私はいま、恋をしている

木立 花音@書籍発売中

第1話

雪菜ゆきな。アンタ、もうクビだから」


 所属している芸能事務所の一室。プロデューサーから突然の解雇通告を言い渡され、私は驚きから少々食い気味に問い返した。


「私がクビですか!? どうして……?」

「どうして?」


 瞬間、プロデューサーの声音が冷え込んで、頭にのぼっていた血が下りた。思い当たる節が、まったくないわけでもない。


「サマーライド・ガールズは、歌って踊れるアイドルをモットーに活動している」

「はい」


 サマーライド・ガールズというのは、私が所属している六人組のアイドルグループだ。大手芸能事務所からメジャーデビューをしてからはや数年。地方巡業を着々とこなし、人気が出始めている矢先のことだった。


「だがお前は、ダンスの覚えが一番悪い。覚えた後も、時々ワンテンポ遅れているだろう」


 それは常日頃自覚していることでもあり、反論する余地はなかった。元来、私は運動神経がいい方じゃない。頭で理解していても、体がなかなかついていかない。


「確かに歌唱力はある」

「あ、はい」


 歌にだけは少々自信がある。だが、あとに続いた言葉に、高揚しかけた心が萎んでいく。


「だが、いかんせん声量が足りない。メンバーの中で一番声が通らないから、口パクじゃないのか? という疑惑が出ているのを、あなただって知っているでしょう?」


『全然声が聞こえない』

『サマーライド・ガールズの雪菜は口パク』

『歌えない。踊れない。メンバーの癌』


 種々雑多な悪い噂が、SNS上でまことしやかに囁かれているのは事実。でも──。


「そんなの、根も葉もない噂話です! 私はちゃんと歌っていま──」

「だまらっしゃい!」


 長い髪を振り乱し、私の言葉を遮ったプロデューサーの激高した姿に、思わず縮こまった。


「そんな疑惑がもちあがる時点で、アイドルとしては失格なのよ。だいたい、あなたのファン、何人いるの?」

「……」


 これには返す言葉を失った。サマーライド・ガールズにおける私のイメージカラーは黄色である。だが、巡業で各地の劇場を回ったときも、会場で揺れている団扇やタオルの色は、赤、青、緑など、私以外のメンバーのイメージカラーばかり。

 会場で揺れる黄色なんて、殆ど見た記憶がない。


「まあ、そういうわけなのよ。申し訳ないけど、金輪際この事務所には来ないで。最後の給料なら、ちゃんと口座に振り込んでおくから」


 こうして、売れないアイドルだった私こと広瀬雪菜ひろせゆきなは、クリスマスを十日後に控えた今日、路頭に迷うこととなる。



 ふう、と吐いた息が、闇夜に溶けて消える。二十三歳にもなって無職となった自分に、落ちるため息を止められない。わだかまりを心中に抱えたまま、駅前にあるベンチに腰掛けた。これまで寮住まいだったため、これといって帰る場所もないのだし。

 手元にあるのは僅かばかりの現金と、着替えや私物が入ったスーツケース。それと──アコースティックギターが一つ。「重い」と思わず愚痴が出る。

 どうしてこんなものを? と思われそうだが、アイドルになる以前から、弾き語りが趣味だったというだけの話。とはいえ、こんなものを後生大事に取っておいて、いったいどうするつもりなのか。アイドルを生業にしていた頃でさえ無用の長物だったが、そのアイドルですらない今となっては本当にただの荷物だ。

 もうすっかり日が落ちて、辺りは暗くなっていた。行き交う車のヘッドライトが、滲み始めた視界のなか目に染みる。駅前に、安めのビジネスホテルなどなかっただろうか? そう考え顔を上げたとき、真横から高い声が響いてきた。


「こんばんはー。おねーさん、お一人ですか?」


 まるで怪しいナンパ師のような台詞に眉をひそめると、肩口までのミディアムヘアで、快活そうな外見の女の子がそこに立っていた。年のころは二十歳前後だろうか? 白のトレーナーに青のジーンズといういでだちで、上からパーカーを羽織っている。


「いや、見てのとおり一人……ですけど」


 二つ~三つ年下だと判断したものの、本当にそれであっているか不安になって、途中から中途半端に敬語になった。


「ふふ、ですよね。……なんか、元気なさそうですけど、どうかしました? もしかして体調でも悪い?」

 

 ああ、そうか。こんな見ず知らずの女の子にまで心配されるほど、自分は酷い顔をしているんだろうな。


「いや、別に体調悪くなんかないよ。平気、平気」

「そうですか。なら、いいんですが。これから、家に帰るところでした?」

「家かあ。家になんて、帰んないよ。帰らないというか、帰る場所がないというか」

「え、どういう意味ですか?」


 小首を傾げ、心配そうな顔をする彼女を見て、しまった、色々喋りすぎたと後悔する。この反応だと、私がアイドル(もう、元だけど)だという事実には気づいてなさそうだし、変な勘ぐりをさせない方がいいんじゃなかろうか。


「あはは。ちょっと失業しちゃってね。そんで、すっかりお金に困ってしまって、泊まる場所すらないというか、そんな感じなの」

「泊まる場所がない?」


 唇に指を添え、斜め上に視線をそらした彼女。しまった、不審がられたかなーと心配する私を他所に、彼女は「そうなんですかあ」と呟き、それから手をぽん、と打った。


「だったらさ。おねーさんが良かったらなんですが、うちのアパート来ます?」

「え、いいの?」


 正直、みっともないと思う。が、背に腹は代えられず、こうして私はなし崩し的に見ず知らずの女の子──由紀ゆきちゃん十九歳──のアパートに転がり込んだ。

 シャワーを借りて部屋着に着替えたあと、テーブルを囲んでコンビニで買ってきた弁当をつつきながら雑談していると、由紀ちゃんの口から爆弾発言が飛び出した。


「雪菜さんってもしかして、音楽関係の人?」

「ぶはっ」

 

 鋭い指摘に噴き出したあとで、彼女の視線がアコースティックギターに向いているのを見て合点した。どうやら、まだ気づかれてなさそう。姓だけは誤魔化したものの、開き直って下の名前は本名──そう、本名なのだ──を名乗った私が言うのもなんだけど。


「ま、まあね。しがないミュージシャンだったんだけど、事務所を解雇されちゃって」


 なんとも白々しいと思う。でも、強ち嘘じゃないしいいよね?


「そうなんですかぁ。それは残念でしたね」


 まるで自分のことのように、落胆して見せる由紀ちゃん。この子、なんか性格はよさそうだな。

 しばしの間思案したのち、そうだ! と彼女が目を輝かせる。


「聴かせてくださいよ。雪菜さんの歌声。私、女性のボーカリストに凄く憧れているんです」

「え? えええ!?」


 それは流石に……と否定しかけるも、私の心に魔が差した。まあ、ちょっとだけならいいかな。とはいえ。


「わかった。でも、ここで演奏したら隣近所に迷惑をかけちゃうから、面倒だけどもう一回駅前に行こうか。そこで聴かせてあげる」


 瞳を何度か瞬かせたのち、「はい!」と彼女は元気に頷いた。



 場所は変わって駅前。

 商店街の一角に陣取ってギターを抱えて座る私と、固唾を呑んで見守る彼女。なんともシュールな光景が展開されるなか、私のストリート路上ライブが始まった。

 ギターのネックを角度四十に固定して、最初の音を弾いた。

 選んだ曲は、花火と恋愛をテーマにした男性ヴォーカリトの曲。ブレス強めの声ながら、声量がやや足りない私にとって、これは十八番というか嵌り曲。季節感がめちゃめちゃなのは、ご愛敬、ということで。

 何人かの通行人が、視線を向けるだけで通り過ぎていく。

 元アイドルであることがバレるのを危惧して、髪をポニーテールに結い上げたうえでサングラスまでかけていたが、どうやら杞憂だったみたい。

 前奏が終わり歌が始まると、「わあ」という声とともに由紀ちゃんが瞳を輝かせた。


 ──どんな理想を描いたらいい?


 歌詞の内容が、今の自分を嘲笑っているようで、歌いながら内心で自嘲した。ほんとにさ、どうしたらいいのよ?

 人前で歌うことは、幼いころから好きだった。テレビで見た、アイドルやミュージシャンの姿に憧れた。歌唱力にはそこそこ自信があった。だから歌手の道を目指すつもりでいたのだが、雪菜は見た目がいいんだし、と親友に言われ、半分冗談のつもりで受けたアイドルのオーディションで何故か合格してしまう。

 本当に信じられなかった。天にも舞い上がる心地だった。アイドルこそが私の天職なんだと信じて、両親の「そんな、簡単にいくわけがない」という反対を押し切って上京してきたのに、順調だったはずの人生は次第に雲行きが怪しくなる。

 デビューが決まったところまでは良かった。華やいだ六人のメンバーが集まると、自分の没個性ぶりが途端に目に付き始める。気が付けば、事務所も解雇されこのザマだ!


 ──なんなのよ!


 感情を叩きつけるように歌と演奏を終えたとたん、周囲から拍手の雨が降ってきた。

 え、なにこれ? と驚嘆して顔を上げると、いつの間にか、周囲をたくさんのギャラリーが取り囲んでいた。


「あ、あれ?」

「やっぱり私の思った通りです。雪菜さんは凄いです」


 涙に滲んだ声で、拍手を送ってくれる由紀ちゃんの顔を見たのち、立ち上がって深く頭を下げた。


「聴いて頂きまして、ありがとうございました!」


 こんな気持ちになったの、久々だ──。



 当初は、一晩泊まって終わりにするつもりだった。夜が明けたら、お世話になりました、とだけ感謝を伝え、彼女のアパートを出ていくつもりだった。

 ところが、「これから毎日、駅前で演奏しましょうよ! そうしたらさ、次第に口コミで評判が広がって、絶対に雪菜さん人気になれますよ!」と熱弁を振るう彼女にほだされて、すっかりその気になってしまう。

 二十三歳の大人が他人の意見に流されるのはみっともないが、由紀ちゃんの熱意にあてられて、舞い上がったのは否定できない。オーディションを受けた時と同じじゃないか。学習機能がない、と自分を罵りたくもなるが、結果として私は彼女のアパートに居座ることになった。

 もっとも、衣食住を任せきりではかっこがつかない。由紀ちゃんはまだ大学生であり、基本的に奨学金と親の仕送りで生活している身なのだ。生活費くらいは自分で稼ごうと、近所のコンビニで昼間だけアルバイトを始めた。そうして夜八時くらいになると、駅前に赴いてだいたい二曲演奏するという日々の繰り返し。

 由紀ちゃんは、毎日律儀についてきてくれた。

 当初はそれほど注目されなかった。初日のあれはまぐれだったんじゃないかと思えるほど、注目されない日が続いた。

 だが、立ち見の客は二人から三人に増え、三人から四人に増え、クリスマスが過ぎ年末を迎えるころには、十数人のギャラリーに囲まれるようになっていた。

 浅ましくも設置しておいたギターケースの中に、投げ銭されることも多くなった。きっかけを作り、私の背中を押してくれた由紀ちゃんには感謝してもし足りない、そんな気分だった。でも──。

「クリスマスなのに、彼氏とデートしなくていいの?」と彼女をからかうと、「私、彼氏なんていませんよ? 私がいま夢中なのは、雪菜さんだけなんで、男なんて必要ありませんね!」

 本気とも冗談ともつかない顔で、彼女はそんなことを言って退けた。

 ほんと、この子には敵わないや。


 コンビニでアルバイトをしていると、サマーライド・ガールズの雪菜さんですよね? と話しかけられることがたびたびあった。けれど、元アイドルのわりにたいして驚かれず、あまつさえ、『頑張ってください』と哀れみの声をかけられることすらも。

 まあね、と私は鼻じろむ。

『雪菜脱退 (どういうわけか、自主的に、となっていた)』のニュースは、ネット上でもたいして話題にならず、「ああ、やっぱり」という達観した意見のなかに瞬く間に埋もれていったのだから。

 人の噂話って、残酷だ。


 そうこうしているうちに、三か月が過ぎ去った。故郷である雪国とはまったく違う、いかにも東京らしい乾燥した寒さの冬を乗り越え、季節は春を迎えていた。

 それまで着ていた分厚いコートを脱ぎ捨てて、今日も私は由紀ちゃんと二人でストリートライブを行っていた。

 思えば、よくこんなに続いたものだ。過度な悪天候の日を除き、雨が降る日も、風が吹く日も、私は駅前の商店街で歌い続けた。ギャラリーは増える一方とまではいかなかったが、リピーターがついているのを日々実感していた。


「ありがとうございましたー」


 元気に頭を下げたあと、ふと、視線を空に逃がす。都会にしては珍しく、無数の星が瞬いていた。今日は空気が澄んでいるのだろう、と思う。空気だけではなく、私の心も。

 アコースティックギターを片付けていたその時、スーツ姿の男性が声をかけてきた。


「広瀬雪菜さんですよね?」

「え? あ、はい」

「ああ、やっぱり本物だ。実は私、こういうものでして」


 そう言って彼が差し出したのは一枚の名刺。名刺の中央に書かれていたのは、大手音楽事務所の社名だった。


「あの、これは……?」

「あなたの歌声に、すっかり魅了されてしまいました。アイドルとしてではなく、一人のミュージシャンとして再起をはかってみませんか?」


 驚いて、近くにいた由紀ちゃんに視線を向けると、彼女は無言で頷いた。まるで、こうなることを全て予見していたかのように。


「はい。よろしくお願いします」



 こうして私は、一人の女性アーティスト、『広瀬雪菜』として再起を目指すことになった。

 本当にいつからなのか、ネット上では『元サマーライド・ガールズの雪菜がストリート」ライブをしている』と話題になっていたようで。情報を聞きつけた音楽事務所の人が私を探して声をかけてくれたらしい。

 著名な作詞家が曲を書き下ろしてくれて、デビューの日取りもとんとん拍子で進んだ。

 本当に、こんなことになるなんて信じられない、という気持ちしかない。

 まともな収入が得られるようになったことで、私は由紀ちゃんのアパートを出て都内のマンションに引っ越した。別れの日、静かに涙した彼女の顔が今でも忘れられない。あの冬の日、駅前で彼女と出会っていなければ。私の歌を聴きたいと、彼女が言ってくれなければ、こんな未来はきっとなかった。

 私は彼女のことを忘れてはならない。これからもずっと。

 ほんのりとした痛みを主張する胸に手を添え、私は彼女に「さようなら」を告げる。またいつか、胸を張って彼女と顔を合わせられる日が来たら――。


 そうして迎えた初めてのライブの日。

 デビューに先駆けて行われる先行ライブの会場として準備されたのは、都内にあるとある劇場。

 緊張した面持ちで、私はステージの中央に進んだ。ステージと観客席に照明が落ちて、ぱっと明るくなった視界のなか、無数の瞳がこちらを向いていた。

 そこまで大きい劇場ではないが、観客席はきっちり超満員。アイドル時代、主に後列で歌うことが多かった私は、人の多さに圧倒されて萎縮してしまう。

 息が詰まりそうになったその時、観客席の端。視界の隅で揺れる黄色の団扇が目についた。

 まるでアイドルのコンサート会場で振られる場違いなソレは、かつて私がサマーライド・ガールズに所属していたころ、私のイメージカラーだった黄色の団扇。


「雪菜さん!」


 懸命に声を絞り出して、団扇を振っている女性が一人。彼女の名前は──。


「由紀ちゃん」


 この段階になって、ようやく私は思い出した。この光景。前にも見たことがある、と。

 アイドル時代、赤とか青とか緑の団扇に紛れて、たったひとつだけ黄色の団扇が揺れていた。数が少ないのはいつものことだったけれど、ひとつだけは必ず。

 そうだ。私が彼女と最初に出会ったのは、去年の十二月なんかじゃない。もっと前、おそらく彼女が高校生だったころに、私は由紀ちゃんと会っている。

 あれは、都心で珍しく雪が舞った寒い日のことだった。今日も自分のファンは居なかったと俯いて会場を後にしたとき、私に声を掛けてくれたのが彼女だった。黄色の団扇を大事そうに抱き「雪菜さんのファンなんです」と顔を赤らめて手を差し出してきた姿を見たときの衝撃を、どうして私は忘れていたのか。

 不貞腐れていた自分が恥ずかしいと思った。一つだけ揺れていたであろう、黄色の団扇をないがしろにしていた自分が情けなかった。滲んだ視界の中、震える声で、震える指先で、私はあの日、彼女の握手に応じた。


『こんばんはー。おねーさん、一人?』


 などと話しかけてきたけれど、なんのことはない。彼女は、最初から私の正体を心得ていたんだ。その上で、私に歌うよう、促してくれたんだ。

 私が歌唱力に自信があることも、きっと彼女は知っていたから。

 あの日から、私は変われた。確かに私は声が響かないしダンスだって下手だ。見た目だってたぶんメンバーの中で一番地味だったし、アイドルとしては間違いなく失格だった。

 それでも、こうして今、自分の持ち味を活かして再びステージに立っている。他ならぬ、彼女のおかげで。

 よし、と拳を小さく握る。頑張って歌おう、私のことをずっと応援し続けてくれた彼女のために。


「本日は、私の先行ライブにお越しいただきまして、本当にありがとうございます。最後まで盛り上がっていきましょう!」


 深々と頭を下げて、ボルテージが上がり始めた会場の声に応える。

 これから先、また壁に当たる日がくるのかもしれない。再び揶揄される日がくるのかもしれない。それでも、この会場で一番輝いているのは私。

 だって私は──。


「それでは一曲目、聴いてください。『ずっと君だけを見てきた』」


 今、恋をしているのだから。

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