第11話 私、軽い女でなくってよ?

 ルゥがうちに来て2ヶ月が経った。つい先日、2度目の病院にも行った。検査結果は問題なし。体重も1kgを超えて順調に成長している。あと半年もすると倍くらいになるらしい。猫の成長恐るべし。今回はワクチン接種も無事終了。今回は気絶しませんでしたね?と看護師さんに笑われた。いーもん、イジケてやるもん?!

 検査もワクチン接種を終えた後、先生から質問を受けた。質問は『避妊手術はどうしますか?』だった。


「メスにも避妊手術は必要なんですか?」

 素直に疑問を投げかけた。オスは去勢するとか聞いたことあるけどと。先生は丸めた頭を手のひらで少し擦りながら『ふむふむ』という顔で答えてくれた。


「ネコ科の動物は、交尾をきっかけに排卵するので、ほぼ交尾=妊娠・出産です。家で飼っていても、外に出てちょっと目を離したすきに、妊娠させられるということは、よくあります。できるなら最初の発情期が来る前、生後6ヶ月~8ヶ月頃に行うのが適当です。」

「避妊手術しないという選択肢はないんですか?」

 正直な気持ちで聞いてみた。去勢もそうだけど、何となくお腹の奥がキュンとする感じで、喜んでハイとは言いにくかった。先生は、さっきと同じように自分の坊主頭を撫でた。よく聞かれる質問なのかもしれない、今度は『うむ』という顔をした。


「避妊手術をするのは、2つ守るものがあるからです。ひとつ、ネコは一回に3〜5匹子どもを産みます。仮に年に1回妊娠するとして、毎年5匹ずつ増えていくネコを全て飼えますか?それとも毎年里親を探せますか?つまり飼い主のためです。

 もう一つ、それはルゥちゃん自身のためです。発情期は年に2〜3回、半年以上あります。もし交尾をしなければ、その間ずっと、イライラ、悶々とすることになります。」


 先生は顔を俺にグッと近づけ、小声で話すように、クイクイと手招きした。耳を先生に向けると、先生は小声で話をした。

「失礼ですが、オナニーしますか?」

 唐突な、予想外の質問でどう答えていいか、窮していた。しかし、男子高校生の一般的な答えを前提にしたのだろう、先生はそのまま話を続けた。


「君がすごくムラムラしてるのに、オナニーを我慢したらどうなりますか?それが数ヶ月続いたら、どういう気分ですか?」


 やはり答えは出なかった。答えられなかった。冷静に考えたら、先生の言うことが正しいというのは分かる。やんなきゃいけない。分かってはいるけど、何か気持ちが落ち着かない。ネコの気持ちなんて分からない、分かるわけがない。そう言い切りたい気持ち。ルゥはどう考えるんだろう、本人に聞けるんだから聞いてしまおうか、でもそれも何だか聞きにくい。


 先生は、俺の返答を待たずに『そういうことです』とだけ言って、ニコリと微笑んだ。大切な家族の問題なので、ご両親としっかり話し合ってくださいと。父さんのまた優しく撫でられているルゥを見た。俺はルゥとどういう関係でいたいんだろう・・・。


 帰り際、ルゥは悩んだ顔をした俺を気にも留めず、『タコタコ~スプラッシュ!』とか先生に叫んでいた。魔女にでもなったんでしょうか?なんかもう、それでもいい気がしてきた。


◇◇◇◇◇


 その日、なぜか家に姉がいた。

 まぁ自宅なのだから、いても不思議ではないのだが、大学以外はたいていバイトに行ってしまうので、昼間のほとんどは家にいない。そして更に姉の隣には見慣れぬ男性が立っていた。


「はじめまして、本田誠と言います。お邪魔します。」


 本田と名乗った男性に、姉はいつもより1トーン2トーン高い声で「上がって♪上がって♪」と促してリビングに連れていってしまった。どうやらいつも姉が言っている「彼ぴっぴ」のようだ。ものすごくイケメンというわけではないが、爽やかなスポーツマンという印象で、姉が好きそうなタイプだった。


 以前、前の彼氏を連れてきた時は『てめぇ近づくんじゃねぇ』ぐらいの目線を俺に送ってきていたものだが、今回は少し様子が違った。まず「こちらが弟の悠人ですぅ」と紹介されたのだ。『なんだ、その甘い語尾は。いつもの切れのある大声はどこに行った?!』と思わなくもなかった。蹴りが飛んできそうなので、口には出さないが・・・。そして紹介された理由もすぐに判明した。


「まことがね?猫好きらしくてぇ、家で飼い始めたって言ったら、見たいっていうのよぉ。ゆうと!ルゥを連れてきて。」


 そうですか、そういうことですか・・・

 甘い声とは裏腹に、姉の目は『早くつれてこい』と鋭かった。彼氏さんの方を見ると、爽やかな笑顔と目線で『お願いします』と語っている。彼氏さんが良い人そうなので、姉の実情を知る俺としては若干の同情を禁じ得ない。まぁ連れてきますが・・・


・・・


「・・・ということで、ルゥさん、一緒にリビングに来てほしいんですが。」


 俺の部屋に戻った時、ルゥはエビのぬいぐるみをこねくり回している最中だった。説明をしている最中もずっとこねくり回しまくっていて、ぬいぐるみを抱いたまま、床をグルグル回っていた。


「見ての通り、わたくし忙しいのですが・・・」

「どこがですか?」

 どうみても、おもちゃと戯れるネコ、にしか見えませんよ?ちょっとぐらい協力してくれても罰は当たりませんよ?何より、ルゥが来てくれないと、俺が後で姉貴から罰を与えられてしまいますよ?


「あぁ、ゆりお義姉さまのお願いでしたね、それでは仕方ありませんわ?」


 いつの間に、そんなにゆり姉と仲良くなったのですか?何か弱みでも握られたのですか?


「でも、安い女と思わないでほしいものですわ?」

 ・・・あぁそれはこないだ見てた昼ドラのセリフですね・・・


・・・


 ルゥを抱っこしてリビングに連れてきた。『きゃールゥちゃ〜ん!いつもカワイイぃ〜』という聞いたことのない姉の声が飛ぶ。いつも見てんじゃねぇか。(心の中で)ツッコんでいると、なぜか姉が俺に近づいた。


「彼ぴと遊んでくれたら、ちゅ〜るあげるね♪」


 姉は小声でルゥにそう話しかけた。俺の腕の中で嬉しそうに身悶えるルゥ。お前、めちゃくちゃ買収されてるやん・・・何が私は『安くない女』だよ・・・ん?ちょっと待て。いつもの?ひょっとして・・お前ら・・・

『ほらほら』と促され、俺はルゥごと彼氏さんの前に連れ出された。彼氏さんの方が背が高いので、上からルゥを見下ろすことになる。若干の威圧感にキョドる俺。


 と思っていると、彼氏さんが腰を落として、ルゥに目線を合わせた。大きな手でひとなで。のどの下に手を入れてナデナデ。ルゥはゴロゴロと喉を鳴らした。随分とサービスがよろしいようで?


「肉球、触っても?」

「もちろんよ!」


 彼氏さんの提案に答えたのは、もちろんルゥではなく、ゆり姉だ。言われるがいなや、サッと前足を差し出すルゥ。買収されているから、話が早いなぁ、おい。


 彼氏はルゥの前足をそっと手にとると、裏返し、肉球を見るや『おぉ』と感嘆の声をあげた。プニプニと触りだすと、愉悦の表情を浮かべた。彼氏さん、良い人かもしれないと少し親近感がわいた。


「あぁ肉球、柔らかいね。ゆりのほっぺみたいだ。」

「もう、まことったら、やだぁ〜」

 ・・・前言撤回。弟の前で、ほっぺたをプニプニしだしたバカップルを誰か何とかしてください。


・・・


 しばらく二人は、ほっぺたと肉球を互いにプニプニしていたが、たぶん姉貴の方が飽きたんだろう『おもちゃを取ってくるね♡』と一言残して、部屋に向かっていった。プニプニする相手を失った彼氏さんと、背景その①と化していた俺、そして間に挟まれたルゥ。取り残された俺たち、二人と一匹はお互いの顔を見合わせた。


「本田さん・・・あの、姉って、いつもあんな感じなんですか?」

「家では違うの?」


 質問に質問で返された。違う、が違うとは言い難い。あんな感じですよ?と嘘をつくのは、更に難しい。ん〜〜と答えに窮していると、何かを察してくれたのか『まぁ家族だしね』と苦笑いしていた。


「そういえば__」

 彼氏さんは新しい話題を思いついたとばかりに、ポンと手を打った。


「ゆり、君のこと褒めてたよ。ネコ拾ってきて、しっかり育ててるって。弟は優しいんだって。」

「えっ?姉がですか?」

「いい弟だって自慢してたよ。」


 にわかには信じがたかった。そんなはずはない。


『普段は喧嘩ばかりしている』

『姉はもう少し声が大きい』

『だって弄られてばかりで・・・』


 そんな言葉ばかりがつい口につく。姉がそんなことをいうなんて信じられない!と言ったところで、彼氏さんが『ははは』と笑い始めた。何か笑う要素あったっけ?


「あぁ、ごめん、ごめん。」

 俺がよっぽど変な顔をしていたんだろう。彼氏さんは、俺の肩をぽんぽんと軽く叩いた。


「おれ、一人っ子でね。姉弟喧嘩できるなんて、羨ましいなと思ったんだ。」

「そんなもんですか?」

 頭をかいた。喧嘩するほど仲がいい、とか言うものの、喧嘩する当人には、喧嘩は喧嘩なんだよね。

「それに普段、喧嘩してても、理屈抜きで大事だって思うのが、本当の家族なんじゃないかな?いなくなったら、嫌でしょ?」

 彼氏さんがニコリと微笑んだ。


 いなくなったら嫌、か・・・父さん、普段はあまり話さなくて、本ばかり読んでるけど、いざという時に助けてくれる。母さんは、時々口うるさく感じることもあるけど、いつも明るく接してくれて。姉は・・・いなくなれと思ったことは何度もあるけど、本当にいなくなったら何か寂しいな・・・やっぱり家族なんかなぁ・・・じゃあ、ルゥはどうなんだろう・・・


 そのまま抱いているルゥを見た。


 にゃ~ご


 ルゥは何も言わずに、一声啼いた。


「もう!二人で何話してるの?」

 姉が戻ってきた。手には姉が買ったであろう新しい猫じゃらし。そして姉はマンガ以外で見たことない『ほっぺた膨らますゾ?』お怒りモードを出していた。こんなに可愛くないと思ったのも珍しい。まぁ彼氏さんが破顔してたから、もう二人で勝手にやってくれ。


◇◇◇◇◇


「__でね、時々私と遊んでるのか、二人で遊んでるのか分からなくなってね?ちょっとゆうと?聞いてる?・・・」


 姉がリビングに戻ってしばらくしてから、『お前は他所にいけ』と姉から無言の圧力を受け取った俺は、その後の様子を知らない。そして彼氏とゆり姉が家を出たので、戻ってきたルゥの愚痴を今聞かされている。まぁサービス業は楽じゃないね。


「もう二人を見るのが恥ずかしくて、途中から一人で遊んでました。ちょっと疲れました・・・」

「へー」


 ルゥはお腹を見せて、床にびみょ〜〜〜んと伸びに伸びた。ネコってこんなに伸びるもんなのね。俺は何とはなしに、伸びきったルゥの上で、俺は猫じゃらしをしゃりしゃりと振った。ルゥは疲れ過ぎたのか、もはや見向きもしない。


「でも・・・」

 ルゥは伸び伸びをやめて、クルッとスフィンクス座りをして、こちらを向いた。


「・・・」

「・・・でも、何だよ。」

「・・・なんでもない、ちょっと嬉しかっただけ。」


 ルゥはそのままクネクネしだした。何がいいたいのやら。俺には心を読む能力はないからなぁ・・・ん?何か読まれたのか?

 ルゥはクネクネし続けていた。・・・まぁ喜んでいるなら、それでいいか。


「そういえば・・・」

 ふとルゥと出会った時を思い出した。そういえば、ルゥ、なんでこの世界に来たんだ?何か理由があって来たみたいなことを言ってなかったかな?


「なぁ、ルゥ・・」

「はい、何ですの?ダーリン?」

「最初に会った時、理由があって、こっちの世界に来たって言ってたよな?それって何?」


 ルゥはふっと前足を立てて俺から目線を外した。尻尾を小刻みに振って、尻尾の先を探すかのように天井の方を見ていた。


「・・・そんなこと、言ってました?」

「はぐらかすなよ。」


 ルゥはそのままピョンピョンと跳ねて、自分のサークルの方に向かって飛び込んだ。


「わかんなーい、もうつかれたー」

「転生するぐらい大事なことなんじゃないの?」

「・・・ちゅ〜るくれたら、思い出すかもしれませんよ?」

「お前は・・・」

「お前じゃなくて、ハニーと呼んで?ダーリン!」


 家族って、理屈と打算抜きだと思うんですけどねぇ・・・

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転生してきた令嬢にいきなり告られたので、断る方法を誰か教えてください!! 塔山森山 @toyo-toyo

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