あの人が書いた「小説」のこと。
飯田太朗
「私」が空っぽになるほど
「絡まってるね」
あの人が微笑んだのを感じた。
「切って」
糸を切る。
するとあの人が手を添えてくれる。
すっとあの人の指が動く。
魔法みたいに糸が合わさっていって。
二つの世界がくっつくように。
布と布が重なり合う。
一つの塊になったそれは。
ため息が出るほど美しかった。
「カクヨム」で縫物をしている人をあまり知らない。
有名な人はいる。例えば笛吹ヒサコさん。読書家で、「カクヨム」フィールドをほとんど徒歩で制覇しているような人だそうだが、手芸が得意らしくたまに作品の画像が回ってくる。腕は確かなようで、かわいらしいものや綺麗なものばかり。いいな、と思う。
私が作るものは実用的なものが多い。もちろん、ぬいぐるみのような目で愛するようなものも作るけど、バッグとか、コースターとか、ペンケースとか、そういうものが多い。
手先は器用だった。絵も描く。縫物もする。料理だって好きだ。もちろん、これは手先とはあまり関係がないけど、小説も。
あの人と出会ったのは、私が「カクヨム」にやってきてまだ間もない頃だった。
登録している作品もなく、ただ何となく他人の作品を読んでは勝手にファンアートを送って満足している、そんな私のところにやってきてくれたのがあの人だった。
「小説は書かないのかい」
あの人の第一声はそれだった気がする。
「綺麗な絵を描くね」
すっと、私の描いていた絵を指したその指があまりに繊細で、私は縫い針を思い出した。そのせいだろうか。ベルトにつけていた小さなウサギのぬいぐるみが揺れて、あの人は敏感にそれを察知した。
「それも君が作ったの?」
ウサギを示す、やっぱり細い指。綺麗だった。私は頷いた。
「私も手芸を嗜む」
あの人が私の隣に座った。不躾にも、私はこの段階まで一言もあの人に発していなかった。
「よかったら仲良くしよう。私は……」
あの人が名前を口にした。間違いなくペンネームだろうけど、素敵な名前だと思った。
それから小説を書いた。一応、「カクヨム」に登録するのより前に、手慰み程度にメモに書きなぐっていた話があるから、それを上げた。あの人は褒めてくれた。
「素敵な作品だった」
褒められるのが嬉しくて、私はどんどん作品を書いた。絵も描いた。手芸もした。
手芸はあの人の方が上手かった。絵は私の方が上手い。小説は……ちょっとテイストが違うのであまり比較できない。あの人は美しく耽美な話を書く人だった。私は何というか、ちょっと現代社会の問題を作品に絡めてしまう手癖があって、自分でも真面目過ぎてよくないな、とは思っていたのだけれど、あの人はそんなところも褒めてくれた。
「カクヨム」のファンタジー世界。
古い石造りの家の中で、私とあの人は洋裁をした。あの人が描写し、作り上げた旧式のミシンで、丁寧に、色々なものを作った。あの人はミシンの扱いも上手かった。私はよくあの人の指先に夢中になった。
手縫いもあの人は上手かった。それはまるで魔法のようだった。糸が布と擦れる心地よい音。それが静かな伴奏のようになって、ひとつの作品を生み出していく。美しかった。華麗だった。
二人で石造りの家に籠って小説を書いた。
「カクヨム」デフォルトのテキストエディターだと味気ないので、古いタイプライターのようなカスタムを自分たちで作り、それを適用した。だから今でも、私が小説を書く時はパチパチとリズムのいい音が響く。
「新作だよ。読んでくれ」
あの人の小説を読んだ。それは悲しい話だった。
操り人形だった主人公。
妖精の魔法で人間になった。
そして一人の男性に恋をする。
しかしその男性が求める人物像を知り。
主人公は再び人形に戻る。
それから……。
「ここまで?」
途中で終わった作品を手に、私は訊ねる。あの人は笑う。
「この先は一緒に考えてほしくて」
それから毎日のように、私たちは人形の行方について語り合った。
二人の作品はすぐに完成した。
「人形を扱った作品を書こう」
その作品以来、すっかり「人形」というテーマが好きになってしまった私たちは、同じテーマで作品を書き、お互いに送り合おうという話になった。
私は私なりの人形を描いてみた。
あの人もあの人の人形を描いた。
素敵な時間だった。
幸せな時間だった。
*
「待っていてくれ。必ず帰るから」
例の騒動の直後。
あの人は率先して動いた。運営が全フィールドを闘技場設定にしたことにより、私たちは単純な暴力でウィルスを駆逐することができた。元から「カクヨム」にあった「自分の小説の能力を使うことができる」という設定と重なって、私たちは自らの「作品」で敵と戦うという展開になった。
私たちのいるエリアにウィルスの親玉が出たという噂は、例の騒動からまだあまり日も経っていない頃に流れてきた。あの人はすぐに動いた。
あの騒動が起こる直前、私たちはちょうど「人形」をテーマにした作品を書きあげて、お互いに読ませていた。私は例によって現代社会問題を少し噛ませた作品を書いた。あの人は悲恋の物語を書いた。「心の糸」が見える主人公が、時に二人を結び、時に二人を切り離し、最後に自分が抱いていた片思いの糸を好きな人に切ってもらうという、そういう話だった。あの人の作品の主人公は、ずっと想い人の「人形」だったのだが、最後の最後でその「糸」を切ってもらう。そういう作品だった。
「切ってくれてありがとう」
主人公のラストシーンでの言葉が印象的だった。私はあの人の作品が大好きだった。
「心の糸」が見える。この能力を活かして、あの人はウィルスと戦っていた。
敵の攻撃が当たらないのだ。だって「意図」が読めるから。
あの人の攻撃力自体はそれほど高くない。かつて書いた剣術を極めるお姫様の話の能力で少し
「すぐに帰る。大丈夫。私は負けない」
あの人は勇ましかった。だが私は止めた。
「せめて私も」
あの人は止めた。
「私に何かあったら、その時はこのファンタジーの世界を頼むよ」
きっとこの騒動で、作家たちは団結するだろうから。その時はみんなを、絆の糸で、縫い合わせてあげてくれ。
私には頷くことしかできなかった。そしてその判断を、今、我が身を食いちぎりたいほど後悔している。
あの人が去ってから半日ほど過ぎた夜、私たちのいるエリアに襲撃があった。
まず戦力のない作家が襲われた。胸のコアを破壊されかけた状態で逃げ帰ってきたその作家は、私に危機を伝え、息絶えた。この騒動で作家が死んでしまう……正確にはアカウントがクラッシュされる……ところを見たのは初めてだったので、頭に血が上ったのだと思う。
幸いにも私の作品は剣を振るえた。私は私の作品を武器に、襲撃者に反撃をしに行った。
夜だった。「カクヨム」の世界は現実とリンクしている。「カクヨム」の世界にも夜はある。そして、近代技術が皆無であるファンタジーの世界の夜は、飲み込まれるほど底がなく、暗い。
ほとんど月明りを頼りに突進していった。襲撃者の存在を闇の中に感じた。
切りかかった。だがこちらの攻撃が当たらない。何度やってもかわされる。次第にこちらが疲弊してきた。敵の一撃は、そんな中にあった。
胸に鋭いひと突き。
しかし私はそれを待っていた。敵がこちらに「いと」を向けてくるその瞬間を。敵が明確な「いと」を持つその瞬間を。
一人の少女が闇の中から飛び上がり、敵の背後を取った。襲撃者が反応するのより早く、少女が敵の背を、短剣で掻いた。
やった。倒した。そう思った。
しかし敵は止まらなかった。
おかしい。致命傷を与えたはずだ。
敵は振り向きざまの一撃で少女を振り払うと、そのまま私の方に向かってきた。
ここで私は魔法を使うことにした。闇夜での魔法は、急激に周囲が明るくなり、敵の視界も一瞬奪う代わりに自分の視力も奪われるので、あまり使いたくはなかったのだが、しかし敵の正体を見極めなければならない。私は比較的明度の低い風の魔法で周囲を薙いだ。そして敵の正体に気づいた。
あの人だった。
頭部をスライム状の何かが覆っている。闇夜の中でコールタールのような光沢を放つそれは、まるであの人の頭から養分を奪っているかのように脈動していた。
顔はほとんど見えなかった。唇しか見えなかった。しかし指があの人だった。あの、細くて美しい針のような指で、
あの人が動いた。鋭い突きの雨だった。私はやっとのことでそれらをかわした。しかし傷は負った。脚。肩。脇腹。頬。鋭い突きが何度もかすめた。やがて私は動けなくなって、その場に座り込んだ。あの人が剣先を私の顎に沿わせた。
「……って……って」
唇が動いていた。あの人の剣がすっと引かれる刹那、私はあの人の言葉を聞いた。
「切って」
すぐさま、かつてのことを思い出す。
私の糸。絡まった糸。
それを見て、あの人が笑う。
「絡まってるね」
それから続ける。
「切って」
一筋の糸が見えた気がした。
それはあの人の頭上から伸びていた。あの人の頭から夜空に向かって一本。
糸とあの人との接点。頭部のある一点に向かって、少女人形は短剣を振り下ろした。
そうするように私が操った。
短剣の先が突き刺さった瞬間。あの人が、剣を引いたまま、硬直した。
手応えはあった。人形の手を介してでも、その感触はあった。
そしてそれは同時に、私があの人を断ったという、そういう事実でもあった。
あの人が崩れ落ちた。私は咄嗟に支えた。
ぐずぐずとスライムが崩れ落ちていく。やがて、濡れたあの人の顔が露になった。あの人は笑った。
「すまない。倒せなかった」
私は首を横に振った。
「嫌だ。いかないで」
「倒そうとした敵に操られて仲間を傷つけた」
「嫌だ。嫌だ」
「君に助けてもらえて嬉しかった」
「嫌だ……」
あの人は笑った。私の腕の中で、美しく。
「切ってくれてありがとう」
それからあの人は項垂れた。力なく。頼りなく。
四肢に力はない。命がなくなったことは明白だった。
私は泣いた。真っ暗闇の月夜に、私のすすり泣きだけが響いていた。
意図のなくなった少女人形が、じっと立ち尽くして私たちのことを見ていた。
猫のような金色の瞳が、何だか満月のようだった。
それから朝まで私は泣き続けて、ついに涙も枯れた頃、私は人形のような気持ちになった。
あの人がいなくなってしまった今。
あの人を断ってしまった今。
あの人の糸を切ってしまった今。
あの人を傷つけた今。
私は空っぽだった。
空っぽになるほど好きだった。
何より大切だと気づいても、もう見つめ返してくれることもなかった。
あの人が書いた「小説」のこと。 飯田太朗 @taroIda
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