その鷹が生きる理由

はつね

その鷹が生きる理由

むかしむかし、あるところに、1匹の鷹がいました。


鷹は、誰よりも賢い頭と、誰よりも立派な爪を持っていました。


だから、誰よりも強い者として、鷹はみんなに恐れられていました。


鷹もそれをわかっていたので、いつもひとりで、大きな木の上でひっそりと生活していました。


ある日、食べるものを探しに森に出かけた鷹は、地面に小鹿がいるのを見つけました。


「おやおや、鹿の子供がひとりで地に伏せている。好都合だ、今日の晩ご飯はアレで決まりだ」


鷹はほくそ笑んで、急旋回して地面へと降り立ちました。


小鹿の背後に回った鷹は、そろりそろりと小鹿に近づきました。


小鹿に爪を立てたそのときでした。


「!?」


鷹のお腹に、尖ったものが刺さっていました。


刺された場所からは、ドクドクと赤い液体が溢れています。


鷹は、尖ったものの持ち主を見つめました。


尖ったものの正体は、大人の鹿の角でした。


小鹿の親が、我が子を守ろうとして、鷹に自分の角を刺したのでした。


大人の鹿は、憎いものを見つめる目で、鷹を睨みつけていました。


血が抜けて、だんだんと鷹の意識は遠ざかっていきました。


「ああ、俺は、強者と恐れられた俺は、こんな間の抜けた死に方をするんだなあ」


睨む鹿も見えなくなるほど意識が遠ざかって、意識が途切れる直前、鷹はそう思いました。


そして、鷹は、みじめな気持ちで、目を閉じましたーー





鷹が目を開けると、葉のたくさんついた枝が見えました。


「ここは…?」


鷹が起き上がると、お腹に激痛が走りました。


「ゔっ」


痛みに耐えながら起き上がると、そこは木の上でした。


しかし、そこは鷹がねぐらにしていた木ではありません。


そこより枝がいささか細く、でも枝は頑丈で、安心感のある木でした。


鷹がぼうっと枝を眺めていると、こちらに何かが飛んできました。


「あら、やっと目が覚めたのね」


飛んできたのは小さな鷹でした。


小さな鷹は、起き上がった鷹を見ると、にっこり笑いました。


「ここは…」


鷹が聞くと、小さな鷹は言いました。


「わたしのねぐらよ!とても居心地いいでしょう?」


小さな鷹は胸を張ります。


「君は…」


「わたしはこの森に住む鷹よ。食べものを探しに飛んでいたら、お兄ちゃんが血を流して倒れているのを見つけたの。ここまで運ぶの大変だったんだから!」


たしかに、小さな鷹には、鷹を運ぶことは大仕事です。


「君は、ひとりでここに暮らしているの?」


鷹が聞きました。小さな鷹はまだ幼く、親がいてもおかしくありません。


小さな鷹は、しょんぼりして言いました。


「うん。お父さんもお母さんももういないの」


鷹は焦りました。


「ご、ごめんね。聞かないほうがよかったかな」


「ううん、いいの。だって森のみんなが助けてくれるから!」


小さな鷹はにぱっと笑いました。


「わたしからもお兄ちゃんのこと聞いていい?あなたはどこから来たの?」


「俺?俺は、ここの南にある平原から来たんだ。獲物を捕まえようとしたら、柄もなく怪我をして、あそこに倒れていたんだ」


小さな鷹は心配そうに鷹を見つめました。


「そう…誰か、家族とかいない?」


鷹は首を横に振りました。


「残念ながらいない。だから、君が助けてくれなかったらあそこでお陀仏だった。助けてくれた君には感謝しているよ」


聞くと、小さな鷹は眉をひそめ、鷹から目を逸らしました。


どうしたのだろうかと鷹が窺うと、小さな鷹は、口を開きました。


「じゃあ、お兄ちゃんは帰らなくてもいいの?」


どうしてそんなことを聞くのか。鷹は疑問に思いながら頷きました。


「ああ。俺はどこへでも行ける」


その代わり、どこへ行っても、隣には誰もいないけど。


そんな鷹の内の声が、小さな鷹に聞こえたのかは分かりませんが、小さな鷹は、次にこう切り出しました。


「じゃあ、あのね…

 お兄ちゃん、わたしと一緒に暮らさない?」


「…え?」


鷹が聞き返すと、小さな鷹はもじもじしながら言いました。


「あのね…お父さんとお母さんが亡くなってから、確かに森のみんなはわたしに優しくしてくれるの。でもね…夜寝るときも、美味しいご飯を食べるときも、わたし、ずっとひとりなの。みんなそれぞれ家族のところへ帰るから。だから、たまにすっごく寂しくなるの」


鷹は、それを聞いて、自分と一緒だ、と思いました。


鷹もまた、小さな鷹と同じように、寝るときもご飯を食べるときも、ずっとひとりでした。


そして、口には出さずとも、鷹も寂しい思いをしていました。


ーーこの子と暮らせば、寂しい気持ちは薄らぐだろうか


鷹は考えました。小さな鷹はその様子をずっと見ていました。


しばらく考えた鷹は、小さな鷹を見て頷きました。


「…ああ、一緒に暮らそう。もう寂しい思いはうんざりだ」


小さな鷹は、その返事に顔を輝かせました。




その後の日々は、あっという間に流れていきました。


鷹と小さな鷹は、もう寂しい思いをしなくなっていました。なぜならお互いが一緒にいるから。ひとりぼっちにはならないから。


しかし、鷹は、月日が過ぎるほどに恐怖の気持ちが膨れあがっていきました。


小さな鷹が自分から離れていって、またひとりぼっちになってしまったら…ある日起き上がって、小さな鷹がいなくなっていたら…


そう思うと気が気でなくて、夜も眠れませんでした。 

またひとりになるのが怖くて、小さな鷹を目で追い続けました。


小さな鷹は、それに気づいていたのでしょうか。

別れの日は、突然やってきました。





ある早朝、鷹が目を開けると、小さな鷹は姿を消していました。


鷹は焦りませんでした。


鷹は木の枝の端から目を凝らすと、小さな鷹の姿を見つけました。


鷹は、そっと飛び立って、小さな鷹を追いました。体格差もあって、すぐに追いつきました。


鷹は、小さな鷹の肩を叩きました。


小さな鷹は、何事もないかのように振り向きました。鷹は、その表情にやや拍子抜けしつつ、言いました。


「…なんで、逃げるんだ…」


小さな鷹は、しれっと答えました。


「お兄ちゃんの隣にいるのが、嫌になったから」


鷹はひどく衝撃を受けました。


声も出せない鷹を目の前に、小さな鷹は続けます。


「わたし、思ったんだ。わたしたちの関係てなんだろうって」


「それは、家族…」


「ううん、わたしが感じたのは違ったんだ」


小さな鷹は鷹の言葉を遮り、言いました。


「お兄ちゃんは、独りが怖くて、わたしは、独りが寂しくて…わたしたちは、きっと、お互いを求めているわけじゃない。隣に誰かがいて、独りじゃないことが重要で、たまたま出会ったから、ずっと一緒にいるだけなんだよ。そういうの、お兄ちゃんにもわたしにも悪いよ。

…だからわたしは、行くの」


鷹は悲しくなりました。たとえ小さな鷹の言うことが真実だったとしても、鷹は小さな鷹と暮らしたかったからです。


「待って」


鷹は小さな鷹を引き留めようとしました。でも小さな鷹は止まってくれません。


「離して」


小さな鷹は、自分の肩を掴む鷹を睨みました。そして、小さな鷹は、そのまま飛び立とうとしました。もちろん、鷹も小さな鷹を手放す気はありませんでした。


…ふたりとも、大切なことを忘れていました。



そもそも、鷹がひとりぼっちだった理由は、


鷹の持つ力を、鷹の仲間に恐れられたからだということを。



飛び立とうとした小さな鷹の翼に食い込んだ鷹の爪は、


小さな鷹をふたつに、引き裂きました。


「…えっ?」


その声はどちらから漏れたのでしょうか。


とにかくすぐに分かったのは、小さな鷹から血が噴き出したということです。そのまま飛べるはずもなく、小さな鷹は地面に倒れました。


ドサリ


音がして、小さな鷹の翼から紅い液が溢れてはじめて、鷹は自分のしたことが解りました。


鷹は、よろよろと小さな鷹に近づきました。


「…嘘だろ。なあ、起きろって」


肩を揺らしても、小さな鷹は起きませんでした。それどころか、どんどん顔が蒼くなっていきます。


「そ、そうだ。止血…」


鷹は周りを見ましたが、包帯なんて草原にはありません。ふたりのねぐらにはありましたが、鷹はもう、小さな鷹から離れるわけにはいきませんでした。


鷹は、必死の思いで、自分の腕で小さな鷹の翼を圧迫しました。しかし、血は溢れ続け、止まる気配を見せません。


「…血、止まってくれよ…もう一度、お兄ちゃんって、俺のこと呼んでくれよ…」


「違う、俺はこんなことをしたかった訳じゃないんだ」


「起きて…置いていかないで…」


鷹は小さな鷹に何度も何度も呼びかけました。


しかし、小さな鷹は、二度と起きることはありませんでした。





それから幾年が経ったのでしょうか。


有能な鷹がねぐらにしていた木よりもいささか枝が細い、でも枝が頑丈で、安心感のある、ねぐらとしては最高な木がある森に、1匹の年老いた鷹がいました。


その鷹は、昔、小さな女の子の鷹と、仲良く暮らしていました。


幸せでした。


楽しかったです。


でも、その時間は長くは続きませんでした。


ある日、小さな女の子の鷹はいなくなって、代わりにふたりのねぐらの下には黒い墓ができました。


その日から、鷹は手袋を肌身離さず着けるようになりました。夜寝るときも、ご飯を食べるときも、墓に綺麗な花を供えるときも、決して外しませんでした。


なぜ外さないのか、周りの者が聞くと、その鷹は寂しそうに笑ったそうです。


「自分への、戒めだよ」


その言葉と、鷹の若い頃の能力の高さから、『能ある鷹は爪を隠す』と、鷹は褒めそやされました。


鷹はそのときも笑っていましたが、内心、どう思っていたのでしょう。

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