死にゆく君が叶えたい5つのこと

好きな天気は快晴

第1話

「昂輝はテスト勉強もうはじめてるー?」

「当たり前だろ。もう一週間前だぞ」

「裏切だ―」


 幼馴染の由衣はとにかく勉強をしない。中学のときは俺と同じ高校に入りたいからってあんなに一生懸命勉強していたのに、高校に入学してからはずっとこんな調子だ。


 俺と由衣は家が隣同士で両家の母親が学生のころからの友人のため、生まれたときからずっと一緒にいる。小学校から中学を経て、高校生になった今でもこうして一緒に登校する仲だ。


 ぶつぶつと勉強の不満を垂れている由衣の横顔を見る。由衣は俺のことを兄、あるいは弟のように見ていると思う。俺に下着姿を見られても一切動じないし、平気で俺にベタベタ引っ付いてくる。ほかの男子にそんなことをしているのは見たことがない。そんな幼馴染に俺はこの想いをいまだに伝えることができずにいる。想いを伝えて、今のこの居心地のいい関係が壊れてしまうことが怖いから。


 俺と由衣の教室は、小学生のころからなぜかずっと同じだ。由衣はその持ち前の明るいキャラクターで、いわゆるカースト上位グループに属している。その一方で、俺はおとなしい友人たちとつるんでいる。この格差が、よりいっそう俺の想いを抑え込む。教室に入り、キャピキャピした女子の方に駆け寄っていく由衣の背中を見送るのが俺の朝のルーティーンと化している。


 何度も眠たくなりながらなんとか授業を終えた後、荷物を鞄に詰め込んでいる由衣のもとへ行く。


「由衣、今日委員会あるから先帰ってて」

「ん、わかったー」


 普段は由衣と帰るのだが、生憎今日は委員会だ。本音を言えば委員会が終わるまで待っていてほしいが、さすがに2時間も待たせるのはいくら由衣といえど申し訳ない。



「お疲れさまでした」


 委員会は普段よりも30分ほど早く終わった。明日でちょうどテストの一週間前なので、しばらく委員の仕事がないのは助かる。帰宅部だから委員を引き受けたが、思っていた以上に委員の仕事は多く、これなら引き受けなければよかったと思うことも多々ある。


 もう七月も半ばに差し掛かり、日が沈んでも相変わらず気温は高い。鼻腔を刺激する香りが漂う商店街を歩いて帰宅している時だった。俺のスマホが振動し、画面には『母』の文字が映し出される。母さんは緊急時にしか電話をよこさない。少し身構えて電話に出る。スマホから聞こえてきた言葉には俺の頭を真っ白にするのに十分な威力があった。


「由衣ちゃんが事故に遭ったの! 東病院301号室!」


 何を言っているのかすぐには理解できなかったが、俺の体はすでに走り出していた。



 運動を全くしないせいで、病室に着いたときには俺は汗でビショビショだった。けれど、今はそんなことどうでもいい。


「由衣!」


 病室の扉を周りの迷惑など顧みずに勢いよく開ける。由衣は真っ白なベッドの上で眠っていた。その周りを由衣の両親と俺の母親が囲んでいる。


「昂輝君……」


 由衣の母親の早紀さんは先ほどまで泣いていたのか、メイクが崩れてしまっている。


 「頭部外傷で意識を失ってはいるが、命に別状はないようだ」由衣の父親の大輔さんは言う。由衣は横断歩道を歩いていたときに、信号無視の自動車にはねられたらしい。近くにいた人がすぐに救急車を呼んでくれたおかげですぐに治療されたが、まだ目を覚ましていないようだ。


「数日以内には目を覚ますはずだとお医者様が言っていたわ。昂輝、来てもらったばかりで悪いけど、朝比奈さんの迷惑にならないように今日はもう帰りましょう」

「お気遣いすみません」


 母さんの言うように今日は帰った方がいいか。命に関わる怪我はしていないようだし、心配しすぎるのもよくないな。


「昂輝君、いつでもここに来ていいからね。由衣も喜ぶだろうし」

「ありがとうございます」

「あっ、寝ているからってエッチなことはしちゃだめよ?」

「しませんよ!」



 結論から言うと、由衣はまだ意識を取り戻していない。


 由衣が事故に遭ってから三カ月、俺は毎日由衣の病室を訪れている。勉強はまったくしていない。そんな気分になんてなれないし、これからもならない気がする。


 『遷延性意識障害』


 俗にいう、植物状態だ。瞼を開いたり、言葉にならない音を発したりするたびに意識が戻ったのではないかと期待してしまう。


 今日も学校が終わってから病室に来ている。話しかけると良いとネットで見かけてからは、毎日学校での出来事を話すことを心掛けている。


「今日も寝坊しちゃってさ。朝ご飯食べ損ねちゃったよ。学校は良くも悪くもいつも通りかな。今日は弁当じゃなくて、学食で由衣が去年好きだって言ってた期間限定の定食を食べたんだけどさ。あれ、言うほどうまいか? 俺以外に頼んでる人もいなかったし、期間限定なのも人気ないからじゃないのか?」


 話しかけたって、当然反応はない。正直、もう限界だ。


 学校に行くときに隣に由衣がいないのも、


 帰るときに隣に由衣がいないのも、


 カーテンを開けても明るい由衣の部屋が見れないのも、


 毎日毎日少しずつ痩せていく由衣を見るのも、


 由衣がいなくなっても何も変わらずに進んでいくこの世界にも、


 もう限界なんだ。


「起きてくれよぉ……由衣ぃ……」


 泣くのはもう何度目かわからない。由衣にこんなところ見せたくないのに、こんな声を聴かせたくないのに。


 俺は初めて病室で泣いた。












「昂輝が泣いてるとこ見るの、初めてかも」












「へ?」


 一番聞きたい人の声を聴いた。涙を拭ってベッドの上を見る。由衣がいる。けれど瞳は閉じられたまま。


「こっちだよ」


 その声は風に乗ってやってくる。


 窓枠に腰かけ、揺れる髪を抑えている。


 制服姿の由衣が、そこにいた。


「ひさしぶりだね。昂輝」

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