第2話 愚か者の王太子

「ホーレス様、酷いです、あんな嘘つき女の言う事なんて信じないで下さい!」


 取り巻きの一人の伯爵令嬢が話すその甘ったるい言葉に、鼻を鳴らしたミランダは正直少し困っていた。


 この人もそうだけど、何を言っても嘘つきで片付けられてしまう。

 嘘つき呼ばわりされる事は気にならないが、話がこうも通じないのは面倒だ。


 身に覚えのない『嘘つき』というレッテルでも、独り歩きをし出すとこんなにも暴力的になるものかとミランダは僅かに寒気を覚えた。


 それにしてもこの伯爵令嬢、やたらにホーレスにベタベタとまとわりついて……


「ああ、ホーレス様、私は悲しゅうございます、涙が止まりませぬ」


 さっきまで目を吊り上げて怒っていたと思ったら、今度は急にわざとらしく泣き出す始末。

 しかもホーレスにしなだれかかるものだから、いよいよミランダはうんざりしてしまう。


 いや、うんざりするだけではない、何だかとても心がチクチクする。


(──何か、いやだわ)


 その不快感に釣られるようにして、思わず毒づいてしまったのはミランダにしては珍しい。


「そうやって殿方に触れて歓心を得る事に、貴女はずいぶんと慣れているご様子ですわね」


「なんですって!?」

 

「あなたも伯爵家のご令嬢なのですから、殿方との火遊びはほどほどになさいませ。家名に泥を塗る事になりますわよ」


「あんまりだわ! 私がいつ殿方と火遊びなんかしたのよ! この嘘つきッ!」


(あら、わたくし実際に何度も、違う殿方と抱き合っているお姿を拝見していましてよ?)と言いたいところであったのだが、ミランダも少し感情的になりつつある自分を自覚して止めにした。


 それにどうせ何を言っても嘘つき扱いされて終わりなのだし、毒づいたこと自体がそもそも間違いだったと反省したのだけれど──


「ミランダ、言い過ぎだぞ!」


 そう本気で怒ったような声音こわねで言ったホーレスの言葉は、ちょっぴり堪えた。


 ホーレスだけではない、取り巻き連中の全員がここぞとばかりに罵声を浴びせかけてくる。

 正直ホーレス以外の者に何を言われても堪えはしないのだが。


「なぜなんだミランダ……なぜ君は嘘をつくのをやめられないのだ」


 その怒った声音にも増して、ホーレスがミランダを嘘つきだと決め付けてくるその眼差しだけは酷く胸を締め付ける。


(なんて冷めた目をして仰るのかしら……) 


 いつからだったろうか、時折ホーレスがこういう目をしてミランダを見るようになったのは────



 いつだって優しい瞳でミランダを見つめていたホーレス。


 今では考えられないかもしれないが、幼い時のミランダは引っ込み思案で、子供たちに特有の無邪気な悪意が怖かった。


 あるとき王宮で貴族の子供たちだけでの可愛らしい舞踏会があって、ミランダはダンスが上手に踊れずに、酷くからかわれて泣いてしまった事を思い出す。


 そんな時ホーレスが突然に現れて……


『君のダンスは愉快で素敵だね! 一緒に踊ったら楽しそうだ、一曲お願いできるかな?』


(そう仰ってわたくしの手を取って下さいましたわね)


 すると他の子供たちもみんなミランダの下手なダンスの真似をしだし、ホーレスを中心に大勢で笑いながら踊った楽しい思い出が甦る。


(あの日からわたくしは、ずっとホーレス様の事を尊敬申し上げています)


 だけど、時の流れは残酷で────



 先日の婚約破棄の申し出もそうだけど、嘘つきと揶揄やゆされるようになって以来、いつかはこうなると覚悟はしていたのに。


 やっぱり辛いな、とミランダは思った。


 それにしてもあの伯爵令嬢はやり過ぎだ。自分は曲がりなりにもまだホーレスの婚約者なのだ。

 それを故意に無視し、見せつける様にしてホーレスに抱きつき泣き続けるその姿が、こんなにもミランダを苛立たせるのはどうしたことか。


 自分では焼き餅やきではないと思っていたのだが、案外そうでもないのかもしれないと思ったミランダは自嘲気味に苦笑いを浮かべた。


 それでもミランダはいつもの自分らしくホーレスに軽口で答えようと試みる。彼ら取り巻き連中のペースに巻き込まれてはいけないと。


 それなのに──


 ホーレスの手が伯爵令嬢の髪を優しく撫でたのを見た途端に、気持ちの抑えがきかなくなった。


「ホーレス様がお優しいのは存じておりますけれど、優しさを向ける女性の選別はもっと慎重になさるべきですわ」


「あら、焼き餅かしら?」


 目を輝かせニヤリとして言い返す伯爵令嬢から視線を外し、自分は何を墓穴を掘るような事を言っているのかと鼻白む。

 しかしミランダは取り巻き連中を睨め付けながら、負けじと言葉を続けた。


「いい加減お気付きになられるべきです。この者たちは王太子殿下の耳目を塞ぎ、考える事を知らぬ傀儡くぐつにしようとしているのですのよ?」


 実際その通りであった。王族と貴族の間ではままある出来事にすぎず、その方が政治的安定が保てるのならば国家にとっては好ましくさえある。


 つまり貴族社会においては、ホーレスの人を疑わない素直さを愚か者だと評価したのだろう。なら初めから傀儡にしてしておいて、無駄な政治的混乱を避けるのが賢明だと。


 とは言えミランダの言葉は穏やかではない。流石にホーレスも聞き流す事は出来なかったらしい。


「この俺が傀儡だと申すか、傀儡、だと……」


 唇を震わせながら言うホーレスを見たミランダは、心の中で激しく後悔をする。いつかは言わねばならない事だと思っていたから、話した内容自体に後悔はない。

 だが今ではなかった。あの取り巻き連中がいては、ホーレスの心を傷つけただけに終わってしまう。

 それは、可哀想だ──


「あの、ホーレス様、わたくし……」


「貴様! 王太子殿下に対し何という不敬な事を!」


「ひどい! 王太子殿下が傀儡だなんてあんまりだわ!」


 ほら、やっぱり。このあと怒涛のように続くであろう彼らの罵倒を想像し、ミランダは感情的になった自分の失敗を認めて目を閉じる。

 もうホーレスに何を言ったところで、自分の言葉は全部彼らが裏返しにしてしまうだろうと。


「おい、聞いているのか、黙ってないで何とか言え!」


「あきれた嘘つき女だわ、これでもまだ自分が王太子殿下の婚約者に相応しくないと分からないのかしら!?」


(もう無理かも……)


 もはやホーレスに優しくさとして差し上げることが不可能だと確信したミランダは、ある一つの決意に至った。

 少し乱暴だけど、こうなってはもう仕方がない。

 

「お黙りなさい、貴方がた少し騒々しいですわよ。わたくしはホーレス様にお話しがございますの、しばらくその口を閉じていて下さりませんこと?」


 むろんミランダのこの一言は火に油を注ぐ結果になるのだが、意外にもホーレスがそれを許さなかった。

 頭に血を昇らせた取り巻き連中に比べ、ホーレスが不気味なほどに穏やかなのは何故だろうか。


「お前らもうよせ。それよりミランダ、話というのを聞こう」


 そう促したホーレスの目は、さっきと同じでやはり冷めていた。


「…………」


 もう心が本当に離れてしまったのかもしれない……婚約破棄への迷いがホーレスの中から完全に消えてしまったのだと気づいたミランダは、危うくこぼれそうになった涙を間際で堪えた。


「はい……ではホーレス様にお訊ねします」


 ミランダの決意というのは、出来れば実行せずにおきたかった決意でもあった。

 それはホーレスを愛しているからこその決意であったのだが、恐らくこの先の二人の未来は閉ざされてしまうだろうからだ。


(でももう遅かれ早かれ、そうなってしまいそう……)


 それなら自分の事は捨てておこうと、ミランダは覚悟を決めて言葉を続けた。


「ホーレス様がわたくしとの婚約を破棄をしたいと言うお考えは、もうお変わりなさる事はございませんのかしら?」


 無言で頷いてみせたホーレスに、いつもの明るさはない。やっぱりこうなりますのねと得心したミランダは、改めて決意に対する迷いを捨てて語りはじめる。


「その理由をお聞かせ願いますか?」


「嘘つきを我が人生の伴侶とするわけにはゆかぬ、それだけだ」


「なるほど……しかしわたくしは自分を嘘つきだとは思っておりません。それにも関わらずホーレス様はわたくしを嘘つきだとお決めになられる。これは何故ですの?」


「信頼する学友も含め、皆が君を嘘つきだと言っている。その理由で十分じゃないか」


「そうでしょうか? ホーレス様ご自身のお気持ちがそこには無いのなら、それだと不十分だと思います」


「どういう意味だ?」


 僅かに動揺したホーレスの背中を支えようと、「惑わされてはなりません!」という、野太い声が無遠慮に割り込んでくる。

 しかしホーレスは学友に一瞥いちべつをくれると、「よせと言ったはずだ」と静かに命じ、再びミランダを見て答えを促した。


「わたくしがついたと言う嘘を、ホーレス様はご自身で確認された訳ではないと言う事ですわ」


「つまり証拠をだせと?」


「いいえ、そうではありません──他の者がわたくしを嘘つきと判断した事を信じるのではなく、ホーレス様ご自身がわたくしを嘘つきと判断した事を信じて欲しいのです」


 ミランダは立ち上がりホーレスに近寄ると真正面に向き合い、その素直な瞳に微笑みかける。


「証拠なんていりませんのよ、わたくしはホーレス様ご自身が信じたものを信じますから」


「要するに俺自身で君が嘘つきだと判断出来さえすれば、君はその判断に従い嘘つきとして婚約破棄に応じると言うことか?」


 今度はミランダが無言で頷く番だった────

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