第8話 鈴の音は嵐の前触れ

 事の発端はある人物の一言だった。


「そういえば昨日、アルベルト様を見掛けたぞ」


 出仕を終えたばかりの一人の青年が白く壮麗な王宮の回廊を進んでいると、寄宿学校の友人であり見習い騎士でもあるハワードに声を掛けられた。


「兄上を?何処で?」

 その声に足を止め振り返った青年は、アルベルトの弟であるルイス・ユークレースである。


 淡い金髪と空と海を混ぜた瞳は瓜二つ。


 けれど兄よりも体躯がよく、精悍な顔つきをしていた。


「市場に居たんだ。声を掛けようかと思ったんだけど、お連れさんが居たからやめておいた」

 ハワードは『これこれ』と言いながら、小指を立てニヤニヤとしていた。


「…連れ?」


 引き篭もりが外に出た上、女連れ…。

 せめて、その『連れ』というのが誰か分かれば、外に出た目的も分かりそうなものだが、皆目検討も付かなかった。


「それが、めっちゃ可愛かったんだよ!!……ってか、何だ……ルイス知らないのか……。知ってたらその女の子紹介して欲しかったのに」


 ハワードは口を尖らせ不満げにしていたが、話を持ってきた動機が不純過ぎる。

 積極的に協力する気にはなれそうにない。

 だが、ルイスとて年頃の男子である。

 彼の通う寄宿学校も見た目こそ華やかだが、中には女の身体のことしか頭にないやつも居た。

 そう考えると順序立てるハワードはマシな部類に思えてくる。


「……もっと詳しく特徴を言ってくれ」

 ハワードはその言葉にパッと顔を明るくする。

 そして早速特徴を伝えるために、わざとらしく考え込む仕草をしてみせた。


「髪の色は薄い茶色で~」

「ほう」

(いっぱいいるな……)


「顔は可愛くて~」

「…………」

(それはさっきも聞いた)

 とりあえず、ハワードの好みドンピシャであることだけは分かった。


「おっぱいが大きい!!」

「貴様は一体どこを見ている??」

 すかさずツッコんだ情報は、全然参考にならない、いや、したくない情報である。

 ルイスは思わずゴミを見るような目で、隣を歩くハワードを見てしまった。

(兄上に『胸の大きい女性と出掛けたか?』とでも聞けと!?)


「……残念ながら、その情報だけでは、全っ然、誰だか分からん。他に何か思い出したら言え。」

「え~」

 仮にも騎士である友人の間の抜けた声に、ルイスは思わず頭を抱えた。


(……だが、そろそろ様子を見に行かなくてはと思っていたし……いい機会か。)

 ルイスは目を閉じると立ち止まる。


「……分かった」

「ん?」



「近いうちに会ってくる。ついでだ。上手くいけばどこの令嬢か位は分かるだろ」

 頼られたら断れない、ユークレース兄弟の特徴である。


「持つべきものは友!!!!」

 ハワードは王宮の回廊のど真ん中で仰々しく跪いた。

「……やめろ。忠誠とかいらない」

 げっそりとした顔でハワードを見下ろすと、足早に間借りしている宿舎へと戻って行った。


 そしてこの翌日、『引き篭もり伯爵を街でを見掛けた』というハワードの話が王宮内へと広まり、話を聞きつけた貴族が娘の釣書を持ってルイスの元へと殺到したのである。


 ***


 件の返信が各家へ届き始めたであろうその時刻、エステルとアルベルトは二人とも書斎にいた。

 アルベルトは仕事を、エステルは本の整理をしていた時だった。

 チリリンッと、書斎の中でエステルが聞いたことのない鈴の音が鳴った。

「!?」

 途端に勢いよくアルベルトが立ち上がる。


「……?アルト、どうかしたの?」

 訝しむエステルがアルベルトの様子を伺うと、彼は窓辺へと身を寄せ外を確認しだした。

 書斎室は正門からは位置がずれているものの、門扉の柱が死角に入らなければ、来訪者を確認できる。

 目を凝らしたアルベルトがその目に焦りの色を映し、渋い顔をした。

「…まずいな。」

「え、何?誰か偉い人でも来たの?」

「いや、ルイスだ…」


 弟だった。


「え、じゃあ何でそんなにあせっ…てぇぇええ!?」

 窓辺からくるりとエステルに体の向きを戻したアルベルトが、大股で近付いた次の瞬間、エステルのスカートから覗くフリルが風を含んで大きく揺れた。


「すまない、ちょっと急ぐ!」

(ぅわああぁぁ!!抱っこ!!お姫様抱っこされてる!!)


 女の子なら一度は憧れるであろうお姫様抱っこ。

 緊急事態のようだが、エステルにとっては突然のご褒美であった。

 顔を真っ赤にしながらも、落とされないようにアルベルトの首に腕を回し、しっかりと抱きつく。


「ありがとう、歩きやすいよ。」

 顔の近くでキラキラとした爽やかな笑顔を向けられた。


(…王子様みたい…!!!!)

 軽々とエステルを抱えたまま一階へ降り、更に地下まで突き進む。


 やがて、ひんやりとした空気が溜まっている倉庫までやってくると、一先ずエステルを腕から下ろし、灯りもないなか手探りでその棚を弄りだした。

 するとガコンッと何かが動く音が響く。

 棚が左右に動き、やがて現れたのはなんと隠し扉である。


 黙ってその様子を見ていたエステルも、流石にこれには驚いた。


 何せ幼少期からこの屋敷に頻繁に訪れているエステルだ。

 使用人の部屋も、屋根裏部屋でさえも、エステルにとっては遊び場のようなもので、知らない部屋はなかった。

 なのに、まさか倉庫の棚にこんな仕掛けがあるとは。


 アルベルトは躊躇することなくその扉へ手を掛けた。

 ギイっという金具の錆びた音と共に中の様子が徐々に明らかになる。


 室内は普通だった。


 机やベッドだけではなく水道まで備わり、普通に生活が出来るようである。

 但し窓などは一切無く、灯りも無しに過ごすのは無理そうだ。


「え?アルト……この部屋って何なの……?」

「監禁部屋」


 恐る恐る尋ねたエステルにサラりと告げられた言葉は、少々不穏すぎるものだった。

 流石に口をあんぐりとしたまま、閉じることが出来ない。


「あ、大丈夫。そんなにアブナイやつではないから」


 飄々とした様子でアルベルトは情報を付け足した。

 が、果たして監禁にアブなくないものなどあっただろうか…?


 エステルはすっかり縮こまってしまい、一歩も動こうとはしない。

 仕方なくアルベルトはエステルの手を優しく握りしめ中へと誘い入れた。


 中に入るなり部屋の机にあったマッチを使いランタンに火をつけ、急いで暖炉の前に行くと薪をくべる。

 ここ数年は使われることが無かったのだろう。

 天井の隅などには蜘蛛の巣も張っている。

 エステルは外の気温と変わらない部屋で、身震いをした。

「すまない、冷えるな」


 アルベルトは暖炉に種火を放り込んだ後、ベッドの上から毛布を掴み、エステルの肩にふわりを掛けた。

 そして手短に室内について説明をする。



 部屋には入口の他にも2枚の扉があった。

 左側はトイレやバスルーム、右側は何故か『入ってはいけない』と忠告を受けた。

 エステルは青ざめながら首を高速で縦に振る。


 苦笑いをしたアルベルトに『大丈夫、怖いものじゃない』とつけ加えられたが、既に十分怖い部屋である。

 開けるどころか、ドアノブにも決して触れないと誓った。


 エステルは毛布に包まりながらも、がくがくと震えていた。

 寒さだけではない震えを起こしているエステルに、落ち着かせるよう頬をそっと両手で包む。

 アルベルトから伝わる熱に、エステルは少しほっとしたのか表情を和らげた。

 しかし、次の言葉で今度は一気に凍り付いた。


「すまない、エステル。面倒な奴がここに来たみたいだから、少しここで隠れていてくれ。」


 その直後、その言葉の通りに来客を報せるベルが上の階から響いてきた。


「えっ…こんなところで一人で待つのなんか無理!!」

 アルベルトが傍にいる状態ですら涙目になりつつある。

「出来るだけ早く追い返すから。あいつに君を見られる訳にはいかないんだ」


 ―そう、少々どころか大分面倒な相手がきてしまった。


「無理…。うぅ…」

 時刻はまだ昼。けど。怖い。地下だ。

 仄暗い中での頼りはランタンと暖炉のみ。

 部屋を見渡しても心細さを埋めるものも全くない。


 しかし無情にもまた上の階で呼び鈴が鳴り響く。

 アルベルトが『ごめんね』と額にキスを置いていくと、踵を返し隠し扉へと戻っていく。

「待っ…!」

 て、と告げる前に『いい子にしてて』と、さっさと扉が閉められてしまった。


「……ぅ…う……そぉ……」


 扉は中から開けられない仕様であった。流石は監禁部屋というところか。


「うぅ…何で伯爵邸にこんなところがあるの!?」

 叫んでも無駄である。

 エステルはランタンの火を見つめながら、ただアルベルトの帰りを待つしかなくなった。



 ***



 地下にエステルを隠し終えたアルベルトは、足早に玄関ホールへと戻り扉を開けた。

 扉の先で待っていたのは、自分と同じ髪、瞳を持つアルベルトにとっては唯一の肉親のルイスだ。


 ルイスは今、寄宿学校に通いながら、時々アルベルトの代理として王宮に出仕している。

 アルベルトの王宮での仕事は騎士団の第三師団の師団長である。

 第一が花形の近衛、第二が有事の精鋭部隊とすると、第三は警備、犯罪の摘発が主な仕事となっている。


 そして、彼には権限として、相手が暴れていようと無かろうと逮捕権の行使ができる。

『魔女』であるエステルが万が一捕まりでもしたら、流石のアルベルトでも簡単に牢屋からは出せない。



(…でもあの部屋だけは、ルイスも知らない)


 アルベルトの目下の目的は、早々にこの弟を屋敷から帰すことだ――


「お久しぶりです、兄上。お体の調子はいかがですか?」

「久しぶりだな、ルイス。心配してくれてありがとう。お陰様で先日の釣書の件で、僕は絶賛寝不足だ。」


 人好きのする笑顔を貼り付けるが、言葉は帰って欲しいニュアンスをたっぷりと込めた。

 これで気を遣って引き返してくれたら万々歳である。

 しかし、そこで引き下がるルイスではない。


「そうでしたか…では、今度、睡眠に良さそうなハーブティーやアロマを送りますね!」

 やはり徒労に終わった。ならば、はっきり言うしかない。


「…いや、そうじゃなくて帰ってくれないだろうか?」


「大丈夫です!!!!!!」


(何が!?)

 斜め上の返事過ぎて、これにはアルベルトも心の中でツッコミを入れるしかない。


 ルイスは言葉を失っているアルベルトを気遣うこともなく、制止を振り切り『ほら、兄上はまだ仕事中でしょう?手伝います!』と元気いっぱい書斎へ向かっていってしまった。

 どうやら『手伝うから、仕事の件は気にしなくていい』の『大丈夫』であったようだ。


 アルベルトとて相手に出来ない人種もいるのである。


 ルイスは素直で真面目で、兄から見ても大変可愛い弟ではあるのだが、真っ直ぐ育ちすぎたせいで、少々空気の読めない子に育ってしまった。


 アルベルトは幼少から自分が捻くれてしまっていることをよく理解していたため、せめて弟は伸び伸びと…と育てた結果がこれである。


 そしてルイスはアルベルトを異常に敬愛している。

 よって彼は兄が自分をぞんざいに扱うなどと露にも思っていないのだ。



 渋々書斎へ戻ると、ルイスが一緒に持ち込んだ王宮の書簡を机に並べていた。

 更には先日見たばかりの似た封筒の束まであるではないか。


 書斎机の椅子に腰かけるなり、アルベルトはその束を睨んだ。


「……ルイス。もう、釣書は受け取るな」

 流石にうんざりとした声で告げたのだが、珍しく『駄目ですよ』反論してきた。


「兄上ももう二〇歳じゃないですか。そろそろをお相手を探して頂かないと」

 真正面から眼前に寄せてくる釣書の束を見る。

 その分厚さに身体を後ろに引く。今回も返事だけで腕を痛めそうである。


「すまないが、もう返事を書くのが嫌なんだ」

「では、どなたか選びましょう!!美人系と、可愛い系どちらがお好みですか!?」

(自分の弟ながら、これは厄介だ…!!)

 弟との意思疎通の難しさに、こんなに頭を痛める日が来るとは思わなかった。


 この中から誰か一人を選んだ程度では、厚みは大して変わらないし、そもそもアルベルトはエステルを妻に迎えたいのである。


 椅子に背中を預け、頭をぐしゃぐしゃとかいた。

 ルイスを見やると、とうとう彼は釣書の中身まで確認し始めたではないか。


 だが彼は良かれと思ってやっている。


 そして、自分が当主としてすべき義務も重々承知の上だ。

 だから咎めるのに気が引けてしまっていた。


(…これは、多少の言い合いは避けられないか)


 アルベルトは椅子から身体を起こし机の上で手を組み、前に立つルイスを見た。

 ルイスはその視線に気付き姿勢を正す。


「…ルイス、よく聞いてくれ。僕は見合いは一切しない。『エステル』としか結婚をしないと決めてるんだ」

 死人と結婚するなど、気が触れているとしか思えない言葉である。

 だが、ルイスは驚きもせずただアルベルトを見ていた。


 これは、ある程度は予想していたようだ。

 何せアルベルトのエステルへの溺愛ぶりを一番間近で見ていたのはルイスである。

 過去の女を忘れられないなどよくある話ではあるから、恋愛素人であるルイスでも想像がついたのであろう。


(…だが、次はどうだろうな)



「あと、子供は作らない」



 これには少しだけ目が見開いた。


「…何故ですか?」

 ルイスは低い声でただ静かに聞いてきた。


「どちらも『出来ない』からとしか言いようがないなぁ」

 物憂げに呟いたアルベルトに、ルイスは訳が分からないという苦い顔をして見せた。


「兄上、それでは答えになっておりません。義務はどうするのですか。もう、このユークレースには私達二人だけです。領地も第三師団もこの家で守ってきたものです」

 淡々と、冷静に、けれど何処か怒りを含んだ声色で捲し立てるようにルイスは話す。

 話の後の方には王宮からの書簡に皺が寄るのも厭わず、机に手をついていた。



(…出来るものなら、とうの昔にどうにかしている)




 アルベルトとて、愛しい人との間には子供が欲しいと思っている。




 実際に今は生きているエステルがいる。

 彼女との間に子供が居たらどれほど幸せだろう。

 けれど、無理なのだ。


 どれだけ願っても


 どうにも出来ない理由がある。




(――だって、今の僕は)








(もう、生きてはいない)



 黙り込んだアルベルトの答えを、ルイスはただただじっと待っていた。

 その様子は『こちらが納得する答えを貰うまでは決して帰らない』と言っているようで、誤魔化しは効かなそうだ。


 アルベルトは覚悟を決めた。


「…ルイス、お前が子を作れ。当主の座も君に渡そう」


「っ兄上!!それは幾らなんでも…!!」

 アルベルトの言葉に平静を装っていたルイスも遂に怒りを露わにした。

 過去の女に捕らわれ過ぎて、自分の役目すらも投げ出したとでも思ったのだろう。


 けれど、次の言葉でその怒りは矛先を見失う。




「…僕にはもう、子供は作れないんだ」








 アルベルトは人形だ。




 あの恐ろしいまでに美しい人形師が作り出した人形なのだ。

 例え人と同じ姿だったとしても、所詮、象っただけの偽物だ――





 ルイスはその後、一言も発することもせずに屋敷から出て行った。

 アルベルトはたった一人、書斎の窓から帰っていくルイスを見ていた。


 久しぶりに会った弟は、自分の背を越していた。


 身体は鍛えるほどに筋肉をつけ、顔立ちにはもう幼さの欠片も残っていない。


『成長』は正に生きている証だった。


 それは今の自分には無いものである。




 アルベルトは書斎から出ると、エステルの待つ地下へと戻る。


 あの部屋は元々アルベルトが監禁されていた部屋だった。

 人形になったばかりの頃、半狂乱になったアルベルトを、屋敷の人間やルイスから隠すためのもの。


 望んだ訳でも無いのに、死にながら生きている。




 その矛盾が酷く悔しく、悲しかった。


 隠し扉の前で深く息を吸い込んだ。


 まるで宝物を隠すように、両親はここへアルベルトを閉じ込めた。


 今、扉の向こうにいるのはアルベルトにとって、愛しくてやまない人。


(僕の宝物)


 扉へ手を掛け自嘲する。


(結局、僕もあいつらと同じじゃないか)




 ―もういい加減、全てケリを付けなければ…

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dolls‐人形師の日録‐ トウキ汐 @sekitoukiop

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