INSIDE STARLIGHT

たぴ岡

Inside Starlight

 パソコンの放つ青白い光に照らされて、今日も私は眠れない夜を明かす。いや、眠れない訳ではないのかもしれない。眠る努力をしていないだけで、寝る気がないだけで、本当は目を瞑れば夢の中へ飛び込めるのかもしれない。

 けれど私はそれをしない。どうしてもこのネットの中で息をしていたいのだ。この膨大な量の情報に埋もれて生きていたいのだ。

 いつからかまともな生活をすることをやめた。このパソコンの周りは一般的な人間の住む部屋のイメージそのままだろうが、そこから少しでも目を離せばここはごみ屋敷だ。溜まった洗濯物も飲み終えたペットボトルも、使わなくなったベッドや二度と座ることのないであろう座椅子の上に放り投げられている。足の置き場などない。私のいるこの机だけが神聖な場所であり、私の生息地だった。

 遮光カーテンが世界を遮断してくれる。外の風景を見ることもなければ、風を感じることもない。私を全てからシャットアウトしてくれる。感謝はしているが、ここまでの性能だとは思っていなかった。内側にこもっていることをあまりにも意識させられる。寂しさのみを連れてくるのが気に食わない。

 ピコン、と愛らしい音が鳴って誰かからのメッセージを受信する。

「ん、鈴星りせさんだ」

 鈴星さんというのは、最近SNSで繋がった友人だ。いや、友人というには少し早いかもしれないけれど、でも私はそう思っている。だって毎日のように話しかけてくれるし、たまに通話だってするのだ。これが友人でなくて何なのか。

『今日も暑かったですね。ホントどうにかならないかな』

「でも、暑いからこそ、夏が来たって感じも、しないですか? なんちゃって」

 昔から文字を打つときは口に出してしまうのが癖だった。こんなにも長い時間キーボードを叩いているというのに、その癖は今もまだ抜けていない。発音しなくても打てるようにはなってきたが、それでも無意識に文字が漏れ出ているらしい。この前鈴星さんにも言われてしまった。

『まあ、そうかもしれないけど……』

「電話かけてもいいですか、って仕事終わって帰って来たばっかりだったら嫌だよな。鈴星さんから言ってくれるの待とうかな」

 手探りでリモコンを発掘して、クーラーの温度を上げる。今日の夜には少し寒すぎる温度に設定してあったらしい。昼はこの室温でも暑いくらいなのに、どうしてこうも昼夜で大きな差があるのだろう。嫌な季節だ。

 昔は私も夏が好きだった。夏の気温はその頃から嫌いだったが、それでも夏特有の景色というものが大好きだったのだ。例えば半袖短パンではしゃぎ回る子どもたち。例えば縁側で夕涼みをしているお隣さん。例えば青くきらめく山の影。それら全てが好きだった。と言っても、田舎暮らしでもなかったので実際にこの目で見たことはない。

『今、大丈夫そう?』

 鈴星さんがこう言うときは「声を出せる状況」であるかどうかを聞いている。引きこもりである私には声を出せない状況というものが存在しないので、必要ない問いかけだ。

「大丈夫ですよ、っと」

 メッセージを送ればすぐに電話がかかってくる。

そらちゃん、こんばんは!」

 いつものかわいらしい明るい声。

「こんばんは、鈴星さん」

「あれあれ、ちょっと元気ない?」

「いやいやいや、そんなことないですよ。なんでそう思ったんです?」

 鈴星さんは「んー」と考えるような声を出して、ふふっと小さく笑った。電波越しの彼女に何となく覚えた違和感はその声からだろうか、それともそれ以外の要因があるのだろうか。

「いつもより月が光ってないから、かな」

「何ですか、それ?」

 彼女は星空が好きで、よく見える星なんかを教えてくれる。宇宙の偉大さだったり、どこまで続くのかといった答えの見えないことだったり、彼女が楽しそうに話してくれるから私まで少し知識がついた。

「ふふっ、何だろうね」

「……鈴星さんこそ、何か良いことでもあったんじゃないですか?」

「えっ、わかっちゃいます?」

 笑ってしまうほど図星だという反応で、彼女が純粋な人なのだと再確認する。

「ダダ漏れですよ」

「そんなに? そっか、そっかぁ」

「で、何があったんです?」

 彼女は楽しそうに言葉を紡ぎ始めた。

 大学生の彼女はゼミに好きな人がいたのだそうだ。その人は背も高く眉目秀麗で、誰からも一目を置かれている人だったらしい。見たところいつも一緒にいるような友人はおらず、いつも一匹狼。その想い人を花火大会に誘うことに成功したのだとか。それは確かに、私がその立場でもそれくらい浮かれてしまうかもしれない。初恋をあの教室に置いてきてしまった私には、本当の意味で理解することなどできないのだろうけど。

「それでさ、花火大会がもう三日後なんだよね。どうしよう!」

「それはもう、浴衣を着て、いつもとは違うヘアスタイルで挑むのが良いんでしょうね。私だったらたぶんそうしてます」

「……あれ、宙ちゃんは? 高校で何かないの」

 何かないのも何も、私は高校に行っていない。何かあるはずがないのだ。そう、何もないはずなのに——。

「ん、この間は何かあった間だね?」

「いやぁ、それが……」

 誰かに話せばその分軽くなる、そう聞いたことがある。でもこれはそういう類の悩みではなくて、軽くしたい考え事でもなくて、たぶん誰かに聞いてもらってもそれで固い表情が戻るようなことではない。だって、あの言葉が今もまだ心の中に落ちている。

「え、それは大変! それでそれで、どうしたの?」

「困ってるんですよ……だってそんなこと言うとは思わないもん」

「ちょっとちょっと。宙ちゃん、私は応援してますからね! 何なら今、それに返信しちゃいなよ」

 言われるがままに私はスマホを持ち上げ、メッセージアプリをタップして開く。そこには一件の通知と、あの人からのメッセージ。

「何て返したらいいんですかね」

「宙ちゃんはどう思ってるの?」

「そりゃあ感謝してますし、断る理由もほぼないですし」

 パソコンの画面とスマホの液晶を交互に見る。何が正解なのか、私にはわからない。ずっとなくしたと思っていたあの感情が、今この手の中にあるのだ。そんなこと信じられない。いつからこの感情を思い出すようになったのだろう。いつからあの人のことを考えるようになったのだろう。いつからあの教室に行っていないのだろう。

 スマホの文字を何度も見る。そこには何度も変わらず同じ文字列が表示されている。

『君の助けになりたい』

 真面目すぎるくらいの彼の固い表情が脳裏に浮かぶ。それから高校生男子にしては少し高い声も。

『ぼくと一緒に夏祭りに行ってくれませんか』

 未だに信じられない。私の何を見てそう思ったのだろう。近頃は見てすらいないはずなのに。どうして私のことを想ってくれるのだろう。

 これはもしかしたら賭けに負けて仕方なく送った罰ゲームかもしれない。これはもしかしたら私のことを嫌いすぎて仕掛けている罠かもしれない。けれどあの人が、あの彼がそんなことをするだろうか。

「うわあー! どうしろって言うんだ!」

「そんなの断る理由もないんでしょ?」

「そう、ですけど……」

「あ、今カーテン開けられる? 星空見てみてほしいの。綺麗だから」

 久しぶりに窓の外を眺めてみる。それは眩しくて、目が潰れてしまいそうで、けど美しくて。いつか見たあの流星群を思い出した。あれはいつのことだったのだろう。きっと中学の宿泊学習。あのとき、隣で「綺麗だね」と呟いたのは、彼だったろうか。もう一度だけ、あの日をリプレイできるだろうか。

『好きです』

 新しくスマホに現れた四文字。

「ちょ、ちょっとすみません。鈴星さん、また今度——」

 私は慌てて通話を切り、指で星を繋げていく。

『すきです』

 打つだけでもこんなに緊張するのに、どうして送信ボタンが押せるのだろう。私にはできない。だけど、それでも、既読がついているのに返信が来ないなんて、それは悪い勘違いさせてしまうだろうから。

 ちりばめられた星を眺めて、鼻歌を歌う。きっとこの気持ちを伝えるにはまだ早い。でもこれから始めたら良い。明日からは高校に行こう。彼に会いに行こう。あの教室に通おう。そうして、それから、彼に想いを伝えるんだ。ちゃんと自分の言葉で。

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