第3話 嘘と真

 元来、王侯貴族での婚約は当人どうしだけで結んだり破棄したり出来るものではない。

 それゆえミランダとホーレスは今、王宮の庭で二人が取決めた事を実行するべく国王の御前ごぜんにいた。


 ホーレスが自身で真偽を判断するべきミランダの嘘の数々をリストにしたため、婚約破棄に関する約束を国王に承諾して頂くという手筈で謁見しているのである。


 そのリストには些末な嘘を除いた二十五個の嘘が列挙されていた。国王は難しい顔でそれに目を通すと、深く息を吐き出し目だけを動かしてホーレスを見る。


「かなり数が多いが……まことにこの全てを、お前の目だけを信じて確めると?」


「そうです、それが婚約破棄の条件ですので」


 ふむ、と一つ唸った国王は次にミランダへと目線をずらす。


「ミランダよ、それに相違はないのだな?」


「はい……おそれ多くも陛下がお決め下さった婚約ですのに、このような勝手を致しまして申し訳ありません」


 国王はミランダの恐縮した姿にやや目元を緩め、「よい、若い時には色々あるものだ」と僅かに笑う。


「だがこれだけの数ともなれば時間がかかるぞ? その間、婚約保留となれば徒にミランダの若き時を費やしかねんな」


「父上、いや陛下、ご懸念はごもっともですが大丈夫です」


 余裕のある顔をしてホーレスが振り向いた先には、はるか後ろに控えるいつもの学友たちがいた。


「彼らは優秀な者たちですので、嘘を調べあげる助けになりましょう。むろんそれらが本当に嘘かどうかの判断は、約束通り私自身が一人でします」


 ミランダは嫌な予感がした。


 ホーレスの見せる余裕のある態度からは、まるで緊張感が感じられないのだ。

 一人で二十五個もの真実を見極めるという大変さを、ホーレスはまだ解っていないのかもしれない……


 ミランダの目の端に映る取り巻き連中もまた、薄ら笑いを浮かべながら床を見ている。


(──あっ! これはいけない!)


 咄嗟にそう思ったら、考えるより先に国王に献言けんげんしていた。


「国王陛下、どうやらホーレス様はわたくしが申し上げた約束の意味を、正しく理解してはいらっしゃらない様ですわ」


「ほう、どこがだな?」


「はい、ホーレス様は始めから他人の助けを当てにしておいでのようです。でもその心構えでは、到底お一人で事実を見極めることなど出来ますまい」


 ホーレスは何だかミランダに馬鹿にされた気がして不快である。理解していないと指摘された事も腹立たしい。


「ミランダ、何の言いがかりだ」


「言いがかり? わたくしはてっきりホーレス様お一人だけの力で、嘘の真偽を判断するものだと思っていたものですから……ちょっとガッカリ? いえ、それほどご自分に自信がないのなら仕方ありませんわね」


「おのれ……それほど信用ならぬのなら、あの者たちの助けは借りん! 何がなんでも一人でやり遂げてみせよう。それならミランダも納得できるだろう」


 遠くに控えていた学友たちは驚いて思わず顔を上げた。次第に青褪めていく表情を見れば、それだけでも彼らがホーレス王太子を操る魂胆であったことが伺える。


「そのかわり調査に時間がかかるのは覚悟しておけ、婚約破棄後すでに行き遅れの年齢になっていても知らんからな!」


「あら、まるでわたくしが嘘つきで、婚約破棄が決定しているかの様な事を仰いますのね? まあいいですわ、頑張って下さいまし」


 ミランダはわざとホーレスを挑発した結果に安心し、これでいいと内心でホッとしたのだけれど……

 それでもまだ足りないかもしれないと思ったら、自分でも恐くなるような事を考えついてしまう。


 確かにその考えを実行すればホーレスは是が非でも一人でやり遂げようとするだろう。


 しかし。


(──ほんとうに嫌われてしまうかも)


 それでも……それでもやらなくてはと、ミランダは唇を噛み締め、その考えを実行する事に決めた。


「それにそこまで仰るのであれば、本当にお一人でなさいますでしょうし、わたくしにも異存はございませんわ。ところで──」


「まだ何かあるのか?」と、眉根を寄せたホーレスに、ミランダは先の自分に関する嘘のリストには一つ大事なことが抜けていると答える。

 そのリストを手にしたミランダは、侍従にペンを貸してくれるようお願いし、サラサラとその抜けた一文を書き加えた。


 そう、リストの二十六個目を。


(ごめんなさい……)


 ミランダが心の中で呟いたその謝罪が、ペンを持つその指先を微かに震えさせる。


 しかしそれに気付いた者は、誰もいなかった────




  ♢ * ♢ * ♢ * ♢




(あれからもう二年になるか……)


 ホーレス王太子はミランダとの約束を果たすべく、本当に一人で地道にミランダの嘘に関する事実を追ってきた。


 元々が素直で実直な性格なのである。調べていった一つ一つの事柄に対しても、その性格は正しく反映されている。


 今までの人生ではその自分の性格を客観的に意識した事など一度もなかった。また意識する必要もなかったのだ。

 しかし事実か否かを判断するには、その根拠が必要になる。つまり判断する自分を知らねば、根拠もまた曖昧で頼りない。それゆえホーレスは初めて自分という人間を知ろうとした。


 ところでこの事実を求める作業は、犯罪の証拠集めの様なものとは根本的に違う。人々の証言をもとにして自分で判断していかねばならない。


 たまたま証拠のあるような──例えばホーレスと懇意の子爵家が、ホーレスの名を勝手に利用し、商人から賄賂を要求した時の帳簿が見つかった等の──そういう事柄はかえって簡単に事実を突き止められたのだが……

 厄介な事にリストの殆どが証言だけで証拠のない事柄ばかりであったので、ホーレスはほとほと困る事になる。


 何故ならその証言が本当か嘘かわからないからだ。そして人々は往々にして自分に都合のいいような嘘を平気でつく事が出来るという結論に行着く。

 ミランダの嘘の事実を判断するには、他の人間たちの嘘も判断しなければならないと気付いたホーレスは、世の中は嘘つきだらけなのかと悲しくなって酷く落ち込んでしまったらしい。


 それでも素直な性格が幸いし、不貞腐れることなく作業を続けた。

 だけど以前のような他人を疑うことを知らない自分ではなくなってもいて、心に疑いがもたげる度に、それは自分の心が卑しくなったせいかもしれぬと罪悪感に捕らわれもした。

 

 ある時、他人を疑うという事は、真剣にその人間と向き合うという事なのではないかとホーレスは思い至る。


 正直者も嘘つきも、向き合ってみれば言葉はその者の心から生まれていた。

 そしてどちらも特別な人間ではなくて、単に心があるだけだった。


 全ての人には心があると言う事を知ってからは、事実が前よりずっと見えやすくなった。

 それからはリストの事柄は次々と確認されていったようだ。


 不思議であったのはその判断は公表されてはいないのに、ミランダを嘘つきだと噂する声が小さくなり、またホーレスにすり寄ってくる者の数が目に見えて減っていった事である。

 王太子の学友たちも、いつの間にか遠ざかっていったと聞く。


 ホーレスはこの二年間の苦労で、確かに別人の様になってしまったのだろう。


 こうしてリストで調べる項目は、残すところあと一つとのみとなる。


 その一つと言うのは、ミランダが書き加えた二十六個目の嘘であった────



「それでホーレスよ、お前はその一つを除いてミランダの嘘についての全ての判断を終えたわけだな?」


 国王の御前にて跪いていたホーレスは静かな目をして面を上げた。


「はい、長く掛かりましたが、これでようやくミランダとの約束に決着がつけられそうです」


 ミランダはホーレスの隣で同様に跪きながら満足そうに微笑んでいた。

 俯いたままちらりと見たホーレスの橫顔が、以前とは別人の様な聡明な顔つきに変わっている。


 そう、いまのホーレスはもう誰かの傀儡くぐつになる様な人間ではない。


 その事をミランダは嬉しいなと思うと同時に、報われたと感謝した。


 およそこの二年、ミランダはただ待つだけでホーレスのしてきた事に関与はしていない。

 ゆえにこれからどの様な決着が待っているのか知る由もないが、どんな決着だとしても──たとえそれが婚約破棄であったとしても、ミランダは満足であったろう。


──だけどその前に。


 ミランダは最後にやらねばならない事を忘れてはいない。

 左手の中指に光るいつもはそこにない異形の指輪を見つめ、この二年間の総仕上げへと向かって、その顔を引き締めるのであった。

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