魔導具の出処


「一つ聞かせろ。―――あんたが持ってたこの精神支配の魔導具、これはどこで手に入れた?」


 問うてから、七夜はウルドが持っていた黒水晶を示すように持ち上げる。

 淀み歪んだ黒色を内包した水晶。七夜によって魔力を吸われ、とうに機能を停止しているそれに、ウルドはちらりと一瞥を向けてから、


「ハッ、そんなもん、その辺の露店で買えるわけもねぇだろうが。この裏町で商人やってる〝得意先〟の奴から仕入れたんだよ。クソッ、結構値が張ったのになぁ、それ」


 心底残念そうに零す男の言葉に、七夜は自らの持つ水晶を見下ろす。そうして何かを思索する間があった後、ウルドに言う。


「あんたにこいつを売ったその商人に、会う事はできるか?」


「はぁ?」


 七夜の伺いに、ウルドは振り返って瞠目する。


「おいおい、どういう意味だよ、そりゃ。テメェ、俺がそいつを使った事に腹立ててたクセに、似たような洗脳の魔導具でも仕入れようってのか? クハッ、さすがは悪名高い無能兇徒クリミナルサマだなぁ。何だよ、どこかに言う事聞かせて奴隷にしたいメスでもいるってかぁ? そっちの女だけじゃ飽き足らねぇとは、とんだ欲張りさ―――」


 言葉はそこで途切れた。

 七夜を侮辱されたシェリアがその身から濃密な殺気を放ったからだ。


 気を抜けば意識を持っていかれかねない鋭い威に、ウルドは冷や汗を垂らす。


「冗談だよ。マジになんな。……ただな、ナナヤ=シバ。今からテメェがどんだけ裏町の闇市場を探し回ったって、あいつに会う事はできねぇよ」


「なぜだ?」


「あいつはもうこのアーディアの街をとっくに離れてるからだ。元々この街を拠点にしてる奴じゃないからな。たまに俺のツテで呼びつけて色々買い付けてんだよ。その魔導具は単に掘り出しモン……奴自身も運よく手に入れられただけの上等品だって言ってたな」


「上等品、ねぇ」


 呟いた後、七夜は掌中の魔導具を見下ろす。


 リィリスは先ほど、この黒水晶はドロエが使っていたものよりも尚酷い欠陥品だと言っていた。曰く、魔導具の効果と同じ力が、副作用として使用者にも働いていたからだと。


 としてはどちらも欠陥品であるというのは間違いないだろう。

 それでもこれが上等な一品として見なされているのは、込められている能力がゆえか。


 例え副作用があろうと、他者を意のままに操る事ができる魔導具など、誰しも……特に、闇市場を使うような後ろ暗いところのある者たちにとっては、垂涎ものだろう。


 ただ――と。

 七夜は記憶を掘り起こす。

 三年前、王宮の書庫で現在広まっている魔導具について、一度事細かに調べた機会があった。しかしそこでは、他者を傀儡とするような力を持つ魔導具の記述は見られなかったのだ。


(……いや、そもそも闇市で流通してるような代物だ。公式の図鑑になんか載ってるはずもなかったか)


 余計な思考に気を取られそうになった七夜は正面へと意識を戻し、ウルドに向けて再度問う。


「その商人がどこを拠点にしているか、あんたは知ってるのか?」


「何だよ。やけに執着するじゃねぇか。その魔導具に、そんだけ惹かれる何かでもあったのかよ?」


「そんなんじゃない。……言ってなかったが、俺がこの魔導具を見るのはこれで二度目なんだ。それもごくごく短期間の間に、同じような厄介ごとに巻き込まれてる。この世界の闇市場ってやつにこんなものが出回ってたら、この先も俺の心労が絶えないだろ。ゾンビの相手をするのはこれっきりにしたいんでな」


「おい、俺の家族を勝手に殺すんじゃねぇ」


 そこでウルドは険しい顔で大きな息を一つ吐くと、唾棄するかのように続けた。


「王都だよ」


「なに?」


「あいつが根城にしてるのは、王都だって聞いた事がある。まぁ、このアーディアの街なんかの何十倍もデカイ都市だ。いくら王族の膝元にあるところとは言え、こことは比べモンにならねぇだけの闇がある。どうせその魔導具の〝製造元〟もあの都だろうさ。確かに、行けば何かは掴めるし、流通を止める事だってできるかもしれねぇなぁ」


 その言葉に、七夜は暫しの沈黙を返す。

 眉根を潜め、何かを思い悩むように薄く目を伏せる。


 そんな少年に構わず、男は続ける。


「まぁ、俺にとっちゃあいつは得意先だが、そこに仲間意識なんざ微塵もねぇ。俺の言葉を頼りに探しに行くなら好きにしろ」


 だがな、と。

 ウルドは七夜の神妙な面持ちを横目で見ながら、


「テメェが王都に行くってのは、そう簡単にできる事じゃねぇだろ? つらの傷が無くなったとはいえ、出回ってる手配書の人相と同一人物だってのはガキでも解る。テメェは下手に動けば動くだけ、周りから徹底的に憎まれ嘲られる。俺は無理して都に上がる方が、テメェの心労が絶えない気がするんだがなぁ?」


 ニヤニヤと、揶揄するように分かりやすく笑う男に、七夜は小さく舌打ちをする。

 その反応に満足したらしいウルドは、気絶している徒党の男を気怠そうに抱え直してから、再び屋敷へ歩み始める。


「とは言え、だ。あんまりテメェがひとつところに居続けるってのも、それはそれで問題が出てくるわなぁ。少なくとも……この街からはなるべく早く出ていく事を薦めるぜ」


「? 何でだよ」


「おっと、口が滑るのもここまでだな。俺とテメェは仲良しこよしになったワケじゃねぇだろうが。だったらあんまり甘えてくんなよ、お坊ちゃん」


 カチン、と。

 ウルドの物言いにイラっときた七夜は、こめかみに青筋を浮かべて大仰に頷く。


「あぁあぁ、まったくもってそうだよなぁ。だったら俺からも言わせてもらうが―――なに全部終わった気になって帰ろうとしてるんだ、あんたは?」


「は?」


 その台詞に、またウルドは立ち止まって七夜を振り返る。

 今度は七夜の方からも距離を詰めながら、圧のこもった低い声で言う。


「さっきまで俺とあんたは戦っていた。その勝負に勝ったのは俺で、負けたのはあんただ。……敗者が勝者の前から、何も奪われずに立ち去れるなんて事、あるはずがないだろ」


「はぁっ?」


「負けた奴は勝った奴に何かを献上しなければならない。古今東西、どこの世界においてもそんなのは常識中の常識だろう?」


「ふっ、ふざけんじゃねぇ!」


 ウルドはそう叫んだ後、肩を貸していた男を地面に横たえた後、七夜の許へと迫る。


「俺の家族をこんなにしときながら、まだ気が済んでねぇのか!? もうエルビーアファミリーは壊滅したも同義だ。その結果がありゃあ満足だろうが!」


「なに言ってるんだ。連中がここに転がってるのは、他でもないあんた自身のせいだろ。立場と、意地だったか? その二つで後者を選んだからこんな風になっちまったんだって、さっき自分で言ってたじゃないか。俺に責任を擦り付けてこないでくれ」


「ッ……だ、だとしてもだ! テメェもさっき、弱者から理不尽に何かを奪う行為は許せねぇって言ってたじゃねぇか! 勝負に負けた俺は明らかな弱者だ。そんな俺をこれ以上出涸らしにするのはテメェの理念に反してるんじゃねぇのか!?」


「おいおい、被害者ぶるなよ。確かにあんたより俺の方が強かったが、今回の一件、そもそもの発端はそっちが俺たちに絡んできた事だろう。そこからどう状況が巡ろうが、根本が変わるはずもない」


「クッ……」


「それにな、こっちだってシェリアを傷付けられてるんだ。あと俺も散々あんたに気持ち悪い思いをさせられた。その上で、あんたは俺との勝負に負けた。だったら多少なりとも、〝敗者なりの善意〟ってやつを見せてくれたっていいんじゃないか?」


 今度は、七夜が口端を吊り上げる番だった。

 ウルドのように歪んだものではないが、意地の悪さを多分に含んだその笑みが、相手へと突き刺さる。


 何かを強く思い悩むような間があった後、ウルドは激しく叫んだ。


「ハッ! やなこった! そう言われて馬鹿正直に応じる奴がどこにいんだよ! 持っていきたきゃ勝手に好きなモン持っていけばいいだろうが! ただそれをすりゃあ、ナナヤ=シバ、テメェはそこいらの腐った夜盗と同じ土俵に立つことになるぜ! 曲がりなりにも『神の遣いレガリア』だった奴がそんなことしていいのかねぇ! クッハハッ! とっくに地の底にいるテメェがこれ以上どこまで堕ちているのか、さぞ見物だなぁこりゃあ!」


 声高に笑うウルドに、再びカチンときた七夜は。


「沈むのはあんたの方だろ。――


 言いながら、全力から少し抑えたレベルの威をその身から放つ。


 傷が塞がったとはいえ、体力は底をついて疲弊した状態のウルドに本気の圧を浴びせれば、容易に気絶させてしまいかねない。

 そんな、最低限に残った理性が働いたゆえの我慢だった。


 あくまで威嚇と牽制。せいぜい無様に尻もちでもついてくれればいいくらいの思いで発した威圧。

 ――だがそんな七夜の、一種の憂慮とも言うべきものを一蹴するほどの殺気が、彼の背後より波濤のように放たれた。


「え、」


 洩れた驚きの声は七夜のものだった。

 そして、加減の〝か〟の字すら知らないと言わんばかりの殺気を放出したのは、当然の如くシェリアである。


 今の七夜をして強く意識を持っていなければ視界が揺れるほどのそれ。

 直撃を受けたウルドは、こちらも当然の如く、辛うじて気力で保っていたであろう意識を瞬時に刈り取られ、その場に倒れ込んだ。


 そうして後に残ったのは、耳が痛いほどの静寂であった。


「あー、えっと。あのな、シェリア」


「はい、何でしょう」


 七夜が、どこかバツが悪そうに後頭部を掻きながら自らの背後を振り返れば、居住まいを正して立つシェリアが毅然と応じた。


「その、俺のために都度怒ってくれるのは嬉しいんだが、その度に殺気を放つのはやめてくれ。相手を黙らせるには確かに最善手だが、できるだけ控えてくれるとありがたい」


「……それは、どうしてでしょうか?」


 純粋な疑問として小首を傾げるシェリアに、七夜は彼女の目をまっすぐに見ながら応じる。


「それがクセになると、シェリア自身が困るからだ。傍にいて思ったが、まだ気配の強弱や指向性のコントロールは満足に覚えられてないんだろう? 感覚だけでやっているときに、いつも本気の殺気ばかり放ってたら、いつか日常生活にも支障が出かねない。あと……」


 と。

 そこでふっと苦笑を零しながら。


「毎回隣でお前の本気に当てられてる俺の身にもなってくれ。俺もまだそういうのを受けるのには慣れてないんだ。気を抜いてたら気絶しそうになる」


「……かしこまりました。以後、気を付けます」


 そう言ってシェリアは、美しい所作で腰を折った。


 ウルドが意識を失ってしまった以上、先ほどまでの〝戦後交渉〟は先送りになってしまったが、特に問題はないだろう。

 結局、エルビーアファミリーの全員が漏れなく倒れている今の状況に、七夜は肩を竦めた。


 そしてその後、頭を上げた彼女が、まるでこちらの全身をくまなく観察するように見てきたものであるから、今度は七夜がシェリアに問うた。


「どうしたんだ。何か気になるか?」


「いえ。……が本当に幻だったのだと改めて解り、安心しただけです」


 言われ、七夜は「あぁ」とだけ応じた。


 シェリアが言っているのは、エルビーアファミリーとの衝突時、彼女にだけ見せていた『痛めつけられボロボロになった七夜』の幻影の事だろう。

 安堵して息を吐く少女に、七夜はどうにも言えない気持ちを誤魔化すように言う。


「お前、本気で俺がこいつらに捕まったって思ったのか? 割と雑な作りだったから、すぐにバレると思ってたんだが」


「……それは、その……何も疑問には、思いませんでした。きっとそれだけ、気が動転していたんだと思います」


「俺が攫われた事でか?」


「はい。ナナヤさんの身に何かあったらと考えたら、自分でも驚くほど、勝手に身体が動いていました」


「……そうか」


 その言葉に一切の嘘がない事は、とうに理解している。

 しかし――ここで、七夜から彼女に言うべきなのだろう。


 自らを見つめてくるシェリアの、光のない闇色の双眸を七夜も見つめ返す。だが、言葉に詰まる。あの地獄の底で、そして先の騒動中に念話越しでなら言えた事が、こうして顔を突き合わせている状況になると出てこない。


 人との会話を疎かにしてきた過去の自分を恨む機会は、これで何度目だろうか。


 ――不意に。

 視界の端に漆黒のドレスがチラついた。


 揺らぎを伴い現れたリィリスの美しい貌が七夜に迫る。


『どうする、ナナヤくん? またお姉さんがナナヤくんの身体を乗っ取って、代わりに言ってあげましょうか? それはもう熱烈な台詞のオンパレードで――』


『やめろ、マジでやめろ。俺に恥をかかせるのがそんなに楽しいのか、あんたは』


『まぁ、人並み程度には』


『鬼畜外道が人並みを語んな』


 それに、と。

 そこだけ七夜は真剣な声音で続ける。


を今ここでやるのは、あんたの望むところでもないだろ』


『あら、よく解ってるじゃない。なら早く頑張りなさいな』


 七夜の言葉に満足したらしいリィリスは、再び空へ溶け入るように姿を消した。

 今度は魔力の感知網にも引っ掛からない。魔力を隠しているのか、はたまた物理的に七夜の知覚外へと移動したのか。


 リィリスの揶揄いにはもううんざりしている七夜は、心の中で盛大に嘆息した後、改めて意識を正面に立つ少女へと向ける。


「……シェリアの力、初めて見せてもらったが、凄かったな。何となく解ってはいたが、あそこまで強いとは思わなかった」


「ありがとうございます。ですが、私が自分の技能を使えたのも、振るうのを忌避していた〝刃〟を振るおうと思えたのも、すべてナナヤさんの存在があったからです」


 シェリアの透き通った声が、夜の広場にシンと響く。


「貴方がいたから、私はいろいろな柵から抜け出せたのだと思います。私を地獄の底から引っ張り上げてくれて……本当に感謝しています」


 そこで。

 シェリアは薄く、本当に薄く、七夜に対し笑みを向けた。


 ともすれば無表情と見間違いかねないほどの、ほんの些細な変化。

 だが七夜の目にはその時、シェリアの微笑みが確かに、そして鮮明に焼き付いた。


 逡巡をかなぐり捨て、そうして少年は口にする。


「シェリア、改めて言う。――俺の仲間になってほしい。前にも言ったが、俺にはシェリアが必要だ。俺のために、俺の傍で、俺の力になってくれないか」


 真摯な意を込めた言葉。

 それを聞いたシェリアは、ほんの僅かに瞠目した後、暫しの間を置いて口を開く。


「先の戦いの最中、ナナヤさんは言って下さいましたね、私が欲しいと」


「……あぁ」


「あの言葉が、私は本当に嬉しかった。頭の中に響いていた呪詛や、心に抱えていた懊悩をまとめて消し去ってくれた。きっと私は……貴方からその言葉を聞きたかったんだと思います」


 シェリアの闇色の双眸が、七夜のそれを射貫く。

 変わらず光のない瞳の奥に、しかし七夜は、確固とした意思を見た。


「私は貴方の傍にいたい。あの地獄で最初に声をかけて下さったその時から、恐らく私の中には、その渇望があった。だから貴方に付いてきたんです」


 一歩、シェリアが七夜へと歩み寄る。


 彼女の、心からの本意の言葉に、七夜は何も返さない。まるでそれが儀礼の一種であるかのように、ただ彼女の言葉を聞いていた。


「ただ……ナナヤさん。私から一つだけ、我がままを言ってもいいでしょうか」


「何だ?」


 窺いの視線を向ける七夜に、シェリアは変わらぬ淡々とした声で言った。


「――ナナヤさんの〝姓〟を、私にもくれませんか?」


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