何度でも言う

「廊下は走らない」


 よく子どもに言うんです。

 でも私はこの一回でそれを今後も守ってくれるとは思っていません。

 むしろこれから何回も言おうと考えます。


「もう、何回言ったらわかるの!」


 言ったことある方、いると思います。

 毎日忙しい中で同じことを何度も何度も言うのは大変だとは思います。

 ですが、やっぱり私は、子どもには根気強く何度も言っていくべきだと思っています。


 成人した私でも一回で理解できない事ってたくさんあるんです。

 だから子どもはもっと時間がかかるものだと思ってます。



 これは私の経験談なのですが、


 放課後保育の現場で「遊ぼう!」と子どもに誘われることがあるんです。

 もちろん、誘われれば一緒に遊びます。でも、遊ぶ時間に仕事が入ってしまってどうしてもその約束を守ることができなくなることがあったんです。

 約束を破られるってすごく悲しいことですよね。


 それから私は遊びに誘われると「できたらね、遊べたら私から声かけるね」というようになりました。

 正直「できたらね」という言葉はあまりいい言葉ではないかもしれません。

 しかし、放課後保育の現場では遊びの時間が決められていたり、ほかの仕事をやらなきゃいけなかったり、大人の人数より子どもの人数のほうが圧倒的に多いので全員と遊べるわけではなかったり、できれば子供同士で遊んでほしい、などの理由から、この場面でその言葉を発することは悪いことではないと考えています。


 なので私はほかの約束の時にはこの言葉は使いません。

「これをやってほしい」「あれをやってほしい」

 というお願いをされたときには「わかった」と約束します。

 ほかの約束などについてはまた今度話そうと思います。


 そうして私は「できたらね」という言葉を、遊びに誘われるたびに使っていました。

 それで遊べたら子どもはもちろん喜んでくれるし、遊べなくても絶対遊べるという期待を持たせていないのですごく悲しんではいませんでした。


 するとある日、子供のほうから言ってきたのです。


「後で遊びの時間遊んで。できたらでいいから」


 子どもは私の言葉を何度も聞いて覚えていたのです。


 その子は最初のうちは遊んでくれないと怒ったり悲しんだりしていたのです。

 それがだんだんなくなって、最後には私と同じ言葉を言うまでになったのです。

 私を遊びに誘わなくなったわけではありません。

 ただ、絶対に遊べるかはわからないこと、それでも遊べるときは絶対に遊んでくれること、遊びのお話をするときは「できたらね」ということ。

 子どもはそれを回数を重ねるごとに理解してくれたのです。


『全く同じ言葉を繰り返し伝える』


 これが大事だと思っています。


 これが例えば「できたらね」「たぶんね」「もしかしたらね」「期待しないでね」などなど……なんとなく似ている言葉をいろいろ使っていたら、子どもは理解してくれていなかったかもしれません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

子供が考える子供教育 みおな @miona_10

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ