第2話 さらなる思惑
馬鹿みたいな男だと最初は思った。アリアを強引に郊外へ連れ出した。守護兵も簡単に巻いてしまうかと思えば、堂々と正面を突破することもあった。セフィを始め、王国トップレベルの騎士たちの制止を、まるで箒で埃を履くように勇者は軽々といなしていった。
アリアは笑った。心の底からおかしいと思った。あの堅苦しい衛兵たちが、屈強な騎士たちが、小さな子ども扱いなのである。
戦っても敵わないことに、城中の戦士達が認めた。姫に危害がないと判ると騎士団はもう追いかけもしない。月光の女性戦士たちは、ただの勇者の追っかけになってしまった。
「あの方が来たわ!」
「わ、わたしも見たい! どこにいるの?」
彼が訓練所の指導をするというと、王国の騎士たちも参加を希望した。特に女性戦士は受けたいと募集枠の数倍も希望者が殺到した。
その彼を連れ戻すと言えば、多くの戦士達が協力してくれるかもしれない。
しかし、これは“女の闘い”でもあった。彼女は自分自身の力で、勇者を奪い返したかった。これは彼女のプライドでもあったのだ。
「月姫!」
立ち上がったアリアの目は冷たく光っていた。
「あの方を奪いに行きます!」
暗部もだめ、騎士団は動かせない、こうなったらアリア自身が赴くしかない。いや、自分で探さないと気が済まない! あの泥棒猫の頬を思いっきりなぐってやるわ!
しかし、王は王宮外へ姫を出したことはない。
「わたしも死ぬことにします!」
セフィは姫を驚いて見上げた。
「死…」
「ばかね、本当には死にますか! あの泥棒猫からあの人を奪還するまでは、表向きはそうします。父の説得も無理でしょう。」
父の本音は勇者に未練はないのだ。アリア自身が勇者を探しに出かけるなど論外だと言うだろう。
「では、冒険者と同じ手ですか?」
自分は暗殺されたという形にして、身分を隠し、ルナリアを追いかけるのだ。
「少人数で、勇者を追います。わたしと、セフィ、そしてルトラで行きますよ」
セフィは驚いた
「ルトラですか? あのもの、実力はありますが、言うことを聞くでしょうか?」
相手が王族だろうと、自分より力の弱い者の言うことなど全くきかない女性戦士である。ましては、姫となると…セフィは難しいなと感じていた。
「彼女はわたしが押えます!」
不安げなセフィの心は読めている。わたしでは力不足だと考えているのだろう。しかし、アリアはもう“メルセゲルの力”を使う覚悟をしている。ルトラ程度を手なずけなくて、あの元王女に戦えるはずもない! そう彼女は決心していたのだ。
* * *
「…ということが、月光の間で起きておりますが?」
王の前に暗部が跪いている。諜報部隊”王の目”である。王宮内のあらゆることに目を光らせている。
「うまく勇者が自作自演で去ってくれたのは良かったのだがな…、娘まで同じ愚を犯すか」
それもすべて、あの元王女が原因だ。
「お前たちがあの元王女を暗殺できないとはな…」
暗部が三人、下を向いたまま平伏している。
「申し訳ございません。“脅威”との戦いで優秀なものが減った上に、先刻の元王女暗殺に向かわせた部隊を、逆に全滅されてしまい…暗部をこれ以上、姫に割くことはできません。まず議会工作への諜報活動に重要かと…」
中央の一人が少し進み出て進言する。
「ルトラは元暗部。彼女をこちら側に引き込みます」
それだけでは不十分だろう…が、ほかに手がない。所詮は、使い終わった勇者、それに女同志の闘いに、これ以上、国家の力を振り向ける必要はないか…。
「しかたない…、セフィを幽閉しろ。アリアだけでは何もできまい」
突然、低く響きわたるように女の笑い声が聴こえた。しかし、実際には笑い声は一瞬で、ただ忽然と女が現れていたのである。
王はその人物の登場に、苦虫を嚙み潰したような表情をした。
“奴が来たな”
約束の時間よりまだだいぶ早い。王の知る、人物ではあるのだ。
「わたくしがお手伝いいたしましょう」
暗部の背後に、いつの間にか現れた漆黒の女性。漆黒のフードに身を包み、青い瞳と流れるような漆黒の髪が見える。その容姿はアイリスを彷彿させるが、彼女よりも、ずっと大人びているように見える。その動作や語り口調は、かなりの年齢を感じさせるのだが、見た目が会うたびに違うような気がする。どれほど歳を経ているのか、いつ見ても王には分からなかった。
暗部”王の目”の三人は、自分の背後を取られたことに驚き、さらにその女の持つ剣に驚いた。
突然、暗部三人は、自分たちの視界の色彩が消え、モノトーンの世界に落とされたことに愕然とした。女の持つ剣の力、恐るべき魔力の前に、周囲の空間を歪まされて、身体の自由を完全に奪われていた。
「そ、その魔剣は…ま、さか…」
一人がそう口にしたのが最後であった。かれらの魔力、生命力は限界まで吸い込まれ、生も根も尽き果て、巨大な枯れ木となり果てると、大きな音を立てて崩れ落ちた。どうやらかろうじて生きてはいるが、意識は完全に失っている。
「やり過ぎだぞ、この者たちはまだ使える…」
王は床に転がっている肉体の塊に目を向けると、その後ろに立つ女に声をかける。
床に転がる暗部の身体を、触れるのも嫌だと言わんばかりに、女は見えない力で部屋の隅へ吹き飛ばした。冷酷な行為と同様に、女の提案も残忍な内容である。
「アガバンサス王。ここはアリア姫に自由にやらせましょう。あの元王女と勇者、そして大神官は邪魔な存在…。アリア姫に討たれた、ということにして抹殺しましょう。それで姫の留飲も下がるでしょうから…」
ついては、わたしたちが影ながら姫をお手伝いしましょう。国の力を振り向ける価値はない案件なのでしょうから…と女は言う。確かにその通りではあるが…。
「姫に人を殺させろ、というのか」
父親としては反対である。
あら、そうでしたか? 娘さえも己の目的のためなら犠牲も厭わないかと思っておりましたのに…、女は聴こえるように呟く。
「それは暗部の仕事だ。お前たちが今、倒したな…」
転がった戦士を王も幻滅はしている。質が下がって使えなくなったものだ…。
「姫にやらせることで、立派な王女に生まれ変わるでしょう…」
女の瞳がさらに冷たく光る…。
「どうせ王国と関係なく動くつもりであろうに…」
王の皮肉ともとれるその呟きに、青い瞳が冷たく微笑む。
「いえいえ、わたしたちは王と王国の繁栄に協力を申し出たのですから…。いずれ西方大陸も人間の領土になるように、お力添えいたしますわ」
王は心の奥にある野望を見透かされ、不快な気持ちで思わずい視線を外す。たしかに西方大陸に手を伸ばすには、元王女はいない方がいい。元王女を消すとなると、勇者たちも消すしかない。しかし、それに姫を巻き込むのは…。
大陸の利益と自分の姫の存在を、天秤にかける王の貪欲さと暗さに、女はこの卑しい王の存在を心から喜んだ。そして、その愚かな貪欲さをさらに引き出そうと甘い声で囁いた。
「あらあら。これは失礼しました。そのお詫びと言ってはなんですが、先日、お約束した水晶を一つ、今、お渡ししましょう」
その言葉が終わるや否や、王のすぐ横に漆黒のフードの女が忍び寄っていた。
いつ、どのように動いたのか王には、まったく分からないが、これではまるでどちらが王なのかわからない…。その不敬さに内心、腹を立てたが、彼女が王の目の前に差し出した魔石水晶を見て、その気が変わった。
「紫水晶か…」
その握りこぶし大の紫色の魔石水晶を、まるで飴玉でも渡すような気楽さで、王の手に落とした。予想外の行為に、王が手を広げて慌てて受け取ると、見た目以上にずっしりと重い。魔力密度のせいであるのか、恐ろしさのあまり重さを感じているのかよくわからない。これだけで、王都が一瞬で消えてしまうほどの魔力があるはずだ。王国でもこれほどの魔石水晶はない。
「あと、2つ、近日中に、お届けしますわ」
「気をつけてくださいね。これ1つでも、王都が消えてしまうかもしれませんから…フフフ」
そう言って、女が笑ったような気がした。しかし、漆黒の女はもう、王の視界から消えていた。王が最後に見たのは、彼女のにやりと笑う唇だけだったのである。
王は忽然と消えた女を探したが、部屋にいたのは、枯れ木のように転がる三つの骸と、王の手に残った紫色に光る恐るべき魔力の塊であった。
勇者は誰にも渡さない! 戦うエルフ・ルナリアの“恋と冒険の物語”<改訂版> ルグラン・ルグラン @rufufuru
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