第9話 グループ分けで重宝された

 後期には、授業時間外での発表準備が中心となる実習授業もある。研究していることを社会に役立てる観点から、それをどう世の中に届けるのか、対象者を設定してなんらかのプレゼンテーションをおこなう授業だ。講義形式の研修でも良いし、製品開発の提案でも良いし、動画や音楽といった作品でも良いということで、プレゼンの方法はかなり自由である。複数の専門を対象とした比較的大人数の授業なので、普段関わりがない人とチームで課題に取り組む経験にもなる。

 動画はともかく音楽まで行ってしまうと、研究や社会学という学問からかけ離れてしまうようにも感じたが、どうもそうではないらしい。音楽の歴史は社会の構造と相互作用がある、と言った話が講義の中で出てきた。あくまで音楽での発表はひとつの例だということであるが、社会の中で起きていることはすべて社会学の対象になりうる、といった話であった。初めの数回は基礎知識ということで講義が続き、その後、発表に向けてグループを組むことになった。


 先生の指示では、自由にグループを組んで申し出るようにということであった。趣旨として、テーマが近い人が集まるのが望ましいことなどが伝えられ、個人で取り組むことも含め人数制限も特にないという話であった。

 自分はそれを聞いて特に違和感はなかった。テーマや発表方法の希望などは一覧に集約されるらしいので、もし近い人がいれば一緒にやれば良い、くらいに考えていた。しかし、指示に対して質問や意見が相次いだのだ。人数の多すぎるグループができると他の人たちができることが限られてしまう、という意見には、なるほどそういう考え方もあるのか、と思わされた。他に、評価が不平等になるのではないか、自由グループだと入れてもらえない人がでるのではないか、個別で交渉をするのは煩雑である、などの意見が出ていた。


 結局、人数とグループ数に上限制限をかけ、授業の時間の最後を少し割く形で、その場でグループ分けを行うことになった。男女が混ざったグループの方が望ましいが、人数のバランスの問題もあるので男性のみや女性のみになること自体は妨げない、という申し合わせもできた。

 グループが決まったところから表に名前や代表者を記入をしていき、全体のグループ数がおさまったら終了だ。大人数でグループを組もうとしていた人たちは、どう分かれるかを話し合っている。もともとの仲間で同性同士なら人数制限もクリアーできるグループは、そのままにするか男女混合のグループになる方がいいか様子を見ているようだ。何かを先生に訴えている人もいる。

 一緒に取り組んだら良さそうなテーマの人はいたのだが、普段からの仲間とグループを組むことにしたようだ。オープンな場で自由にグループを組むとなると、テーマを元に考えるというのはなかなか難しい。提出したテーマごとに先生が割り振ってくれればいいのに、などと思いつつ、もう少し様子を見て余りそうな人に声をかけようと考えていた。先生も、あまり動きがない自分たちに声をかけてはくれる。テーマが近い人がいたら自分から声をかけなさい、というのは正論だが、簡単にできることじゃない、と文句を言っている人もいる。実際その人は、周囲から少し疎まれているところがある。本人もそれを感じ取っているらしく、声をかけても断られると思っているのだろう。

 メンバーが決まったグループが増えてきて、このままだと自分を含めた残りの人たちで1つのグループを組むことになりそうだと思った。しかしそこで、人数がオーバーしてしまうことがわかる。先生はもうそれでいいと思ったらしいのだが、人数制限にひっかかるからと既に2つに分かれたグループの人から反対の声があがった。


 ふと周りを見ると、二人組の一人と目があった。目を逸らされることもなく、何かを伝えたい様子があったので、近づいてみた。すると、自分たちと一緒のグループにならないか、という話であった。断る理由はないので了承し、表に名前を書き加える。すると明らかに先生がホッとした表情になった。少し時間が延長になってしまったが無事にグループ分けが終わり、連絡手段を確認するよう指示が出てその日の授業は終わりになった。



 小学生の頃から、授業中の課題発表や宿泊行事の部屋割りなど、グループに分かれる必要がある場面が何度もあった。好きな人同士で組むこともあったし、選ばれたリーダーが自分の班にほしい人を順番に指名していく、という分け方も経験したことがある。くじびきで分かれるときにこっそりくじを取り換えてトラブルになったり、このメンバーとはやっていけないと泣き出す人を見たこともある。

 大人になれば、仕事の上でどんなメンバーが同じプロジェクトに割り当てられてもやっていかなければいけないというのは言うまでもない。とはいえ、学生の人間関係の中では、どのようなグループになるのかが学校生活を左右するのも理解はできる。


 自分はこういったグループ分けの場面は苦手だ。その理由は、人の欲があからさまになることが耐えられないからだと思う。テーマで分かれるように言われていても、仲のいい人と同じグループになりたいという気持ちを優先する。男女混合のグループを組むように言われれば、気になる人とこの機会に距離を詰められないかと周囲を含めて画策する。自分からは動かないくせに、自分と気の合う人が向こうから声をかけてくれるのを待っている。自分たちがグループを組んでしまえば、他が困っていても待っているイライラを隠さない。そんな様子を見るとモヤモヤが我慢できなくなってしまうのだ。



 自分に声をかけてくれた人たちも、少し似たような気持ちを感じていたようだった。グループは先生が決めた方が良かったかもしれないですよね、と話しかけられて同意する。そしてその後に言われたのが、でもいいメンバーで組めたのでラッキーでした、という言葉だった。

 授業後に他の人からも、このあと予定があったから助かった、あの場面で動けるのはさすがだ、自分たちのグループも声をかけようと思ったが一瞬遅かった、などと声をかけられた。自分の行動にそんな風に反応が返ってくると思っていなかったので少し驚いた。

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研究者に憧れた僕はコミュニティに飛び込むことが苦手だ @kuragenoongaeshi

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