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 その日、僕は屋上に立っていた。

 彼方が通っていた高校の校舎。彼方が飛び降りた場所。


「……本当に入れたな」


 半信半疑だったが、学校の体操着に身を包み『部活の練習試合で来ました』と警備員に言ったら、誰にも疑われずに校内へと入れた。有澤の言う通りだった。


 それはつまり、僕が生物学上の女性である、ということ。

 小さい頃の記憶が思い出される。医者が言っていた。君はちょっと特別な男の子だから、と。


 性別不合。最初はその意味がわからなかったが、思春期と呼ばれる時期になれば理解ができた。中学では周囲も理解してくれていたおかげで、僕は色々と・・・配慮してもらっていた。今やそれが当たり前になりすぎていて、すっかり認識の外側にあったのだ。


 そして高校になって再会した彼方もまた、理解の外側にいたのだ。


 僕はスマホの画面を見る。そこには彼方が最後に送ってきた写真――クロッカスの花。彼女がこれを僕に送ってきた意味を考える。最初に考えるべきだったのに。

 たしか花言葉はいくつかあった。『青春の喜び』『切望』それから、


「私を裏切らないで、か」


 僕の身体は女であること。それを彼方に伝えていなかったこと。彼女の望みが『幸せな家族をつくること』。最後にこのクロッカス。ここまでくれば嫌でもわかる。突きつけられる。

 彼方が死ぬことを選んだ、その理由を。


 であれば、僕がとるべき行動はたった一つだ。

 報いを、受けさせないといけない。


 ああ、そういえば。

 クロッカスにはこんな逸話があるらしい。

 あるところにクロッカスという少年と、スミラックスという少女がいた。二人は偶然の出会いだったが、恋に落ち、結婚の約束をする。

 だがそれは神々に認めてはもらえず、絶望したクロッカスは自ら命を絶ち、スミラックスも後を追った。


 僕は屋上に設けられたフェンスを乗り越える。目の前には何もない。空との距離が少しだけ近くなる。


 一度だけ深呼吸をしてから。


 ――僕は飛んだ。一瞬だけ僕は空に浮き、落ちて、堕ちる。

 何の感情も湧いてはこなかった。頭にあるのは逸話の最後。


 クロッカスとスミラックスの二人は死を選んだ後、花へと生まれ変わった。


 彼方を殺した僕が花に転生できるとは思わないけど、せめて彼女は、美しい花に生まれ変われることを祈る。


 地面が近づく。徐々に、いや、瞬く間に。そこで、僕の意識は消える。



 水無瀬彼方が死んだ理由を、僕は知った。

 水無瀬彼方が死んだ理由を、誰も知らない。

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水無瀬彼方が死んだ理由を、僕は知らない 今福シノ @Shinoimafuku

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