終章 

最終話 歌姫と吟遊詩人

 穴を抜けた先は、先ほどと変わりのない青い空と白い雲の群れだった。


 アデュラが下降すると、地上の様子が見えてくる。

 眼下は丘陵地帯となっており、萌黄色の絨毯がどこまでも広がっているかのようだった。

 その中に、赤茶色の屋根で覆われた建物がぽつりと建っている。

 建物に注目していると、人がひとり出てきた。地上に近づくにつれ、その人物が手を振っているのが見て取れた。


「とりあえず、あの辺りに下りてみる」

「ええ、お願いします」


 アデュラが建物の傍に降り立つと、手を振っていた人物がこちらに近寄ってきた。


「久しぶりね、アデュラ、ベリル」

「ルネット!」


 ベリルはアデュラから素早く降りると、ルネット神の元へ駆け寄った。


 柘榴色の髪に緑柱石のような瞳を持つルネット神は、ヘリオト神によく似ていた。

 違いと言えば、ヘリオト神が真っ直ぐな髪質であるのに対し、ルネット神は癖の強いうねった髪であること。そしてどこか陰のあるヘリオト神に対して、ルネット神は快活な雰囲気であることだった。

 

「僕たちが来ること、わかっていたの?」

「ええ。ヘリオトが、あなたたちをよろしく頼むって伝えてきたの」

「思念って、世界を隔てても飛ばせるんだ」

「まあ、明瞭には聞き取れないんだけどね」


 ルネット神とベリルの会話を畏まって聞いていたシャルロットは、ルネット神に視線を向けられて背筋を伸ばした。


「あなたがシャルロット?」

「は、はい。初めまして、ルネット神」


 ぎくしゃくと一礼したシャルロットに、ルネット神は相好を崩した。


「まあ、可愛らしいお嬢さんだこと! ベリル、こんなに素敵な娘さんを連れてくるなんて、あなたも隅に置けないわねえ」

「まあね! でもシャルロットのいいところは顔だけじゃないよ。気立てがいいし、優しいし、芯がしっかりしているし、努力家だし――」

「はいはい、わかったわかった。それよりもまず、その建物の中に入らない? ベリルはどうでもいいけど、シャルロットは疲れたでしょう」


 冷たくあしらわれたベリルは不満げな様子だったが、アデュラの言葉には賛同した。


「そうだね。シャルロットは色んなことがあったし、早く休みたいよね」

「それにあなたたち、酷い格好じゃない。着替えを用意してあげるから、早く服を変えた方がいいわ」


 ルネット神が先頭に立ち、シャルロットたちは建物の中に足を踏み入れた。アデュラは小さくなり、ベリルの肩によじ登った。


 建物は白い列柱にぐるりと取り囲まれており、その上に切妻屋根が載っている。どっしりとした太い柱のせいか、見上げるほどに高いせいか、荘厳な佇まいである。


 短い通路を歩くと、広間らしき円形の部屋に出た。全面に美しく細密な壁画があり、神々しい雰囲気だ。

 ルネット神がそこで指を鳴らすと、円卓と椅子が三脚出現した。円卓の上には、きちんと畳まれた衣服が二着載っている。


「はい、これに着替えてきてね。部屋はどこ使ってもいいから」


 まるで奇術のようだと目を丸くしていると、ルネット神から服を押しつけられた。

 身に着けていたものと大差ない服に着替えると、シャルロットとベリルは促されるまま円卓の席に着いた。

 卓の上で丸まっているアデュラは、疲れたのかぐっすり寝入っている。


「ヘリオトから詳しい事情は聞いていないの。よかったら、ここに来ることになった経緯を教えてくれない?」


 椅子に座って待っていたルネット神は、好奇心を覗かせながら尋ねてきた。

 いつの間にか用意されていた薬草茶で喉を潤しながら、シャルロットとベリルは交互に話した。

 ルネット神は怒ったり悲しんだりと目まぐるしく表情を変えながら、最後には「本当に大変だったわね……」と心から同情してくれた。


「しばらくは、ここでゆっくりしていきなさい」

「うん、そうさせてもらうよ。ところで、ここは一体どういう場所なの?」

「ここは私を祀る神殿よ」

「そうなの? その割りには、誰もいないみたいだけど……」

「人間たちが暮らす世界を表だとすると、ここは裏の世界なの。神の領域と言ってもいいわね。表と裏にあるものはほぼ一緒なんだけど、裏には神とその眷属しか入れないの」

「ふうん。それじゃあ表の世界では、ここは神殿として機能しているってことか」

「そういうこと」


 ベリルは物珍しそうに周囲を見回した。

 シャルロットはそこで、控えめに口を挟んだ。


「ですが、いつまでもご厚意に甘えるわけにはいきません。今後のことも考えなくてはいけませんね」

「そうだね……」

「ベリルは、なにかやりたいことがありますか?」

「ううん、そうだなあ。せっかく自由の身になったんだし、この世界を見て回りたいかな」

「わかりました。では、そのようにしましょう」


 そうしてふたりは一か月ほど神殿に滞在し、旅に出る準備をすることになった。

 特定の人間以外に認識されないベリルは、傍目にはシャルロットのひとり旅になるのではないかと気を揉んでいたが、それはルネット神に否定された。


「あなたたちの役割は、この世界に来た時点で無効になったわ。ベリルは人間の支配者でも、守護者でもなくなったの。だからもう、誰にでも姿が見えるはずよ」


 それを聞いて、ベリルはほっとしていた。

 人間に関するものを操る力も、使えなくなったようだ。身を守る手段がなくなってしまったが、ベリルはがっかりせず、むしろ清々とした様子だった。


 ちなみに、アデュラは海、ゴシェは大地、ラリマーは空を支配するよう定められていたらしい。

 アデュラも海の生物や海水を操る能力を失ってしまったが、元々の体に備わっていた、火を吐く力は残っているそうだ。

 アデュラはそれを使って「護衛するよ」と申し出てくれた。ベリルはなぜか微妙な面持ちになったが、シャルロットは喜んで受け入れた。

 巨大な姿にもなれるアデュラがいれば、安心して旅ができるだろう。

 

 シャルロットはといえば、不死身となったために、食事や睡眠を必要としなくなった。

 そうなると金銭のことは気にしなくて済むかと思いきや、そうでもなかった。


 どうもこの体、疲労は感じるようなので、朝から晩まで歩き通すことはできそうにない。当然、宿でゆっくり休みたくなることもあるだろう。

 衣類の替えも必要になるだろうし、やはりなにかと物入りである。


 そういった話になった時、ベリルが昔、吟遊詩人に竪琴を教えてもらったことがあると判明した。

 「じゃあ吟遊詩人になればいいじゃない」というルネット神の提案により、ベリルは竪琴の練習を始めることになった。


 ルネット神の託宣によって吟遊詩人が呼び出され(シャルロットは託宣をそんなことに使っていいのかと仰天した)、ベリルは毎日表の世界へ行って、吟遊詩人に曲の作り方や竪琴の弾き方、既存の曲などを教わった。


 シャルロットは楽器を扱うことこそできないが、歌を歌うことは好きだった。

 試しにベリルたちの前で歌ってみたところ、なかなかに好評だったため、シャルロットはベリルが弾く竪琴に合わせて歌うこととなった。

 

 養生するつもりが慌ただしくなってしまったが、シャルロットは充実した日々を送っていた。

 吟遊詩人の修練をするベリルも、毎日楽しそうだった。それを見るたびに、彼が自由の身となったことが実感できる。

 本当によかったと、シャルロットは顔を綻ばせた。


 そうして、あっという間に出立の日がやって来た。


「元気でね」


 神殿の前で別れを惜しみながら、ルネット神はシャルロットの手に革袋を載せた。

 ずっしりとした重みになにが入っているのかと疑問に思っていると、「餞別よ」とルネット神が言った。


「大した額じゃないけど、それで当面は過ごせるでしょう」

「ええっ。そんな……」


 こんなに頂けません、と言おうとしたところ、それを察したのか先回りされてしまった。


「貰っておきなさいよ! 別に信者からむしり取ったわけじゃないから、安心して」

「ルネットが自分で生み出したものだからなあ。遠慮はいらぬよ」


 そんな風に言ってくれたのは、ルネット神の肩に止まったラリマーと、ゴシェだった。


 この二体の<蝕>は、神殿に厄介になっている間、ちょくちょく遊びに来ていた。

 鷲に似たラリマーと河馬に似たゴシェは、こちらの世界で、ルネット神に仕える神獣として知られているらしい。

 元々はアデュラと同じく巨大な姿をしているが、今はシャルロットを怯えさせないためか、一般的な鷲や河馬と同程度の大きさになっていた。


「困った時は、神殿に立ち寄りなさい。呼び掛けてくれれば、いつでも助けてあげるからね」

「ありがとうございます、ラリマー」


 <蝕>の中では紅一点のラリマーに、シャルロットは微笑みかけた。


「ルネット神も……なにからなにまで、本当にありがとうございます」

「このくらいお安いご用よ。旅に疲れたら、また裏の世界に来なさい。神殿は私の家みたいなものだから、どの場所でもおもてなししてあげるわよ」

「はい。その時はよろしくお願いします」


 シャルロットは深々と一礼した。


「アデュラは……もうちょっとこう、しゃっきりしなさいよ?」

「眠ってばかりいては、そのうち惚けるらしいぞ」

「うるさい、余計なお世話。最近はそこまで寝てない」


 <蝕>のやり取りを微笑ましく聞いていたシャルロットは、ベリルに呼び掛けられて振り向いた。


「シャルロット、ちょっといい?」

「どうしました?」

「出発する前に、少し話したいことがあって」


 ベリルに連れられて、シャルロットは神殿の裏手までやって来た。

 シャルロットと向かい合うと、ベリルは改まった表情で口火を切った。


「何度も言ったけど、もう一度言わせて欲しい。……本当にありがとう、シャルロット。僕がこうしてここにいられるのは、間違いなく君のおかげだ。僕はこの世が存在している限りそのことを忘れないし、君に感謝し続けるよ」


 ベリルから真摯に見つめられて、シャルロットの鼓動はにわかに早くなった。


「囚われの身から解放された喜びも、知らない世界を見て回れる嬉しさも、誰かを愛おしいと思う気持ちも、全部君が教えてくれた。君と出会えて、本当によかった」


 しかし、その言葉とは裏腹に、ベリルは表情を暗くした。


「結果的に君を不死身にしてしまったことは、申し訳なく思っているけど」

「ベリル……」


 俯くベリルの肩に、シャルロットはそっと手を置いた。


「人の身を捨てたのは、私の意志です。あなたが悪いわけではありません。それに、この選択を辛く思う日が来たとしても、私にはあなたがいます。あなたがいてくれる限り、私はどんな困難にも立ち向かっていけるのです」


 シャルロットは花が綻ぶように笑った。


「なので、ずっと一緒にいてくださいね。ベリル」

「もちろん。これからもよろしくね、僕のお嫁さん」


 ベリルは輝くような笑みを浮かべると、シャルロットの肩に手を乗せ、彼女に口づけた。

 不意打ちの行為に、シャルロットは真っ赤になってうろたえた。


「お、お、お嫁さん……?」

「ずっと一緒にいるんだから、お嫁さんじゃない? あっ、そういえば結婚式してない! どうしよう、今からやる?」


 慌てだしたベリルに、シャルロットは顔を赤らめたままくすくすと笑った。


「いいえ。しばらくは恋人気分を味わいたいので、このままでは駄目ですか?」

「ううん。……そうだね、僕たちにはたっぷり時間があるんだから、焦る必要はないか」


 遠くから、「もう出発するよ!」というアデュラの声が聞こえてくる。

 シャルロットはベリルと笑みを交わすと、固く手を繋いで、アデュラたちの許へと歩き始めた。

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聖女になりたかったシャルロット~監禁歴400年以上の人外に恋した結果~ 水町 汐里 @Ql96hk

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