私が自殺した理由。そして地獄へ。

睦月文香

第1話

 私は自殺をして死んだ。中学時代、毎日登下校の時に渡っていた橋から飛び降りて、死んだ。


 その日は、私が夕食当番だったけれど、何も作らなかった。だから、とてもお腹が空いていた。夜八時。

 裸足のまま家を出た時点で「あぁ、これなら死ねるな」と確信していた。それでも橋に近づいていくたび、弱い私が顔を出して「やめとけやめとけ」と何度も私を止めようとした。でも私は、そのたびに「うるさい!」と頭の中で繰り返した。ふと思いついて、意識的に「死ねる」という言葉を繰り返すことにした。死ねる死ねる死ねる死ねる。それでもまだ「やめとけ」とか「とりあえずご飯を食べてからにしたらどうか?」とか、どうでもいい考えが頭に浮かんできてしまうので、もっと脳の容量を使わないといけないと思った。だから、「死ねる」をできるだけ早く頭の中で唱えつつ、その回数をカウントすることにした。

 気づいたら、駆け足になっていた。三百のタイミングで「よし」と思った。着ていたTシャツを脱いだ。下着は、脱がなかった。スカートを脱ぐつもりはなかった。上半身だけで十分。これで、もう私は引き下がれない。

 また、死ねるのカウントを再開する。五百を過ぎたあたりで、もうカウントする意味がないくらいに頭がぼんやりしてきていた。橋について、足を速め、その手すりに両手を叩きつけ、地面を思い切り右足で蹴った。跳び箱の上で宙返りする自分の姿が思い浮かんだ。あぁ、そんなこともあったな。

 目はぎゅっとつぶられていた。体が地面から離れた時点で、恐怖は消えていた。もう何もできることはない。あとは……


「なぜ自殺した?」

 スーツ姿の眼鏡をかけた男が、デスクに座ってそう尋ねた。座っていても、私より目線は高い。

「自分が自分であることが許せなかったからです」

「残される家族のことは考えなかったのか?」

「申し訳ないとは思います。でも、冷静に考えてみれば、申し訳ないと思うべきは私の両親の側ではないですか? 私は何度も助けを求めました。でもふたりとも、自分自身のことしか考えていませんでした」

「それでも、お前が死んで家族は悲しんでいるぞ」

「それはそうでしょう。そうだと思いますよ。出来のいいひとり娘が自殺して、悲しまない親はいないと思います。それに『自殺したひとり娘の親』に、いきなりされたわけですから、そりゃあもう、苦しいでしょう」

「そこまで分かってて、死んだのか」

「私自身の苦しみに比べたら、そんな両親の苦しみなんて大したことはありません。もし両親も、私の死をきっかけとして同じように自殺できるなら……私はそのときやっと、少しは後悔できるかもしれませんね」

「お前は両親を憎んでいるのか」

「憎んではいませんよ。でも、愛してもいません。悲しませたいとは思ってません。でも、悲しませても仕方がないと思ってます。少なくとも私が悲しんでいても、両親は何も感じないみたいでしたから。私が目の前で泣いてても、くだらないテレビ番組で馬鹿笑いできる人間に、どうやって愛着を持てばいいんですか? 無意味ですよ、そんなの」

「……確かに、葬式の時、お前の両親は大泣きしていたが、家に帰ると楽しみにしていたドラマを見て喜んでいた。お前の言っていることは、確かに全て間違っているわけではなさそうだ」

 私は頭を下げた。少しでもこの場で自分の言い分が認められるとは思ってなかったからだ。

「では次の問だ。お前は自殺の理由を『自分が自分であることを許せなかった』としたが、今のお前はどうだ? お前はお前のままのはずだが、お前はまだ自分を許せないか?」

「いえ、私は今、とてもスッキリしています。なんだか、胸のつかえがとれた気がしています。たとえば、私は生前、先ほどのように自分の両親を悪く言うことなど、絶対にできませんでした。生きていたからです。その、日常の生活の都合のために、私は私に対して厳しく当たる必要がありました。でも自殺をすることで、私は自由になりました。私が何をやっても、私はもう死んでいるから、なんの責任も負う必要はなく、ただ自分自身であることが許されています。このように、正直に答弁することが許されています。それだけで、私は十分です。本当は、それだけでよかったんです。でも、当時の私では、それが絶対にできなかった。きっと、誰も私を認めてくれなかったでしょう。私の居場所を作ってくれなかったでしょう。ことあるごとに、私を追い詰めようとしてきたことでしょう」

「本当にそうだろうか?」

「少なくとも当時の私はそう考えていました。そしてもう、死んでしまったのですから『もしも』なんて考えるのは無意味です。私は今、ただ死後の自由を噛み締めていたいだけなのです。この先どんな地獄が待っているとしても、私は私であることが許されるというだけで、満足です」

「お前は、きわめて罪の少ない人間だ。本来なら、極楽に送られる類の人間だ。だが、自殺の罪は重い」

「えぇ。もちろんですとも。全て受け入れます」

「残念だ」

「そう言っていただいて、ありがたいです。何千年後になるか分かりませんが、また会いましょう」

「あぁ。願わくば、お前のような人間が地獄に落ちずに済む現世にならんことを」

「私も地獄の責め苦に耐えながら、それを祈り続けましょう」

「最後にひとついいか?」

「なんでしょう」

「お前はこれから、地獄の業火に焼かれる。何度も体を真っ二つに切断される。針の山を登らされ、血の池に沈められ……お前が生きていたころの苦しみの、何万倍もの苦しみを味わうことになるだろう。どれだけ許しを乞うても、その責め苦は終わることがない。もしそれが分かっていたとしても、お前はあのとき死を選んだか?」

「えぇ。未来永劫それが続くと分かっていたとしても、私は自殺することを選んでいたでしょう。そうでなくては……私が私であることはできませんでしたから」

「そうか」

「えぇ」

「なら、行け」

 私はもう一度頭を下げて、自らの足で左側の門に向かった。


 定められた地獄から、自ら選んだ地獄へ。そうだ。私には私の地獄がある。

 その事実が、私を心から安心させた。

 たとえ地獄だとしても、そこが自分の居場所であるのなら、私は喜ぼう。

 それをずっと求めていたのだから。

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私が自殺した理由。そして地獄へ。 睦月文香 @Mutsuki66

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