小さな者たちのお話
雪乃瀬 茸
青い空の行方知らず 前編
これは、『よくある小さな物語』の2週目に見ることのできる内容。言い換えるのなら、“番人”と呼ばれた青年の過去話。
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『霧に包まれた街では、太陽の日が当たらぬ地面の様にきっと人の心も冷たいのでしょう。それでも、貴方がくれたこの翼でいける場所などないのだから、受け入れてくれた貴方の傍で朽ちたいと思うのです。』
──「とある青年の日記」より
生まれた時から外れくじを引いていた。他の人と毛色の違う自分。苦しみ続ける人生は決まりきっていたのかもしれない。
母親は自分が生を受けた代わりに死に、その為か、父親だった男は最愛なる者を殺した自分を大変恨んでいた。ろくな食事など与えられず、何かわけのわからぬことをわめき散らかしながら暴力を振るわれる毎日。外に出ても白い髪、赤い瞳の自分は近所の子供に“化け物”だとはやし立てられ、石を投げられてきた。
路傍に生えている雑草よりもひどい扱いでもいつかはきっとなどと淡い期待は持っていたから、誠実に人らしく生きようとしていた。そんな期待、すぐに裏切られるものだとしても。
この町は年中、霧が町の中を覆っている。ずっと晴れることのないこの場所は薄暗く、冷たい空気を放っていた。
その日も街の工場近く、人通りのほぼない場所に無理やり連れていかれて暴力を振るわれた。
腹を殴られました。石を顔に向って投げつけられました。棒で体中を殴られました。
ごめんなさい、やめてください。そんな声は彼らに届くわけがなく、一言発するたびに大きな笑いが聞こえてきた。そんな笑い声がふと止む。靴と地面の摺れる音が、誰かが近づいてくる音。
「何をしているんだ」
父親だった。嗚呼、助けに来てくれたんだ。やっと来てくれた。
「お…とう……さん」
あんなに罵ったとしても暴力を振るったとしてもこういう時には来て助けてくれる。よかった……。父親の方へ体を引きずり近づく。動くたびに痛むけれどももう大丈夫だという安堵がそれらを少し減らしてくれていた。あのね、聞いて…そんな言葉をかけようとした。でも、できなかった。
「あ゛?誰が俺の事父さんなんて呼んでいいって言った。クソガキ」
怒気の孕んだ冷たい言葉だった。ボサボサの髪を無造作にかき混ぜ、舌打ちをされる。いつもの、暴力を振るわれる前の動作だ。ただいつもの様な苛立ち、ごみを見るかのような瞳はない。今日は何処かいいおもちゃを見つけたかのような粘り気のある瞳で此方を見ていた。しゃがみ、こちらの顎を持ち上げねばついた声で話し始める。
「いい取引ができたんだ。よかったなぁ?お前みたいな化け物でもその肉は薬になるんだとよ」
何を言っているか理解できなかった。取引?薬?そんな言葉に背中が冷えていく感覚を感じる。
「両足でウン千万だとよ。はは…他にも部位によって値段が変わるんだ。じっくり…いい取引先見つけて売りつけないとな」
「あ……いや…いやだ……」
「おい、そこらの餓鬼どもも手伝え。謝礼は弾むぞ」
黙っていた他の子どもたちが自分を取り囲む。獲物を狙うかのようなギラギラとした無数の目で見降ろされる。逃げる場所などどこにもなかった。自分はそんな中で震えることしかできない。
──叫び声出されちゃうるさくて仕方がない。喉を焼いてしまおう。
そんな誰かの提案に他の誰かが賛同して、用意を始める。ここが工場近くなのがいけなかった。暫くしてから真っ赤に染まった鉄の棒を楽し気に持ってくる誰か。髪をつかまれ顔を無理やり上げられ、口も開けられて……
鉄の棒を持った、歪んだ相手の口角がやけに鮮明に目に映った。
「ア゛……ダ…ズゲ……デ」
喉を抑えて助けを乞う。息もできない。涙で視界もかすむ。苦しい。苦しい。助けて───
そんな様子を、自分の声を楽しそうに皆して嗤う。見世物の様に。
事の発端の男が鉈を手に近づいてくる。嫌だと抗議するも手も足も頭も抑えられた。ズボンも降ろされ、自分の血の気のない足があらわになる。足元まで来た男はその手に持っているものを振り上げ、一気に下ろした。
血が飛び散り、肉と骨の断ち切れる音。急激な痛みに声を上げようにもこの喉では出せない。指先で地面をにぎり、少しでもい痛みを逃すために荒く息を吐く。これで気絶出来ていたらまだ楽だったかもしれない。この痛みで死ねていたらもう苦しまなくてよかったのに、そんなことは許されるわけもなく、もう一本を切り離すためにまた振り降ろされた。
自分の温かな血が流れている。太ももより先の感覚がない。今、いったい自分はどれだけみじめな姿なのだろうか。近くにいるはずなのに、自分を嗤う声はやけに遠い。歪んだ視界の端で目の前に立つ人が見える。霧で見えにくいとは言えいつ近づいていたのだろう。真っ黒な服装が死神の様にも見える。もしそうだとしたら、自分の事を殺してほしい。死んで楽になりたい。その服を縋るようにつかむと手を両手で包まれた。とても温かな手だった。
目を覚ますと見知らぬ場所にいた。だれかの家なのだろうか。いつぶりであろうか柔らかな布団からは何かの不思議な香りがする。でも嫌いではなく落ち着くような香りだ。先ほどまでのは夢だったのか?それとも今見ているのが夢なのだろうか。だとしたら切り落とされた自分の足は…起き上がり布団をめくる。小さな悲鳴が出た。
布団の下にあったのは自分の色白い足でもない状態でもなく、黒い化け物の様な足。鱗に覆われ三本に指先にはとがった真っ黒い爪がついている。よくよく自分の身体を観察してみれば腰からは黒い翼が生えており、尾羽なのだろうか、黒く、長い物が尾てい骨のあたりからスルリと垂れていた。どうしてこんな事に…誰がこんな体にしたのだろう。この家の家主を探そうとベッドから降りようとしたら盛大に落ちる。
「い゛っ……」
あの時に喉を焼かれているから声は出しにくい。動かしにくい足を使ってなんとか立とうとしたが上手くいかない。腰元の翼がバサバサと動いてな音が落ちる。そんな風に暴れていると靴音と共に部屋の扉が開いた。
「あ、起きたのね。よかった」
気を失う前に見た黒い服。ワンピースなのだろうか。それを身にまとい金色のウェーブがかった長髪と水色の瞳が印象的だった。
「ダ…レ……?」
何とか出た言葉がこれだけ。後に考えれば他にもいうべき言葉があっただろう。
「私?名前はもう誰も呼んでくれないから忘れちゃった。でもそうね。この街の人には“魔女”と呼ばれているわ。だからそれでいい」
聞いたことがあるかもしれない。他の子どもが街と森の間の家に魔女が住むなどと言っていた気がする。
「とりあえず一回ベッドに戻すわよ。床に座っているのは痛いでしょ?」
同じぐらいの背丈なのに普通に持ち上げられ再び柔らかな場所に降ろされる。何とも不思議な感じだった。軽すぎる自分を見て彼女は少し表情を曇らせる。
「……ひどい扱いをされてきたのね。噂は聞いていたの、私と同じように“化け物”と呼ばれている子がいることは……えっと…声は出せないのよね?文字は書ける?」
頷く。勉強ができれば多少はなどと思っていたから一人学んでいた。まだ、歪んだ汚い字ではあるが。女性がパタパタと一度部屋から出て、暫くするとまた戻ってくる。紙とペンを持って。
「これに書いて何か聞きたいこととか言いたいこと言ってくれていいから」
どうしようと悩む。この人が助けてくれたのはわかった。それならこの足の事聞くべきなのだろう。謎の羽の事も。
『なんであしがこんなことになってるの?あとはねも』
「あ……えっとそれは…人の足付けれたらよかったんだけど失敗しちゃって…羽はおまけ!」
言葉が出ない。何と返せばいいのだろうか……曲がりなりにも命の恩人。文句を言うのは烏滸がましい気がした。
「あ、この家にはいてくれていいから。あんな場所に貴方は戻らなくていい。あの人たちの事も忘れて」
あの日の事が脳裏に映る。ここに居ればあんなことは無いのだろうか。この、目の前にいる人は信用してもよいのだろうか。信じたい気持ちと恐れる気持ちが拮抗する。
でも、あの日の温かな手を思い出すとどちらでもよく感じてくる。この人に何かひどい事をされて殺されようがいいような気がした。あの日に本来なら死んでいてもおかしくなかったから。
そうして“化け物”と呼ばれていた二人の生活が始まる。
あれからどのくらい経っただろうか。今の所何事もなく過ごしている。最初の頃は歩くのに苦労していたが今は特に支障はない。おまけに付けられた翼と尾羽の使い道はまだ無いが、その他にも付与されていた食物をとらなくてもよいのは楽ではあった。焼かれた喉では何も通らないから。
拾ってくれた彼女は魔術と知識に富んでいることは分かった。魔術なら魔女ではなく魔術師の方なのでは?とも思ったが一般人にそんなことは分かるはずがない。本人もどっちでもいいと言っていたから最初に述べていた魔女と呼ぶことにしている。あの街の人たちと同じように呼ぶのは気が引けるが他に呼び名を考えられる自分でもない。
「ねえ、
名を呼ばれる。行けば転んで散らばしたのか散らばったものの中に埋もれるように彼女がいた。この足にした時からなんとなく察していたけれども彼女はかなりの天然だ。生活力もあまりない。自分が来る前はどのように暮らしていたか心配になるぐらいに。
「ごめん…手伝って?」
綺麗な碧眼で上目遣いに見られ断れるわけがない。すこしため息をつきながらも散らばったものを片付けていく。ふと彼女の髪の毛にゴミがついてしまっていることに気付く。
『髪の毛にゴミついてるよ』
「え、嘘!とってもらえる?」
彼女の柔らかな金髪に触れ傷つけてしまわないようにそっとごみを取ってあげる。
「ふふふ…ありがとう」
どういたしましてという代わりに目を少し細め微笑む。
“魔女”はいつも楽しそうであった。新たな魔術を開発している時も薬草を庭で育てている時も。街に出られない自分の代わりに買い物をしに行った時の話なども毎回楽しそうに聞かせてくれる。カモミールティーの香りを漂わせながら。
そんな彼女が顔色を曇らせながら帰って来たのはそれまた何年後かの話。
「夜の街に魔物が出始めたの」
そう苦々しく告げた。
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