姉が好きだった

内山 すみれ

姉が好きだった


 高熱を出し、生死の境を彷徨った私は回復したついでに前世の記憶も取り戻していた。私の前世は、特にこれといった特徴のない女子高校生だった。前世の私は事故にあい、短い生涯を終えた。そして、この異世界へと転生したようだ。異世界であるこの場所は、前世の私が唯一情熱をもってプレイしていた乙女ゲームの世界だった。そして今世の私、ローズ・フォートリエは公爵令嬢であり、攻略対象であるレイモン・フォートリエの姉だ。乙女ゲームにおけるローズはレイモンの攻略ルートに入ると現れ、ヒロインの邪魔をする悪役令嬢だ。レイモンとローズは異母兄弟であり、平民出身の彼の母親とレイモンを軽蔑していた。レイモンは毎日ローズから虐めにあい、すっかり無口で卑屈になってしまった。しかし、ヒロインの優しい心に触れ、レイモンは本来の自分を取り戻す。入れ替わるようにローズは身分をはく奪され、処刑されてしまう。レイモンルートでは、ハッピーエンドでもバッドエンドでもローズは断罪されてしまう。けれどそれだけは避けたい。

 私はベッドの中で作戦を立てる。自分が生き残るにはズバリ、弟であるレイモンを虐めないことだろう。優しく接して、彼を健全な男性にする。そしてヒロインには近づかないし虐めない。決めた。これで完璧だろう。そう思っていると、ドアをノックする音が広い部屋に響いた。


「どうぞ」

「……失礼します」


 入ってきたのはレイモンだった。私の様子を見に来たのだろうか。


「見舞いに来てくれたのかしら」

「……氷枕をお持ちしました」

「ありがとう」


 ああ、きっとローズがレイモンに命令したのだろう。ああ、出鼻をくじかれたと思いながらも、とびきりの笑顔で対応する。前髪で隠れているレイモンの瞳が大きく開かれた。これまでの彼女を考えると信じられない言葉だろう。


「これからはメイドに頼むわ。わざわざ頼んでしまって悪かったわね」

「……いいえ。で、では、失礼致します」


 私の変わりように驚いているのか、レイモンはぎこちない所作で部屋を出て行った。今はぎこちないだろうけど、少しずつ慣れてもらうわよ。いざ進め!断罪ルート回避へ!私は気合を入れて、乙女ゲームの開始である一年後に想いを馳せた。






 乙女ゲームの開始である、ローズ十七歳、レイモン十五歳の春。魔法の素質がある者のみが通うことを許されるプローグ魔法学園にレイモン、そしてヒロインが入学する。流石ヒロインだ。桃色のショートカットの髪が風に揺れて、まるでゲームのオープニングのよう。私は何事もありませんようにと願いながら新入生を窓から眺めた。

 ヒロインは殿下ルートに入りたいのか、レイモンとはあまり接点はないようだった。ひとまずは胸を撫でおろす。そして時間はあっという間に過ぎた。レイモンはヒロインと交流することなく、自身の得意属性である水魔法の修行を行い、成績を伸ばしているようだ。そして私は断罪ルートに突入することなく、卒業を迎えた。これからはゲームの原作にはない世界だ。一体これからどうなるのだろう。そんなことを考えながら、目的地に向かう。卒業式の後、レイモンに話したいことがあると呼び出されたのだ。

 約束の場所に着くと、先にレイモンが立っていた。漆黒の髪が風に揺れている。整った顔は立っているだけで様になる。


「……姉様」


 見惚れていると、レイモンの方から声をかけられて我に返る。


「……ごほん、遅くなってごめんね」

「いいえ、僕も今到着したところなので」

「それで、用って何かしら?」

「はい。そうですね。さっさと済ませます」


 レイモンが手を翳す。すると視界が滲み、目に痛みが走る。目を開けたまま海に飛び込んだ時のような、もしくはプールに入ってしまった時のような……そう。水だ。身体中が冷えた水に覆われているような感覚に襲われる。恐る恐る薄く目を開けると、水のゆらぎと共にぼんやりとレイモンの姿が見えた。一体これはどういうことなのか、そう言おうとして、口から出たのは泡だった。ブクブクと泡が水の上を上り、消えた。まさに水の中にいるようで、言葉が出ない。何よりも息ができない。海や川で溺れた時のようだった。水は私を包んでいるようで、なぜか離れてくれない。そうこうしているうちに息が苦しくなってきた。お願い、助けて……。伸ばした手は水に遮られてレイモンには届かなかった。






 力なく項垂れる『ローズ・フォートリエ』。彼女は『ローズ・フォートリエ』であって『ローズ・フォートリエ』ではない。彼女は僕の尊敬する姉様ではない。姉様は厳しい女性だった。彼女は僕の所作や振る舞いの細かい部分にまで口を出した。しかしそれは、平民出身の僕が社交界でも生き抜くために必要なことだったからだ。彼女から色々なことを教わった。決して笑顔を見せるような人ではなかったが、僕の所作を認めてくれた時に見せた、ぎこちない笑顔を今も忘れられないでいる。

 そんな姉様がいつの日か変わってしまった。僕の不出来な部分を的確に指摘しなくなった。それどころか、『あなたはそのままでいいのよ』と許容までする。彼女自身の振る舞いも変わった。品格が抜け落ち、平民そのものに思えた。これでは全くの別人だ。僕の尊敬していた姉様は死んでしまった。屍となっても尚生きている『ローズ・フォートリエ』。僕は見ていられなかった。僕の手で葬り、亡骸は大切に保管しよう。これで、尊敬する姉様とずっと一緒だ。

 僕はようやく動かなくなった姉様を抱きしめた。冷えた身体はもう動くことはない。僕は姉様の薄い唇に自分の唇を重ねる。初めてのキスは少し塩気のある水の味がした。


Fin.

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