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「磯藤さん、久しぶりだね」
数カ月ぶり。そもそも過去に一度しか顔を会わせていない仲だから、久しぶりなんていう感情もわくことはなかった。というか、それ以上に愉快さが上回った。
それでも、なんというかこの感情を吐き出すには適した場所があまりなかった。いちゃあ悪いが、他人からまるで信用されていないボクにはこの想いを共有できなかった。だからこそ、ボクは今日、彼女にこの思いを打ち明けることにしたのだ。
「ボクはてっきり、キミは私怨で茜さんを陥れるつもりなのかと思ってた」
磯藤真衣。初めの印象はよくある腹黒いだけの人間だった。
学校内での評判が両極端に振れている茜さんの古くからの友人。絶世の美女とまで呼ばれていた茜さんの友人というには十分な程度に彼女もかなりの美形だった。
クラスメイト達は茜さんの友人をしていて誰かが茜さんに絡まれている時も、ある程度のクッションを置いてから介入するような、明らかに怪しい磯藤さんを『善人』と称して称賛されていた。
「恨みだけで、キミは茜さんを陥れようとしていたのかと思ってた」
犯人は、どう考えても磯藤さんしかいない。しかも辻褄はそれで合う。
だってそうだろう。現実世界で顔を合わして、友人として共に勉学に励んでいながら茜さんの人生を踏みにじったのだから。彼女には茜さんに何らかのうらみがある筈だ、ふつうは。ボクは心からそう思っていた。
最初は悪質だけれどありきたりでつまらない、痴話げんかの類だと思っていた。
ほら、磯藤さんって自分から主張するタイプでもないし、だけど腹黒で常識人で、なにより茜さんにそういうことをする動機が多すぎた。
「茜さんはずっと磯藤さんが仲間だって信じてたみたいだけど」
ずっと微笑んでいた磯藤さん。それに微笑み返していた茜さん
「キミが茜さんに口走るまで、ボク以外みんなキミを疑ってなかった」
すごく緻密な計画を練っていたのだろう。
あれほどクラスの中で人心を掌握して、小手先ばかりではあったけれど、磯藤さんのことを特定しにくいようにはなっていた。
これほどあくどいことをする人間だとは思わなかったから、驚いた。実際に、茜さんの人生を棒に振るう様な事をするほど、肝が据わった人間には思えなかった。
「だけど、キミは善人の皮を被った、真正だった」
今でも、あの日聞いたキミの声が脳裏の隅で駆けまわっていて、あの瞳とあの行動を、あの絶叫を思い出して体が震えてきてしまう。
一体どれほどの人間が、生きている中で彼女のようにアレな人間に出会うだろう。
「ボクにはまるでキミが理解できない」
愛しているから踏みにじった。
なるほど、それはいわゆる背徳の悦というやつだ。
「なんでそんな考えを抱くようになったのかがまるで分らない」
いろいろな表情を知りたくてたまらなかったから。
良く分からないが、きっとそれは独占欲なのかもしれない。
「キミは今までにほとんどいじめられたことだってないみたいだ」
ナイフを向けられた時に、歓喜が全身を迸った。
ボクは、それをなんという言葉で言い表せばいいのか、分からない。
「両親だって至極まともな人」
あの男に、茜を奪われたのが不快だった。
それは嫉妬だ。それは良く分かる。
「一体どこに狂う要因があるってのさ」
茜と引き裂かれた時、絶望した。
それはおそらく喪失感からくるものだろう。
「それに、キミはどれほど茜さんを愛してたんだ」
だから殺そうと思った。
衝動的な殺人、というのは実際にもこういう物が動機なのかもしれない。
「キミが言う愛って、一体何だって言うんだ」
長く長く綴られた手紙の中には、一行に最低でも茜という文字が一個は混じっていた。
不健全で、狂気的なむせかえる甘い匂いを否応なしに感じる、キモいソレ。
それがどうしようもなく、甘美に思えてしまう。
「あぁ、だからボクはキミに酷く惹かれてしまったんだ」
見た時から、どこか磯藤さんに惹かれていた。
普通で、退屈な事しかしていないと思っていたけれど、それでもボクは確かに彼女に魅了されていた。目を、離せなくなっていた。
今ならわかる。彼女はボクと、同類、なのだ。
「あぁ、本当に惜しくてたまらないよ」
これは愛なのかもしれない。
恋慕なのかもしれない。
彼女のことを脳裏に浮かべると、途方もなく心が苦しくなる。
自然と瞳は潤んできて自然と吐かれたと息は震えている。
キミに会いたいと、心からそう願ってしまう。
「でもキミは本当にボクの想像を超えたんだ」
キミのことをどうやってでも知り尽くしたい。その狂気の中身を、脳みそを解剖してだって解き明かしてみたい。常人にはまるで理解の及ばない、その考えを、その思考を、そうしてなぜそんな考えが生まれるようになったのかを。
ボクはどうしても知りたくなった。
「でも、ほんの少し失望した」
狂愛の深さが、ボクには良く分からない。愛は盲目だという物だけれど、これは盲目なんて物じゃない。現実の認識から解脱した、神聖だか邪悪だかの愛。彼女が『儀式』だなんて言ってたのが、心で理解できちゃうほど彼女の愛は深すぎる。
「最後の最後で、キミは普通に成り下がったのかもしれない」
けど、キミはきっと賢者モードに入ったのだろう。男ならば大抵体験したことのある、己の醜さに嫌気が差してしまう様なあの感覚。もしくはキミは喪失感を埋めることが出来ず、絶望の淵に落ちて行ってしまったのだろう。
なんて、ありきたりな事だろう。
なんて、異常な恋慕なのだろうか。
「どうしてくれるんだ。ボクはたぶん一生君のことを忘れられない」
誰もいない教室で、少年は腕に抱いた花束をその机に置く。
「キミみたいなのに、もう会えなかったらどうしてくれるんだ」
本物の真正。理解の外にいる奇人。
動機が不明、そして行動する。けれどその動機ならばかろうじて分かる。
逆に動機は理解できる、行動するに至るまではまるで理解できない。
それが真正の、気狂い。
「ファム・ファタール。これはボクより磯藤さんにぴったりのあだ名だ」
それどころか、その狂気によって茜さんの人生はボロボロに壊された。いや、それ以上に茜さんの家族の生活だって、茜さんを失った自身の人生までも、すべてをすべて破滅へと導いてしまった。
それがまた、興味深くて面白い。
「妲己の生まれ変わりなのかもね」
開いた窓から靡く、ほんの少し寒い、薄く香る早朝の匂い。
「ふふ、さいっこうに、キミにぴったりの花だ」
小さく、可愛らしくて、清純を感じる白い花。
キミの机の上に置かれた花瓶の中に靡く茜。
「ほんっと、キミは面白い」
狂気の匂いが消えてしまった教室。
すこしまえ、彼女が校庭に作った茜色のハナを思い浮かべた。
愛すること、穢すこと 酸味 @nattou
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