1 陽炎
『東京では今日も高気温を観測しており、日中は強い日差しに注意してください。では、次のニュースです』
ニュースキャスターが紙をめくり、次のニュースを読み上げていく。
『近年、若者の自殺が問題化されていますが』
ぶつり。
テレビの中の女性が何かを続けようとするよりも早く、テレビの電源を落とす。
外からは蝉の声がうるさく聞こえており、ベランダに吊るされたままの風鈴がたまに吹き込む熱された風に、かろうじて音を鳴らす。
これは自論だが都会の夏というのは、田舎の夏よりも断然熱い。
意味もなく建てられたバカでかいタワーだのビルだのが、太陽の光を反射してこうして慎ましく生きてるちっぽけなアパートに、ご丁寧に太陽の光を集めてくれるからだ。
「拝啓、向坂生様」
机の上に置いたままの、いつのものだか分からない同窓会の誘いのハガキを掴み、破き近くにあったゴミ箱になげいれる。
第一、行ったところで誰だかも覚えていない。
未だに届き続ける不採用の文字の書かれた通知もそのままゴミ箱に投げいれれば、そろそろ昼の時間だと立ち上がりキッチンに向かう。
成人男性の一人暮らしというのは、存外人の想像するような綺麗なものではなくて、ごく稀に気が向いた時に洗われる食器の中から箸を取りだし水で洗い、そのままやかんに水を入れ火にかける。
暫くして沸騰したお湯を、カップラーメンに注ぎ込み適当な時間配分でそれを喉に流し込む。
今回はどうやら時間配分を間違えたらしい。伸びきってしまい汁を吸い込んだそれを適当にほぼ飲み込む勢いで平らげれば、流しに放り込む。
きっといつかの自分が処理をするだろう。
いや、そんなのもどうでもいい。
どうせ今日でこの家ともおさらばなのだ。
洗面所で顔を洗い、棚からまともな服を選び出して着替える。特になにかパーティーに行くだとか、そんな予定ではない。
とはいえ、人生で1度きりの大舞台に出るのだから、これくらいしてもいいだろう。
髭を剃り、服のシワをのばし、再度全身が映る鏡で身支度をすれば少なくともこんなぼろアパートに住んでいる不衛生なニートの男には見えないだろう姿がそこにはあった。
封筒を握り、鍵を持ち、家を出る。
「いってきます」
誰に届くでもないその言葉は、扉が閉まる音にかき消された。
家を出て向かったのは近所にある廃ビルだ。
近々取り壊しが決まっているからなのか、不用心に鍵は外され、夜になればヤンキーたちのたまり場になっているという話をどこかで聞いた。
何はともあれ、今の自分にとっては好都合だ。
緩んでしまった鍵を外し、思い錆び付いた扉を開けて中に入る。
当然人の気配はない。
そのまま中に入り、ボロボロになった鉄階段を一段一段上がる。
周りの不気味な雰囲気とは打って変わり、気分は一段一段上がる事に段々と高揚感を増していく。
心無しか、少しずつ駆け足になっている気さえした。
最上階の扉までたどり着くのにそうそう時間もかからなかった。
思わず緊張で手が震える。
それは恐怖とか、恐れとか、そんな物ではなくて、今から待ち受けている己にとっての最高の幸福への緊張だった。
当然鍵のかかっていない、いやここまで来たら鍵がかかっていたとしてもボロボロで簡単にあけられてしまいそうだが、とにかく簡単に開くその扉を勢いのまま開ける。
扉の先にはフェンスで囲まれた屋上があった。
此処がビルとして使われていた時にはここでタバコを吸ったり、談笑したり、もしかしたらご飯を食べたりするものもいたのだろう。
まぁ、今となってはただのボロボロの屋上だが。
1歩足を踏み出す。
このビルは20階立てのため、かなりの高さがある。
それもあってか、扉から出た途端、夏の日差しが肌を焼く。
でもそれすらも気にならず、1歩、また1歩と足を進めた。歩みを進める先には、ちょうど簡単に超えられそうな壊れかけのフェンスがあり、足をかけ、少しすれば簡単にフェンスの向こうへと渡れそうだった。
ゴクリと、息を飲む。
靴を脱ぎ、その上に持ってきていた封筒を置く。
パスワードなどのロックを全て解除し中身に残るデータを全て消した携帯を隣に置き、1呼吸おいてい一気にそのフェンスを昇る。
わずか、数秒。
フェンスの反対側へと足を下ろした時にはもう、緊張は消えうせていた。
下を見れば何も知らずに笑う子供、談笑するカップル、仕事の電話に追われるサラリーマン。
きっと彼等は数分後、いや、数秒後に己の目の前に死体ができ上がることなど気づいてもいないのだろう。
思えば、あっという間の人生だったのかもしれない。
ろくなものでもない、良く人生は映画だなんて言うが、もし俺の人生が『向坂生の一生』なんてタイトルでレンタルビデオ屋に並んでいたとしてもまず手に取ることは無いだろう。
そんな人生だ。
面白みもなければ、意味もない。
誰かを幸せにする訳でもないし、かと言って不幸にすることだってない。
平穏で平凡で。
平々凡々、そんな人生だ。
今ここで終わったって、世界になんの影響も与えないような、そんな一生。
「来世は、石油王になれますように、ってか」
そんなふうに呟いた言葉を最後に足を踏み出す。
嗚呼、さようなら俺の人生。
俺の人生は確かにそこで、途絶えるはずだった。
「お兄さん、死ぬの?」
不意にかけられた言葉に踏み出そうとした足が止まるまでは。
「明日、死にます」 くらげまる @kuragemaru
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