ドリームボックス

高黄森哉

夢の箱

 [終末]



 路上に野良犬が溢れてから半年が経った。何も考えず家から一歩でも出ようものなら、群れに滅茶苦茶にされ、終いには、ぼろ雑巾と文字通り見分けがつかなくなるだろう。そうならないように、テレビを点けた。


「今日の、野良犬注意報です」

「そうか」


 なるほど、幸いにも俺が住むこの街には群れは来てないらしい。ならば仕事に出れる。そう仕事、中途半端に崩壊した世界でも、人々は社会・共産主義アレルギーから自由経済や民主主義を放棄できなかったのだ。資本主義が、正義や道徳だとする教育と言う名の洗脳の、しわ寄せがここに来て効いてるのである。だから仕方なく、外れるかもしれない予報を信じて、今日も危険な仕事にいくのだった。


「あなた、弁当はもった」

「ああ、大丈夫」


 プロテクターを腕と喉に装着する。こうすれば仮に襲われても死なないという算段だ。もっとも多勢に無勢で、数百匹のわんちゃんに群がられた場合は保証できない。ただ、その場合は保険が下りる。名を生命保険という。


「じゃ、気を付けてね」

「行ってくるよ」


 出勤の時間である。



[出勤]



「おはようございます」

「おはよう」


 彼は、ランダ電気の山田さんである。ご近所だが、野良犬がはびこる前までは交流がなかった。しかし、自衛のために彼らに倣ってか、群れることが推奨されているので、一緒に通勤しようという運びになったのだ。彼と友達になれたことを考えれば、この状況も悪くない物である。不幸中の幸い。万事塞翁が馬。


「いやぁ、今日はいい天気ですね」、彼は言った。

「野良犬もいないし、道に転がる糞を除けば清々しい朝だ」


 彼は野球バットを振り回して、これをストレッチとした。俺もゴルフのパターを首に当てて、肩のコリをほぐす。


「しかし、なんで彼らは群れるんでしょうかね」

「さあ、ウイルスのせいじゃないか」


 新型の狂犬病ウイルスが、脳に作用してるのではないかと言われている。今、世界中が躍起になってワクチンの開発をしているが詳しいことは謎である。こういうのは、創作の中では人間に罹ってゾンビを作りがちだが、今回は犬だった。まあ、犬(いや蝙蝠だが)の病気なので、順当なのかもしれない。


「はあ、うちのペロは元気にしてるかな」

「さあ」



[到着]



「じゃあ、ここなんで、お気をつけて」

「ええ、帰りも一緒に行きましょう」

「そうしましょう。では」

「それでは」


 ここは俺が就職した施設。四角い会社でセンスが欠けてると思う。会社の周りには鉄条網が巡らされていた。鉄条網には殺処分反対とかが引っかかっている。俺はインターホンを押した。


「はい~」

「俺です」

「分かりました~」


 若い女性の声は、俺を入れてくれるらしい。彼女は中井さんだ。


「どうも」

「どうも。設備は大丈夫ですか」

「はい、今のところなんとも」


 ここは保健所であり野良犬駆除の要である。だが、今はほぼ機能していない。野良犬に、飼い犬が多く含まれるようになってから、ロビー団体が設立されたりで、政府から活動を制限されているのだ。例えば給料が減った。


「今日はあいつら来てないのか」

「そういえば来てませんね」


 あいつらとは、新しくできたデモ隊のことだ。彼らは自分らの道徳を押し付ける。思うに、学校の道徳の時間が良くなかったんじゃないかね。考えるに、美徳は極限の状況で発揮されるものではないのだ。彼等さえいなければ犬をのべつ大量虐殺して、平和を取り戻すのに。いや、これは不道徳な発言だろうか? しかしながら、犬による犠牲者は確かに出ているのだ。

 死人が出てるなら流石に愛犬家も折れるだろう。そう、お思いかもしれないが考えてみて欲しい。ゴールデンレトリーバーだったかが、子供を殺してしまった事件があった。しかし今でも、素人がその犬を飼うのに制限を受けない。子供を殺せる危険品種をかうのに何の許可も届け出もいらないのだ。これは何故か、それは愛犬家どもが偽善をもって圧力をかけたからだ。面倒を見なかった飼い主が悪いということにしたのだ。彼らは、人が死のうが、責任転嫁して趣味を優先する人種なのである。

 法律がなぜ機能しないのか。ボアコンが丁度いい。これは2~5メーターに成長する無毒の蛇なんだが、許可なしに買うことは出来ない。ある馬鹿が脱走をゆるして、隣の部屋だったかの主婦を噛んでしまったがためである。たったそれだけで、危険のレッテルを貼られ、一般人は飼えなくなった。ゴールデンレトリーバーとはえらい違いである。つまり法律と言うのは非合理的にも多数決で決定される。したがって素人の純粋な感情論の集合であり、たびたび矛盾を起こすのだ。そして日本では子供の数より犬が多い。これは日本人の大半が愛犬家であることを示している。ならば、法律を左右する世論はおのずと、愛犬家に寄ることになる。だから、愛犬家的でない合理的な思想は弾圧される。世の欠陥がこの地獄を赦しているのだ。なるほど法律も機能しない。


「あ、バンが来ました」


 エンジンを吹かしたバンの天辺には、大きなスピーカーが山盛りに積まれていた。その拡声器からは、ひきつりを起こした赤子のような声で、罵詈雑言が絶え間なく生まれてくる。よくもまあ、そんなに話せるものだ。車体には、カルト染みた感情論による打開策が掲載されているのだが、どれ一つとして現状を解決出来そうにない。

 俺は、そんな彼らの醜態の原因を勉強不足と見た。そもそも保健所は犬や猫を虐殺する施設ではない保護する施設だ。ただ収容能力に限界があるため、殺処分も、やむを得ないのである。今は、政府からの支援も少なくなったからなおさらだ。


「反対! 反対! 反対! 殺処分、反対!」


 ドタドタドタドタ


 どこからか犬の大群が湧きだした。予報が外れたのである。バンの周りは、犬で埋め尽くされていく。車体を中心に犬の渦が出来た。あの鉄の塊が壊れるまでどれだけかかるだろう。犬だから鉄には歯が立たないだろうな。それでも犬どもは諦めないさ。なんせ、あいつら、ウイルスで脳がやられてるのだから。ハハハ、ザマを見ろ。

 俺達、保健所職員は建物の備蓄で食いつないでいた。ボロボロになった、あのバンにも食料が積まれているのか、アレは囲まれて三日たった今も、スピーカーから子供の夢のほうがまだ筋だってる幼稚な理想論を放ち、有象無象が成す群れを刺激している。俺達は皮肉を込めて、いつか、死に至るアレを、ドリームボックスと渾名していた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ドリームボックス 高黄森哉 @kamikawa2001

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説