ウチの剣士は自己犠牲が過ぎる

かま茶

プロローグ

 なんにもない。


「とうさん」


 どこにもない。


「……かあさん……」


 今の自分はからっぽだ。


「おい、邪魔だガキ!あぶねぇぞ!」

 目の前から迫る馬車。先頭で手綱を握り座るおじさんが、手をぶんぶんと振って避 けろと促してくる。

 少し横にずれて、馬車を避ける。

 すれ違う瞬間、おじさんの舌打ちが聞こえてきた。

「あ」

 気付けば、大通りの馬車が行き交うど真ん中に突っ立っていた。広い道に出たみたいだ。

 とりあえず、道脇に逸れてまた歩き出す。

 賑やかな街の喧騒が煩わしい。往来する人々のせいで道が狭い。晴々しい天気が痛い。

 うるさい、痛い、暑い、空腹だ。

 あぁ、なんだ。なんだこれ。

 とてつもなく、嫌だ。

 くそ……


 ____なんで僕は一人なんだよ。


 ゆく先も分からないのに歩いている。

 もう、何にもないのに生きている。


 父さんが死んで。

 その後すぐに母さんがいなくなって。

 頼る人もいないままこの街に来た。お金はもっていないから、荷馬車に隠れて乗り、波に流されるようにここに辿り着いた。

 母さんの行方を捜すように、追ってくるように、歩いてきた。

 捨てられた。その言い方が正しいのかもしれない。

 けれど、あの優しかった母さんが僕を捨てるだなんて思えない。思いたくない。

 会いたい。家族に会いたいよ。

「かあさん……どこにいるの……」

 道の脇に蹲り、ぼそりと呟いた。

 路地の入口であるそこは日陰になっていて、少しだけ涼しい。歩き疲れたこの足も少しは休まる。

 これからどうすればいいのだろう。どうやって生きていけばいいのだろう。

「もう、疲れたよ……」

「ん?」

 その時、僕の声に誰かの声が反応した。

 足音も次いで鳴る。こっちに迫る、ドスドスとした足音。男のものだ。

 街の騎士かな。だったらいやだな。さっきも声を掛けられて、連れ去られそうになった。

 大丈夫、だの。安心して、だの。嘘ばっかりつくやつらだ。

「おい坊主」

 やめろ。うざい。消えろ。嘘つき。

「坊主じゃねえ」

 いなくなってほしくて強い口調で言い返した。

「じゃあガキ、なにしてんだこんなとこで」

「ガキじゃねぇ」

「そりゃあねぇだろ」

「うるせぇ、どっか行け」

 はやく消えてくれ。頼むから。

「ダハハッ、いい肝してんじゃねえか」

「師匠、もうお時間が……」

 次は女の人の声が聞こえて来た。そんなに大人じゃないな。

「おっと、そうだったな。……あー、先に外門まで行っててくれ。俺はこいつと少し話がしてぇ」

「……分かりました。では、お先に失礼します」

 早くいけよ。話なんかこっちはしたくないっての。

「おい、顔上げろ」

「ムッ……」

 なんだかやけになり、顎をくいと上げて顔を見せる。

「え」

 蹲る僕より高い位置にいる男は、騎士ではなかった。

 白い髪に無精髭、だらしない中年にしては、体は鍛え抜かれているのがローブの上からでもわかる。人間離れした大きな体格が、その男と僕の間に大きな影を作る。その巨体と佇まいは、どことなく獅子を思わせた。

「なぁおい。何してんだこんなとこで」

「ど、どうだっていいだろ」

「親は」

「……いねぇよ」

 なんだこいつ、腹立つな……。

 大人なんて子どもを利用しようとするだけの薄汚い動物なくせに。

「そうかい、行くとこあんのか?」

「……ねぇよ」

「俺んとこ来るか?」

「ハッ、誰があんたみたいな知らねぇおっさんのとこなんていくかよ!」

「だがよ、こんままだと、騎士の奴らに連れてかれちまうぞ」

「うッ……」

 正論で殴られる。

「俺んとこに来れば、剣を教えてやる。強くなれるぞ」

「強くなんなくて結構だよ」

「弟子にしてやる」

「余計なお世話だ」

 しつこいな。この男。なんなんだよ、構うな。さっさとさっきの女の子追いかけてやれよ。

「……もう一度だけ聞いてやる。俺んとこ、来るか?」

 ____だが確かに、このままじゃ騎士共に捕まる。騎士じゃなくても、そこらへんの大人に捕まるだろう。

 でも、母さんは知らない人についてっちゃダメって……クソ……でも、でも……。


「い……行かねぇよッ!」


 妙な意地を張ってしまい、僕はこの男を突っぱねてしまった。

「……フッ、そうかい。じゃあ話はねぇ、俺ぁ行く。、ガキ」

「お、おう」

 男は踵を返し、すぐに人波の中へと消えて行ってしまった。

 あいつが一度も振り返らなかったことが、ほんのちょっぴり寂しく感じた。

「フンッあんなやつについて行かなくたって、別に……一人でもやっていけるし……」

 また顔を下げ、蹲って冷静になる。

 一人、か。

 ちょっぴり、目の奥が熱くなってきた。

「あ、あれ」

 涙がぽろぽろと落ちてきた。ダメだダメだ、なに泣いてるんだ。

 あんなだらしない大人に見捨てられたって、別に僕にとってダメージじゃない。

 そうだ、大丈夫……。

 僕は、一人でも……。

「……?」

 蹲っていると、ポケットに入っている何かが太腿ふとももに食い込む感覚があった。

 中をまさぐり確かめると、ブレスレットがペンダントが入っていた。母さんが家に置いて行った、小さな剣の形をしたペンダント。

 母さんがいなくなってすぐ、親しかった人達が押し寄せてきて、僕のことを見るなり色々と聞いてきたものだから怖くなって、逃げるように家を出た。

 その時にこれだけを掴んで飛び出してきたのだ。

「母さん……」

 ペンダントを見ると、両親の顔が思い浮かぶ。

「……」

 ……あの男に頼るしかない、のか。

「あぁ、もうッ!」

 路地の壁を苛立ち混じりに叩き、ペンダントを握り締め立ち上がる。

 ここであの男を突っぱねてしまったのは正解だったのか、あるいは最悪な間違いだったのか。それはわからない。

 でも、まだ間に合う。

 後悔のない方向に進むことは、まだ間に合う。

「……よし」


 一人は嫌だから。

 後から思えば、そんな惨めな理由が根底にあった。

 けれど、間違いではなかった。

 はこの時、あの男に会えたことを後悔することはない。


 僕は必死に彼の『残痕』を追った。



 _____


 とある一軒家にて。

「師匠、昨日あの幼い少年と何を話していたのですか?」

 灰色の髪の少女が洗濯物を畳みながら、椅子に大胆に座る男に問う。

 師匠と呼ばれたその男は、その呼称に似合わないだらしない恰好と姿勢で、茶をすすりながら答える。

「あぁ、あのガキを弟子にしようと思ってよ」

「へぇ……そうですか……って、えぇ?!弟子を増やすんですか?!」

 少女がひどく驚くと、男は手をパタパタと振る。

「いや、お前が役立たずってわけじゃねぇよ。むしろ上場なもんだ。だが俺にも約束があってよ、分かってくれ」

「……はい、わかりました」

 不服そうにうなずく少女。彼女は自らの師匠が弟子を増やすことに快諾したくないようだった。

 その理由は新たな兄妹に親の愛情が傾いてしまうのを予見し恐れる姉のそれと似たものなのかもしれない。

 畳んだ洗濯物を重ね、リビングとしての間取りになっている部屋の階段を登りかけた時、上からまた女性が降りて来た。

「あ、リマリナさん」

「あら、もうお帰りなさっていたのですね、アルス様」

「はい、師匠のせいで少しばかり到着が遅れましたけど、問題なく」

「それはなにより。王都はさぞ遠かったでしょう。今日はゆっくりと体をお休めください」

 リマリナと呼ばれたメイド姿の若き女性は、アルスと呼ばれる灰色髪の少女から洗濯物を受け取るとまた振り返って階段を登り始めた。

 そこで、男から声がかかる。

「なぁリマリナ」

「はい、なんでしょうか?」

「空き部屋ってあったっけか?」

 リマリナは先程のアルス同様、驚いた顔で目を見開くと聞き間違えかと思ったのか、問い返した。

「あ、空き部屋ですか?」

「あぁ、そうだ」

「ほとんど使っていない物置と……あと、奥様が使われていた部屋が残っておりますが……」

「……そうか」

 男は少し表情を暗くすると、茶の入った器をコトンと静かに置く。突然に落ちた男の機嫌にアルスとリマリナは黙りこむが、すぐに男はスクッと立ち上がった。

「悪いが掃除しておいてくれ、物置ともう一つの方も」

「いいんですか……?」

「あぁ、頼む」

 腑に落ちないとでも言わんばかりに不思議そうな顔をするリマリナ。アルスはリマリナの表情から察し、補足を入れる。これまた不服の表情ではあるが。

「弟子を増やすんですって」

「まぁいつ来るかわかんねぇがな」

 男はざらに生えた顎髭を触りながら、リビングの棚にある引き出しを引いた。

 そこに入っているのは彼の妻が遺した手紙。いつまでも大切に保管されている、思い出の品だった。

 男はそれを眺め、寂しそうに微笑するとまたそれをしまった。

「来んのは、一週間後か、一ヶ月後か、はたまた来ねぇか……来なかったら別の奴を連れてくるけどな」

 この男には、アルスという一人の弟子がいる。

 師匠として弟子が一人いるのは既に申し分ない功績なのだが、男はまだ新たな弟子が欲しいという。彼にとってはある約束が理由なのだと宣うが、アルスとリマリナの心境はあまり歓迎といった具合ではなかった。

 しかしそんな時に、来てしまったのだ。

 ____この不遜な男を追う少年が。

「行く当てなくて死んじまってたりしてなぁ」

 ゴンゴンッ!

 男の言葉を遮るように、扉を叩く音が強く響いた。

「ん?」

「誰でしょう?」

 扉の鍵はしまっていない。皆の視線が音の方向に集中した時、扉が蹴破られるように勢いよく開いた。

「だぁッ!ハァ、ハァ、ハァ……」

 そこから現れたのは一人の少年だった。

 誰もが目を見開き警戒しつつも驚いた。だがその中で、男だけは、不敵な笑みを浮かべていた。

 男は少年の前に屈む。

「ようガキ、久しぶりだな」

「ハァ、ハァ……」

 その少年は酷く疲弊しており、肩で息をしてべっとりとした汗を垂れ流していた。

 アルスは少年に駆け寄り、コップに注いだ水を手渡す。

「お飲み?」

「ハァ……あ、うん。ありがと…ございます」

 少年は勢いよくその水を飲み干すと、床に膝をついてしまった。かなり果てているのだろう。

 そんな様子を見下ろす男はにやにやとしながら問う。

「どうやってここまで来た。どいつからか話でも聞いてきたか?」

 少年はようやっと息を整えると、見上げて言った。

「あんたのくっせぇ気配を追ってきたんだよ……」

「け、気配?」

 予想外の答えだったのか、男は目をぱちくりさせながら反芻した。

 気配、そんなものは人間の第六感でしかなく、勘に近いものだ。否、近いものだと、世界では認識されている。

「ずぅっと北の方からあんたの気配がした……でかくて、動物みたいに獣臭い、嫌な気配が……」

「まさか、お前、一人で来たんじゃねぇだろうな」

「一人に決まってんだろ……お金なんてないし、頼れる人も……」

 それには流石のアルスも驚いたようで、横で驚きながら思わず声を漏らした。

「王都から馬車を使わずに、一人で……凄い」

 アルスと男が王都から帰って来てから、既に丸一日が経過している。その間この少年は、馬車にも乗らず、人にも頼らず、水も食物も口にせずにやってきたのだ。

「ダハハハハッ!気に入った!よぉし、今日からおめぇは俺の弟子だ!しっかり鍛えてやる!」

「痛、痛い痛い!叩くな!」

 豪快に笑い少年の背中を強く叩く男は、さぞ喜ばしかった。

「おうガキ、名は?」

 少年は叩かれた背中をさすりながら立ち上がり、強気で言った。

「クロノス。八歳だ」

 応じて男も立ち上がり、クロノスを見下げる。

「オッドラインだ。師匠と呼べよ、クロノス坊!」

「誰が呼ぶかよ!」


 この日オッドラインとクロノスが初めて、本当の意味で____出会った。

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ウチの剣士は自己犠牲が過ぎる かま茶 @KuroiKitsune

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