第3話:あなたは理想の『男の子』
「亜矢、アタシのシュシュ知らない?」
「知らんよ。見つからないの?」
出発の五分前、女子寮の自室で、杉本春希は衣装ケースを漁っていた。
「お気に入りのボールペン、腕時計に慕ってくれた後輩からの手紙、――まったく鉄骨はよく物を失くすねえ」
亜矢の言う通り、春希は忘れ物は少なく整理整頓も得意だが、失くし物だけは何故だか多い。
「仕方ない。遅刻しちゃうし諦めよう」
「どこか行くの?」
衣装ケースを元の位置に戻し、春希は腰を上げる。
「黒崎さんとレイクランドにね」
「デートですか。青春してて羨ましい限りで」
軽口を叩く亜矢の額を軽く小突き、水着を持って春希は部屋を出た。
* * *
夏休みに入ってすぐの遊園地併設のプールは混んでいて、はしゃぐ小学生の集団の声を聞きながら、杉本春希は太陽に透かした左手を眺めた。
当たり前だが、そこには仮想世界で嵌めているペアリングはない。だから、彼女から告白されたことに実感がなかった。
「杉本さん、お待たせしました」
フラッペを両手に持った歩美が駆け寄ってくる。春希は礼を言ってその一つを受け取るが、なぜか彼女が自分の身体をまじまじと眺めているので首を傾げる。
「どうしたの?」
「筋肉! 杉本さん、結構筋肉あるんですね!」
「ああ……。中学の頃はバスケやってたから」
「あたしなんてプニプニだから羨ましいです。……ちょっと触ってもいいですか?」
歩美の羨望の眼差しに気圧されつつ、春希は彼女の要望を承認。歩美はまったく遠慮する様子もなく手を伸ばし、二の腕、太もも、ふくらはぎと春希の身体を触れまわす。
「ふぁ~、ガッチリしてて、でもしっかり弾力もあって、触ってて気持ちいい! あ、凄い、背中にも筋肉がある!」
……女の子同士とはいえ、あちこち触られると何だか恥ずかしい。
* * *
「ふぁぁ、可愛いー。杉本さんはどう思います?」
「アタシも可愛いと思う」
「ですよね! あたし、これ買ってきます」
プールを後にし、春希と歩美の二人は遊園地内にあるショップ店内にいた。気に入ったらしいイルカのぬいぐるみを持ってレジに向かう背中を春希は見送る。ふと棚の方に目を戻すと、セイウチのぬいぐるみが視界に入る。
――可愛い。杉本春希はそう思った。
家に持ち帰って、猪のスタンピードや狼のウルフウッドと仲良しにさせたい。レモンを浮かべた紅茶とスコーンを楽しみながら、この子の頭を一日中撫でていたい。
自分も購入しようかと頭の中で財布の中身を計算していると、紙袋を手に持った歩美が帰ってきた。
「無事、買えました。さ、帰りましょうか」
歩美は首を傾けて可愛らしくそう言い、ぬいぐるみを持つ春希の手元に視線を向ける。
「ごめんなさい、長々と買い物に付き合わせちゃって」
「え?」
「こんなお店、杉本さんの趣味には合わなくて退屈でしたよね」
その一言に虚を突かれ、杉本春希は押し黙る。結局何も言葉を返さず、春希はぬいぐるみを棚に戻した。
* * *
抱いてほしいとお願いされたのは、園内から出て駅へと向かう道程だった。
「ただ、ほんの数秒だけぎゅっとしてくれるだけでいいんです。あたし、杉本さんと今日を過ごしたっていう想い出がほしいです」
遊園地が僻地にあるということとまだ午後三時という時間帯もあって、往来する人影はない。春希は少し迷ったが、歩美の背にそっと手を回し、自分に抱き寄せる。相対的に低い位置にある歩美の側頭部が、春希の薄い胸に触れた。
「春希くん」
ポツリと歩美が呟く。
「杉本さんの事、『春希くん』って呼んでいいですか?」
「……男の子みたいな呼び方だね」
「あたしは、杉本さんのことを理想的な『男の子』って思っています」
そう言うと歩美は頭を強く押し付け、春希の胸により深く埋める。
「あたし、男の子って嫌いでした。少しお付き合いしたら上からの目線の発言を無意識に平気でしてきたり、隠そうとしていてもエッチな目で見てきてるのがバレバレだったり、中には差別的な思想を明け透けにするような人までいたり。
でも、『春希くん』にはそういうところは全くありません。あたしと同じ目線で接してくれて、でも、男の子みたいな力強さや頼もしさもあって……。
だから『春希くん』には、あたしの理想の男の子であってほしいんです」
見下ろす春希の目線と、潤んだ瞳で見上げる歩美の視線がかち合う。
男の子。やっぱり自分はそう見られるのかと、杉本春希は内心で肩を落とす。
――けれど、
「ご迷惑ですか?」
真剣な声でそう問いかけてくる歩美の頭に、春希は優しく手を乗せて撫でた。
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