第3話

「そんな……嘘だろ……」

「こんな嘘つくわけないじゃん」


 由衣は泣いていた。当たり前だ。自分の死を予感してしまったのだから。


 由衣と一緒にいられる時間が残り僅かだなんて信じられない、信じたくない。けれど、由衣の言葉にはそれを信じざるを得ないだけの説得力があった。


 どうすればいい? 学校を休んで由衣と一緒にいられる時間をもっと増やす? そんなことをして由衣は喜ぶのか?


 いや、違う。俺がするべきことは――


「やり残したこと、今からやろう。俺が手伝うから」


 それしかないだろう。


 俺にしかできないのだから。由衣が見えるのは俺だけしかいないのだから。



「んー! 友達とカラオケってこんなに楽しかったんだね!」


 由衣に時間が残されていないことを聞いた翌日、午前中からカラオケに行った。マイクが由衣の声を拾わないから、俺は音楽だけを流して虚空を見つめる変人と化していただろう。けれど、誰にも見られていないのだから何の問題もない。


「よっし、じゃあ海行くか」

「ごめんね。せっかくの休日なのに」

「由衣のためなら休日くらい安いもんだ」


 由衣がいつまで持つかわからない。だから、できるだけ早くやり残したことを叶えてやらないと。



「どう? 今年着るはずだった水着。かわいい?」

「ああ、かわいいよ」


 もう十一月も残り数日。海には俺たち以外に人なんていなかった。由衣は海に入って泳いでいる。さすがに俺はそんなことできないので、靴を脱いで足だけ入れる。


「去年はさ、私が女子グループで海に行っちゃったせいで昂輝と一緒に行けなかったじゃん? だから今年は昂輝と行こうと思ってたんだけど、こんなんなっちゃって」


 一昨年までは毎年俺と由衣は一緒に海に行っていた。けれど、高校に入学した去年だけはあまり一緒にいられず、海にも行けなかった。お互いに新たできた交友関係を壊したくなかったから。


「あー、海に来たら去年昂輝とできなかったこと、全部やりたくなってきちゃった」

「夏祭りとかどうすんだ」

「冗談だよ冗談。やりたいのは本当だけど、やり残したってほどじゃないし」


 一人ではしゃいでいる由衣をボーッと眺める。少しして由衣は海から戻ってきた。


「帰ろっか」

「もういいのか?」

「うん。最期に思い出の海を見たかっただけだから」



 翌日の放課後、駅前のカフェに来た。由衣が、事故に遭う前から行きたいと言っていたカフェだ。


「なにか頼むか?」

「こんな体だと飲めないからいいかな。代わりに昂輝が私の分も飲んで」

「それでいいのか……」

「いいんだよ。昂輝と来たかっただけだから」


 おすすめと書かれているものを頼んだ。カフェなんて普段いかないから商品名を見ても何が何だかわからない。


「早紀さんと大輔さんの件だけど、俺が由衣の言葉を伝えるよ」

「ありがと」

「今日、夕食にご一緒させてもらえることになってるから。そのあとで」



「早紀さん、大輔さん。伝えたいことがあります」

「「伝えたいこと?」」

「はい。と言っても俺からじゃないです」


 由衣の家で夕食をいただいたあと、食器を片付けようと席を立った早紀さんと大輔さんを呼び止める。俺の隣にいる由衣は緊張しているのか、自宅のくせに家に入ってから一言も話していない。由衣にチラッと目を向けると、そわそわして落ち着きがない様子がわかる。


「由衣からです」


 また頭がおかしくなったと思われるのは嫌なので、間髪入れずに言葉を繋げる。


「早紀さんには以前、俺には由衣が見えるって言いましたよね?」

「え、ええ」

「あれは嘘なんかじゃありません」

「何を言って……」

「今から由衣の言葉を俺がそっくりそのまま伝えます」


 由衣が俺の前に出てくる。当然二人には見えていない。


「お母さん、お父さん」


「今の私は、昂輝にしか見えないの。だから、代わりに昂輝に私の言葉を伝えてもらうね」


「信じられないのも当然か。私しか知らないことを言えば信じてもらえるかな」


「お母さん、お父さんと喧嘩したときいっつも私にとこに相談に来てたよね。去年の喧嘩は、出張から帰ってきたらハグしてくれなかったことが原因だったっけ? お父さんは出張が多いんだから、これからもそういうことあるだろうけど、私のアドバイス忘れないように」


「お父さん、お母さんがテレビに出てるイケメン俳優のことはかっこいいって言うのに、自分には全然言ってくれないって相談しにきてたね。馬鹿らしくて無視しちゃったけど、お母さんはちゃんとお父さんのこと愛してるから不安にならなくていいよ」


 二人は、俺を通して伝えられた言葉に驚きのあまり声が出ていない。


「由衣?」「由衣なのか?」


 何とか絞り出した声は小さく、震えていた。


「そうだよ」


 俺は由衣のいるほうを示す。二人はそちらに目を向け、見えないながらも懸命に話しかける。愛している娘と決して目を合わせることはできないけれど。


 しばらく二人が由衣に話しかけ、由衣が俺を通して返答するという状況が続いた。しかし、ついにその時がやってくる。


「私ね、もう時間がないんだ。多分死んじゃう」


 二人は目を伏せる。気づいてはいたのだろう。気づいていたからこそ、それを聞きたくなくて、ずっとその話題を避けていた。


「今日はね、さよならを言いに来たの」


 その場に崩れ落ちた早紀さんを大輔さんが支える。










「「今までありがとう。ずっと、ずっと、大好きだよ。さようなら」」










「「「え……」」」


 由衣と二人の目は完全に合っていた。


「え、嘘……なんで……」


 二人は、驚きのあまり硬直してしまった由衣を思いっきり抱きしめる。しかし、その手は由衣の体を通り抜けた。


 なぜ、由衣が見えるようになったのかは定かではない。けれど、こうして最期に会えたんだ。親子水入らず。こっそりとリビングを抜け出す。


『きっと、昂輝に会いたいっていう私の想いの強さが成した奇跡だよ!』


 それならば、最初から両親だって見えていたはずだ。ならば、そういうことなんだろう。


 由衣の言葉を借りるなら、「由衣に会いたいっていう俺の想いの強さが成した奇跡」


 由衣が俺にしか見えなかったのは、俺が誰よりも由衣と会いたいと願ったから。由衣と話したいと願ったから。


 俺は、自分で思っていた以上に由衣のことが好きだったのかもしれない。

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