終章

翌日、杉ちゃんと咲は、又警察署に行った。また取調室に入って、高尾真紀と話をしてみようと思ったけれど、やっぱり口をきいてくれなくて、しまいには華岡が、

「おい、何か言ったらどうなんだ。杉ちゃんたちだって、いつでも君のそばにいてくれるわけではないんだよ。」

と、苛立っていう始末だった。其れでも、彼女は口を開こうとしないので、華岡も隣にいた婦人警官も、姉妹には咲でさえも、口を開かない彼女に苛立ってしまうほどであった。

「ねえ、真紀さん。」

と、咲は、出来るだけ優しく、彼女に聞いてみた。

「前に、三浦書店で私と会ったことを覚えているかな?私が、着物の本を買ったときに、あなた、本を1000円で譲ってくれたわよね。あの本、本当に大事に持っているわ。私が買ってきた本より、ずっと読みやすくて、すごくいい本だった。あの本は

、私の宝物にしたい。だからあたしたちは、あなたに何も敵意も持ってないのよ。其れなのに、あなたは、どうして口をきいてくれないのかな?」

高尾真紀の目が少し動く。

何か気持ちが変わってくれたのだろうか?

「それでは、お話していただけないかしら?あたしたちは、事件の事を、何か言う意味で言ってるわけじゃないのよ。ただ、本当に、なにが在ったか、それを知りたいだけなの。」

と、咲が話を続けるが、やっぱり彼女はそれを知ってどうするんだという顔になってしまうのだ。

「そうか、やっぱり、お前さんは、人間なんて、信じてやらないっていう気持ちのほうが、強いんだろうな。其れは、そうだよな。確かに、お前さんは学校の先生とか、着付けの先生とか葬い人に、ひどいこと言われて、それで誰も信じないってことにしちまったんだろうけど。実は、ここにいる咲さんも、僕も、そういうことは、以前にあったんだよな。僕だって、仕事して、ただ冷たい顔されただけの事もあったし、約束したのがすっぽかされちまって、もうなんでこれまで楽しみにしてたのにって、嫌になったことだってざらにあった。こっちにいる咲さんも、同じだったよ。」

と、杉ちゃんがそういうと咲も、出来る限り身近な例を使った方が良いと思って、こういうことを言った。

「私もね、先日、ある人とインターネットで会う約束をしたの。それでね、約束の場所を指定されて、そこへ行ってみたんだけど、いくら待っても、その人は現れないし、電話をしてもつながらない。そうね、10回くらいかけたかしらね。それで、11回目にやっとつながったんだけど、携帯が行方不明になって、出られないっていうだけだった。その時は、なんでここに来させられたんだろうって、思ったわ。どうしようもない怒りだったけど、私が何とかするしかないしね。忘れようと思っても、忘れられなくてね。もうどうしたらいいのかなって思ったこともあったわよ。そういう事もあった。これは、作り話ではないわ。本当にあったことなんだから。」

「ほんとだほんとだ。世の中って、意外に誰のせいでもないのに、不幸にさせられちまうってことが、意外にあるもんだよな。そういう時に、それを解決してくれる方法は、たった一つしかないんだ。同じ経験をした人と会って、お互いに苦しかったって、言い合うしかないんだ。」

杉ちゃんがそういうと、

「あたしたちも、そうなったかもしれないわね。今はそういうことを利用した、心理療法も行われているのよね。あたしはね、思うんだけど、人って、どうしようもない経験をするってのは、きっと同じ経験をする人に会ったときに、出来るだけ優しくできるようになるためだと思うのよ。」

咲は、にこやかに言った。

「そうだねえ。優しくなるってことが、一番の課題だからね。」

できるだけ杉ちゃんが、にこやかに笑って言った。

「最近のやつらは、優しくなりたいけどなれないやつが多いからな。其れは、一番の

課題だって、庵主様も言ってた。」

できる限り二人は、皆同じという表現を使わないで、そう言い合ったのであった。皆同じと言ったら、なんだか、彼女の苦しみをつぶしてしまうような気がするからだ。

「お前さんは、自分だけが不幸で、ほかのやつは幸せそうにしていて、それが憎たらしいんだよな。皆、こういうことが在ったとき、自分で何とかするしかないから、だから誰にも言えないんだよな。だってそういうこと言ったら、ほかのやつに馬鹿にされちまうからな。誰だって、自分を守る事で精いっぱいなんだ。だから、誰かに優しくなってやる事こそ、すごいことだと思うんだよね。僕の親友で、すごい優しい奴を知っているが、そいつは日本の歴史的な負の事情を抱えている。そういうわけで、一生日の光に当たることはできないな。でも、そいつは、一生懸命他人に優しくして、なんか、償いでもしようとしているのかな、そういう感じで、やっているよ。世の中には、そういうやつもいる。人をだましたり、悪いことしたりするやつもいるけど、世の中には、良い奴も、少なからずいるよ。」

杉ちゃんはできるだけにこやかにそういうことを言った。咲は、杉ちゃんのように、自分も答えを言うことができるようになったら良いなと思った。今頃、水穂さん、製鉄所でせき込んでいるだろうなとも思った。

「私。」

不意に、聞き覚えのない小さな声がした。

「おう、直ぐに答えを出してくれ!」

と華岡が言ったが、杉ちゃんがすぐに止めた。

「おう、お前さんは、どうしたんだ?何か、話してみたい気持ちになってくれたか?」

「私、ずっと一人だった。」

と、高尾真紀さんはそういうことを言った。華岡がもっと具体的なことを言ってくれという顔をしたが、

「それでも重大な進歩だぜ、やっとしゃべってくれたんだからな。もうちょっと、彼女の反応をまとう。」

と、杉ちゃんが言った。

「僕たちはいつまでも待っている。お前さんが、本当の事を話してくれるまでな。はまじさんだって、お前さんに着物の本をもらったことを感謝してる。」

「そうよ。あたしだって、着物の事は何も知らないわよ。だから、毎日職場へ着物ででてるけど、着物の格が合わないって、何回も叱られるのよ。それを解決するのが、あの本なのよ。」

咲も、急いでそういうことを言い、杉ちゃんに合わせた。

「そんな本をくれたんだから、あなたは自分が思っている以上に役に立ってるの。其れを忘れないでよ。」

「私、ずっと一人ぼっちだったんです。あの時、死んでいればよかった。学校は、勉強したいと思っても、そうさせてくれるところじゃなかった。」

高尾真紀はやっと、そういうことを語り始めた。

「そうか。真剣に勉強しようというやつがいなかったんだな。お前さんは、ひとりで寂しかったんだな。きっと周りのやつらからは、成績が良いから、そのまま続けろとでも言われたんだろう?それでお前さんは余計に助けてほしいと言っても、通じなかった。違うか?」

杉ちゃんに言われて、彼女は、

「はい。そうです。」

と涙をこぼして泣き始めた。

「そうか。確かに、お前さんはそういう意味で孤独だった。それで、寂しかったのは、絶対目を背けちゃいけない事実だよな。そういうことを分かち合える友達もいなかったんだろう。長期入院して、又着付け教室に通いだして、又真剣に勉強したいと思ったんだろうけど、それも、かなわなかったんだな。其れを、偶然、Facebookで、原田綾子さんと知り合って、初めて、そのつらさをわかってもらえる友達ができた。其れは、誰にも代えられない、すごいことだろうな。」

「ええ。綾香さん、彼女だけが、私を慰めてくれる存在だったんです。誰も、信じてくれる人が居なかった、ひとりで寂しかった私にとって、綾香さんは、一番の支えになってました。」

杉ちゃんがそういうと、彼女は原田綾香さんとの関係を話し始めた。華岡がメモを取ろうとするが、杉ちゃんがそれをやめさせた。

「其れで、昨日も言ったけど、Facebookにパスワードをつくって綾香さんだけと話をするようになったんだね。でも、どこか不安なところがあったんじゃない?このまま綾香さんが、どこかへ行ってしまうのではないか、もしかしたら、この発言をしたら、友情が終わってしまうんじゃないか。そんな不安が常にお前さんに付きまとった。それで、お前さんは、原田さんとの関係が長く続くのか、不安でたまんなくなったんだろう。」

確かに、そういう事で事件になった例は、いくつかあるなと華岡は腕組みをした。でも、それは口にしないほうが良いと思ってやめておいた。

「だって、そうだよな。お前さんにとって、お前さんの孤独を癒してくれたのは、原田さんだけだった。確かに、原田さんは、似たような経歴を持っているし、料理教室に通いだして、それでトラブルになってやめているという共通点もある。でも、どこか違うところがあったんじゃないのか?そうだろう?」

と、杉ちゃんが言うと、彼女は其れまでたまっていたものを、だしたいと思ってくれたのだろう。しゃくりあげながら、こういうことを言った。

「はい、原田さんが、新しい料理のサークルを探すと言いだした時から、私は怖くなりました。原田さんが、新しい教室に行きだして、また、別の人と仲良くなったら、私の事はどこかへ放置してしまうのではないかって。其れが怖かったんです。そうなってしまうのが怖かった。」

「そうか。お前さんは、それを誰にも相談することも、出来なかったんだね、もちろん、過去にされたことで、周りのひとの事を、信じられなかった。誰にも、打ち明けられなかったんだな。そういうことができる人に、出会えなかったんだな。」

と、杉ちゃんは言った。

「出会えないときってのは、出会える時を待つことなのかもしれないよ。その時は苦しいかもしれないけどさ。その時になったら、思いっきり誰かに優しくしてやることができるだろ。それを待っているときじゃないのかな。違うかなあ?」

「そう考えられたらよかったのかもしれませんが、そういうこと言ってくれるひともいませんでしたから。」

そういう高尾真紀に、

「そうか、いなかったんだねえ。其れは、寂しかったよね。」

と、にこやかに笑って、彼女の発言を聞いた。

「で、もう少し、教えてもらいたいんだが、君は、高尾真紀がそういう態度をとるようになってから、いつ、彼女に対して殺意を抱くようになったんだ?」

と、華岡は、急いで聞いてみる。杉ちゃんが、それはやめろと言ったが、高尾真紀はもういいんですと言って、こう話を始めた。

「ええ。私は、原田綾香さんを親友であって、今までの私を受け入れてくれた、唯一無二の存在と思っていました。でも、彼女は、まったく私と同じではありませんでした。」

「はあ、まったく同じではなかったということは、どこが違ったんだろうか?」

と華岡が聞くと、

「ええ。彼女は、私よりもずっと裕福な人で、私のように家族に見捨てられているということがなかったんです。彼女は、Facebookに家族と出かけた時の写真なんかをアップしていました。私とはそこが違いました。だから、彼女は、似たような経歴であっても、私のような完全な一人ぼっちではありませんでした。」

と、泣きながら高尾真紀は答える。

「そうなんだね。其れが、原田綾香と高尾真紀の唯一の違いか。お前さんは、綾香さんの経歴があまりにもお前さんとそっくりだったので、唯一の違いを受け入れる事ができなかったんだな。」

杉ちゃんは、そういうことを言った。高尾真紀は、涙をこぼしてさらに泣いたのだった。

「おいおい、泣かれちゃ困るよ。これから事件の詳細を話してもらうんだから。」

と、華岡が言うと、

「華岡さん、少しだけ泣かせてあげましょうよ。彼女は、そうするしかできなかったし、周りの環境もそうさせるしかできなかったのよ。」

と、咲が言った。しばらく、又第一取調室に沈黙が走る。其れでも、今回は、本当に沈黙してしまったのではなく、前に進むための準備期間という感じであった。

「大丈夫よ。彼女の答えは、きっと嘘偽りはないわよ。涙を流しているのが、その答えじゃないの。」

咲は、華岡に言う。

「すこし、待っててあげるわ。あなたが、本当の事を話してくれるまで、待っているから。」

と、咲は、にこやかに笑って言った。高尾真紀さんは、涙を腕で拭いて、こう語り始めた。

「はい、あの日は、前日に、原田綾子さんが、新しいサークルを見つけ出したという書き込みをしました。それで、私は、事件の日、もう私の事はいらないんだって思って、彼女に直談判しに行きました。」

「そうなんだね。それで、彼女、原田綾子さんとはどんな話をされたんですか?」

と華岡が聞くと、

「ただ、本当にそうだったのか知りたかったんです。彼女が、そこのサークルで、新しい関係をつくったとか、そういうことを確かめたかったんです。それで、私、彼女にそれを聞き出そうと思って。」

と、彼女は泣きながら言った。

「遠回しな言い方はしないで、私は彼女に聞きました。そうしたら、やっぱり彼女は、料理を習って、もう一度勉強しなおして、社会にまた出れるようになりたいって言ったんです。私が、誰か、仲良くなった人物はいるかと聞きますと、彼女はいやそうな顔をして、そういうことはないと答えました。私は、彼女がそういうことを言うのを、私のもとを離れて、別の人と仲良くなってしまうのではないかと思ってしまいました。だから、彼女にそういったら、彼女は、そんなことはないと逆上して言って、あなたのそういうところ、もううんざりと声を荒げました。あなたと私は違うんだって、彼女はそういったときに、私は、彼女の首をつけていたヘアバンドで締めました。」

「そうか。そういうことだったんだね。おそらくお前さんは、そこで、自分を裏切った原田さんに手を出してしまったんだ。その時は、お前さんは、又一人ぼっちになってしまうかもしれないという恐怖もあったんだろ。いや、そっちが優っていたのかもしれないな。いずれにしても、お前さんは、その時にどうしようもない感情を持っていたんだな。」

と、杉ちゃんができる限り優しく言った。咲も椅子から立ち上がって、泣きじゃくる彼女の肩をそっとさすってあげた。

「そうね、怖かったのね。今までの、友情が崩れてしまうのは、本当に怖かったんだと思うわ。」

咲は、にこやかに笑って、そういうことを言った。こういう場所で笑顔をつくるのは難しいけど、でもそうしなければならない。

「でも、あなたは、原田綾子さんの命まで奪ってしまいました。其れは、やっぱりいけないことです。其れは、ちゃんと償わなければならないことですよ。」

と、華岡が言うと、彼女は、はいと頷くのであった。

「そうですね。こうなったらもう、世の中から、完璧に必要なくなるということですよね。かえってこういうところに来て、よかったと思います。もう、私は、悪人として、心置きなく死ぬことができます。」

「いや、それはどうかな。お前さんは、なぜ生きているのか、ちゃんと考えてみな。お前さんは、きっと、何かその経験を通して、学ばせてもらって、それを伝えていくから、生きているんじゃないの?お前さんが、人のこと、信用しないほど、孤独感に悩まされたことも、やっと、幸せを掴めたのに、それを不安のせいで壊してしまったことも、人間であれば、おおかれ少なかれ、やらかすことだもの。其れを、是正するのは、誰かな?それをするのも、人間なんだよ。そのためにお前さんはここにいる。違うかな?」

そういう彼女に、杉ちゃんはすぐそういったのであった。

「まあ確かに、お前さんの肩書は、良いものじゃないけど、そういう事だと思うな。」

「杉ちゃんありがとうな、俺たちが、とても苦労して発言するセリフを、そうやってあっさり言ってくれるなんて、うれしいよ。」

と、華岡は、汗をふきふき言った。

「当たり前の事だけど、お前さんは、きっとそのためにいきているんじゃないかと思うんだ。誰だって、そういう後悔とか、後めたさとか、持ってると思うよ。そういうわけだから、流転とかそういうこと言うんじゃないのかよ。」

すこし、仏法用語も交えているが、杉ちゃんの言う通りなのだと、咲も思った。皆、他人に言えないことを持っているから、ばれた時大きな騒動になるのだ。

「そうね。もうちょっと人間が自分の弱さというものを自覚してくれたら、もうちょっと生きやすい社会になるかしらね。でもね、真紀さん、あたしは、あなたのくれた着物の本で、ずいぶん助かったのよ。あの本、あなたがくれなかったら、着物の勉強もできなかった。其れは、忘れないで生きていってほしいな。」

と、咲は言った。

「そして、罪を償ったら、今度は、人の事を疑わないで、優しくなれるといいわね。」

咲にそういわれて、高尾真紀は、涙をまたこぼした。きっと彼女は、涙をこぼして、これからも生きていくのだろう。どうか、このことを無駄にしないで、何かに生かしいてくれればいいなと咲は思うのだった。

「じゃあ、事件の事について、もう一回詳しく話してください。今度は、ちゃんと供述調書を描きたいので。其れに、今さらの事だけど、二人がやり取りしていたFacebookのパスワード、教えてもらえないかな?」

華岡が警察らしく聞くと、彼女は泣き笑いを浮かべながら、

「はい、221177です。」

といった。華岡がそれを紙に書く。

高尾真紀は完落ちした。

杉ちゃんと咲は、取り調べが終わったので、すぐに警察署を出たが、咲は彼女が言っていた、Facebookの事が気になり、それにアクセスしてみることにした。警察署近くの喫茶店にはり、咲はスマートフォンを出して、アクセスしてみる。確かに原田綾子というページがあり、それに入るにはパスワードが必要であった。それに、数字を打ち込んでみると、原田綾子の詳細ページを見ることができた。確かに、家族で旅行に行った写真なども投稿されているが、こんな事でなぜ、高尾真紀が嫉妬心を抱いたのかわからなくなるほど、平凡な内容であった。

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着物の本 増田朋美 @masubuchi4996

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