エピローグ


 「家まで送っていくから」とのことで、僕と桃香はたった四軒ばかりの距離を二人並んでゆっくり歩いていた。

 雨に濡れたアスファルトが、すっかり濃さを増した夕焼けの紅に照らされている。 ぎらぎらした輝きが目に痛いくらいだった。


「……暁、今日のことはありがとう。 おかげで私、色々と精算できたような気がする」

「僕の方こそ、桃香がいてくれたから変わることができた。 ありがとう。 それと、ごめん。 真実を意図して隠すようなことして」

「ううん。 もう、いいの。 暁にも理由があったんでしょう」


 そういえば、まともに理由を伝えそびれていた。


「すごくエゴなんだけどさ。 桃香の両親が桃香を愛していることは分かっていたから、残酷な真実より、せめて朱香さんらの想いを斟酌しんしゃくした真実を伝えたかったんだ」

「……暁、大人っぽいことするじゃん」

「とんでもない」僕は苦笑するしかなかった。 「桃香の方が大人だよ。 真実に直向ひたむきで、自分自身を見つめて、ぶつかり合って……。 片や僕は、僕が憧れる大人になれなかった。 どこまでも子供のままなんだ」


 なんとなく、このまま帰ってしまうのは嫌だった。

 僕が立ち止まると、桃香も自然な所作で倣った。


「暁が憧れたのはどんな大人だったの」

「純粋な気持ちで誰かを想いやれる大人、かな。 それなのに嘘を交えてしまったのだから、れっきとしたアウトだよ」

「嘘も方便って言うじゃない」

「物事が円滑に運ぶためなら、だろう? 結果として桃香に傷を負わせて、真実を語るに迫られたんだ。 僕がやったのは子供っぽい軽率な行いだった」

「それでも、お母さんに助け舟を出したのは暁じゃない。 あの一言が無かったら、流れは最悪になってた。 暁の憧れた大人の一面が、あそこに表れていたんだよ」

「あれは……」


 こうも熱弁を振られると、僕は居た堪れなくなる。


「私が街中を捜し回ったのも暁がいたからで……。 お母さんだけじゃなくて、私も、救われた部分があるの。 そもそも私たちは、完全な大人にはなれないんだよ。 、多少の綻びは妥協でしょ?

 ちなみに暁は今も、大人になりたい気持ちがあるの」

「まあ、ね」

「であれば、過去に拘ってちゃダメ。 きちんと割り切らないと。 私と親の間にあった溝も綺麗に埋められた。 互いに辛いことはあったろうけど、結果オーライ!」


 桃香は歩き出す。 終わりが近付いている。

 僕は去来する胸の騒めきに二の足を踏んだ。

 本当は、僕が大人になりたいと渇望したのは。

 

「桃香を支えたいって気持ちが、大人に憧れた一番の理由なんだ」

「えっ、なに」桃香が僕を振り返る。 「まさか、私に告白してるの?」


 その、素直に言葉を聞き入れようとしないひょうきんな態度が、甚だありがたかった。

 そうでなければ僕は臆していたことだろう。


「ああ。 僕は大人のような心強さで桃香を支えたい。 それが大人になりたい僕の全てだった」

「ち、ちょっと。 急すぎるっ! 待って心の準備ってのが」

「言ったろう、僕は子供のままだと。 つくづく我儘なんだよ。

 だけどこれからは、大人に──大人らしくあれるように、自分を見つめ直す。 桃香が待っててくれるなら……返事はその時にでも」


 だんだんと桃香の顔を見られなくなる僕。

 数秒の沈黙の後、


「あのさ、私も一つだけ」


 膨らむ緊張を一歩毎いっぽごとに踏み潰すような足取りで僕に近付き、桃香は小さな掌をゆっくり差し出した。

 綿毛のように柔らかな風が僕らを包み込む。


「私がいつか桃の香りを感じられるまで、一緒にいてよ。 それで私は暁と……同じ色の景色を視たい」


 夕陽を反射する桃香の澄んだ瞳が、いつまでも朱く、赤く、輝いていた。 多分にして、僕らの頬は桃色に染め上がっていた。


 ──了。

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Near adult colour 三編柚菜 @mitsu_yuzuna

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