後編

 急にいた天井の照明はひどまぶしく、杏士はたまらず目を閉じる。

「ふぁぁ。起きてるよぉ」

 聞こえる腑抜ふぬけた声に、杏士は静かに目を開けた。

 途端に棚の中から次々と、本がちょうのようにばいて階段を形作る。

 何もないはずの天井からリフトがりて、パジャマ姿の館長が大きな欠伸あくびをした。

 彼はぼけまなこで、本が作る階段をだるげに歩いてくる。


 間延まのびした声をまじえて、館長は再び欠伸をした。

「おあおうぅ、銀川くん」

「おはようございます。っていうか、着替きがえてください」

 杏士は抱えていた本を棚に戻していく。

 館長はパジャマの上からはらを掻きながら、杏士に聞く。

「……ねぇ、僕の朝ご飯はぁ?」

「着替えが先です」


 これが、毎日の恒例こうれい

 初めのころは「これは仕事か?」と、いらつきもあったけれど、自身の『世話せわき』な性格もあいって、今では杏士は館内で「館長担当」となった。

 館長のあつかいも、慣れればなんてことない。


 杏士は棚からフランクドッグの入った紙袋を手にとると、ねむそうに目をこする館長に差し出す。

「今日は大事な視察ですからね。粗相そそうのないようにしてください」

「ふぁふぁっえうっへふぁ」

 彼は今、『分かってるってば』と言ったのだろうけれど、早々にフランクドッグにかぶりついたから、深刻しんこくにはとらえていないはず。


 館長は、仕事ではどころがない。

 けれど食べ物を見つけると、気がれる。

 初めて彼に帯同たいどうした時は、杏士もいたい目を見た。

 司書たちから気を付けるよう言われていたにもかかわらず、杏士は当日、その意味を知る。

 先方せんぽう困惑こんわくするほど、仕事そっちのけで終始しゅうし食べて、視察は終了しゅうりょう

 杏士はまなんだ。翌日よくじつから、杏士は食べ物を携帯けいたい。今では館長の「食」に対するこうしんもコントロールできている。

 今回も視察場所にカフェがあるから……、はしゃぐだろう。

 杏士のうちポケットには、今日も『館長用のおやつ』をしのばせてある。

 最近さいきんお気に入りの、くり銘菓めいか

 ほどのことがなければ、今日の視察も無事ぶじ終えられることだろう。

 

 この「人間より人間らしい」われらが館長にまわされているうちに、杏士自身も「人間らしい心」を取り戻した気分だった。


『空が好き』

 幼い頃の「ゆめ」は、大人になるにつれて「目標もくひょう」となったけれど、いつしか「執着しゅうちゃく」に変わっていた。

 自分でも気づかないまま「夢」というものにがんがらめになっていた杏士は、『見えない力』が働くこのミュージアムに、ふうわりなこの館長との出会いで、はなたれた。


『銀川くん。その願いは、君にとって本当に大切なことなの?』


 館長の真意しんいを、今なら理解りかいできる。

 すべておとおしだっただなんてくやしいから、杏士は出ている自分の答えをつたえていない。

 しばらくは、彼のそばで「人間らしく」日々ひびごしてみようと思う。


「食べ終わったら、かたづけてくださいね」

 杏士は本を棚へと戻しながら、コーヒーを一口飲んではまりのない顔を見せる館長をせいす。

「あのねぇ、朝のコーヒーは僕のかつりょくなんだからね。……これでいいでしょっ」

 館長はそう言って、指を一つらした。

 すると、其処此処に置かれていた本が一斉いっせいに宙に浮く。

 中央にあつまったすうの本は、いきおいよく飛び散ると、ひとりでに棚へとおさまる。

 複数あるディスプレイの映像は止まって、でんげんも全て落とされた。

 杏士は切り替えるように、ジャケットのえりただす。

「さあ、館長。今日は四階のとびらですよ」

「えぇー。うらの扉でいいじゃない。僕がつなぐからぁ」

 館長は駄々だだねるように体をひねる。

 杏士は溜め息じりに、がしらさえた。

勝手かってに『月』と繋いで、裏の扉をこわしたのは、どこのだれでしたっけ?」

 彼と同じく魔法使いの司書数名が、昨日、やらかした館長をしかりつけたばかり。

 おかげで、本来ほんらいくうどうよう」の五階の扉は、修理しゅうりのため現在『使よう不可ふか』。


 館長は目をおよがせたあと、人差し指を頬に付ける。

「……僕?」

 杏士は再び溜め息を吐いた。

「あなた以外、誰がいるんですか」

「だって! うさぎが見たかったんだもん!」

「『だって』じゃ、ありません!」

「やだぁー! 銀川くん、こわいー!」

「怖くて結構けっこう!」

 杏士は愚図ぐずる館長のうでつかんで歩き出す。

「行きますよ。時間におくれます」


 なみだ混じりに鼻をすすりながらも、館長は静かに付いてくる。

 そんな彼の姿に、杏士はなぜだか罪悪ざいあくかん芽生めばえた。

 杏士はもう片方の手で、自身のそとポケットをさぐる。

「……これ、あげますから。早く泣き止んでください」

 杏士は『予備よびのおやつ用』のマドレーヌを差し出す。

「……ありがと。銀川くん」

 涙を止めた館長に、杏士はむねろす。


 四階のギャラリーを抜けた、扉の前。

 杏士はもう一つマドレーヌを取り出して、館長にわたした。

 幸せそうに食べている彼のネクタイを直しながら、杏士は声をける。

「よくんでくださいね」

 杏士は館長の口のまわりに付いた食べかすをハンカチでぬぐった。

 館長は覇気はきよく声を上げる。

「さあ、銀川くん! 行こーう!」

りょうかいです」


 杏士は、扉を開ける。

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ミュージアムの魔法使い 水無 月 @mizunashitsuki

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