第2話 南の島の君

 八月になった。

 もう、八月になっちゃったな。

 夏休みの一日は、僕の普段の生活の三倍速で進んでいく。

 僕は時の流れから取り残されたように感じるのに、気づくとちゃんと時間を運ぶ乗り物に乗っかっている。

 学校のある日は、一秒が長いくせにさ。

 家に籠もり自分の部屋で、じいっと時間が過ぎるのを待っている。

 すっぽりと帳に包まれた暗い夜になると、ホッと安心するのはなんでだろう。


    ✦✦✦


 ――とつぜん。

 僕は南の島、沖縄に行くことになった。


 お母さんが「行ったつもりになりたいから読んでるのよ」とよく呟きながら愛読している旅行雑誌がある。

 その本の懸賞で、まさか、まさかの南国の島旅行が大当たり!

 お母さん自身、懸賞に応募したのを忘れていたんだって。

 それぐらい当選することも、親子での旅も出来るなんて期待していなかったんだ。


 シングルマザーのパートの稼ぎでは、暮らしはぎりぎりだと思う。

 僕がほんとはバイトでもして、家計を助けなくちゃいけないとは思ってる。進学校でバイト禁止でも、家の事情なら申請すれば特例が認められるしさ。

 だけど、……気が進まない。だめな僕だ、弱い僕だ。

 頭を抱えてる。

 怖い、怖い。

 僕は落ちこぼれだから。バイト先でも上手く立ち回れない気がする。きっと僕ってヤツは何一つ満足にやれない、ダメダメな人間なんだ。

 いつしか集団に嫌気と、ちょっとした怖さを感じてる。

 対面するのが人一人、少人数はまだ大丈夫。

 でも、学校はもうイヤだ。

 たくさんのクラスメートと先生達には会いたくない。


    ✧✧✧


 お母さんの仕事の夏休み中に、当たった旅行に行けることになった。

 僕は脱出する。

 引きこもりからも、学校に行けない不登校の僕からも。

 違う世界、非日常の時間へ。


 僕は生まれて初めての飛行機に乗って、まだ来たことの無い南の国の島にやって来たんだ。


 ――ここは、日本の観光で有名な島、沖縄の上空。


 飛行機に乗って遥か眼下の島々を眺めていると、日ごろの鬱屈とした僕の思いはすっかり脱ぎ去って吹き飛んでいった。

 低浮上の毎日から、急に抜け出せた錯覚さえ起こしてる。

 目の前が明るい。視界を遮断するまっ暗闇から、予期せぬ光源が射してる場所に飛び出たみたいに、目が開けられないほどに眩しい、感じ。そんな風に。


 東京に住んでいる僕とお母さんにしてみたら、自然あふれる未踏の地はちょっとした冒険気分だ。

 お母さんは日常の仕事や家事と生活の不安、口にはあまりしないけど僕への心配事から離れて。僕はつまらない繰り返しの六畳の部屋とおサラバしたみたいな。


 実は違うのも分かってる。

 分かっているさ。

 この旅行が終れば僕はまたあの鬱屈とした閉じた世界に戻るのも知っている。


 だけど今はこの抜けるような空の青さと潮の香りに包まれて僕は久しぶりに『生きている』とそう感じてあの暗がりから出られた気でいたかった。

 旅行なんていつぶりだろう。


 飛行機を降りて僕たちに真っ直ぐに照りつける太陽の光線。クラっと目眩がする。

 僕は非現実的な世界に入りこんだ気分がしてワクワクとした。

 広がる景色が、あまりにも夢の中の世界のように僕には綺麗すぎた。


 鮮やかな、あっおーい空ぁっ!!

 エメラルドグリーンの海に吸い込まれそうだ。

 どこまでも広がる自然の景色。

 生い茂る草花と背後には低い山々が静かに立つ。


 ここからの青い青い空が、どこまでもどこまでも頭上の遠く彼方まで存在してる。


 僕の住んでいる東京みたいに埃の澱みや工場や排気の霞に視界を奪われることはない。


 僕とお母さんがタクシーでホテルに向かうと、お伽話のような……それでいて確かな現実に僕は胸がいっぱいになりそっと深呼吸をした。

 

 お母さんはいつもより明るい顔色で、僕にペットボトルのサイダーを差し出した。

 僕は「ありがとう」とそっと受け取りサイダーを頬にピタッとくっつけた。

 お母さんの心配そうな表情、僕の顔を覗きこみ具合いを気にしてる。


「大丈夫? 酔った?」

「大丈夫だよ。……嬉しいだけ。言葉が上手く出ないんだ」

「そう? そうよね。旅行が当たるなんて! お母さんすっごくラッキーだったわ」


 予想していなかった旅行に、僕とお母さんはかなり浮き足立っていた。


 東京都心とは180°違う景色に圧倒される。

 人工物ばかりの東京のビル群とはまったく違う風景。

 瞳に優しく豊かな自然はあたりいっぱいに広がる。

 僕の視界には、見たことのないぐらい美しい自然のくっきりとした色が濃くて。グイグイ迫ってくる。

 これを「感動」と呼ぶ、……のかも知れない。


 碧い碧い透き通った美しい海、果てなどなく広がる。ビーチの砂は白くって僕は早く足を乗せてみたくなった。


 程なくしてタクシーはビーチの真ん前の白く小さな建物のホテルのロータリに停まった。

 敷地には同じ外観の丸太を組み上げたコテージが、いくつか建ち並ぶ。

 僕とお母さんはピンクの生地にシーサー柄のアロハシャツを着たホテルの従業員のお姉さんに案内される。

 ……アロハシャツじゃなくて、かりゆしウェアかな。僕にはちょっと違いが分からない。気が向いたら調べてみよう。

 庭や通路には背の高いソテツや椰子の木が生え、植え込みにパイナップルが成っていた。

「わぁ、パイナップルだ」

「本土からのお客様がお喜びになるので、沖縄らしくパイナップルを植えてるんですよ」

 

 ハイビスカスもそこかしこに植えられ咲いていて、まさに南の国って感じ。色が艶やかな花は目を和ませてくれるなぁ。


「うちはコテージがウリなんですよ。とても人気です。皆さんこちらに泊まりたがります。本館には宿泊出来る部屋の他に、レストランやバーやプールに露天の大浴場が入っていますので、お気軽にご利用下さい。何かありましたら、私達従業員までお申しつけ下さいませ」

 にっこり笑う愛想の良い従業員のお姉さんが、コテージのドアをカチャカチャカチャリと鍵で開ける。

 部屋に待ちきれなかったように真っ先に入ったお母さんの「キャ〜! 素敵〜!」と言う、大はしゃぎの大歓声が辺りに響いている。

 ……ちょっと、息子の僕は恥ずかしい。


 僕の方はゆっくりと歩んで。

 コテージに入る前に何気なしに周りを見渡すと、近くのベンチに座る、華奢な女の子がいた。

 明るめの髪をツインテールにした女の子。

 彼女は携帯のゲーム機でゲームをしていた。


 自分もゲーム好きなくせに「こんなとこで?」とかふと思ってしまった、僕って懐の狭いイヤな奴だな。


 南の国の島に一人でゲームに夢中になっている可愛い女の子が、どうにも不釣り合いな気がしたんだ。

 だから、だ。

 勝手なイメージ。

 僕がやって来た南の島沖縄ではみんなが楽しそうに見えたから……。ハッとするほど可愛らしく整った顔でムスッとした表情の女の子。彼女の存在が棘みたいに胸に刺さった。

 

 なぜか僕はその子にすごく興味を惹かれ目が離せないでいた。



 これが僕とナツミちゃん、偶然にも同い年な彼女との出会いだった――。





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