第3話 少女の真実

「ガンだって。しゅじゅつできないって。なにそれ、なにそれ、なにそれ」


 ライトの光に照らされた中、手書きの文字でそう書かれていた。


「こわい、いやだ、死にたくない」


 文字が乱れていく。


「かおりが、あいにきてくれない。しんゆうなのに。なんで? わたしのこと、わすれたの」


 私はごくんと唾を飲み込み、茉莉也を見た。茉莉也もこっちを見ていた。二人してそっとそのノートから離れ、部屋を出た。「で、出直そうか」見てはいけないものを見てしまったような気がして、私は茉莉也にそう言った。二人で無言のまま階段の所へ戻る。


 一番の恐怖って、死ぬことなのかな。私はふとそう思った。もし自分があと三か月の命だって分かったら、とっても怖い。まだやりたいことだってたくさんあるのに、未来が全部なくなってしまう。


 いや、でもそれよりもっと怖いのは……と、さっき書かれていた手書きの文字を思い出す。

 もっと怖いのは、信じていた人に裏切られることじゃないのかな。「かおりが、あいにきてくれない」「わたしのこと、わすれたの」あれを書いた人は一体どんな気持ちであれを書いたんだろう。


 と、その時、スマートフォンの着信音がした。茉莉也のだった。突然だったので私の心臓は止まりそうだった。


「茉莉也、スマホ、買ってもらえたんだ」


「うん。一緒に文がママに頼んでくれたの。すごく一所懸命に頼んでくれて、ママも渋々」


「文?」


 私の心臓が、今度は跳ね上がった。え? そんなの知らない。なんで文? 茫然とする私の方は見ずに、茉莉也は軍手を外して、スマートフォンを操作している。


「スマホ、誰から?」


「文。明日遊ぼうって」


 茉莉也はそれだけ言うと私を無視してスマートフォンを操作し続けた。スマホの画面を凝視して、今いる場所を忘れ、興奮しているみたいだった。


「あ、あの、茉莉也、明日からの夏休みは私と遊ぶんじゃなかったの?」


 私はこわごわ茉莉也に声をかけた。


「だって今まで私以外の人となんて、なかったよね。あ、分かった、じゃ、文も入れて三人で遊ぶってことだね。それなら」


 言い終わらないうちにものすごい衝撃で、私の体は宙に浮いた。


 あっという間に私は階段の一番下まで落下した。一瞬のことで何が起こったのかすぐに理解出来なかった。全身が痛い。なんとか首を持ち上げると、真っ暗な闇の中、スマートフォンのライトに照らされた茉莉也が階段を降りてきた。


「い、痛いよ茉莉也。たすけて」


 私は茉莉也に懇願した。けれど茉莉也は何も答えず、ゆっくりと私に近づくだけだ。


「どうして。茉莉也、なんで」


 なんで私を突き飛ばしたの?


「私、文と友達になれそうなの」


 茉莉也は仰向けに転がる私を見下ろすように立ち、ようやくそう言った。


「文と一緒の高校入ろうって約束したの。その高校の文芸部に、一緒に入ろうって。嬉しかった」


「そ、その高校に私も一緒に行くよ」


「桃花はダメ。もう一緒にいられない。私、最近桃花に振り回されてばっかりだし。今日だって」


 私は頭を殴られたような衝撃を受けた。茉莉也、私のことそんな風に思ってたの。


「ずっと、しょ、小学生のころからずっと、一緒だったじゃない。ねえ茉莉也、これからだって」


「だからそれが嫌なの」遮るように、茉莉也はきっぱりと言った。「私は桃花がいなきゃ何もできない存在じゃない」


 茉莉也の言葉が頭に入ってこない。無意識に理解しないようにしている。


「茉莉也、は、話し合おう? 私、悪いところは直すから。ごめん。本当に気が付かなく、て、ごめん。しょ、小説なんかにつき合わせちゃって」


「桃花は小説家になれないよ」


 茉莉也がしゃがんで私の顔を覗き込んだ。マスクを外して、少し悲しそうな顔をしていた。


「教えてあげる。桃花に一番の恐怖を。桃花は私が心の中で作った、架空の友達なんだよ」


 だけど悲しそうな顔は、泣きそうな顔じゃなくて、どこか悟ったような顔で。


「小学生の頃、両親の仲が悪くて、友達もいなくて、私、寂しくて、桃花をこんな友達いたらいいなって、想像の中で作ったの。桃花って名前は、そのとき読んでいた本の主人公の名前からとったの。なのに、桃花ってば自分の夢を語りだしたりして、だんだん勝手になっていくんだもの。本当にびっくりした。文と友達になるためにはこうするしかなかったの」


 私には理解できない言葉を、茉莉也は躊躇なく並べる。


「桃花がいつまでもいたんじゃ、私はちゃんと出来ない。私は本当の人間の友達が欲しいの。文と友達になって普通になりたいの」


 そして、茉莉也は、私ではなく、どこか遠くを見て、夢見るような顔つきになった。


「だからごめんね、文も入れて三人で遊ぶなんて言うからつい突き飛ばしちゃった。でも痛くないでしょ。もうすぐ桃花は消えるよ。私が桃花を忘れるから。バイバイ、私の……親友」


 親友と言っている割には茉莉也の顔は吹っ切れていた。それを見たくなくて私は顔を背けた。そこには大きな姿見があった。茉莉也しか映っていなかった。


 一番の恐怖。確かにそれは死よりも恐ろしい。自分が存在していなかったなんて。私には初めから、夢も、未来もなかったってことだ。


 でも。


 でもね、茉莉也。私はやっぱり信じていた茉莉也を失うのが怖いよ。一番、怖い。


 ねえ、待って、茉莉也。声が出ない。何も見えない。



 ねえ、茉莉也、どこにいるの。

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少女の告白 ふさふさしっぽ @69903

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