姫を選ぶか、それとも君か。

春菊も追加で

第1話:鉄骨のような少女

 全くもって忌々しいけれど、『鉄骨』というあだ名はアタシの事をよく表している。


 トイレから教室への帰り道、廊下の窓ガラスに映った自分の姿を見て、杉本すぎもと春希はるきは改めてそう思った。


 女のくせに一八五センチもある背丈。がっしりと広くて、セーラー服の可愛さを完全に殺している肩幅。整ってはいるものの、「可愛い」とか「美しい」というより「勇ましい」といった感じの顔付き。笑顔を作るのが苦手で、あだ名の通りに鉄のように硬い表情。


 ――アタシの女の子らしさはいったいどこに行ってしまったのだろう。春希が肩を落とすのと、その肩越しに通り過ぎる『彼女』の姿が映ったのはほぼ同時だった。


 黒崎くろさき歩美あゆみ


 二つ隣のクラスに在籍する、同級生の女の子。出身中学は違うし、所属しているクラブも違う。共通の友人もいないから面識はない。でも、杉本春希は一方的に彼女の事を知っている。いや、この高校の生徒で、彼女を知らぬ者はいないだろう。


 黒崎歩美は、春希がこれまで出会ったどんな女の子よりも愛くるしかった。例え虫歯で頬を痛めていたとしても、彼女を見ればそれを忘れてしまうだろう。例え可愛がったペットを亡くした後だとしても、彼女を見れば顔が綻んでしまうだろう。それくらいに黒崎歩美は、ほんわりとした穏やかな雰囲気を纏っていた。


 彼女とすれ違った男子が二人、振り向いてその姿に見とれている。自分もあんな可愛らしい女の子として生きたかったと、杉本春希は溜め息を吐いた。




* * *




「ねえ、亜矢」


「何?」


「お姫ゲージが減ってきた。今からお姫タイムに突入していい?」


「……勉強中だから静かにな」


 松岡高校の女子寮は、原則として生徒二人で一部屋を使う。今、机に向かっている井汲いくみ亜矢あやは春希のルームメイトであり、幼馴染であり、彼女に「鉄骨」という不名誉なあだ名を付けた張本人だった。


 春希はクローゼットを勢いよく開き、目的のものを取り出して素早く着替える。


 彼女が身に着けたそれは甘ロリ服――チャイルディッシュなピンク色で、装飾用の真紅のリボンが襟元を彩って、裾に向かってスカートが大きく膨らんだワンピースだった。百人いたら九十九人が、春希の巨躯に全く似合わないと言うだろう。


 その甘ロリ服のまま二段ベッドの下にダイブし、猪と狼のぬいぐるみを抱き締めてゴロゴロ転がる。部屋の窓際にはワニ、象、カバと、ファンシーなぬいぐるみがずらりと並べられていた。


「やあやあ、元気にしていたかい、スタンピード! 今日も毛がフサフサだねえ、ニコラス! 今夜はウトウト、カボチャの馬車が迎えに来るまで、ずっとベッドの中で一緒にいようね!」


「ああ、うるさい、鉄骨! 静かにしろって言っただろ!」


 いつものように春希は騒ぎ、いつものようにそれ以上の大声で亜矢が注意する。普段は鉄仮面な春希も、彼女が「お姫タイム」と呼ぶこの秘密の時間だけは顔をだらしなく緩めていた。


「……なりたいなぁ、お姫様。ウサギの従者と花の精に囲まれて、お城の中庭でアフタヌーンティとスコーンを嗜みたい」


「おいおい、妄想は十六歳なりのものをしてくれよな」


 寮の部屋に備え付けのベッドではその身体には小さいらしく、春希の足はマットからはみ出している。彼女の足裏を眺めながら、亜矢はチクリと言う。


「お姫様ねえ……」持っているシャープペンの頭で頭を掻く亜矢。「まあ、なる方法がないわけでもないか」


「え?」


 首だけを持ち上げ、春希は亜矢の方を見る。視線の先の彼女は机の引き出しから何やら取り出し、こちらに向けた。


「鉄骨はさ、ゲームってあんまりやらないよな」


「うん。スマホでツムツムをやるくらい」


「そっか。じゃ、フルダイブ型のVRゲームには手を出したことはないか」


 フルダイブ型のVRゲーム。おおよそどんなものかは知っていた。チョーカー型のインタフェースを装着し、意識ごと電脳世界に潜り込むコンピュータゲームの総称だ。


「これ、新しく発売されたやつなんだけどさ……」そう言って、手中のゲームソフトのケースを左右に振る。「鉄骨にも一緒にプレイしてほしいんだ。攻略を手伝ってほしくてさ」


 それを聞いて、杉本春希は小さく肩を落とす。


「さっきも言ったけど、VRゲームはやったことがないんだ。誘ってくれたところ悪いけど、力にはなれないと思うぞ」


「別にプレイスキルは求めてないよ。実を言うと、初回登録時の特典が目当てなんだ。男女のペアで始めると限定武器が貰えるんだけど、その男プレイヤー側に贈られる剣が欲しくてね。アタシは性別を男で登録するから、鉄骨は女で登録しておくれよ」


 亜矢の手からケースが放り投げられ、春希がそれをキャッチする。ケースの表面には『カラフルクロニクル』とタイトルが書かれていた。


「ゲームの中なら姿を変えちゃえば、ロリータでもゴシックでも、鉄骨の好きな『お姫』な衣装が誰の目もはばかることなく着放題。――どう? 悪い話じゃないでしょ」




* * *




 名前、年齢、性別、身長、体重、体型、顔付き、髪型、髪色、肌色、瞳の色、衣服、靴、帽子、小物――。


「亜矢のやつ、ゲーム中の自分の姿は好きなようにカスタマイズできるって言ってたけど……、これだけ選択項目があると悩むな」


 放課後の学食、杉本春希はテーブル席でスマホを弄っていた。亜矢から渡されたゲームの、ユーザ登録前のプレイキャラクターの作成だ。現在のVRゲームはゲーミングPCとチョーカー型のインタフェイスでプレイするのが普通だが、スマホをサブデバイスにして簡単な操作を行うこともできた。


「こういうのって、細かいことを弄り出すとなかなか決まらないよな」


 自分の分身となる女ウィザードの瞳の形を色々と弄るが、どうもしっくりこない。


「ここ、空いてますか?」


 スマホの画面に集中していると、誰かから向かいの席に座ってもいいかと問われた。春希は顔を上げないまま、「どうぞ」と応える。


 キャラメイクをするに当たって念頭にあったのは黒崎歩美――、春希が知る限り、この世で最も愛くるしい少女の姿だった。あんな風な女の子になって、みんなから寵愛されてみたいという気持ちが春希にはあった。


「それ、カラフルクロニクルじゃないですか!」


 瞳の色は青にしようか、いやいや、それとも金色に――とあれこれ入れ替えて調整している時だった。向かいから声を掛けられ、杉本春希は顔を上げる。


 そこには黒崎歩美が、こうありたい架空の自分を作り上げるのに参考としている少女が座っていた。


「あ、今、キャラメイクしているんですね! 実は、あたしもこれから始めるところなんです」


 そう言って身を乗り出し、黒崎歩美はスマホを取り出し、画面を見せつけてきた。


「杉本春希さん、初めてお話しするのにこんなお願いするのは差し出がましいんですが――、性別を男で登録して、一緒にプレイしてくれませんか!」


「ほへっ!」


 驚き、目を丸くする春希。詳しく聞きたいことは色々あった。でも、まず一番最初に聞きたいのは――。


「黒崎さん、アタシの事、知ってるの?」


「はい、知ってます。杉本さんの事、ずっと『カッコいい人がいるな』って、見かける度に見てましたから」


 どこか熱っぽく、興奮した様子で歩美は言う。


「それで、さっきの話なんですけど、『男性』として一緒にカラクロを遊んでくれませんか?


 あたし、前にもVRゲームをやったことあるんですけど、ゲームってやたらと入れ込んで、良いスコアを取ることにだけ拘る人もいて、そういう人たちに恐い事を言われたりして嫌になってやめちゃったんです。


 だから、守ってくれる『男の人』と一緒だったら、今度は楽しくやれるかなって」


 後になって考えれば勝手な言い分だと思う。けれど、頭で考えるよりも早く、春希はこれまで作り上げたキャラクターを破棄し、性別欄を『男性』に変更していた。

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