失われた文化の先に笑いはあるか?

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失われた文化の先に笑いはあるか?

 さかいきよしは壁に残った紙を指さした。それはポスターだった。経年のために色せているが、周囲を透明の保護膜フィルムが覆っているために、彼がどれだけ触れても問題のないようになっている。傷がつかないどころか、菌の付着すら完全に防ぐ膜であった。触れると、硬いとも柔らかいともつかない感触が堺をぞわりとさせる。


 劇場の跡に、彼らはいる。


 小さいが高さのある建物である。ちなみに、近辺には同じような外見の高層建築物が居並んでいる。壁面は苔むしていて、外壁の剥がれたところからは内部構造が窺える。かつてよく見た鉄骨で建てられていることが、よくわかった。


 劇場といっても太古のそれのように、一目見てそうと判別できるような造りではない。完全に箱型のものである。その内部を、堺は二十名の学生を連れ歩いていた。古びた外観に比べると、内部はまだ過去の面影を残している。派手な色で塗装された壁や床が、ここが娯楽の場であったことを感じさせる。


 学生たちは、その壁面にのこる、堺の指差したポスターを、観察鏡グラスを通して観た。


「かつて宣伝用に用いられていたものです。今や紙を宣伝のために用いることは無くなりましたが、当時は主流であったことが窺えますね」


 学生たちが観察鏡グラスふちを指先で回すようにする。単なる拡大、縮小に留まらない機能をもった機械は、おそらく目の前の対象物がいつ頃に製造されたものなのかも映し出しているだろう。


 ポスターには何名かの“芸人”と呼ばれた男たちの写真が、派手な装飾とともに掲載されている。この劇場において、己の芸を披露していたと思しき者たちの姿。また、『なんでやねん』『やめさせてもらうわ』等の、今はもう失われた言葉たちが、その上で踊っていた。


「漫才の型には、さまざまあったようですが、概ねこのような決まり文句を用いながら、軽妙な言い回しで観客を笑わせていた、と考えられています。これについては、講義でも映像を観ましたね」


 あの面白くないやつか、と誰かの言うのが聞こえたが、堺は無視する。古典芸能の理解には個人差がある。興味を持つことと、面白さを感じることとは、別のことだ。自分だって、漫才を研究している身だが、寸劇コントにはそれほど面白みを感じない。関連する研究資料の一部としての興味しか湧かない。芸事とは、そういうものなのだ。


 少しの寂しさを感じながらも、彼は手に持った端末を操作し、立体映像ホログラムを出現させた。


 ちょうど、ポスターに描かれた“芸人”と同じ人物が、堺と学生たちの間に浮かび上がる。仕事着スーツ──というにはあまりにも前時代を感じさせる華美な、目に優しくない色のものだが──を身に纏った二人の男。至近距離で言葉を交わしている。保護面マスクも付けず、早口である。生徒たちの眼に、あるかなきかの、嫌悪の色が浮かぶのが分かった。


「まあ、ウイルスの出現以前の映像ですからね。これは2010年代の漫才師です。遺された競技会等の記録から、当時の人気芸人であったと考えられています」


 俺は一体何の釈明をしているのか、と思いながら、堺は立体映像ホログラムに注釈を加えていく。彼の口頭での注釈は、すぐさま文字となり映像に書き加えられていく。


 先生、と生徒が挙手する。


「やはり、彼らも“関西弁”を話す“関西人”だったのですか?」


 質問した生徒に、近くの生徒が――と言っても一メートルほどの距離を空けて――、“大阪弁”じゃなかった、と質問を重ねる。


「言語学では、いずれの呼称も用いません。かつての近畿方言の一つです。通称であれば、関西弁の方が、やや知られていますが」


 なんにしても、うしなわれてしまった言葉だ――と、堺の胸にまた寂しいものがよぎった。


「今、そんなことしちゃったら、タイホされてしまいますよね」


 学生が笑う。その通りだ。関西弁での漫才はもう、できない。堺は、笑わなかった。


 およそ百年前、『言語理解の均一化に関する法律』が施行された。日本からは、近畿方言だけでなく、すべての方言が消え去った。


 都市部と地方の経済格差、学力格差を引き起こす要因のひとつに、“地方によって異なる言語認識”があるとされたのが、すべての始まりだったのだろう。その格差を引き起こした責任を、自分たちの怠慢でなく言語に転嫁できると考えた政治家たちの動きが速かったのもあるかもしれない。瞬く間に法律は起案、可決、施行され、地方言語は消えていった。


 さて、その結果、格差が是正されたかと問われれば、それは堺にも判然としないのだが、少なくとも彼は、言語を統一化する必要は無かったのでは、と考えていた。


 漫才が好きだったのが、そう思わせたのかもしれない。そんな古臭いもの、と友人にはことごとく笑われた。漫才を専門にする研究者など、どの大学を探しても自分以外にない。しかし、忘れ去られようとしている関西弁が駆使された話術は、堺を魅了して止まなかった。


 関西弁の消滅とともに、漫才は古典芸能になった。だから何だ、と思う。かつては能が、歌舞伎が、文楽が、落語が、そう言われても好まれていたように、漫才を愛するものだって、たくさんいる。関西弁を愛する者だって、たくさんいるはずだ。


 たとえ今、関西弁を用いれば罰則が科されるとしても。文化は誰かが遺していくべきなのだ。この劇場のように。


 先生、と自分を呼ぶ声が聞こえた。天井を見上げていた堺は、それで視線を学生たちに戻す。


「関西弁やその他の方言も、まだ古き良き文化として保護していこうという人たちもいます。軽々しくタイホなどという言葉は、使わないように」


 たしなめられた学生は、不思議そうな表情を目に浮かべた。保護面マスク越しだが、それはよく解った。


 すこし張り詰めた雰囲気を破りたかったのか、別の学生が明るい声を上げる。


「向こうにあるのが、劇場ですか?」


 正確には、劇場にはもう入っていて、彼らが言うのは舞台なのだが。堺は頷き、学生の後を追って舞台のある広間に入った。広間は手前が客席になっていて、奥が一段高い舞台になっている。


 天井が、崩れていた。これも、年月がそうさせたのだろう。崩れたところには透明の硝子ガラス窓がめられている。


 堺は、思わず息をんだ。そこから陽が差し込んで、舞台を照らしている。映像で繰り返し見た、照明が舞台を照らしている、あの光景にそっくりだった。何度も劇場跡には訪れたが、初めて見る舞台の姿だった。


「遺物、って感じですね」


 もう興味を失った何名かの学生たちがそう呟くのも、彼は聞いていなかった。


 三々五々、辺りを見物する学生にまぎれ、堺はそっと舞台に登った。


 この光景を、“芸人”たちは見ていたのだ。いや、客がいた。彼らのはなしに、大口を開けて笑う客が。どんな空気がそれで生まれたのか。それを感じたくても、もう関西弁は使えないし、保護面マスクも外せない。自分は“芸人”になることはできない。


 口惜しい、と堺は心の底から思った。


 気付けば、学生たちは広間を出ようとしていた。しかも、こちらを遠くから伺っている。声を掛けることもしなかったのか。自分を置いて行こうとでも言うのか。


 堺は、ふっと息を漏らした。どうしてか、笑みが浮かんだ。


 そして、彼は、


「なんでやねん」


 客席に向かって呟いた。


 そこには誰もいなかった。しかし彼は、誰かの笑う声を聞いた気がした。

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