サーモンピンクの車

@hayataruu

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枯れ葉の舞う季節。

エアコンの室外機が動き始めるのには早すぎる。

昼間はずっと太陽の光にさらされるこのアスファルトも、冷たい空気には敵わずすぐに熱を奪われていく。


サーモンピンクの車の下。

エンジンの余熱が心地よく、朝から夕方までは私の寝床にさせてもらっていた。


「おはよ!」


薄目を開けると、園児服を着た子供が顔を覗かせている。

私がアクビをして見せると、ニコニコしたその顔は「またね!」と言ってどこかへ走り去る。

何を期待しているのか知らないが、関わり合いにはなりたくない。

朝の挨拶だけ済ませれば、夕方までは顔を見なくて済む。



ある日の朝。

外出着を着た子供が顔を覗かせ、私はアクビを1回。

今日が何曜日だったか興味もないが、出かけるのだろう。

私が車の下からノソノソ這い出すと、車は発進した。

今日は隣の軽トラックにお邪魔しよう。



夕方になり、夜が来て、朝が来た。

軽トラックの車高は高く、なんだかあまり眠れない。

サーモンピンクの車はまだ帰ってきていない。



寒さが日に日に厳しくなってくる。

サーモンピンクの車は、2日経っても、3日経っても帰ってこない。

もしかすると、遠く離れた土地に行ったのかもしれない。

壊れた三輪車の上から金網フェンスにジャンプし、さらにそこからベランダへ。

窓越しに203号室の中を覗いてみると、布団の上に座り込んだ男が見えた。



それから5日ほど経っても、私は相変わらず軽トラックの下にいた。

寝不足が続いてアクビばかりが出てしまう。

陽が高くなり少しだけ暖かさを感じてきた頃、目の前を1匹の猫が横切った。

優雅に踏み出すその足はしなやかで、ビロードのような短い毛並みがボディラインを強調している。瞳はキラキラと輝いて、とても美しい娘だった。

昂ぶる感情に居ても立ってもいられなくなった私は、思わず彼女を追いかけた。


つかず離れず。

ただただ、彼女を見失いたくなかった。

彼女は一度も振り返ることなく歩き続け、やがてとある民家に入った。


ブロック塀をよじ登り、玄関の裏手の方まで回ってみる。

老人に抱かれた彼女を小さな縁側で見つけた。

骨と皮だけのような手に時折目を細めながら、彼女もまた私に視点を合わせた。


私と彼女は見つめ合った。

長い長い時間、お互いに声を上げることなく静かに見つめ合った。

その日から、ガラス玉のような彼女の瞳は私のすべてになった。



秋から冬へ、そして春になった。

私は週に2、3度ほど、夕方頃になると軽トラックの下から出て彼女たちに会いに行くようにしていた。

ある日、彼女たちの家に異変が起きていた。

普段は大きな引き違いの窓だけが閉まる縁側が、今日は珍しく雨戸まで締まっている。

家をグルリと一周した後、鉢植えの後ろ、沓脱石の裏側、縁の下まで一通り見た。

彼女たちの姿はどこにもない。


翌日、私はブロック塀によじ登った。

塀を伝って家の裏側へ。

雨戸は今日も閉まっている。

そこでしばらく眺めた後、私は家を後にした。



軽トラックの下は落ち着かない。

隣は白い車が停まっている。

壊れた三輪車から金網フェンスに飛び移り、ベランダに入った。

布団がなくなった部屋で、男が洗濯物を畳んでいる。


私は「ニャァ」と一言鳴いた。

手を止めた男はこちらに気付くと、ゆっくりと立ち上がった。

私は彼の手をじっと見つめた。

男は静かに窓を開けた。



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