第4話 幸せな鐘の音

「それでミランダが嘘つきだという事について、お前はどの様な判断を下したのだ? 約束では一つでも嘘が認められたのならば、ミランダはそれに従って婚約の破棄に応じると記憶しておるが」


 国王は目線の先をミランダに移すと、最終確認という意味を込めてミランダの返事を待つ。


「仰る通りでございます。わたくしはホーレス様のご判断を信じますわ」


「それは真実そなたが嘘をついていなくとも、ホーレスが嘘をついたと判断したのならば、その判断に従うという事で良いのだな?」


「はい」と頷くミランダを僅かに眉根を寄せて見た国王は、「何やら理不尽であるようだが……」と言いかける。

 しかしミランダの瞳に迷いの欠片も無い事を見て取ると、もうそれ以上は何も言わず、ホーレスに結論を申すようにと命じた。


「では申し上げます……ミランダの嘘としてリストに記された二十五個全て。私はそれを嘘ではなく事実であると判断致しました」


 今日初めて、いや二年前にこの王宮にて約束を交わし別れてから初めて、ホーレスはミランダを正しく見つめる。

 その目はとても優しくて──


「ミランダは嘘つきではない。それが私の判断です」


 国王はホーレスの結論に対し鷹揚おうように頷き、珍しく口角こうかくを上げた。


「よかろう、ではホーレスとミランダの婚約破棄の件は無かったものとする──」


 ところが。


おそれながら国王陛下、そのご結論に至るには不備がございます!」


 その決着に水を差したのは、他ならぬミランダ自身であった。


「わたくしが書き加えた二十六個目の嘘について、そのご判断をホーレス様はまだなされておりません」


 もちろんホーレスとてその事をうやむやにするつもりは無い。しかしそれをミランダから指摘されるとは思っていなかったのだろう。


「その事なのですが陛下、私が判断をあえてしなかった理由を申し上げたく存じます」


 その戸惑いが僅かに声に表れた。ホーレスはミランダの真意を図る様にその瞳を見たが、その黒曜石にも似た美しい瞳からは何の感情も読み取れない。


 それは二年前、ミランダが二十六個目をリストに書き入れた時と全く同じ瞳で、ホーレスは我知らずその日の事を思い出していた────



『王太子殿下は愚か者』


 それがミランダの書き加えた二十六個目の項目であった。


 この文字を読んだ時のホーレスは生まれて初めて人を憎く思った。それが婚約者のミランダであった事が、どうしようもなく悲しくもさせた。


 しかしそれ以上にホーレスの心を支配したのは、ミランダを必ず見返してやると言う反発心であったという。

 この憎い嘘つきめ! 今に見ていろと。


──だが、いまはミランダの気持ちがよく分かる。


 ああまで言われなければ、自分はどこかで挫けていた気がするとホーレスは思っていたのだ。


 だからこその二十六個目。


 初めはただの婚約破棄のための調査だった。それがいつしか別の意味を持ち始め、ホーレスにとってのかけがえのない学びの二年間へと変わっていた。


 実際ミランダにどういう思惑があったのかは知らぬ。

 だが、自分がやり通せたのは紛れもなく王太子殿下は愚か者という言葉があったからだ。


 それゆえミランダへの感謝の気持ちは隠せない。

 

 だからとはいえ彼があえて判断をしなかったのは、その気持ちとは関係がない。

 単純にそれが判断出来ない事柄であるからなのである。


 ホーレスが愚か者であるか、そうではないか。

 嘘であるか本当であるか、それを判断する事は本人であるホーレスには出来ないのだ。


 次期国王となる身の王太子なのである。仮に自らを愚か者だと判断すれば、それを謙虚と受け止める者がいる反面、愚か者のべる国だと笑う者もいるだろう。

 また、愚か者ではないと判断すれば、賢王の登場だと喜ぶ者がいる反面、不遜な考えの持ち主だと国政を危ぶむ者が生まれるに違いない。


 いまのホーレスは人の心とはそれほどまでに朧気おぼろげで頼りなく、そして我が儘なものだと知っている。


 それゆえ王となる者の評価は他者に委ねられねばならぬ事柄なのだ。


「なるほど……ホーレス様のお考えはごもっともでございますわね」


 そう首肯したミランダであったが、実はホーレスが判断をしない結論に至るであろう事は予想できていた。

 むしろこうなる事を願って二十六個目を記したと言ってもいい。


「しかしそれでも判断なさらねばなりますまい。そうでなければいずれ禍根となる事に、今のホーレス様ならば既にお気付きのはずです」


 ホーレスは図星を突かれてギクリとしてしまう。そうなのだ、人の口には戸が立てられない様に、いずれこの婚約破棄とミランダの嘘に関する今回の二人の話は世の中に噂として広がるだろう。


 その時には『王太子殿下は愚か者』という言葉が一人歩きをし、仕舞いには愚か者ゆえ婚約者の嘘を見破ることが出来なかったのだと揶揄やゆされる。次期国王としてのきずとなるのは明らかだった。

 いくら今のホーレスが聡明な王太子へと変貌していてもだ……


 ホーレスは苦しそうに言葉を詰らせ、国王はそんな息子をいぶかしむ。

 ところがミランダは穏やかに微笑むと、二年前に既に決めていた最後の総仕上げを口にした。


「ホーレス様、ご心配なさらないでくださいな。わたくしちゃんと決着をつける為の準備は出来ておりますから」


 そう言って左手の中指に嵌めた異形の指輪を見せる。


「この指輪はいにしえ魔法具|剔抉《ていけつの印》です。ご存じですか?」


「いや、知らない……」


「元来は悪事を証明する為の断罪に用いていたそうですが、濡れ衣を着せられた者が自身の潔白を証明するのにも使われたと言い伝わっています──そういう魔法が発動する指輪のようです」


「何やら危険なような道具だが」と国王は少しその表情を曇らせると、ホーレスもまた害は無いのか? と心配する。


 それに対してミランダは「わかりません」と破顔した。


「わたくしが存じているのは、この魔法具がその魔法の力によって正直者と嘘つきを見極めると言う事と、見極められた者に相応しい印が刻まれると言う事の二つだけですわ」


「ふうむ……王太子が愚か者かそうでは無いかが、結果的にミランダの語った事の真偽で証明されると言う訳か」


「仰る通りです国王陛下、王太子殿下による判断が叶わぬ以上、魔法の力での決着なら誰もが納得できましょう」

 

「待て!」


 そこまで話が進んだ時、ホーレスは遮って反対の意を表した。


「俺の判断の介在しない決着ならば、もはや何の意味がある。婚約破棄はせん! この決着だけで十分だろ」


「あら?」と悪戯っぽい目でホーレスを見つめたミランダは、「真実が明らかになる事に怖じ気づきまして?」と軽やかに笑う。


「違う! 俺が愚か者だろうが、そうでなかろうが、そんな事はどうでもいいのだ! こんな得体の知れない魔法具を使って君の身に何かあったらどうする? 俺はそれが心配なんだ」


 ミランダはそっと目を細めると、優しくホーレスの手を取った。


「まあ、嬉しいことを仰って下さいますのね──本当を申しますとね、わたくしも自分が嘘つきかそうでないかはどうでもいいのです。だけれど……」


 握ったその手に力を込めて、ミランダはホーレスのその手に口づけて──


「素直でお優しい貴方が、愚か者の様に扱われる事だけは我慢できません。ずっと……ずっとそれだけは許すことができませんでしたの」


「ミランダ、君は……」


「お慕い申し上げましてよホーレス様。でもわたくしは嘘つき令嬢、貴方の伴侶には相応しくございませんわ」


 ミランダはそっとホーレスの肩を押して距離を取ると、魔法の指輪を掲げて穏やかな笑顔をホーレスに向ける。


「わたくしが『嘘つき』である事が、すなわちホーレス様が『愚か者ではない』事の証となりましょう」


「まさか──止すんだっ、ミランダ!」


 ホーレスのその叫びは指輪から放たれた光にかき消される。

 キラキラとしたその輝きは砕け散った指輪と混じり、やがてミランダの左手に収束していった。


 これはこの国の、むかしむかしにあった本当の物語────




 どこかの聖堂から祝福を伝える鐘の音が鳴り響く。

 

 聖堂の中では純白のドレスを着た花嫁が、幸せそうな顔をしてまさに指輪の交換をしようとしていた。


 花嫁が長手袋を取ると、その左手の甲には文字が書かれている。


『嘘つき』と読めるその文字は、本来は古代語で刻まれた印であったらしい。

 昔、その印を刻んだ王妃様が、かつては愚か者扱いされていた国王を助け、大いに国が栄えた歴史があったという。


 人々はそんな王妃を慕いあやかろうと、いつしかこの国では花嫁の左手の甲に『嘘つき』と墨で書くことが慣習となったと伝えられている。


 その王妃の名を知る者は今ではもう少ないが、花嫁たちは敬愛の気持ちを込めて左手の文字を見つめるそうだ。

 自分もどうか伴侶を支えられる深い愛情と勇気を持てますようにと。


 やがて花嫁と花婿は幸せな鐘の音に包まれて、そっと誓いの口づけをした。


 まるでいつかの二人の様に────



〈了〉

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嘘つき令嬢の婚約者は愚か者の王太子 灰色テッポ @kasajiro

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