青い空の行方知らず 後編

 魔物。彼女の持つ書物の中に書かれていた存在だ。彼女の話の続きを促す。

「買いに出かけてたら人だかりがあって何事だろうとちょっと覗いたら男性が倒れていてね。それで…」

 言い淀む彼女に無理しなくてもいいと伝える。首を横に振られた。

「ごめん。大丈夫。亡くなっているみたいだった。なんで誰も対応とかしてあげないんだろうって思ったけど…傷の具合見たら爪で引き裂かれたような跡だった」

 他にも周りの人がその男性が夜に出かけていたのを見かけた。という話をしていたのも聞いたらしい。誰もそれ以上は対応せず眺めていたのはこの街の住人らしいと言えばらしい。相も変わらず冷たく、人の不幸は蜜の味と言いたい輩ばかりだ。


 悩むように眉を下げた彼女の顔を見ていると頬のあたりに何か傷が見える。転んでできるようなものには見えなかった。

『その傷。何があった?』

「え!?あ…ちょっとその後他の人に私が何かしたんじゃないか~って言われちゃって……だ、大丈夫だよ!このぐらい掠り傷みたいなものだし」

『よくない!他に怪我は!』

 椅子に座らせ救急箱と取り出す。エタノールのついたガーゼで拭くと染みるのか痛そうな顔をする。怪我をさせた住人には怒りがわいていた。でも、だからと言って何かすることは彼女は赦してくれないだろう。ただ無言で手当てをしているとそっと頭を撫でられる。

「ごめんね。ありがとう。私はほんとに大丈夫だから。それに怖がるのは普通だと思うの」

『だからと言って貴方を傷つけていい理由にはならない』

「そうかもしれないけど……それでね。少しでも安心してもらえるように夜の街を警備したいの」

 まだ続けて言う。

「私だけじゃきっと力不足だから……手伝って欲しい」

 真っ直ぐと見つめられる。透明な青い瞳はこの街の住人とも自分の瞳とも違う色。本の中で見た青空に、この霧に包まれた街では見ることもできない色と一緒なのだろう。そんな吸い込まれてしまいそうな瞳で見られてしまえばたちまちノーとは言えない。

『分かった。手伝う』

 そう伝えていた。



 そうして夜の街に二人、熱の覚めた石畳の冷たさを感じながらも歩いていく。何年たっても変わらぬ無彩色の街は昨夜の事もあってか他に人はいない。

「この付近にはいないみたいね。中央の広間付近に行きましょ」

 そう言う目の前の、自分よりもかなり小さな彼女が少し先を歩いていく。黒い服に黒い先の折れた帽子を被ったその姿は正しく呼ばれてる“魔女”そのもの。もう少し服装なかったのかと聞いてもこれでいいのと言われ自分もペストマスクを渡されつけさせられた。化け物二人が魔物退治とはずいぶん面白い話だね、と少しの皮肉を言うしかできない。

 

 広間に着けば何体かの魔物が獲物を探す様に歩いていた。二人とも無言で杖を虚空から出現させる。

 杖に付いた銀の鐘が軽やかな音を出す。それと同時に靄に包まれた真っ黒い狼が何匹か出現し飛び掛かった。自分の使える唯一の召喚の魔術。どうやら自分には魔術の才能は無かったらしくこれ以外のものは何度練習しようが使えることは無かった。

「■■のお陰で私がすることないかな」

 そう言いながらも彼女は短い詠唱と共に水の刃で魔物を斬る。血しぶきをあげながら魔物が霧散していた。後に残ったのは自分が召喚した狼と血の跡。此方に終わったと告げるように寄ってきた彼らを少し撫で消失させる。再び霧の中に残ったのは二人だけだった。

「今日はこれだけみたい。よかった少なくて」

 そうだね、というように頷く。

「どうだった■■。戦うのは」

『このぐらいなら問題は無いよ。でも僕はやっぱりわからない。貴方がここまでする必要はない』

 朝になればどの道魔物は去っていく。その間だけ街の人は出なければいいのに、わざわざ倒しに街中を歩く必要なんてない。倒せば霧散するから倒したという証拠すらも残らないのだ。誰がやってくれているかなんてこの街の住民にとって知る由もないのだろう。そして変わらず彼女を蔑むのだ。怪我をするかもしれない事も考えればメリットなんてほぼ無いに等しい。

「……必要あるよ。安心しててもらいたいから。怯えないでいてほしいから。その理由じゃダメ?それに…」

『それに?』

「貴方には一緒に手伝ってくれることで“番人”になってほしいの。化け物なんて呼ばれないように……ちゃんとした人間なんだから」

 だから私のわがままを許して、そう抱きつかれる。彼女自身の為ではなく自分の為。彼女は気づいていたのだろう、自分が化け物だという言葉に囚われていたことに。

『分かった。貴方が望むのなら、僕はこの街を守り続けるよ』

 そう誓い、抱きしめ返した。

 


 そのまま、数年間彼女と共に夜の街を守り続けてきた。年々量は増えたがそれでも苦ではなかった。一緒に居れるだけで幸せだったから。それなのに、ある夜、彼女は姿を消した。

 


 いつもと同じ夜だった。そのころには量も増えたからと別れて行動し終わり次第合流して家に帰る、そんな日々だった。でもその日はいつまで経っても彼女は待ち合わせの場所にやってこない。使い魔たちを使っても探しても見つからず、先に家に帰ってしまったのかと戻ったがやはり居なかった。日中は自分の姿的に探しに出ることはできない。夜まで待ってそれまでにふらっと帰ってく来てくれればいいと思いながら過ごしていた。

 それでも帰ってくることは無く、また夜に魔物を倒しながら探す。くまなく見たがやはりどこにもいない。まるで霧と一緒に紛れてしまったかのようだった。

 

 見つかったのは次の日。居なくなってから2日目の事。やけに魔物が集まっている場所があった。腐肉をあさるハイエナの様な彼らが何かに集っている。その真ん中のモノを認識できた時、自分はその群れの中に突っ込んでいた。腰元に持っていたナイフを手に的確に首に刺す。邪魔だというように蹴って退かし、霧散するまで刺し続ける。

手も顔も返り血で真っ赤に染まるころにはもう、生きている者は自分しか残っていなかった。

 よろけながらふらふらと群がっていた元のソレに近づく。見慣れた服に乱れた金色の髪。まごうことなき彼女だった。柔らかい部位である内臓は食い荒らされ、あの好きだった瞳のあった場所も今は真っ黒な空洞しかない。

「う…あ……」

見違える姿、もう声も、笑顔も、温度も何もかも無くなってしまった、感じることができなくなってしまった。固まった冷たい手を握り嗚咽を漏らす。瞳からは涙が止まらなかった。唯一のものを失った心の痛みが消えるまでその号哭は街に響き続けた。

 どれくらい泣いていただろうか。ようやく落ち着いてきたもののやはりぼんやりとする。それでも運ばなくては、しっかりと埋葬してあげなくてはとそのボロボロのすっかり軽くなってしまった身体を抱き上げ家の方に向かう。脚から覗く魔物によってではない傷と首元の締め上げられた手の痕、彼女が魔物ではなくによって殺されたのだという印を見ながらもフラフラ足だけは家に向っていた。


 家に着き、そのまま庭の方へ。彼女が大切に育てていた薬草と、好きだと言っていたニワトコのある場所。一定の時期になると白い花をつけるニワトコあの木の下がいいだろう。そう穴を掘る為に近くに横たえた。

 シャベルを片手にただ無心に掘っていく。掘る動作をする度に彼女との思い出が蘇り胸を締め付けられる。それでももう涙は枯れ果て、出てくることは無かった。だいぶ深く掘れたと手に付いた土を払い落とし彼女を入れようとする。

 その手が止まった。

 乱れ切った姿に流石に今の姿のままだと可哀そうだと思えたから。せめて髪だけでも…彼女の部屋に櫛を置いていたはずだと家の中に戻った。

 彼女の部屋の中は雑多だ。掃除ぐらいの時にしか入らなかったが、色々な本などが床にも置かれており、いくら言ってもしっかりと片付けてくれず困っていた。そんな中から櫛を探していると机の上に手紙を見つける。宛名は…自分宛ての様だ。後で読もう、そう折りたたんで仕舞い、お目当ての物を手に持って戻る。毎日のようにやっていた髪を梳いてあげ、目も閉じさせて。最期に眠るような彼女に

──おやすみ

 キスを落して優しく土の上に寝かせた。布団をかけてあげるように土を戻していく。徐々に埋まり、そして何もなかったかのようになる。

 誰もこの下に人が埋まってるなんて思うことなどないのだろう。彼女の眠る横に座り、先ほど手に取った手紙を開いた。



拝啓 


もしこの手紙を読んでる頃にはきっと私は死んでしまっているのでしょう。貴方と過ごした日々は私にとってかけがえのないものでした。死にたいと思っていたあの時の貴方を助けたこと、嫌であろう夜の街の魔物退治を手伝わせたこと、私のエゴを許してください。

幾らひどい事をされたとしても私はこの街が好きだったのです。愛していたのです。だから安心して居られるようにしたかった。

でも、貴方がここに縛られる必要はない。最初の日に翼を付けた理由を聞かれて誤魔化して答えてしまったけれども、貴方にはその翼で飛んで行って欲しかったから付けました。この霧の纏った鳥かごを飛び出て色々なものを見てほしいのです。その名の様に。


                            親愛なる魔女より



 項垂れる。それしかできなかった。手紙にある様に飛んでいくなどできない。大切なものを失ってしまった今は何もかもがどうでもよかった。いっその事このまま目を瞑って眠ってそのまま同じ場所に行けていたらどれだけ幸せなのだろう。


 目を覚ますと夜になっていた。いつの間にか寝てしまっていたようだ。嗚呼、いけない。見回りをしに行かなくちゃ。別にもうやる理由なんてない。そう頭では分かっていても何故か体は今までと変わらず夜の街へ歩みを進める。

 一人たまに襲い掛かってくる魔物を捌きながら歩いていく。街の裏道にもかかる細い道で男が寝ていた。また被害者かと思っていたがいびきの音からただ寝ているようだった。

 その寝ている顔を見ればあの罵声も、脚を斬ろうとしたときの瞳も思い出せるのに今の自分には血のつながってない他人の様に見える。どうしようかと考えていると目を覚ましたようだった。最初は寝ぼけている様子を見せ、そしてこちらの姿をとらえる。男の喉から小さな悲鳴が聞こえた。口を必死に動かし、何か言葉を吐いている。その口の動きと視線の方向。実の息子が生きてたことに驚いてるのではなくそっちかと呆れ、興味すらなくなった。近くに魔物はいない。きっとこの男はまだしぶとく生き続けるのだろうと冷ややかに一瞥し、家路についた。


 その日からだろうかこの街には噂が流れ始めた。

「鐘の音が聞こえてきたら隠れなさい。化け物に殺されてしまうから」

 昼間は外に出ることの無い自分には届くことの無い噂。最期に言われるまでそのように言われてるなんて気づくこともなかった。


 また別の日。自分が殺される前日の夜、怪我をした男の子を保護した。襲われかけ殺されそうになっていたところを何とか間に合ったのだった。目を閉じ、だらりと力なく倒れているのを見たときは遅かったのかと自分を責めそうになった。それでも胸元が上下しているのを確認し生きているのだと安堵した。脚から血を流している。このまま朝まで寝かせていても危険だと家に運ぶことにした。

 手当をしてそっと寝かせておく。この後どうしようかと考えているとその子は身じろぎをした。このまま近くにいて家に帰るように促す?いや、きっと自分の姿を見て怯えてしまうだろう。紙に朝になったら帰るように書き、近くに置く。自分は自室の方に行き、絶対に姿を見せないように扉の鍵を閉めた。

 しばらくたつと起きたのだろう、歩いている足音が聞こえる。何か言ってたりする様で、もしかしたらこの家の主を探してるのかもしれなかった。息を殺し、書いといたメモのまま家から出てくれるのを待つ。玄関の扉が開く音がする。そのまま出ていくかなと思ったら。

「あの、ありがとうございました!」

 そんな声が聞こえてくる。他の人にお礼を言われたのなんて何時ぶりだろうか。少しだけ、やってきたことが報われた気がした。


 そしてまた夜になる。最期の夜の日は異様に魔物が少なかった。こんな日もあるのかと歩いていると前の方から足音が近づいてくる。霧の中から“彼”が姿を見せた。後に救世主と言われた青年が。

 見慣れぬ服装に何処か別の場所からやってきたのか、こんな場所に来るとは物好きななんて思っていた。それと同時に彼の視線に敵意があることも気づいてはいた。

「その姿、お前がの化け物か」

 所々にどういうことだと聞きたくなるが自分は声が出せない。向こうが武器を構える。会話をするつもりは無いようだった。彼が此方に向ってくる。

 明確な殺意を感じながらも自分はどうしようもなかった。今まで戦ってきたのは魔物であって人ではない。殺すわけにもいかないからと手加減するしかなかった。気絶させるか何とか話し合いのできる方向に、などと思っていても徐々におされ、体には傷が増えていく。

 そしてついに彼の持つ剣が腹に突き刺された。感じる痛みと急速に体から熱が逃げていく感覚。刃が抜かれ、目の前が真っ赤に染まった。跪いて腹からこぼれていく血を抑える。目の前に立つ彼の瞳を見た。

 その瞳は前にも見たことがある。それは、自分を化け物だと罵り、暴力を振るってきた者たちと一緒で。

「あ……」

 怖かった。あの日の事が一気に蘇る。痛いのはもう嫌だと咄嗟に出現させた杖の先で彼の身体を突く。突然なことでよろけているうちに、後ろを振り返ることも無く家へ向かって逃げ出した。

 


 血の足跡を石畳に残しながらたまにせき込み、引きずるように歩いていく。息をするのが苦しく、先ほどから寒くて仕方がない。それなのに刺された箇所は熱を帯びたように熱い。家に着くとちょっとした安心感からか倒れた。少しでも酸素を取り込めるようにとマスクを外す。

 ゆっくりと這うように移動する。もう立つ気力もなく足は動いてくれない。余りにも血を失いすぎていた。助からないのだと悟り、それならばせめて彼女の横に行きたいと庭の方にズルリ、ズルリと引きずっていった。体が鉛のように重く少しでも這うと血を吐いてしまう。真っ赤に濡れた床を見ながらも深く呼吸をしていると焦げ臭い香りがし始めた。

 嗚呼、燃えている。炎が広がり始めていた。彼が追いかけてきていたのだろう。そして火を放ったのだろうか。そこまでして殺したかったのかと落胆にも諦めにも近い気持ちが心の中に埋め尽くしてきた。この体では彼女の元に行くことも敵わない。あと少しだけと動き、壁にもたれかかった。赤い。ほとんど見えていない視界でも赤い色は鮮明に見える。確かな熱も。


 本当に碌な人生じゃなかった。少しいい方向に進んだかと思ったが結局はこのざまで、あの手紙に書かれていたように逃げていればよかったかなと思えてくる。それでもきっと他にこんな“化け物”の居場所なんてないから。何処かに行ったところで何処も地獄なのだろう。それならば唯一認めてくれていた彼女のいるこの場所で。


 熱いのも痛いのも怖くて仕方がない。怖いはずなのにひどく冷静で安堵している自分がいる。これで終わるのだと、漸く苦しむ必要がないのだと。願うのならばまたあの人と会いたい。小さな願いと共に口元に笑みを浮かべ、瞳を閉じた。 







 そこで自分の“物語”終わるはずだった。

 霧の街に住まう化け物を倒してその章は終わり。そんな、自分はゲームの中にいるキャラクターの敵の一人。だから何度も同じ体験をし、何度も殺される。救いなんてどこにもない。


 それなのに、どうしてなのだろうか。

 ある時に目を覚ますと見知らぬ場所にいた。強い光にたくさんの人の声。そして、見てみたいと望んでいた青空が目の前に広がっていた。

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