにこそ、カンターティオの本気度が心にしみる。
「ふん、言われなくてもやってみせるさ」
「おっ、ようやくいつも通りの口調に戻ってきたじゃねぇか」
魔石を差し出すカンターティオの手に、エルメスの手が重ねられた。
「もしバレたとしても、そんときはお前が殺される前に、先に俺が障壁外に追放してやるよ」
「カンターティオが先に殺されちゃったらどうするのさ」
「そうだな」
カンターティオは笑顔で、祖母が亡くなってから今までで一番いきいきとした声で宣告する。
「死んでも追放してやるから」
「幽霊になって出てこられたらちょっと怖いかなぁ」
手が離れる。
カンターティオの想いは、エルメスに託される。
「だったら死んだふりして一緒に障壁外に逃げようよ。
君の魔法があれば少しは生存できる時間も長くなるだろうし、その間に天才な僕が汚染のなかでも生きられるような発明でもしてみせるよ。外にはまだまだ科学の成れ果てが残っているからね」
「やっぱおまえ、天才なんだな」
「言ってなかった? じゃなきゃ開空の研究なんてできないよ」
たしかにと、カンターティオは笑い声を上げる。
つられてエルメスも珍しく軽快に頬を緩ませた。
ひとしきり笑って、互いに手を取り合う。
「そんじゃ、よろしく頼むぞ」
「うん、よろしく頼まれたよ」
もう片方の手からはみ出す電球の光しか、今は路地を照らす手段はないけれど。
いつかこの狭い闇も、青空で覆われる未来を信じて。
「明日、またこの場所で」
開空の研究の進捗を聞くためにも、あるいは単なる友だちとして、これからずっと付き合っていくであろうかけがえのない存在に。
カンターティオは手を振る。
「またな」と笑った。
死んでも追放してやるから 叶奏 @kanade-kanai
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