第13話 決着
三人の間に会話らしい会話はなかった。ルークは一応は納得の姿勢をみせたものの完全に信用したわけではなく、絶えず厳しい監視の目をランツに向け、一方のランツはルークの視線を意識してか所在なさげにしている。そして、二人のその様子に気づいていながらも、エリは脚を動かすことだけに専念していた。
彼女とて、ランツに対する負の感情の全てを捨て去れたわけではない。だから、彼を疑うルークを止めようとは思わないし、そうする必要もないと思っていた。
「――ごほっ!」
ふいに、エリは大きく咳き込んだ。
「……?」
脈絡のないことに彼女自身が最も驚いていた。久し振りの大地の上での活動で心肺に負担がかかっていたのかと思い――エリは再び咳き込んだ。そして、一度咳き込み始めるとそれは止まらなかった。
「ごほごほっ! ……なん、げほっ! これ……がはっ!?」
自分の意思とは無関係に起こる咳には彼女の呼吸を著しく乱した。なおも続く咳の衝動に、エリはその場にへたり込んだ。
「どうした!?」
普通ではないエリにルークが駆け寄り声をかける。しかし、彼女は咳き込むだけにルークに応えることができなかった。
「一体なに、がはっ……!?」
ルークは自分が咳き込んだことに驚いた。エリほど激しくはなかったが、ルークの体は何かを拒否するかのように小さな空咳を起こしたのだ。
「……まずいぞ!」
その二人の様子を見て船長が言った。
「大気の入れ替えはすでに始まってたのか……!」
「は? 大気の、何だよそれ!?」
苦しそうに咳き込むエリを介抱しながらルークが叫ぶ。
「どういうことだ、なんであんたは平気そうなんだよ!?」
「今はそれよりも急ぐんだ! 早く船に! エリを――」
「触るな!」
咳き込むエリに伸ばしたランツの手をルークが払いのけた。
「エリは俺が運ぶ。だから――げほっ!」
「そんなことを言ってる場合じゃない! 早くしないと手遅れになるぞ!?」
ランツは「今はそれどころではない!」と一喝した。そのただならぬ様子に、ルークはランツが嘘を言っているのではないと理解した。
「……けど、説明はしてもらう。今、何が起こってるのか……船長は分かってるんだろ」
「ああ。だが、それは移動しながらにしよう。――エリ、これを被るんだ」
ランツは背中に固定していたヘルメットをエリに渡して装着するように促した。エリは言われるがままにヘルメットを被ると、症状がわずかに改善した。
「ルーク。呼吸器は持っているか?」
「……一人分なら。残りは置いてきたバッグの中に」
「付けておくんだ。そうすれば良くなる」
言われるままにルークは呼吸器を装着した。すると、胸の中で感じた不快感が少しづつ取り除かれる気がした。
「――よし。船の方向はどっちだ?」
ルークとエリの呼吸が歩ける程度に回復したのを見ると、ランツは先を急ぐ。
「こっちだ……一体なにが?」
「毒だ」
脚を止めずにランツは疑問に答える。
「毒だって!? あの咳は毒のせいっていうのか?」
「ああ。こいつらが大気に毒をばらまいてる。この星に植物以外の生物が見られないのはそのせいだ」
「けど、そんなの俺達がチェックしたときには検出されなかった」
「常に毒をばらまいているわけじゃない。この星の植物は周期的に毒を体外に放出するんだ」
「いったいなんのために」
言いながらルークは、この星の水から毒性が検知されたのはそのせいかと思った。
「そんなの知るか。俺が聞きたい」
「――生きるため……」
「え?」
エリが二人の会話に割り込む。ランツから受け取ったヘルメットのおかげで、彼女は呼吸を取り戻していた。
「人と同じで、体の中に溜め込んだ悪いモノを、生きるために排出してるんじゃないかな。皆、私たちと同じで生きることに必死なんだよ、きっと」
「……ああ、そうだな」
彼女のその答えは生物の究極的な目的であり、それを改めて聞かされたことで現状に対する細々とした疑念は一掃されることとなった。すべては生きるためのことなのだと。
三人はその後も船に向かって動き続けた。
「もうすぐ……」
宇宙船までの距離と呼吸器が蓄えている酸素残量を見くらべ、ルークが「これならなんとか間に合いそうだ」と思った矢先、ランツが倒れた。それを横目に見ながら少し進み、倒れた格好のまま彼が一向に起き上がらないのを不信に思い立ち止まる。
「おい、何してるんだ」
――さっさと起き上がれ。ルークが促すも、ランツは地面に伏したまま動かなかった。
「……船長?」
「エリ、放っておこう。何をしてるかは知らないが、今構ってる暇はない」
「待って。なんだか様子がヘンだよ」
そう言ってエリは倒れたランツに駆け寄る。そして、
「ルーク!」
彼女は焦った声を上げてルークを呼び寄せた。ルークは近寄って彼女の視線の先を見ると、白く青ざめた顔をして顔を歪ませるランツの顔があった。
「これは……毒のせいなのか?」
「船長、船長!」
エリの呼びかけに、ランツは口をぱくぱくと開いて声にならない息を洩らすことしかできなかった。
「そうか。俺達と違って少し前からこの星にいたせいで毒素が体内に蓄積されていたのか……」
「ルーク、手伝って」
エリは倒れたランツの肩を支えて立ち上がらせようとしている。しかし、一人ではそれが出来ずにルークに助けを求めた。
「急ごう! 早くしないと酸素が」
「エリ……無理だ」
しかし、ルークはそれを断った。
「大丈夫、間に合うよ! 二人で運べばなんとか……」
「ダメだ。間に合わない」
「船長を見捨てるの!? せっかくこうして再開して、やり直せそうなんだよ? それなのに置いていくなんて出来ないよ!」
エリはランツの肩を下ろそうとしなかった。ルークは船までの距離と、酸素の残量と、苦しげに顔を歪ませるランツを見くらべる。彼とて、ランツのことを見捨てたいとは思っていなかったが、これまでの酸素の消費量から考えて、動けない状態のランツを支えていたのでは酸素が持つとは思えなかった。それに、大気中の毒素はますますその濃度を高めているように思えた。さきほどまではまだ毒素が薄かったらから咳き込むだけで済んでいた節があり、今もう一度毒素を体内に取り込んでしまえばどうなるか分からなかった。
そうしてもたついている間にも、刻々と酸素は減り続けていく。
なんにせよ、彼らに残された時間は多くなかった。
「ルーク!」
エリが叫ぶ。
「くっ……そ!」
そして、ルークはランツに駆け寄るとその肩を担いだ。
「……急ぐぞ!」
「うん」
両側からランツの体を支えて二人は歩き出す。けれどその移動速度は通常時の半分ほどで、二人の体への負担が増えることで酸素の消費量も大きくなった。
――やっぱりこのままじゃ船長だけじゃなく俺やエリまで……
無理矢理にでもエリを連れて船に向かわなかったことをルークは後悔しはじめたその時、耳元で声がした。
「い……け……おれはお、いて……」
ランツだった。青白い顔で「自分のことは置いていけ」と二人に訴えた。
「そんなこと……ここまで来たら三人で……!」とエリが反発した。
「もう、おれ……はだめ……だ……どく、がぜんし……に……」
「諦めない!」
エリは聞かなかった。意地でもランツを船に連れて帰ろうと、必死で体に力を込め、ゆっくりと進んでいく。しかし、彼女に許された酸素も底が見え始めている。
「……やっぱり無理だ。先に行こう」
「……!」
ルークが洩らした声に、エリがキッとにらみ返した。
「私は、絶対に船長を連れて帰る」
「エリ……」
彼女は衰弱した船長を前に意固地になっていた。こうなってしまってはもはや説得することは不可能だ、と思った時ランツの体が傾いだ。エリが先を急いでバランスが崩れたのだ。
「あっ」
慌てて体勢を整えようとして、それがかえって悪く働いた。ランツはルークにもたれかかるようにして、ずるずると地面に倒れた。
「…………なっ!?」
再び抱え起こそうとして二人は彼が右手に握っていたものを見て驚きの声を上げた。ランツの手の中には拳銃があった。ルークがホルスターを確認すると、そこにあったはずの拳銃はなかった。
そしてランツは仰向けの体勢のまま、銃口を自らのこめかみにあてがった。
「――まっ」
バァーンッ。
「って……」
乾いた破裂音がして、それきりランツの体は動かなくなった。
時が、止まったような感覚だった。
「…………行こう」
「……」
ルークがエリの手を引くと、彼女はされるがままに歩きだす。けれど、彼女の目はランツの遺体に向けられていた。
それから二人は酸素が尽きる一歩手前で船に戻る事が出来た。改めて大気を調べると、酸素の比率は遙かに超える毒性の気体が検出された。あのまま船外に留まっていれば間違いなく死に至っていた。
その後、再び大気の入れ替えが起こり毒素が消えるのを待ってから、二人はランツの遺体を回収した。そして、すぐにその惑星を脱出した。定住が不可能な以上、留まる理由はなかった。
「…………」
エリは回収した遺体を前にして押し黙っていたが、やがて気持ちの整理が付いたのか俯いていた顔を上げると、
「……送ってあげようか」
「そうだな……」
二人は、ランツの遺体をこれまでの仲間と同じように宇宙に送り出した。船から放たれた遺体は、この世を去った魂を追いかけるように宇宙の暗闇の中へとその姿を消した。闇に紛れて完全に見えなくなってからも、二人はしばらく消えていった一点を見つめていた。
「……なに?」
ルークが横目にエリをみると、彼女はそれに気づいて顔を向けた。
「いや……」
ルークは少し躊躇ったが、素直に思ったことを口に出す。
「今度こそ、本当に俺とエリだけになったんだなって……」
「……そうだね」
エリは再び視線を正面に戻すと、
「私たち、これからどうなるんだと思う?」
「……どうなるんだろうな」
「うん……」
他の仲間も、目的地もない。しかし、二人の声に悲痛の色はなかった。少なくとも今はまだ未来を見据えていた。
「けど、どうにかやっていくしかない。二人で、力を合わせて」
「そうだね……そうだよね」
二人を乗せた船はゆっくりと暗闇の海を航海し続けた。
オンリークルーズ 雨野 優拓 @black_09
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