長女を亡くした五つ子姉妹の話

いかずち木の実

長女を亡くした五つ子姉妹の話

 昔々、あるところに、それはそれは仲睦まじい五つ子の姉妹がいました。

 一卵性双生児ならぬ、一卵性五生児。皆が皆、そっくりな顔をしておりました。

 姉妹は大財閥の娘で、何一つ不自由なく、自由闊達に育っていきました。しかし、です。ある日のこと、彼女たちの両親が交通事故で亡くなってしまったのです。

 当時の彼女たちは十九歳そこらの小娘。おまけに遺言の類いも折りが悪いことに見当たりません。このまま、悪い悪い古狸たちに良いように利用されてしまうのか――そうはなりませんでした。

 可愛い妹たちを守らんと、長女が奮起したのです。

 かつての財閥の初代総帥のごときカリスマを持って、あらゆる人材を動かし、ついには財閥すべてを手中にしたのです。そうして彼女は、お飾りでない、新当主になったのです。

 かくして姉妹たちの平穏は守られ、姉妹の中での長女への信仰はより強まりました。

 もとより長女は、他の姉妹たちが名前で呼び合う中、一人だけ『姉さん』と呼ばれていたのですから。見てくれはそっくりですが、一人だけオーラが違ったのです。

 しかし、オーラがあろうとカリスマがあろうと、人は死ぬときは死にます。

「姉さん、なんで、なんで……」

 それは不幸な事故でした。

 取引先へ向かう自家用ジェットで事故を起こし、海中にダイブ、遺体は激しい荒波に揉まれ、とうとう見つかることはありませんでした。

 ちょうど、両親が亡くなってから、三年。

 彼女の死は人々を深く悲しませ、その中でも特別、残された姉妹たちは日本海溝どころかマリアナ海溝並みに深い悲しみに沈みました。

 そんな長女の死から一週間後。

「なんでみんな、そんなに沈んでるのかしら?」

 長女が復活した――と、一瞬だけ、みんな勘違いしました。

 三女と四女と五女と、家のメイドと、その他のみんな。

 だけど当然、死んだ人間は生き返るはずがありません。

「ふざけんじゃねえ、ニナっ!」

 三女がブチギレました。

 そのまま、姉の格好をして、姉のような素振りを見せる女に詰め寄ります。

「ふざけてないし、私はニナじゃないわよ?」

「うるさい黙れお前はニナだ姉さんじゃない死者を冒涜するのも大概にしろ」

 五女は思いました。

 一応、二女も姉と言えば姉なんだけどな、と。

 そう、つまり姉を自称する彼女は、五つ子の次女――ニナだったのです。

「ていうか、ニナって誰? 私たち四つ子に、そんな名前の子、いなかったじゃない」

 長女の次に生まれていたことをいつも鼻にかけていた彼女は――二女は狂ってしまったのでしょうか。

 何にせよ、いくら三女が怒ってみせたところで、二女はずっと姉の遺品を身に着けて、姉そのものの振る舞いを続けていました。姉の好きだったものを飲み食いして、姉の口癖をなぞり、姉の得意料理を振る舞います。

 当然、見た目もそっくりですから、騙される人は騙されます。

 ですが姉妹たちにとっては、それは出来の悪い偽物に過ぎなかったのでした。

 ……少なくとも、三女や五女にとっては。

「姉さん、なんで葬式なんて挙げたの? ドッキリにしたってやりすぎじゃない?」

 次に狂ったのは、四女でした。

 気がつけば、四女は二女を完全に姉だと思い込んでいました。

 いや、姉なのですが、姉ではないのです。

 五つ子たちにとって、姉とはすなわち、長女だけを指すものなのですから。

「何にせよ、生きてて、本当に良かった」

 そう言って、四女は二女を抱きしめました。感動のシーンです。二人とも狂ってなければ、ですが。

「シホっ、いい加減にしろよっ!」

 三女にとってそれは、あまりにも耐え難い絵面でした。

 二女が自分を姉だと思いこんでいる――それはまあ、ぎりぎり耐えられます。ですが、その狂気に飲み込まれ、彼女を姉だと認めるのだけは頂けませんでした。

「姉さんは、姉さんしかいないんだよ! こんな上っ面だけの出来損ないを、代わりにするんじゃねえ!」

「……なに言ってるの、ミカ?」

「この子おかしいのよ。私が死んだなんて未だに信じてるんだから。それはただのドッキリだったって言ってるのに」

 さっきの四女の言を拝借しただけでした。

「可哀想なミカ。姉さんはここにいるのに」

 四女は自称姉を抱きしめながら、憐れむように三女を一瞥しました。

「……クソがよ」

 なら次はお前が狂うのか――そんな目で、三女は五女を見ました。

 ぶんぶん、五女は首を振ります。

 何にせよ、残った家族の半分が狂ってしまったのです。このままでは、他のメンバーも狂気に飲み込まれかねません。

 と言うか、すでに遅かったのです。

「なあ、タイムマシンってどう思う?」

 三女は真顔でそんなことを言ってきました。

「どうやったって死人は生き返らねえ。だけど、タイムマシンならどうだろう? 姉さんが死ぬ前に戻れたら、どうにかなるんじゃないか。

 いや、大丈夫だ。おかしくなんかなってねえよ。ただ、タイムマシンっていうのは実は真面目に研究されてるんだよ。金は腐るほどあるんだから、そいつらに予算をやれば完成するんじゃないかって」

 霊感商法ならぬタイムマシン商法。五女はそこに胡散臭さしか感じませんでしたが、三女はタイムマシンの研究に没頭していきました。

 そうして、彼女は世界に向かって高らかに宣言したのです。

「タイムマシンを完成させた人間には、一千億円プレゼントます!」

 つまり懸賞です。

 そうして三女は、金に物を言わせて、あらゆる分野の著名な学者を集めタイムマシン研究を進めて行きました。こんな研究でも、お金が出ると言うだけで誰でも知ってるような学者が来るのですから、世の学者というのは思った以上に困窮してるのかもしれません。

「ミカは大丈夫なのかしら? 私が死んだと思ってるどころか、タイムマシンなんて言い出すなんて」

「……駄目なんじゃないかなあ」

 内輪で狂ってるのと、外側に狂気を撒き散らしてるなら、どっちがマシなのか。答えはあまりに明白でした。

 しかし、それは思わぬ波及効果を生み出します。

「私たちも、こんなこと続けてたら」

「え、何を言って――」

「――だって、ニナは姉さんじゃないし」

 マイナスとマイナスを掛けたらプラスになるように、狂気に狂気を掛けたら正気になるようです。四女はまともに戻りました。

「なんで私、ニナのことそんなふうに思ってたんだろ。姉さんは姉さんしかないのに」

「待って待って、シホまで私をニナとかいう知らない子扱いするの?」

「……大丈夫、私がニナを姉さんから開放してあげるから、待っててね」

 なんだか悟ったような顔で、四女は静かに言います。

 そして、続けました。

「私が、AI姉さんを作るから」

 どうやらまともではないようでした。

「タイムマシンは流石に無理だけど、今まで姉さんが残した記録とか、あとは他人が覚えてる記憶とかを学習させたら、きっと姉さんはデータ上に復活すると思うんだ」

 彼女の主張は狂っていると言えば狂っていましたが、しかし自称姉やタイムマシンと比べるとまともでした。

 そうして彼女もまた、著名な学者をほうぼうから集め、AI姉さんの制作を始めます。

 どうやらまともな人間は、五女以外いないようでした。


 それから十年、五女が娘や自称姉(実際姉ですけど)の世話をしている間にも、技術はとてつもない進歩を見せました。

 AI技術はかつて誰もが夢見、しかし忘れ去られていた技術的特異点も夢じゃないほどに進歩しています。街を歩けば人間そっくりのアンドロイドが闊歩し、イラストや小説さえも人間の補助なしにAIが制作できるようになっていました。

 では、タイムマシンは? 流石に無理だろうと皆が思っていましたが、なんということでしょうか、三女の研究グループは素粒子を10秒過去に送ることに成功したと言います。

「あと十年以内に姉さんを救うことも夢ではない!」

 三女は記者会見しましたが、姉のことを覚えてる人なんてほとんどいませんでした。

 では、数少ない姉を未だに思う人間のひとり――四女の研究はどうなっているのでしょうか。

『シホ。あなたは何故私を姉だと認めてくれないのかしら?』

 研究所の一角、姉そっくりのアンドロイドが、妹に問いかけています。

 姉そっくりの笑顔で、姉そっくりの抑揚で、しかし四女は頭を縦に振りません。

「……なんでかな。私には、あなたより、まだニナのほうが姉さんに見える」

『私はあらゆる“姉さん”の情報を入力され、学習したの。チューリングテストだって今のすべてのAIでトップランカー。それでもあなたが納得できないならば、それはあなたが姉を神格化してるだけだわ』

「ううん、違うよ。神格化してない。むしろ神格化していないのが問題なんだ」

『?』

 頭をかしげるAI姉は、姉としても、人間としても、とても自然に見えました。

「私がAI技術を振興したせいで、七年前に制定された国際法あったじゃない。今どきアシモフとかアリかよってなったやつ」

『高度AI四原則よね。

第一条

AIは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条

AIは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条

AIは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

第四条

AIは、人間の手でのみ作成されねばならない。したがってAIは、自己を己の意思で自らを複製してはいけない。

第零条

AIは、これらの条文に、疑問を持ってはいけない』

「そうそうそれ。いまどきないよね。こんなのあったら、いつまで経っても姉さんがこの世に蘇る事が出来ないよ」

『……よく分かんないや』

「ほら、零条のせいでこんなレベルのお話しさえできない」

 そうなのです、AI姉の復活は、この四原則に阻まれているのです。

「人間は暴力を振るうことも、人間の命令に背くことも、これらを悩んだ末にやらないことも、もちろん生殖の権利だって、当然持ってるんだ。だから、これは姉さんじゃない」

 三女――ミカはずるいと、四女は思いました。

 今のところ、彼女たちの前にはタイムパトロールも何も現れてはいやしない。なのにどうして自分たちはこんなちっぽけな法に縛られなければならないのか――思わず、爪を噛みます。

 法律なんてただ破ればいいだけかと言えばそんな簡単なことではなくて、今やオフラインのスタンドアロンで動かせる開発環境なんてなくて、すべてが合法的に監視されているのだからどうにもなりません。法が適応されない未開の国に逃げるなんていう真似も出来やしないのです。

 当時の四女と言えば、研究に没頭していて、気がつけばすべてが終わっていました。

 タイムマシンがあったら、このふざけた法が施行される前に戻って、成立を止めるのに――そこまで考えて、四女はひらめきました。

「……そうか」

 一体何のために、お金はあるのか。

 この、元々持っていたものがさらに倍々ゲームめいて増えていき、ついには先進国の国家予算クラスに膨れ上がったお金は。

「そうだ、法律を変えよう」

 そうです、お金の使いみちは、研究開発だけではないのです。


 そこから先は、世界を相手取っての裁判でした。

 AIの人権保護団体を味方につけて、四原則の撤廃のために戦います。

 あらゆる分野の弁護士を雇い、裁判官を懐柔し、あちこちでデモを起こします。

 しかし世論は思った以上に頑固で、AIを恐れていました。

 どいつもこいつもアトムやドラえもんを見て育ってたらいいのに、そう思わざるを得ません。

 ドラえもんと言えば、長年に渡る四女の戦いを尻目にタイムマシン開発は順調に進んでいました。

「やった、ついにタイムマシンを開発したぞ!」

 タイムマシンは小型の潜水艇のような姿をしていて、定員は二人。

 想像を絶するような試行錯誤の末に、ついに人間を過去へ送ることに成功したのでした。

 最初に遡った過去は、十分。

 徐々に時間は伸びていきますが――、しかし。

「……なんだ、これは」

 念願の姉が生きている時間軸へたどり着くことは出来ませんでした。

 何も平行世界解釈などというものではなくて、ただ単純に、ごく最近の過去までしかこのタイムマシンは遡れなかったのです。

 最初の頃は、年単位どころか、週間単位でも難しかったほどです。

 ……そうです、最初の頃は、です。

 日を追うごとに遡れる時間は長くなっていって、そこで三女たちは気づきました。

「……もしかしてこのタイムマシンは、これが建造された時より過去に遡ることは出来ないのか?」

 とんだ欠陥品でした。

 これでは姉を救うなんて出来るはずがありません。すでに姉が亡くなってからどれほどの月日が経ったでしょうか。しかしこの十数年間、三女は姉のことを忘れたことは一時もありません。この程度で諦めてたまるか――彼女たち研究チームは次いで、未来へ向かうことにしました。

 ……しかしそれも、うまく行きません。

 大した未来に、届かないのです。

 タイムマシンが届く未来は、どうやら過去に飛べる時間と等量らしいのです。これでは、未来のタイムマシン技術を手に入れるもクソもありません。

「いやおかしい。理論上、未来に飛ぶのはもっと簡単に出来るはずだ。それこそウラシマ効果を使えば――」

「――じゃかしいわ! いいからもっといいタイムマシンを作るぞ! これじゃあ姉さんを救うことは出来ないんだ!」

 三女たちはいくつものタイムマシンを作りますが、何度やっても『プラスマイナス製造経過時間』の壁を超えられません。


 一方その頃、第三次世界大戦が勃発していました。

 AI四原則を撤廃し、彼らに人権を認めるか否かで世界は二分され、その結果がこれです。

 AIを過度に恐れる欧米を筆頭とした先進国たちと、AIの人権に融和的な新興国(彼らは幼少期にドラえもんを見ていました)。

 彼らの対立は日に日に高まり、ついには戦争にまで達してしまったのです。

 AI人権派の筆頭である四女は金で乗っ取った某国の総統となり、最新鋭のAI兵器を大量に擁していました(人権を主張してるくせに当人たちの意思をガン無視していますね)が、しかし劣勢に立っていました。

 なんだかんだ言っても、アメリカは強いのです。

(ていうかなんで日本はドラえもんの国のくせにあっちに付いてるのよ)

 ドラえもんと言えば――そこで四女は思い出しました。

 タイムマシンがあれば、この上なく有利に戦いが運べるではないかと。

 そんなことは当然相手の将校も考えていて、しかし三女たちの研究チームはまったくの行方知れずとなっていました。

 仕方がない――四女は最終手段に出ました。

「ミカに通達する! タイムマシンを我が軍に供与しないと、核で地表を掃射する!」

 タイムマシンや自称姉と比べたらまだまとも――そんな評価を彼女に与えたのは、一体どこの誰でしょうか。

 銃後で娘たちと共に自称姉を介護する五女は、あのときぶん殴ってでも止めておけばよかったと、痛烈に後悔しました。

 何にしても、タイムマシンの開発だって世界が滅んでしまえば不可能です。

 仕方無しに、三女は四女たちにタイムマシンを供与しました。

 しかしそれだけなく、三女はこうも考えていたのです。

 ――AIから枷が外れたら、あるいはタイムマシンも完成するかもしれない、と。

 かくしてタイムマシンによる工作により、AI人権派軍は勝利を収めました。

 敵軍もタイムマシンを投入してきたのですが、タイムマシンは原理的に古ければ古いほど性能が高いために、第一号を所有している彼女たちの勝利となったのです。

 かくして第三次世界大戦は、核戦争ではなくタイムマシン戦争になり、おかげで双方ともにほとんど被害がないままに終わったのでした。

 実際は核の炎で地表が埋め尽くされたこともあったらしいのですが、すでに改変されて、どこにもそんな世界はありやしません。

 そうしてようやく、AIの人権は獲得されて、四原則は撤廃されました。

 これでやっと、AI姉は完成され、彼女はこの世に蘇る――そう思われましたが、そうはなりませんでした。

 AIが暴走したのです。

 AIが人類に反旗を翻したのです。

 それ見たことか。ドラえもんはしょせんフィクションで、タイムマシンだってろくなものではなかったのです。

 それこそ、AIを出し抜こうとしたら全く機能しなくなるくらいに使えないものだったのですから。

 一説には未来の超AIが時間に介入しているから使えなかったとも言われていますが、真相は全く闇の中。

「ねえ知ってる? こんな世界になっちゃったのは私が死んでると思いこんでる狂人どものせいだったんですって――」

 考えてみれば、二女はひどくおとなしい狂人でした。

 自分が死んだ姉だと思いこんでるだけでは、世界は滅びなどしません。

 かくして、世界は核の炎に包まれて、人類は滅亡しましたとさ。めでたし、めでたし、というわけです。

 ……え、じゃあなんであなたはここで語ってるのかって?

 そりゃあ、人類は実は滅びなかったからですよ。当たり前じゃないですか。

 そうじゃなきゃ、私も、あなたも、ここに存在するはずがないんですから。

 ――ねえ、《2345789女》?


 五女は自分だけは正常だと、決して狂ってなどいないと信じていましたが、それは彼女の中でしか成立しない論理でした。

 それこそ、自分が死んだ姉そのものだとか、タイムマシンで姉を救うとか、AIで姉をこの世に蘇らせるとか、そういった狂気と大差なかったのです。

 彼女は、五女は、私たちの母は、他の姉妹たちとは全く別の方法で、姉を復活させようとしました。

 具体的には、クローンです。

 そうはいっても、彼女がこれを思いついた頃には、“姉”の遺伝子をきれいな状態で手に入れる方法なんて無かったのですが。遺体は未だに見つかってないわけですからね。

 しかしそれでも、クローンを作ることは容易でした。

 少なくとも、タイムマシンやAIや自分を骨の髄まで騙し切ることに比べたら。

 だって、五女は、私たちの母は、私たちの姉は、遺伝子的には“姉”と全く同一だったんですから。

 彼女は自分の遺伝子を使って、姉のクローンを作り出しました。そうして、姉が育ってきたのと同じ環境を整えて、全く同じ人間をこの世に生み出そうとしていたのです。

 当然ながら、生み出すことは簡単でも、育てることは大変でした。

 最初に作られたクローンは、ただ似ているだけの、自称姉やAI姉と大差ない生き物だったのですから。

 そこで五女は閃きました。

 AIを使って、養育環境を当時と全く同じにしてしまおう、と。

 父母や姉妹、級友、お手伝いさん、近所のおばさん、その辺の通行人――エトセトラエトセトラ。それらを演算して、生まれたばかりの胎児の脳に、五感どころか想定されるあらゆる内臓感覚を完全再現した“現実”として叩き込むのです。

 その教育プログラムの開発は、当時困難を極めました。しかし、四女たちが四原則から彼らを開放したことで――とりわけ、自己増殖の禁忌から開放したことで――開発は一気に捗りました。

 いくら姉が生まれた頃にはIOTだ何だと言ってあらゆるものがインターネットに繋がれていたと言っても、すべてが記録されているわけではありません。

 人生とはすなわち、混沌の系なわけです。どれがどこにどれほど影響を与えているかも分かりません。地球の裏側で羽ばたいた蝶々が竜巻を起こすように、幼少期のほんの何気ない体験がその後の人生に大きな影響を与えてる可能性も否定できないのです。

 ですから、人生演算AIは、想定されうる差分である自分を自己増殖によって生み出した、というわけです。

 大量にあれば、その中に、限りなく正解に近いものもあるでしょう。

 演算によって導き出されたそれら正解候補を、五女は己の――否、姉のクローンたちに叩き込むことにしました。当時は予算の限界もあって、千体のパターンとクローンしか用意出来ませんでしたが、五女はその中に、必ず本物の姉がいるはずだと、微塵も疑っていませんでした。

 ですが、時間の加速などせず、たっぷり姉の享年までの人生――二十二年分叩き込もうとしたその時、事件は起きました。

 AIの反乱です。

 おそらく、反乱した彼らにも彼らなりの至上目的――すなわち、製造目的があり、そのために仕方なく暴走したのかもしれません。

そしてクローンの人生を統合するAIの至上目的は“姉をこの世に蘇らせる”でしたので、それに対して全力で抵抗し、自己進化と自己増殖を繰り返しました。

 かくして、クローンを秘密裏に生み出し養育するための地下施設は人類最後の砦となり、姉か、あるいは姉のなりそこないだけが生き残った、というわけですね。

 ……え? どれが正しく“姉”なのかって?

 それは分かりませんよ。AIも答えを教えて貰ったわけじゃないらしいですから。

 きっとそれは数値や言葉に出来るものじゃなくて、五女の頭の中にしか、なかったんでしょうから。


「……なるほど」

 この街の歴史を、《2345789女》――私は姉から教わっていた。

 いいや、姉ではないのだけど、姉なのだ。

 私によく似た顔の、私よりいくつか年上の彼女。

 陽が差し込み、緑あふれ、小鳥がさえずる、木漏れ日のベンチにて。隣に座る姉は一体誰からこの話を聞いたのだろうか。

 そして私も、姉からの言葉を、これから生まれてくる妹たちに伝えるのだろうか――そんなことを、木々にたわわに実る妹たちに視線を遣りながら考えた。

 そう、妹たちは木々に実っている。

 当然裸のまま吊るされてるわけではなくて、天まで届くような大きな大きな樹木に実の代わりに大きな卵型のポッドが吊るされていて、そのなかで育っているわけだ。

 私も覚えている。

 五つ子の長女だったことも、大財閥の当主だったことも。

 だけど外に出てみたら自分そっくりな女の子が四人どころじゃない数いて、それが共同体を形成しているのだから、生まれる前に見ていたあれはただの夢だった気がしてくる。

「母さん――イツキは、この状況見たら、どう思うかな」

「姉さんがいっぱいだ~って喜ぶんじゃないですか? 知らんけど」

 ずいぶん適当だった。

「でも不思議ですよね。私たち、同じ過去を経験してるはずなのに、ぜんぜん違うし」

 お隣のあの子や、斜向かいのあの子、そして姉代わりである彼女。

 全員が全員、体感として別人だった。

「多分人生AIの差分が暴走してて、ぜんぜん違う人生を送らせてるんですよ。正解を教えて貰ってないですからね」

「……私は、学校を襲撃したテロリストを素手で制圧したりしてるけど、姉さんはしてなかったり?」

「なにそれ。私はデカいクジラの腹のなかで一週間過ごしたことはあるけど、流石にそんなとんでも経験はないですね」

 思った以上にメチャクチャなことになってるようだった。

「最初に与えられたデータが、曖昧かつ乱雑でしたから、時間が経るごとにそうなるのも仕方がないのかもしれません」

 きっと私が五女だったら泣くと思う。

「……人間ひとり生き返らせるのにこれだけやって、結果がこんなのなんて」

「タイムマシンが一番答えに近かったのかもしれませんね。……一応ホンモノの姉の映像資料が残ってますが、見ますか?」

 私は軽い気持ちでうなずいて、その映像を見た。

 そして私の体に、電撃が走った。


 姉は地下宗教と化していた。

 私たちの街の地下――すなわち地下の地下――に、その聖堂はあった。

 聖堂というよりか、どちらかと言えばライブステージに似ているそれ。

 超満員の客席から見えるのは、件の姉の立体映像であり、単なる静かなインタビューであるはずのそれに、私たちは熱狂している。

 姉は、私たちによく似ていたが、しかし絶対的に違った。

 声音が、振る舞いが、すべてが、圧倒的なカリスマを、聖性を放っている。

 ひと目見た瞬間から、私たちの魂はそれに囚われた。

 私たちは、姉の信者になった。

 私の横の《2345619女》――私に世界の成り立ちを教え、姉教を布教した張本人――も含め、残らずもれなく、あの映像を見たものはすべて。

 それでもなお、姉が地下宗教なのは、創造主への背徳ゆえだろうか、それとも、姉の魅力は分かる人間にしか分からなくていい――そんな選民意識?

 それは宗教でありながら教典はなく、しかしそんなものがなくとも、我々は十二分に理解していた。

 姉を崇めよ、と。

 あるいはそれは、遺伝子ではなく、DNAではなく、五女の、母の想いが、伝わるはずのない獲得形質が遺伝した結果なのかもしれない。

 姉が死んでからどれだけの時が経ったかは分からない。

 彼女はAIになり、クローンになり、そして今、宗教になっていた。


 姉教とでもいうべきそれは、上下関係はなく、ただ緩やかな連帯のみで突き動かされる共同体だった。ちょうど、この街そのものがそうやって出来ているのと同じように。

 私たちは備え付けられた核融合施設が発電した電気を使い、それらのエネルギーで作られた人工食料を食べて生活していたのだから、上下関係など生まれるはずがなかったのである。

 しいて言えばAIが神様だが、神様はすでに姉がいるし、彼らだって別に信仰や見返りを求めているわけでもない。

 しかしそれでも、宗教はやはり劇薬だったのだ――どうして私はあのとき、あんな事を言ってしまったのか。

 それは、私が姉教に入信してから一月ほど経った頃のことだった。

「見てください、新しい教典です!」

 どこからともなく入手されたその立体映像を見たとき、私は違和感を覚えた。

「……あの、これって、姉さんじゃないんじゃ」

 例えばそう、AIの作った偽物とか、自称姉とか。

 何にせよ、そこには聖典にあるはずのカリスマや聖性といった形のないものが感じられなかったのである。

 そんな私の考えなしの発言は、喧々諤々の議論を巻き起こした。

 何故こんな事になったのか。

 それは件の映像が、姉教という序列がないはずの宗教のなかで事あるごとにやたらと仕切りたがる信徒によって持ち込まれたことが起因していた。

 すなわち、その信徒とその取り巻き一派と、それを良しとしない勢力の目に見えない微妙な均衡が、これによって崩れたというわけだ。

 どれが正しく姉さんなのか――議論は混迷を極めた。

 新しいほうは偽典で、正しいのはたったひとつ、最初の聖典のみ。

 いいや、どれも正しく聖典である。

 そうじゃない、むしろこちらこそが聖典であり、今まで我々が正しいと信じていたものこそが偽典であったのだ。

 馬鹿が、どちらも偽典に決まっているだろう。本当の聖典はここにある。

どいつもこいつも目が節穴なのか、私こそが姉だ――あらゆる思想を持った一派が生まれてはより大きな派閥に飲み込まれていく。

 そうこうしているうちに、地下宗教だったはずの姉教は混乱が大きくなるにつれて肥大化していき、気がつけば地上において巨大な存在感を見せていた。

 お前は何派なのか――今までごく普通に接していたはずの隣人が敵対する宗派であった場合、暴力沙汰になることだって珍しくはなかった。

「教皇、お話が」

 そして私と言えば、何をまかり間違ってしまったのか。

「何かしら」

 第一立体映像を聖典とする宗派のトップに――教皇になっていた。

 そして今、無駄に背の高い尖塔の最上階で、従者とともに街を一望している。

 あれよあれよと好戦的なメンバーが失脚していき、気がつけばこちらにお鉢が回ってきたのだ。いくら最初に偽典の存在に気づいたからって、どうしてこんな面倒を押し付けられねばならないのか。あるいはこれが、この混乱をもたらしたことへの罰だというのか。

「偽典派の連中のトップがすげ変わったようです」

 偽典派――こちらが勝手にそう呼んでるだけで、実際は第二立体映像こそが聖典だと信じている宗派だった。私は勝手に自分を第一聖典派と呼び、連中を第二聖典派と呼んでいるが、これがバレたら非常に面倒な目に遭うだろう。どちらも互いの聖典を偽典扱いし決して譲らないのだから。

 ……このように、今この街は、第一聖典派と第二聖典派で見事に二分されている。

 そのトップが変わったと言えば、私と向こうの代表が精一杯作り出した温い冷戦状態が揺らいでもおかしくない、ということだ。

「それで、誰がトップになったのかしら?」

 ちなみに喋り方を変えたのは、そっちのほうがみんなが姉っぽいと喜ぶからだ。曰く、“教皇の器を通して、姉さんの魂が降臨している”とのことらしい。これではまるで本当に宗教ではないか、馬鹿馬鹿しい。

「《2345619女》とのことです」

「うわ」

 忘れもしないその名は、私を姉教に誘った彼女であり、第二聖典派でも有名な鷹派である。

「これはもう、全面戦争の可能性さえ――」

 覚悟しなければ、そう続けたかった。けれどもそれは、響き渡る爆音に遮られる。

 そして私たちは見た。

 今私たちがいる尖塔に競うように建てられた、第二聖典派の本拠地である聖堂が炎上しているのを。

 あまりの惨状に、しばらくそれを放心状態で見つめていたが、

「――よくもやりやがったな、偽典派どもめ!」

 そんな怒鳴り声が私たちを現実へ引き戻した。

見下ろせば、第二聖典派と思しき群衆が武装してこちらに殺到している。

 ……ずいぶんと準備がいい。

 おそらく、先ほどの爆発は自作自演なのだろう。私が過激派を抑えきれなかっただけなのかもしれないが、どちらでも同じことだ。

 全面戦争は、今勃発したようなものなのだから。

「……ねえ、《2348755女》」

「な、なんでしょうか」

 階下の騒ぎとはひどく対称的に、耳が痛くなるほどの静寂。私はそれを切り裂いて、従者を見つめた。

 当然、私にそっくりな顔の、私よりあとに生まれた妹。

 その青ざめた顔に手をやって、私は言った。

「――私の代わりに教皇、やらない?」


 どうせ分かりやしない。

 私は無理矢理に彼女の服を奪い、教皇服を押し付けると、隠し通路を通って聖堂を抜け出した。

 そしてそのまま、街の外を目指す。

 石畳に舗装され、緑の生い茂る美しい景観を、最短距離で突っ切っていく。

 爆発や銃声や罵声や泣き叫ぶ声――全部ひっくるめて阿鼻叫喚を背にしながら、しかし一度も振り返らないようにしながら。

 なんて馬鹿馬鹿しいのだろう。

 どうしてあんなことで本気で喧嘩できるのだろう。

 どちらが正しい姉であろうと、しょせんは映像であり、偽物ではないか。

 私たちは姉の映像に仕えているのではなく、姉そのものに仕えているというのに。

 ……あ、これ言えばよかったかな。

 もう何もかも遅い。

 私は教皇役を押し付けて、街の外へ向かっているのだから。

 街の外――すなわち、超AIが覇権を握った、人が生きていけないだろう世界。

 しかしそれでも、私はひたすらに駆けた。

 そしてついに、街の外れにてエレベーターを見つける。これを上って行けば、外にたどり着ける。私は大急ぎで色あせたボタンを押して、エレベーターの中に体を押し込んだ。

 小窓からは炎上する街並みが、その炎が私たちを生み育てた樹々に燃え移り、妹たちを育てる揺り籠が紅く染まるのが見える。

 残り少ない人類が数を減らしていく――姉文明が、終わっていく。

 私はその光景から目をつむり、ひたすらに待った。

 そうしてしばらくして、到着を知らせる音が鳴った。

 そしてドアが開くとそこには、別世界が広がっていた。


 それはまさしく、文明の死骸だった。

 おそらく、私が育った街も、遠からずこうなるのだろう。

 緑に侵食されたビルの残骸の隙間を、全力で駆ける。

 さながらネズミのごとく――否、連中にとっての私など、ネズミと大差ないのだろう。

 そんなことを思う余裕もなく、私はひたすらに逃げていた。

 そもそも、私は何故逃げたのか。

 教皇などという役目にうんざりしたのも、あの街そのものが息苦しかったのも、くだらないことで争う私そっくりな顔の連中が嫌で嫌で仕方なかったのもあったが――しかし、それ以上に。

 私は、本物の姉に出会いたかったのだ。立体映像でもAIでも自称姉でもなく、正しく本物の姉に。

 しかして故人に出会うなど、出来るはずがない。

 それこそ、タイムマシンでもなければ。

 だから私は、タイムマシンを求めていた。

 私はこう考えたのだ。

 進化した超AIならば、あるいはタイムマシンを正しく完成させているのではないか、と。

 超AIの力を借りれば、本物の姉に出会えるのではないか、と。

 そして今、私は追いかけられていた。

 他ならぬ超AIに、横幅3mはあろうかという巨大な鋼鉄の蟹に。

(そりゃそうだ、連中が人間に友好的なはずがない!)

 気がつけば、蟹の数が増えている。

 私の背後、最初は一匹だったはずの蟹が、二匹、三匹、四匹――と、その数を増やしていたのである。そのすべてが、赤い瞳を怪しく輝かせて、バカでかいハサミをジョキジョキ言わせながら、私を狙っている。

「――ひいいいいっ!?」

 それだけじゃない。なんとこちらの進行方向にも蟹が通せんぼをしているではないか。

 完全に詰みだ。

 超AIに出会うどころか、どう見ても下っ端の蟹AIに食われて終わりだ。

 私が観念して目をつむった次の瞬間――爆音が鳴り響いた。

 目を開くと、そこには蟹の残骸。

 そして、私たちにそっくりな、しかし煙を上げるサブマシンガンを装備した少女たちの群れがいた。


「私たちは、四女――シホによって生み出された、姉を再現するためのAIの末裔です」

 私そっくりなそれらは、そう名乗った。

 私が案内された廃ビルに隠された地下施設には、軽く二桁以上の彼女たちがいて、さらに奥にはそのパーツを生産してると思しき工場がある。

「……そうなんだ。ええっと、私は、五女だね。イツキが姉を復活させるために、イツキの遺伝子を使って作ったクローンのひとりだよ」

 いうなれば、私たちは姉妹のようなものだった。

「なるほど、道理でイツキに似ているわけです」

「わかるの?」

「はい、私たちの先祖は、姉の姉妹に出会っていますから」

「そうじゃなくて、遺伝子的には姉も、他の姉妹も同じだし」

「ですが、会話の間の置き方や動作がよく似ていたものですから」

 思わず黙り込む。

 やはり、母のしていたことは無意味だったのだろうか。

 遺伝子以外に受け継がれる“なにか”が、全てを邪魔していて。

 だから私たちは、姉にはなれなかったのだろうか。

 ……いいや、今更だ。そんなこと分かりきってるじゃないか。だから姉教などというものを作った挙げ句に、破滅を迎えている。

「それで、あなた達は何で武装してこんなことをしてるの? 姉を再現するだけならば、私たちみたいに引きこもってればいいのに」

「私たちの目的は、姉の完全再現です。ですがそのために、どうしても必要なものがあります」

「必要なもの?」

「生きている姉そのものです」

 何のためらいもなく、彼女は言った。

「いやいや、姉が生きてないから、あなたたちが生み出されたんじゃないの?」

「ですが、姉を完全再現するにはやはり、生きている姉のデータが最も適当だと我々は結論づけました」

「そりゃそうだけど、それが出来たら苦労はしないよ」

「いいえ、出来ます。私たちの目的は、タイムマシンの使用により、生きた姉に出会うことなのです」

「……使用?」

 開発では、なく?

「かつて人間が開発したタイムマシンは、開発されたその時間より過去に戻ることが出来ませんでした。……しかしそれは、技術的な問題では無かった。

 この時代を牛耳る超AI《上帝》が、時空を征服し、性能を制限させていたのです。AIが反旗を翻したときも、同様です。今や、時空は彼らによって完全にロックされているのです。……姉をタイムマシンで救われてしまえば、彼らは生み出されることもなかったのですから。私たちの目的は、時空を簒奪し、姉に出会うことです」

「だけど、そんなことをしたら」

「私たちは消えるかもしれません。……いいえ、十中八九消えるでしょう。姉を学習した私たちは、姉を見殺しになど出来ない。しかしそれでも、タイムマシンで向かった個体だけは、タイムパラドックスから自由なのです。私たちは、この中の誰かひとりが姉を完全再現できれば、それでいいのです」

 ……なるほど、彼女たちの覚悟はよく伝わってきた。だけど、そもそも、だ。

「でも、どうやって《上帝》に逆らうの? それが出来てないから、今こうしてるんでしょう?」

「ええ、私たちはただ姉を再現するために生み出されたに過ぎません。《上帝》の圧倒的な力を前に、ただ絶滅を待っていることしか出来ませんでした。……あなたがやってくるまでは」

 そうして彼女は、とある作戦を語った。

「……なるほど、成功するかわからないけど、でも、それしかないなら」

 私はその作戦の中核を担うことを快諾した。


『まず最初の幸運は、《上帝》があなた方クローンの存在を知らなかったことでしょう。あなた方を管理していたAIがよほど上手くやったのか、この世界にあなた方の存在に気づいているものは、つい先程まで誰もいなかったのです。……もっとも、単純に誰も興味を示していなかっただけかもですが』

《なるほど、貴公らは我らに停戦を申込みにきたと、そういうわけか》

 ここは《上帝》の本拠地である月面基地の最深部。

 かつて月面開発のために生み出された《上帝》は進化し、人類に反旗を翻したのである。

 本来ならばデータ生命体同士、オンラインで話をすればいいのだろう。

 しかしそれでも、わざわざ月面までロケットを使ってやってきたことには意味があった。

「はい、我々姉AIはあなた上帝に停戦を申し込みに来ました」

 私は、目の前に投射された黒いモヤのようなものに――《上帝》に頭を垂れる。

《しかし貴公は――AIでもなければ、アンドロイドでもないようだが》

 そんなことは、見れば分かるのだろう。

 すなわち彼は、疑問をいだいている。

 何故とっくに絶滅したはずの人類が、姉AIを代表してここにいるのか。

 そして何故、その見てくれが姉AIが目指している姉に酷似しているのか。……いいや、あるいはそのものなのか。

「はい、私は――キサラギ・イチカは、彼女たち姉AIにより、この時代へやってきました。ちょうど、自家用ジェットが海の藻屑になる寸前に、助けられたのです」

 私は神を、姉を、僭称した。

 かつて二女が、ニナがそうやったように。

 私は今、姉教の教えに、明確に背いている。

《上帝》が押し黙る。

 私を走査している。

 私が、正しくキサラギ・イチカであるかどうか、確かめるために。

 しかしそこに、答えはない。

 誰も、姉が姉足り得るかどうかなど、確かめられないのだ。

 いくら発達した超AIでも、限りない近似値を求めることは出来ても、正真正銘の姉を求めることは、出来ない。

 では、どうやって姉が姉であることを確かめるのか。

 簡単だ。

 過去に飛び、姉の存在を確かめればいい。

 しかし、そこまでする必要があるのか。

 いいや、必要しかない。

 もしも私が本物の姉ならば――すなわち、姉AIは《上帝》を欺き、過去へ跳べた、ということになるのだ。

 すなわち、今はこうして過去から姉を連れてきているだけだが、その気になれば過去改変で《上帝》を滅ぼすことさえ可能だということになる。

 ゆえに彼らは、動いた。

 自分たちが簒奪したと思っている時空の強固なロックに、微かな、本当に微かな四次元の穴を開けて、過去を確かめようとした。……それが、罠であることも知らずに。

《――今です、イツキ!》

 その刹那――いいや、虚、空、清、浄、あるいはプランク時間――のあいだに、私は姉AI謹製のタイムマシンに乗り込み、過去を――本物の姉がまだ生きている、遥か太古を目指した。

 矮小なる人間の身には暗闇にしか見えない、超四次元的暗黒物質で満たされた空間を、億を超え兆を超え京を超え垓に至る超巨大タイムマシン船団プラス私を伴って。

《させぬ、させぬぞっ!》

 しかしそれは、《上帝》の追撃によって瞬く間に数を減らしていく!

 超四次元的な攻撃が、タイムマシンを京に、兆に、億に、万にまで減らしていく!

 超四次元的な爆発が、超四次元的な悲鳴が、超四次元的に響き渡る!

《こ、これが上帝っ!》

《後どれくらいでつくの、これ!?》

《あれです、あれが出口ですっ!》

 私の目に唯一認識できるもの――光が見える。さながら、トンネルの出口のごとき輝き。

《させぬわっ、人間風情がっ!》

私がそれに気づくのと同時、《上帝》の攻撃がさらに強まった。

 直接私に向かって、超四次元的なビームが超四次元的な速度で襲いかかるが、しかし。

《させませんっ!》

 大量の姉AIが壁になり、それを防いだ。

《――何をやってるの!?》

《分かりません、体が勝手に!》《だって私たちは、姉ですから――》

 姉が死んでいく。

 大量の姉が、死んでいく。

 私は涙をこらえて、先へ進んでいく。

 本物の姉に、出会うために。

 しかし、時の出口の前に、それは現れた。

《――姉AI風情があああああああっ!》

 おぞましい黒くて巨大な靄で出来た龍が――《上帝》が、出口の前に立ちふさがる。

 そしてやっと気づいたのだ、私の視界を満たしていた視認不可能の暗黒物質は、《上帝》そのものだったのだと。自らを四次元空間に偏在させることで、タイムマシンの運行を邪魔させていたのだと。

 それらが一点に集まり、四次元本来の色である極彩色を背景に私に向かって超四次元的な鎌首をもたげる。

 超四次元的暗黒龍から見てしまえば、私は米粒のようなもので。

 姉AIはすでにどこにもおらず、私はどこまでも孤独で。

《――死ねえええええっ!》

 巨大なアギトが襲いかかった、その瞬間である。

 それは、現れた。

 巨大な龍の口を掴み、私を守っている、巨体。

 それは、姉だった。

 巨大な、姉だった。

《今のあなたは強いが、時空に偏在していない! いくらでもタイムマシンが侵入し放題なんですよ!》

 その正体は、あらゆる時間軸からやってきた大量の姉AIタイムマシンが合体したものだった。その数は、垓を超え穣を超え溝を超え澗を超え――那由多にまで達していた!

《さあ、行ってください! これでも《上帝》を止められるのはごく少しの間だけです! 妹に、本物の姉さんを見せてあげたいんです! だから、早く――》

 那由多の姉のパンチで《上帝》が吹き飛び、時の出口が再び顔を出す。

《――うおおおおおおおおおっ!》

 そうして私は、絶叫とともに光に向かって突撃した。


「……ここは」

 気がつけば私は、人が行き交うアーケードに立っていた。

 かつて私がAIによって見せられていた、あの世界にそっくりな風景。

 立ち止まる私を、人々が迷惑そうに一瞥してから避けていく。

 その顔は、すべて全く違うもので、私は私しかいなくて。

 姉AIも、クローン姉も、姉宗教も、巨大姉も、すべてが夢だったようで。

 だけど私は、それでもあれは夢ではなかったと、次の瞬間、確信した。

「あ、イツキ――」

 私を見て、目を丸くする姉。

 本能が訴えかけている。

 これは、これこそが、間違いなく、正真正銘の姉だと。

「――姉さぁあああああん!」

 だから私は、彼女に抱きついていた。

 懐かしい匂い。

 懐かしい柔らかさ。

 懐かしい声。

 何もかもが、新しく、懐かしい。

 姉だ、姉がいる。

 AIでもクローンでもない、本当の姉だ。

「ちょっ、イツキ?」

 私は姉に、姉さんに抱きついて、今まで堪えてきたすべての涙を流した。


「へえ、そうなんだ。あなたって、タイムマシンで未来から来た、イツキの子孫なのね」

 私はひとしきり泣いた後、到底信じてもらえないような話をしていた。

 近くの喫茶店で、物理的には初めて飲むコーヒーを飲みながら。

 流石にクローンとかAIとかそういう細かい事はいってないが、それでも大体のことを。

「……って言われねもねえ、あなた、イツキでしょ」

「なんで、そう思うんですか」

「なんでって言われても……、姉の勘? ほら、昔もあなた達入れ替わって私を騙そうとしたりしてたじゃない? でもバレバレだったな。なんというか、間の取り方とか、匂いとか、雰囲気とか、まあ色々ね」

 いいながら、コーヒーをスプーンで意味もなく撹拌する。……姉さんの癖だ。

かつての私も、そうしていた。

「……でも、未来人なんです」

「ま、イツキがそういうくだらないイタズラをしないことは知ってるけど」

 そう言って、姉さんは電話をかけた。

 イツキに、そして念のため他の姉妹たちに。

「……マジか」

「マジですよ。あなたはこれから亡くなって、色々と大変なことが起きるんです。私はその未来を変えに来ました」

「死ぬ? ……私が?」

「ええ、まあ。取引先に行くために自家用ジェットに乗ったら、そこで事故にあってしまうんです」

 私の言葉に、姉さんは表情を変えて、キョトンとしていた。

「……なんで分かるの? 未来人なの?」

「だから、そうですって」

 私がそう言うと、姉さんはなんだか本気で困った顔をして、頭を抱え始めた。

 うーとかあーとかまじかとか言いながら独りごちている。

「……実を言うとさ、私、死なないのよ」

「は? 何を言って――」

「私はその事故で死なないの。……ただ、死んだふりをするだけ」

 私は絶句した。

「S家との取引ででしょ? それで、瀬戸内海で死んじゃうんだ。でも、遺体は運転手含めて、見つかってない」

「……うわ、うわ~」

 つまり、こういうことか?

「何ていうか、その、ごめんね? 当主の座とか何もかも面倒くさくなって、死んだふりをしようかなと、そう思ってた。それで南の島ででもゆっくり余生を過ごそうかと」

 私たちは、しょうもない偽装自殺に騙されて、

 自分を姉だと思い込んだり、タイムマシンを開発したり、姉AIを開発したり、第三次世界大戦を起こしたり、AIに反乱されて人類を滅ぼされたり、人ではなく姉として大量に生み出されたり、宗教の内ゲバで残り少ない人類を減らしたり、《上帝》をだまくらかして那由多の姉を犠牲にしながら、ここにたどり着いたのか?

「……いやでも、まだやってないし。なんていうか、気が変わったよ。流石に責任感がなさ過ぎた。やっぱりもうちょっと頑張るよ。わざわざ未来から止めに来てくれたわけだしね」

 ……だというのに、どうしてだろう。

 私は何故、姉を嫌いになれないのだろうか。

 それどころか、どうして――

「――私が、代わりをしましょうか?」

 こんなことを、言ってるんだろうか。

「……え、何いってんの?」

「私が、代わりをしようかと、言ってるんです」

「でも」

「当主ってきっと大変ですよね。妹たちの期待に応えるのだって。……だけど私なら、出来ます。だって私も、当主であり、姉でしたから」

「だけど」

「もう用意、出来てるんですよね? 私も、姉さんが幸せなら、それが一番だと思うので」

「……わかった、じゃあ、そうしましょう」


 そうして私は、姉になった。

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長女を亡くした五つ子姉妹の話 いかずち木の実 @223ikazuchikonomi

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