猫って変に空気が読めるよな、って話




「ただいまー」


 敷居をまたぐと奥から小動物が駆け寄ってきた。


「にゃーお」


 お帰りとでも言うのか、ちょこんと座って鳴いた。

 最近、くっきり模様でサバトラのアメリカンショートヘア、その雌を飼いだした。一人暮らしに花が咲いているような気がしている柏木かしわぎ陽太ようた、顔はそれなりだが、落ち着いた性格をした大学一年生だ。


「エマ、いつもありがとなー」

「ぐるるる」


 出迎えのお礼とばかりに首元を擦ってやると、喉を鳴らした。

 1LDKのペット可マンション、良い家賃価格がする。そこに大学生が猫を飼って一人暮らしとなると、さぞいい身分なのかと言うとそうではない。

 陽太の実家、母親はアメショ専門のブリーダーだ。

このマンションのオーナーが、猫カフェ兼猫専門ペットショップの経営者でもあり、実家からすると往年のお客様である。つまり、陽太は大学に通う間、こちらで就職した場合のつなぎ、或いは運送者として、半額で住まわせてもらっているのだ。

 陽太自身もブリーダーとしての技術を持っているので、エマで動画を作ってゆるりと収益を稼いでいる。お世話や知識ものの企画以外は、撮れた映像を垂れ流しているだけなので、収益化するのが限界だった。それでも、バイトしなくていいぐらいに稼いでいる。


「エマ、お腹空いてないかー?」

「なー」


 エマにご飯を与え、自分もご飯も作って食べた後、ひとしきり遊んであげると、エマを捕まえる。

 エマはドライヤーを嫌がらない。その代わり、洗ってあげるのは爪を立てられるぐらいには嫌がられ、陽太もエマを洗ってあげるのは好きではない。

 しかし、洗ってあげないと臭いので、しょうがなしにやるしかないのだ。

 エマと格闘して乾かしてあげると自身はお風呂に入る。こういう日は何もする気が起きない、と言うか何もしないようにしているので、上がって来ると自分もベッドに入った。

 陽太にとっての大学生活は、何の変哲もない、と言う方が嘘になる。

 落ち着いた性格が仇となって陰キャ、オタクだと思われているのだ。理学部の中でも頭がよく、生物科学を専攻し、獣医師も可能とすら言われ、勉強オタクだと思われている。


「・・・犬と猫の同時飼いなー」

「なー、教えてくれよ」


 仲がいい奴がいないと言うわけではない。

 昼食時、話しかけてきたのは如月きさらぎ康平こうへい、実家で猫を飼っていたらしく、陽太の部屋に遊びに行ってはエマとよく遊ぶ。

 康平は陽太の電話内容をたまたま聞いてしまい、猫を飼っていること知った。ペットロス状態に近く、住んでいる物件はペット不可、それで、康平が陽太に近づいてきた、と言うわけだ。

 エマは人見知りするタイプの猫だが、康平にはすんなり懐いた。数人会わせてみた感じでは、自身にとって大丈夫な人と、そうでない人を一瞬で見抜いているらしく、康平が連れて来た人間が触ろうとすると、威嚇する程だった。


「年齢差、体格差、性格、運動不足の解消はそれぞれ違うし、諸々気にすることは多い。それに、種族が違う上で性格が合わないのは、人間側がどうにかできる問題じゃないぞ。なんで動物園が種族ごとに分けてるのか考えた方がいいな」

「・・・まぁ、な」

「多種族同時飼いするなら多頭飼いのほうがよっぽど経済的でもある。そんなことしてる奴を俺から言わせれば、動物園でも開いた方がいいじゃないか、って思う」

「分からんではないな」


 犬と猫の同時飼いを考えているのは康平ではなく、康平の実家だ。康平は陽太の実家がブリーダーであることを知っているので、聞いてきたのである。


「保護犬だったら病気持ちかもしれないし、猫に対する良からぬ病気を持ち込む可能性がある」

「それはそうだな。わかった。実家に伝えとくわ」

「そうしろ」

「それはそうとな、今日のゼミなんだが」


 話は勉強の話へ、こうして康平と勉強話をいつもしているのが、勉強オタクと呼ばれる一番の原因だ。


「あらあら、勉強オタクさんは今日も色がないのですねー」

「あんたにして見りゃそうだろうな」


 陽太はこうしてよく陽キャ女子に絡まれる。

 社長令嬢らしく、自信家、高飛車、嫌味ったらしいお嬢様だ。石田いしだ七菜香ななかと言うらしいが、陽太自身は噂でしか彼女のことを知らない。なぜ自分が絡まれるのかも分からない。


「自分は落ち着いてますアピールなんて、女の子には受けませんことよ?」

「・・・いつも、いつも何言ってるんだか。こいつには彼女いるぞ?この大学にいないってだけで」

「は?」


 驚いた様子を見せる七菜香に対し、康平が何をしたいのか察した陽太は反撃を開始する。


「いつも、いつも、盛大な自己紹介ありがとう。康平、エマが会いたがってたから、ゼミ終わったら来るか?本題は、いい子紹介できる」

「行く行く。もしかして、エマちゃんの兄弟?友達?」

「一つ下の妹だな、エマに負けず劣らずいい子だぞ。ちょっとやんちゃらしいが」

「マジで?両親も喜ぶかもしれないし行くわ。ちょうど今日はバイトなかったんだよ」


 二人が食器をもって去ろうとした時の七菜香は震えていた。


「ご苦労さん」


 追い打ちをかけてその場を後にした。

 帰宅後、陽太の膝の上でくつろぐエマを撫でながら、陽太と康平は七菜香の様子を笑った。


「今日も色がないのですねー」

「自分も色がないんですー」

「自分は落ち着いてますアピールなんて、女の子には受けないのよ?」

「私は遊び人が好きですー」

「結婚したら間違いなく苦労するんだろうなー」

「「あっはっはっはっは」」


 頭の中がお花畑、とは七菜香の事を言うのかもしれない、と二人とも思った。

 と言うのも、七菜香の彼氏は二股どころの話ではないと言う噂が流れており、康平に至ってはその証拠を握っているのだ。


「えーまちゃーん」

「なーん」

「あいた!」


 ひとしきり笑って、康平が猫じゃらしを取り出してエマに声を掛けると、エマは素直に反応し、左右に振られる猫じゃらしに飛びついた。陽太の膝の上から思いっ切り飛び出したので、陽太はエマに思いっ切り蹴られたのである。

 エマが飽きるまで遊んだあと、康平に以前から言われていた、ブリーディング中の子猫の写真を見せた。


「今年生まれた子、三ヶ月前だったかな?ようやく母猫が写真撮らせてくれた」

「おー、かわいい・・・実家に送ってもいいか?」

「いいよ、写真送るわ」


 SNS経由で写真を渡し、もらった康平は帰っていった。

 七菜香が大人しくなってしばらく、康平の実家がアメショの子猫にメロメロになったらしく、面倒くさいやり取りが交わされている。

 康平実家の意思が康平に伝えられ、それを康平から陽太へ、そして、陽太から陽太実家と言うやり取りがされているのだ。陽太が何度言っても、陽太の両親は直接やり取りを嫌がるせいだ。

 しかも、嫌がる理由の一部に、陽太に営業スキルを付けさせる、若しくはビジネス的やり取りを勉強させる意図があるらしく、それでは陽太も強く言えない。

 この所為で、学内でもよく猫の話をするようになり、猫に興味のある男女が寄ってくるようになった。そんな中で一人の女の子に陽太は懐かれた。否、エマ目的で一人の女の子が陽太の部屋に入り浸るようになった。

 佐藤さとうかえで、明るいが比較的大人しい性格で、家事スキルは抜群、入り浸る代わりに、食事と掃除、動画用のカメラマンをしてくれる。親がアレルギーの所為で猫を飼う事ができなかったらしく、エマに接する姿の拗らせっぷりでよくわかった。

 エマはと言うと、楓がいると陽太そっちのけになる程、楓によく懐いている。どちらが主人なのか分からなくなるが、ご飯が欲しい時は陽太の所に来るので、弁えてはいるようである。

 そうなると、学内でもよく一緒にいるようになった。


「あら、陰キャ勉強オタク君、彼女いるじゃありませんでしたか?まさか、浮気ですか?」


 七菜香がこれ見よがしに絡んできて、陽太は深い、深い溜息を付いた。


「え、彼女いるんですか?」

「俺は一言も彼女がいるなんて言ったことないけどな」

「えー、でもこの前そんなこと言ってたんじゃありませんこと?その子の名前、エマ、とか言ってませんでしたか?」


 暗くなっていた楓の顔は、エマと言う名前で途端に笑顔になった。


「康平が勘違いしたんだろ?エマは俺が飼ってる猫の名前だぞ?」

「へ?」

「アメリカンショートヘヤーのくっきりサバトラ模様でな」

「つややかできれいでした。ほんと美人猫さん。知らないんですか?ようつべではそれなりに有名な猫さんですよ?」


 と言うか、猫の話をよくするようになってから、学内では『ブリーダー息子の飼い猫エマ日記』と言うチャンネルは有名で、そのエマの飼い主が陽太であることもそれなりに有名だ。

 それなりなのは、動画内での陽太が、口調から雰囲気、性格まで違うように見せており、顔出しをしないからである。


「つか、俺の事そう思ってるんなら、日本人らしくない名前の彼女がいるなんておかしいと思わないのか?それに、子供ならまだしも、間違っても人の評価にやんちゃなんて使わねーよ。付き合うかも分からないのに両親が喜ぶ?口は滑るが康平はそこまで馬鹿じゃないぞ」

「あ、あ・・・」

「人を貶してる暇があるのなら、自分を見つめ直したらどうだ?彼氏に浮気されて別れたんだろ?マジでさ、自己紹介されたって、細胞単位で君に興味ないよ。後、君は自分で自分の家の評判まで落としてるの分かってる?」

「は?」

「子は親を映す鏡だぞ」


 七菜香は腰が抜けたのかその場に座り込んだ。


「興が冷めた。佐藤さん、お昼は購買で買わね?」

「うん、私もそうする」


 券売機に並ぶのをやめ、二人は学食を出て行った。

 学食を出たところで康平と鉢合わせし、康平も一緒に購買部へと向かう。その道すがら、先ほどの出来事を話した。


「ふーん。ほぼ自爆じゃん」

「学内の噂にも疎いとか、やばすぎだろ。社長職継ぐんなら、社員がかわいそうだよな」

「経営学部でしたから、そうなるでしょうから、ほんと可哀想ですね」

「ま、俺には関係のない話だ。実家の顧客でもねーし」


 さて、これで撃退したと思った陽太、考えが甘かった。

 否、撃退はできたのだが。


「はー、エマ様ほんと可愛いです、お綺麗ですぅ」

「・・・」


 渋い顔をする陽太の視線の先には、エマにメロメロになった七菜香の姿があったのだ。七菜香に頬刷りされるエマは、心なしか嫌そうな顔をしている。

 で、鬱陶しくなったのか、エマは露骨に嫌がって、仕舞いには七菜香の頬を引っ掻いて、素早い動きで陽太の足元に来たのだった。


「あー、この痛みもエマ様の愛情に思えますぅ」

「馬鹿を言うんじゃない。顔は痕が残るぞ、見せろ」

「いやです。これはエマ様と遊んだ証・・・」


 額に青筋が浮かびつつも、陽太は怒鳴りそうになるのをこらえた。


「それこそ馬鹿を言うな。このままだとエマに嫌われるぞ?」

「それは嫌です」


 頬に着いた引っ搔き傷はごく浅く、血が出る程ではない。この深さなら、一ヶ月もあれば消えるだろう。軽くアルコールで消毒を施した。


「さぁ、エマ様、何で遊びますか?とっておきのおもちゃを買ってきましたのよ」


 鞄から出てきたのは、蜻蛉を模したおもちゃを先に付けた釣り竿タイプだ。羽がキラキラとしているので、よく目を引くおもちゃで、エマの好きなタイプのおもちゃだ。

 逃げたエマは即座に反応し、七菜香と遊び始めた。


「なんか、えらい変わりようだし、佐藤さんより拗らせてるな、こりゃ」

「私もあんなふうでした?」


 応急箱を元に戻した陽太は、楓と康平の近くに寄る。


「学内でも変わったって聞くし、変われたのならいいじゃないの?エマだって、結局嫌ってないし」

「びっくりしましたよね。これまでの言動について頭下げられるんだって」

「俺もビビったわ。あの自信家高飛車のお嬢様が、菓子折り付けて頭下げるのは。チューレ付きだったのは笑ったけど」

「根本的に猫が好きなんだろ?それに、俺が無理を言って親から買った猫がエマだ。俺の猫を見る目を嘗めて貰ったら困る」


 それこそ、陽太は一目惚れってあるんだと実感するくらいだった。子猫の頃から容姿端麗で、割と大人しめ、人を見るようになったのは、生まれてから半年を過ぎたころだ。


「ちゃんとしつけられてると思ったら、そう言う事だったのか」

「お金払ったんですか?」

「両親はエマに高い商品価値を期待していたんだ。ブリーダーの世界は甘くないし、専業主婦の母親の収入源なんだから、俺は当然だと思ってる。それに、直接取引の時、うちは他よりも高い値段で売る。お金も欲しいが、それだけ、命に責任を持ってほしいからでもある」

「この前値段聞いて目玉飛び出るかと思ったけど、そう言う事か」

「今でも委託される事があるくらいだからな。そっちを優先させる為、と言う事でもある。何なら、テレビに出てくるアメショはうちがブリーディングした猫だし」


 それくらいないと専門ブリーダーはやっていけないのである。

 日が暮れそうになり、康平に連れられて、七菜香は泣きながら帰っていった。


「はい、エマ、ご飯だよー」

「なーう」


 エマにご飯を与えると自分たちもご飯、陽太は楓が作ったご飯を食べながら、潮時である事を感じていた。仕出し弁当やコンビニ弁当、果ては自分で作ったご飯まで、おいしくなくなったからである。

 あれだけ七菜香に遊んでもらったエマは、一応まだ元気があるらしい。食後の運動に、陽太と楓の間に寝っ転がって、レーザーポインターで遊んでもらうとよく動く。

 考え事をしながらの陽太の手はよく止まった。

 じれったくなったエマはスッと陽太の背後を取ると、思いっ切り陽太に飛びついて、その頭をどついた。

 不意をつかれた形の陽太は、そのまま楓に倒れ込んだ。


「あいたたた、佐藤さん、ごめん」

「う、うん」


 お腹当たりに顔をうずめる事になり、陽太はすぐに上体を起こして謝った。

 いい匂いがしたな、と思いながら、エマの四つ足で思いっ切り蹴られた後頭部を擦り、首を押さえる。楓は倒れ込まれたお腹を擦り、意を決した。


「・・・責任取って」

「え・・・は?」


 きょとんとした陽太は、後ろから鋭い殺気を感じ、背筋が凍った。


「男の人に下腹部触られるの初めてで、顔をうずめられたこと、ない、から」


 三度口をぱくぱくさせた陽太は、意を決してから、顔を真っ赤にしてうつむいている楓に声を掛けた。


「責任、取るよ」

「ほんと!」


 顔を上げた楓は嬉しそうな表情をしていたと同時に、殺気を感じなくなった。

 陽太は気付かないふりをしていた。いくら猫好きで、猫がいるからと、男の一人暮らしの部屋に遊びに来る女の子は、幼馴染ぐらいなものである。


「ニャー」


 いつも以上に明るくエマが鳴いた。



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短編集 紫隈嘉威(Σ・Χ) @Siguma_Kai

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