第13話 帰還(2)

「……あら?」


 しかし、ルテアリディスはびくともしなかった。


(おかしい)


 何度引き抜こうとしても、聖剣は微動だにしない。その場から動くのを、断固として拒否しているかのようだった。

 不安げなベリルの表情とも相まって、シャルロットは徐々に焦りを覚え始めた。


(いったん落ち着きましょう)


 柄から手を放し、大きく息をつく。

 シャルロットは懸命に頭を働かせた。


(私はヘリオト神の力を借り受けています。つまり、ルテアリディスはヘリオト神にすら引き抜けないということ。やはりこの剣は、<白き顔の神>でないと抜き取れないのでしょう)


 シャルロットは目の前が真っ暗になる思いだった。

 これでは、なんのために人の身を捨てたかわからない。

 今までの行いを無駄にしたくなくて、シャルロットは更に考えを進めた。


(ヘリオト神は、創造の力に秀でいたと聞きます。ならば、なにか聖剣を引き抜くものを創造すればいいのでしょうか。……いえ)


 その時、シャルロットの頭に閃くものがあった。


(創造の反対は、破壊。創造の力を反転させれば、もしかすると……)


 再び柄を握り、シャルロットは瞑目した。


 ベリルの胸に刺さったルテアリディスが、跡形もなく消失するよう念じてみる。

 そうして幾らも経たないうちに、しっかりと握っていた柄の感触が、唐突になくなった。

 ぱちりと目を開いたシャルロットは、ベリルを貫いていた聖剣が、影も形もなくなっていることを確認した。


「上手くいった……」


 知らず知らずのうちに止めていた息を、シャルロットはゆるゆると吐き出した。

 強張っていた肩から力が抜けていく。

 ベリルは信じられないといった顔つきで、恐る恐る左胸をさすった。


「消えた……」

 

 少しでも目を離すと聖剣が戻ってくると恐れているのか、ベリルは胸元を見つめ続けた。


「ベリル、あなたはこれで自由です」


 魂が抜けたような顔で、ベリルはようやくシャルロットへと視線を移した。


「あなたに、ヘリオト神から伝言を預かってきました。……今まで気に掛けてくれてありがとう。でももう、私に囚われる必要はない。あなたは大切な人と一緒に生きていきなさい、とおっしゃっていました」


 ベリルは伝えられた言葉を噛み締めるように、ゆっくりとまばたいた。


「アデュラも、この世界に残ってくれてありがとう、と。あなたにも自由に生きて欲しいとのことです」

「おれはもう、十分自由に生きてきたけど」


 アデュラは小首を傾げた。


「……実は、私が授かった力で、ルネット神の世界へと行けるようなんです。今後あなたたちが辛い思いをしないよう、ヘリオト神はそちらへ移住することを勧めておられました」


 ベリルとアデュラは、揃って目を見張った。


「そんなことまでできるんだ」

「はい。ただ、この力は一時的なものです。移住するかどうかは、できるだけ早く決めてもらわないといけません」

「どうする、ベリル?」

「僕は……」


 アデュラからうかがうように見上げられ、ベリルは躊躇った様子を見せた。


「ルネットの世界へ行けるなら行きたいよ。でも、僕はこの修道院を滅茶苦茶にしてしまった。僕の力では直せないからといって、このまま何ごともなかったように立ち去ることはできない。それに……僕はもう、シャルロットと離れたくない」


 ベリルはこうべを垂れると、拳を握りしめた。

 彼の言葉に、シャルロットは目許を綻ばせた。


「それなら問題ありません。今の私なら、修道院を直すこともできます」


 ベリルの言う通り、辺りは竜巻が通ったかのように酷い有様だった。

 彼の話から察するに、力が暴走してしまったのだろう。


 シャルロットは立ち上がると、奥底に眠る力の指示に従い、掌を前に突き出した。慎重に足を動かしながら、ぐるりと回る。

 すると散乱した石が建物に吸い寄せられ、規則正しく積み上げられていった。石や瓦がぶつかり合う騒々しい音が、一斉に聞こえてくる。

 まるで少しずつ時を遡り、崩壊する前の状態に戻っていくかのようだった。


 運悪く建物の下敷きになっていた修道女は、驚いた顔で立ち上がっている。石に押し潰されていたはずが、怪我ひとつないようだ。


(これが、神の力)


 万能の力だが、使い方を誤れば恐ろしい結果を生み出すだろう。

 行使できるのが一時的でよかったと、シャルロットは内心安堵した。自分には過ぎた力だ。


「さあ、これで心残りはなくなりましたね」


 呆気にとられていたベリルは、目をしばたたいた。


「で、でもシャルロットは」

「私は当然、あなたと共にいます。あなたがルネット神の世界を選ぶなら、私も付いて行きます」

「君も一緒に行ってくれるの?」


 まるで想像していなかったと言わんばかりのベリルに、シャルロットは「駄目でしょうか」と聞いてみた。

 ベリルは勢いよくかぶりを振った。


「まさか! 駄目なわけないよ! ……ただ、君には帰る場所があるじゃないか」

「私は<剣の聖女>の役割を放棄したので、エランジェル修道院には戻れません。それに、どのみち修道女は辞めようと思っていたんです。育ててくれた修道女たちに恩返しできないのは心苦しいですが……それでも今の私に、あなた以上に大切なことなどないのです」


 シャルロットはベリルの両手を取って、柔らかく微笑みかけた。

 

「私はあなたと生きる道を選びます。あなたが許してくれるのならば」

「シャルロット……」


 ベリルは涙ぐみながら、シャルロットを抱き締めた。

 ベリルの左胸から剣がなくなったため、彼らの体はぴったりと密着している。そのことに気恥ずかしくなりつつも、シャルロットも彼の背に腕を回した。


「本当にありがとう、シャルロット。君にはどんなに感謝してもしきれない。僕はルテアリディスから解放されることを、とっくの昔に諦めていた。だから本当に……本当に嬉しいんだ」


 ベリルは腕に力を込めると、シャルロットの耳元で囁いた。


「僕も君のことが好きだ。大好きだ。僕はもう、君なしでは生きていけないから……やっぱりやめるって言っても、絶対に離してあげないからね」

「……はい」

 

 頬を薔薇色に染め上げて、シャルロットは笑みこぼれた。

 これほど満ち足りた気持ちになるのは、初めてのことだった。

 そうして彼らは固く抱き合っていたが、「あの」という第三者の声により、ふたりだけの世界は崩れ去った。


「お取り込み中のところ申し訳ないんだけど、私のこと忘れてない?」


 顔を横に向けると、目覚めた時にベリルと共にいた女性が、呆れ返った顔つきでこちらを見ていた。

 慌ててベリルから身を離したシャルロットは、彼に小声で尋ねた。


「あの方はどなたですか?」

「顔は違うけど、レリアだよ」

「ええっ!?」


 シャルロットは、まじまじと女性を見つめた。

 確かに灰色の瞳は同じだが、レリアはこのような凡庸とした面立ちではなかった。彼女は目鼻立ちがはっきりとしていたのだ。

 だが、ベリルが言うのなら間違いはないだろう。


「君の傷口を縛ってくれたのもレリアなんだ」

「そうでしたか……」


 シャルロットはレリアに近づくと、感謝の笑みを浮かべた。


「私が生け贄にされることを、ベリルに知らせてくれたと聞きました。その上、手当もしてくれたんですね。助けてくれて、本当にありがとうございます」

「別に……」


 レリアは気まずそうにシャルロットから視線を逸らした。


「直接助けたのは、私じゃないし。……そんなことより、さっきからベリルの姿が見えなくなったんだけど。そこにいるんだよね?」

「え?」


 シャルロットは振り返って、ベリルの存在を確かめた。

 彼が霊体でないことは、地面に足がしっかりと付いていることからわかる。

 それに健やかそうな外見の魂魄とは違い、肉体のベリルは血塗れで、顔色が悪い。


 今のベリルは明らかに肉体を伴っているのに、なぜレリアには見えないのだろう?

 首を捻るシャルロットに、ベリルが笑いながら近づいて来た。


「僕は元々、僕が栄華を授けてもいいと思った人間にしか姿が見えないんだ。ルテアリディスに刺されてからは、誰にでも姿が見えたようだけどね。聖剣が消え失せたから、レリアにも見えなくなったんだろう」


 なるほど、とシャルロットは頷いた。

 シャルロットの目にはベリルが見えているが、それは彼女が人間の枠からはみ出してしまったからなのだろう。

 ベリルの言葉を伝えると、レリアはふうん、と不可解そうな顔をした。

 

「……シャルロットは今から、ルネット神の世界とやらに行くのね」

「ええ」

「そう」


 レリアはしばし押し黙っていたが、やがて覚悟を決めたように口を開いた。


「今までのこと、ごめんなさい。あなたを騙していたことも、殺そうとしたことも……ベリルに危害を加えたことも。許されることじゃないってわかってるけど、謝っておきたかったの」

「レリア……」

「元気でね、シャルロット」


 寂しげに微笑むレリアに、シャルロットは少し考えると、聖顔ラディウスを首から外した。


「これ、よかったら持っていてください」


 レリアの手を取り、ミラーペンダントを掌に押しつける。

 彼女は当惑した様子でシャルロットを見やった。


「私はもう修道女を辞めるので、聖顔ラディウスは必要ありません。ですが、大切なものであったことに変わりはないので……処分するよりは、誰かに持っていてもらいたいのです。あっ、もちろん邪魔だったら売ってしまっても構いませんよ」


 押しつけがましかっただろうかと心配になったが、レリアはぎゅっと聖顔ラディウスを握りしめた。

 

「ううん。大事にする。あなたから――友だちから、もらったものだから」


 シャルロットは少し目を見開いたが、顔を綻ばせた。


「ありがとうございます、レリア。あなたもお元気で」

「うん」


 レリアはなにかが吹っ切れたように、晴れやかな笑みを見せた。


「シャルロット、騎士修道士が駆けつけて来た」


 ベリルの声に正門を振り返ってみると、弓や剣を携えた騎士修道士たちがなだれ込んでくるところだった。

 修道女たちが、統括聖庁に助けを求めに行ったのかもしれない。


「とりあえず、ここから離れよう」


 アデュラがそう言って、あっという間に元の大きさに戻った。


「早く、背中に乗って」


 ベリルと共に急いでアデュラの背に乗り込むと、彼はすぐに羽ばたき、地上から離れた。

 みるみるうちに、地上にいる人々の顔が小さくなっていく。騎士修道士たちがこちらに弓を射かけたが、既にそれが届かない位置まで、アデュラは上昇していた。


 修道院から十分距離が離れると、シャルロットはアデュラに止まってもらい、腕全体を使って大きな円を描いた。

 するとアデュラの鼻先に、彼がすっぽり入り込めるほどの巨大な穴が生まれた。

 穴の中は真っ白だが、表面が水面のように揺らめいている。

 

「今更ですが、アデュラもルネット神の世界へ行きますよね……?」

「うん。この世界で眠っていても特に問題はないんだけど、さすがに兄弟が誰もいないのはつまらないから」

「わかりました。では、その穴の中へ進んでください。その先が、ルネット神の世界です」

「了解」


 アデュラは頷くと、力強く羽ばたきながら穴の中へと進んでいった。

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