姓を与え、主従となり
「――ナナヤさんの〝姓〟を、私にもくれませんか?」
告げられた言葉の意味を理解しかねて。
沈黙の後、七夜は思わずと言った風に瞠目した。
「え? 姓って、苗字……いや、要は……家名の事か?」
「はい」
シェリアの頷きに、七夜は困惑を隠せない様子で続ける。
「いやいや、そんなの俺の一存で決められるはずないだろ。さっきの話を聞くに、昔シェリアは貴族だったんだろう? だったら生まれつき持ってる姓がお前にだってあるはずだ。それがあるのに簡単に―――」
「私に生家など、もうございませんので」
端的で、淡的な言葉があった。
あらゆるものを捨て去った声色。それを成した事に後悔のない面持ち。
覚悟が、そこには在った。
そしてその全てを、七夜は言葉の上だけで余す事なく受け取った。
瞠目。思慮。葛藤。惑い。
その全てが綯い交ぜとなった中で、七夜は考える。
「……誘っておいて今さらだが、俺に付いてくる事で、色々な面倒事に巻き込まれる」
「とうに経験済みです。むしろ、ナナヤさんに降りかかる火の粉は全て私が払い除けましょう」
「俺といる事で、無意味な悪評が広まるかもしれない。聞いただろ? 俺は『
「私の格などとうに下がっています。お忘れですか? 私は貴方と同じくあの地獄の底で、貴方よりも長い年月を過ごしていた咎人なのですから」
ディアメルクの牢獄で、初めて声を交わしたときの事を思い出す。
それと同時、七夜はある事に気付いた。
「過去の清算は、しなくてもいいのか?」
シェリアの内に潜む苛烈な復讐心。憎悪。殺意。
地獄の底で語らったときには感じ、しかし地獄を出て以降は感じられなくなったそれ。
七夜は以前、自分の傍にいるためにシェリアが心裡に蓋をし、気持ちを抑圧しているのではないかと推測した。あるいは単に、その類いの感情が消えてしまったのかと。
だが、先の戦いの最中、彼女を見ていて感じた胸中の葛藤を思えば、そのどちらでもないのだと思った。
七夜の問いに、シェリアはしばらく沈黙した後、胸に手を置いてゆっくりと話し始める。
「私の復讐心は……今も、ここにあります。ですがこの五年、ずっと抱き続けてきた炎に比べれば、不思議と穏やかなものになっている気がします」
「それは、我慢をしているわけじゃないのか?」
「えぇ」
すぅ、と。
闇色の双眸が細められる。
まるで自分の内側に意識を向けるかのように。
「私は自分の居場所がどこにもなかった。だから、かつて唯一の居場所だったものを奪った者を、ひどく憎んだ。憎んで憎んで、殺したいほどに憎んで、その者の声が頭にこびりついてしまうくらいに。そうしなければきっと、地獄の底で私は私でいられなかったから。ですが……今はもう、そんな聞きたくもない声は、私には聞こえません」
芒洋とした目が、七夜へと向けられる。
そうしてまた、彼女はごく薄い笑みを、その口許に浮かべる。
「ナナヤさん。貴方が、私を欲してくれたからです」
一歩、またシェリアは七夜へと近付いた。
「貴方の声が、私を解放してくれた。貴方の傍が私の居場所なのだと言ってくれた。それがどれほど嬉しかったか――ナナヤさんに解りますか?」
一歩、また一歩。
やがて七夜とシェリアは、至近距離で向かい合う。
そっと、シェリアが七夜の手を取る。
思えばきちんと触れ合うのは初めてだった。細く長い綺麗な指から、ひんやりとした感触と同時に、人肌のぬくもりが七夜へと伝わってくる。
「今の私にとって、貴方の傍にいる事が何よりの望みなんです。貴方の傍にいられるなら、それ以外の事はどうだっていい。でも、私はこの〝姓〟を二度と名乗りたくなくて……ただのシェリアでいるくらいなら、ナナヤさん……私は、貴方の〝姓〟が欲しいのです」
取られた手がぎゅっと握られる。
真剣な面持ちと真摯な訴えに、七夜は思わず言葉に詰まった。
「この先、一生貴方と共にいるために」
「いや、同じ姓で一生一緒にって……元の世界なら役所モンなんだが……いや、それはこっちの世界だって一緒か……」
「?」
きょとんと首を傾げるシェリアに、七夜は一つ息を吐く。
彼女は真っ直ぐに言葉を伝えてくれた。ならばこちらの応じる言葉もまた、誠実でなければならないだろう。
「――解った。シェリアが望むなら、俺の姓をあげるよ」
「ッ……!」
感極まったように息を呑み、その透徹した美貌にうっすらと喜色を浮かべた彼女は――
しかし直後、己を律するように瞼を閉じたかと思えば、唐突にその場へ跪いてみせた。
「シェリア?」
「ありがとうございます―――
洗練された所作で
前触れなく告げられた呼び名とその行為に、さしもの七夜も瞠目した。
「いや、別に呼び方は今まで通りでいいと思うんだが……」
「これは、私個人の我がままですから」
シェリアがこちらを見上げてくる。
複雑な表情を浮かべている七夜に対し、彼女は揺らぎのない眼差しで。
「私は今この瞬間より、〝シェリア・シバ〟として、ナナヤさまのお傍で貴方の刃となります。不束者ではありますが、足を引っ張らないよう身命を賭して尽力いたします」
そう言ってすくりと立ち上がる。
生きる意味と、自身の存在価値を見出した少女は、そうして微笑みと共に続けた。
「なので、どうか末永く、よろしくお願いしますね」
「さっきから言葉のチョイスがいちいちアレなんだよなぁ……」
ポツリと零した後、一つ咳払いをした七夜は、シェリアの真摯な言葉に応じるように、こちらも口許に微笑みを浮かべて言う。
「あぁ、こちらこそよろしく頼む。ただあんまり敬われ過ぎるのはむず痒いから、もう少し適当に接してくれると気楽なんだが」
「それは無理なご相談です。主と慕うお方を敬うのは当然の事。いくらナナヤさまからのご要望とあれど、ここは曲げられません」
「そこもなんだが、別に主従関係とか考えなくていいからな? 対等でいいんだ、対等で。別に俺は従者とかそういうのを求めてたわけじゃないんだし」
「ナナヤさまが求めていなくとも、私が求めているのです。ナナヤさまのお傍で、ナナヤさまにお仕えしたい。それが今の私がここにいる意味なのだと思っています」
「それ、前の卑屈だった頃の性根の名残とかじゃないよな?」
「滅相もありません。本心からそう願っています。なので諦めてください」
「……前にも思ったんだが、シェリアって少し、いやかなり強情な性格してるよなぁ」
大仰な仕草で肩を竦めた七夜は、彼女の揺るがない真っ直ぐな意思を見て、それ以上の譲歩を諦めた。
それが本心からくるものなのであれば、言葉遣いや在り方など些末な問題だろう。
「―――さて、と」
そうして七夜はおもむろに視線を転ずる。何十人もの男たちが倒れ伏している広場一帯を見渡す。
「なら後は、さっきの交渉の続きと事後処理なんだが……こんな状況だし後回しでいいか。どうせひと晩は起きないだろ、こいつら」
「一番早く目を覚ましそうなのは先ほどの者ですね。ですが彼はどもかく……他の者たちは、放っておいたら血を失い過ぎて死んでしまうでしょう」
言われ、七夜は気を失っている徒党の男たちの中で、負傷の程度が酷い者を即座に見分ける。
手足の骨が折れているだけならば放置で構わない。しかしシェリアによって足の腱を斬られた者、足そのものを斬り飛ばされた者たちは、確かに放っておいたら失血死してしまうだろう。
最低限とは言え治療が必要だろうと判じた七夜は、いつもの癖でリィリスの名を心の中で唱えようとして、やめた。
「……なぁ、そういえばシェリアは、回復系統の魔法を使えたりするのか?」
その質問に、首肯が返る。
「はい。ですが、私は技能以外の魔法に関する適性は人並み以下なので、あくまで低級……生活魔法のひとつとして波及している一般的なものしか使えません」
そう言って彼女は、先の戦闘時に負っていた傷口へ手を翳した。
「――『
詠唱の後、黄金色の光が負傷部位にポゥ、と灯り、そこにあった傷をゆっくりと塞いでゆく。
その魔法は三年前、王宮での戦闘訓練にまだ参加していた頃、怪我をするたびに七夜もよく掛けられていたものだった。
「充分だ。そこでなんだが、この中の特に負傷の程度が酷い奴らの治療を頼んでもいいか?」
「それは構いませんが、一つ申し上げると、私はナナヤさまほどに魔力量が多いわけではありません。自然回復を待ちながらこの人数となると、かなり時間がかかってしまいますが……」
「それなら心配ない。俺とシェリアの間に魔法線を繋いで、俺の魔力をシェリアに渡していく。そうすればこれくらいの数、すぐに終わるさ」
「魔法線を……繋ぐ?」
濃紫色の長髪を揺らすように、シェリアは小さく首を傾げた。
リィリスがよく七夜を通じて様々な魔法を行使していたり、魔法や技能そのものを移植していた際に繋げていた〝魔法線〟。
七夜にとっては見慣れているものであるが、以前リィリスに聞いた話では、他者と魔力で繋がり、一方向もしくは相互に干渉する事ができる技術は、一般には広まっていないらしい。
ゆえに、魔法や技能の移植や魔力の譲渡は、本来であれば不可能だとされている。だからこそこの世界には、〝無能力者〟が存在するのだと。
それを知っているからこそ、リィリスから『
しかし。
七夜はリィリスから他者と魔法線を繋ぐやり方を教わっていない。これまでその行為は、リィリスのサポートがあってこそできていたものだった。
(……いいや)
静かに、体内で魔力を操作する。
(あれだけ身近で、それも俺自身の身体を通して見てきたんだ。教わらなくたって、いい加減自力でできるようにならなきゃ情けないにもほどがある)
そっと瞳を閉じる。
暗闇が満ちていても、魔力感知による別の視界が、確実にシェリアの存在を伝えてくれる。
意識の中で、魔力で練り上げた糸を伸ばす感覚。
気を抜けば実体を伴ってしまいかねない複雑な魔力操作。
あくまで自らの内側で、魔力を束ねて細い糸とする。そしてそれを、閉目した中に見えるシェリアの魔力と結び合わせる。
繋がった感覚は、シェリアにもあったのだろう。
自身の身体を見下ろす彼女の姿を見て、七夜はひと息ついた。
「よし、これで俺の魔力をシェリアに流せるようになった。何か違和感とかはないか?」
「はい……身体の奥底に、ナナヤさまの力の流れのようなものを感じます。このような技術があったとは……」
「俺にできたんだ。シェリアもコツを掴めばすぐできるようになるさ」
有り余っている魔力をシェリアへと流しながら―――ふと、考える。
治癒系統の魔法は低級のものしか使えないシェリアと、そもそも回復魔法の類いを持たず、発現の可能性も一切として持たない七夜。
(……いつかは、どうにかしなきゃならない問題だよな)
治療の術が心許ないのは、今の七夜たちにとっての明らかな欠点であろう。
その問題をどうするべきか、頭の片隅で片手間に考えていると、隣からシェリアが顔色を窺ってきた。
「どうかしましたか、ナナヤさま?」
「……シェリアは俺の事、よく見てるんだな」
「もちろんです」
即答するシェリアに、七夜は考えるのをやめにして肩を竦めた。
「何でもない。それより、とっとと後始末を片付けて宿に戻ろう。イレィナたちが心配してるかもしれない」
言いながら、魔法線の機能が正常か確かめるようにシェリアへ送り続けていた魔力の密度と量を、数段引き上げる。
「
「いいえ、とんでもありません。むしろナナヤさまと繋がっていると、ある種の万能感のようなものさえ感じます。これならばそう時間もかからずに終わるでしょう」
そう言ってシェリアは、気を失い倒れている無数の男たちのもとへと行く。
濃紫色の長髪が流れる後ろ姿をぼぅ、と眺めつつ、七夜は今さらながら、半年前にリィリスから指示された〝お友達作り〟をようやく果たせたのだと、ただ無感情に思った。
いや。
今に至るまでの様々な状況を思い出し、少しだけ、溜め息を吐いた。
(〝依頼〟にはきちんと応えたんだし、何か報酬でもくれればいいんだが)
そう思って周囲に意識を巡らせるが、リィリスの存在はどこにも引っ掛からない。心の中で名を呼んでも、恐らく今は姿を現さないだろう。
相も変わらず自由な彼女の事を考えていると、不意に、今まで何度か重ねてきた一つの疑問が頭をよぎる。
―――どうしてリィリスは、あれほど頑なに、回復魔法の移植を拒んでくるのかと。
本来であれば今の状況も、七夜がリィリスから治癒の魔法を受け取っていれば、シェリアの手を煩わせる必要もなかっただろう。
何だかんだと嘘や誤魔化しの類いで、いつものらりくらりと適当に受け流されている。そこにどんな理由があるのか、あるいは無いのか、七夜は眉を潜めて考える。
考えるが、ここで答えが出るわけもない。
気持ちを切り替えるように息を吐いた後、シェリアの背を追いかけるように、七夜もまた歩き始める。
先んじて手近な負傷者の治療にあたっていたシェリアは、七夜が隣に来ると同時、その口許に薄い笑みを浮かべた。ふふ、と微かに息の洩れる音が聞こえ、七夜は譲渡する魔力の量を調整しつつ、彼女に視線だけを向ける。
「どうかしたか?」
「いえ、何でもありません。ただ……これがナナヤさまと私の、はじめての共同作業なのだと思いまして」
「……だから、さっきからいちいち言葉のチョイスがアレなんだよなぁ」
決して冗談の類いで言っているのではないその台詞に、七夜は何とも言えない表情になる。
その後、シェリアは指示の通り最低限の治癒のみを事務作業のように行い、七夜はそんな彼女に一定の間隔で微量ずつ魔力を送り続けていく。
そこに
ただの静寂が、二人の間に置かれているのみ。
やがてその糸を切ったのは、シェリアの方だった。
「ナナヤさま」
不意に名を呼ばれ、七夜は少女の横顔を見る。
「どうした」
「私の話を、してもいいですか?」
ポツリと雫が落ちるような、そんな静かな問いかけがあった。
「私の話……私に関する、いろいろな話を」
「……話してくれるのか?」
「えぇ。ナナヤさまには知っていてほしいですから。聞いて、下さいますか?」
抑揚のない声。淡々とした言葉。
それでもそこには、ただ粛然と在る思いを見る事ができた。
呪縛を乗り越え解放されたがゆえの、一切の恐れも躊躇いもない思い。
自らが生まれた家の事。そして、記憶に刻まれている血に塗れた過去の事。
他でもない自分自身の意思で、その全てを七夜に知ってほしいのだと、シェリアは言った。
こちらをまっすぐに見つめてくる闇色の双眸。
光なきその眼を見つめ返し、応じる言葉を口にしようとして―――七夜は内心で苦笑した。
本来であれば、仲間というのは相手の人となりをきちんと知った上で引き込むものであろう。
なのに自分たちは、いま目の前に立っている互いの事をほとんど何も知らないのだ。
その事がおかしくて、けれど、こんな形も何ら間違ってはいないのだと思い。
「―――あぁ、もちろんだ」
シェリアの言葉に、頷きを返したのだった。
【第一章 了】
咎人勇者の異世界蹂躙目録 ~世界から容赦なく見捨てられたので、気儘な蹂躙生活を謳歌します~ 明神之人 @Yukito_Myojinn
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