雨の神様

星うめ

雨の神様

私は逃げている。


狐面の瞬足の女から。


「追いつかれたらやばい追いつかれたらやばい追いつかれたらやばい…ッ!」




事の発端はこうだ。


私はまぁ、色々あって実家に戻っていた。


それで、鬱々とした気持ちで家にいるのもなんだし、散歩でも行こうか、と思ったんだ。


散歩していたら廃れた神社が目に入り、

そこに逆に吊るされたてるてる坊主を見つけ、


(うっわ、こわ…)


と思ったんだ。


そうしたらぽつぽつと雨が降り始め、

傘も持って来てないしついてないなぁ、と思ったその時だった。


瞬きした次の瞬間には狐の面をした女が神社に立っていて。


私を見るなり笑みを浮かべて駆け出して来た、という訳で。


「はぁっ、はっ、ひッ」


普段からろくに運動していなかった自分を恨む。


息が続かず、恐怖だけで足を動かしている状態だ。


「お前、ずいぶんといい走りをするようになったではないか!」


「人違いですぅぅーーー!!!!」


まるで私を知り合いか何かのように声をかけてくる女性に、もう鳥肌が止まらない。


なんで雨が降っている時に傘もささずに全速力鬼ごっこをしなきゃならんのだ。


濡れるし、怖いし、最悪だ。もう嫌だ。




そう、最悪なんだ。私はずっとついてない。


就職難で、やっと見つけた会社はブラックで。


それでも頑張っていたら、仕事中に涙が止まらなくなって。


ああ、もう駄目なんだ、と思ったら、あとは転がり落ちるだけ。


心配して電話して来た親が、つらいなら戻って来なさいと。

そうして、半ば亡霊のように戻って来たばかりなのに。


「うっ、…うぇ、」


なんだか涙があふれて来た。


どうして。どうしてこんな思いをしなきゃいけないんだ。


私だってみんなと同じように、仕事して、趣味を満喫したかった。

がんばったつもりだ。頑張ってきた、のに。


「う、うぁ、ああぁ」


わけわかんない。もう嫌だ。いやだいやだ、いやだ。


もうどうにでもなれ、と思ってペタリと地面に座り込み、声をあげて泣いた。


当然女性に追いつかれる。やるならやれ。もう限界だ。


「なっ、何故泣くのだ、泣かないでくれ。お前が泣くと我も悲しい…!」


「うぇッ、ごほッ、ほとんどアンタがきっかけだよぉぉお」


謎に狐面の女が私の周りであたふたしだす。


私が号泣していると、彼女は遠慮がちに私を抱き寄せた。

びっくりして暴れ出す。


「大丈夫だ、だいじょうぶ。ほれ、子守唄でも歌ってやろう。」


お前が原因だ、と言ったにも関わらず、彼女は私を励まそうと必死の様子だ。


言葉にしようとしたものは泣き声としてしか出てこず、私はされるがまま、とんとんと背中をたたかれるしかなかった。


ただ、その手は、ひどく優しいものだった。


「……落ち着いたか?」


「……うん」



ずび、と鼻水をすする。

狐面の女は懐紙をたもとから出して私の鼻を拭おうとしたが、両腕で突っぱねた。


彼女はちょっとショックを受けたように固まった。


「……離してくれる?」

「嫌じゃ」

「どうして」

「また逃げるやもしれぬだろう」


彼女はムス、と口を一文字に結んだ。


「だから、人違いなんですよ」


「人違いなわけがあるか。この濡れた黒曜石のような瞳。美雨(みう)に相違ない。」


間違いなく自分の名前を言い当てられて、びくりと体が震えた。


「…少し、よどんではおるが」


「でも私、あなたの事しらない」


「そうか。美雨は…我に会いに来たのではないのか」


あからさまにしょんぼりする。

意外とくるくる表情…はお面で分からないが、雰囲気が変わる不審者だ。


「我はこの土地を見守っている雨の神だ。名をクラミツハという。お前はミツハと呼んでいたな」


「本格的にやばい人じゃん…」


「何?美雨、我を愚弄するか?」


言葉こそそう言うが、彼女は気にした様子もなくからからと笑う。


「まぁよい。思い出せぬのなら思い出させれば良いだけのこと。美雨、少し昔話につきおうて貰うぞ」


クラミツハと名乗った彼女は、私をヒョイと抱き上げると、まるで重力なんてないように高く飛んだ。


「ひッ!?」

「安心しろ、落としはせぬ」


そうやってまたからからと笑い、彼女は最初に出会った神社に向かった。


草も生え放題、掃除もされていない壊れかけた神社だが、雨宿りするくらいのスペースはあった。


クラミツハさんが小さなおやしろの中へ入り、すい、と指を動かすと、びしょ濡れだった私からぎゅっと水の塊が離れていき、外まで浮いてったところで、ばしゃんと落ちた。


おかげで私には水滴ひとつ残ってない。


「も、もしかして…」

「先程からいっておろう?我はクラミツハだと」


クラミツハ、とは何かの名称なんだろうか。

いや、ここまでされたら認めるしかない。

少なくとも、彼女は人じゃない。


「それは、申し訳ありません、大変な無礼を…」


と言いかけたところで、クラミツハさんはかなりショックを受けたような顔をした。


「ご、ごめん。クラミツハさ…」

「ミツハ、と」

「…ミツハ。」


望み通りに呼んでもらえたことに満足したのか、

うむ、と満足気に頷いた。


そして過去の話を、聞かせてくれた。


「あの日我は、ほとんど消えていたのだ、美雨。」


我は雨の者。昔こそ雨が降れば恵みの雨などと有り難がられたが、人の子は目まぐるしく成長し、当たり前のように水を使う。


むしろ雨だと、やれ気分が落ち込むだの、やれ洗濯物が乾かぬだの、厄介者とされる始末。


ただでさえ神への信仰が薄くなっているというのに、雨の神など信仰に値せぬとでも言うように、神社は廃れていった。


我は雨の者。雨を降らすしか能がない。

しかしいくら頑張れど頑張れど、人の子は雨など疎むばかりだ。


その時、現れたのがお前だった。


お前は「おにゅー」の「れいんこーと」と「れいんぶーつ」を履いて、雨を心底楽しんでいたのだ。


「あれ、おねぇさん、だぁれ?」


「……我は、クラミツハ。この神社の主だ。」


「神社の?じゃあ、かみさま?神社のあるじって、かみさまのことだよね?」


「…そうだ。お前、神を信じるのか?」


「…?だっていま、くらみつは、さま?がそういったでしょ?目の前にいるじゃない」


「…そうだ…そうだ。お前の目の前にいる我が、クラミツハ。人の子を見守る、神なのだ」


「…どうしたの?なんで泣きそうなおかおするの?…あ、そうだ。

……おかあさんがね、かなしい時にはあまいものがいいよって。ほら」


「…これは?」


「あめ!」


「あめ。…そうか、飴か。…我が、貰っても良いのか?」


「うん、いーよ!」


「そうか、これは…久方ぶりの、献上ものよ」


「…かみさま?…なかないで。あめたべよ?元気だして?」


「…ふ。優しいな、お前は。

よい、人の子。特別に我の名を呼ぶことを許そう。クラミツハ…いや、ミツハと。そう呼ぶがよい」


「んー、ミツハ!」


「お前の名は、なんという?」


「わたしのなまえはねー、みう!」





「お前はな、美雨。私を救ってくれたのだ」


一通り話し終えて、彼女はふわりと私に笑いかけた。


ミツハが、私を大事に思ってくれてるのは、だんだん理解できて来た。


それでもやっぱり、そんな記憶は思い出せない。


「……ごめん。私、まだ思い出せなくて」


「そうか…よい。我の願いはもう果たされた。今度は我が、お前の力になる時だ。その為に、お前に会いたかった。」



そうして、たたずまいを再度直すミツハは、ゆっくりと口を開いた。


「手始めにお前を苦しめる奴を沈めるか」

「それはちょっと魅力的だけど」


真顔で言い放ったミツハに、魅力に後ろ髪を引かれながらも断る。



「ふむ。ならば、これを」


ミツハは、空を両手で包み込むような動作をして、またふわりと手を開いた。


「…飴…?」


そこには色とりどりの、ビー玉のように綺麗な飴が、透明な袋に入っていた。


「そうだ。少しだけ私の力を込めた、な。これで私が離れていても、元気になれるだろう」


「え、離れる?」


最後に聞こえた単語に、私は目を瞬かせた。


「ミツハ…は、ずっとここにいるわけじゃないの?」


ふ、とミツハは寂しそうに笑った。


「消滅は免れたが、やはり、信仰が足りなくてな。他の神に嫁ぐこととなった」


「そうなんだ…。」


「故に、はやく美雨に会いとうて、お前のまじないを使わせて貰ったのだ。」


「まじない?」


「雨を降らせるまじないだと。…我の力も、衰えてしまったのでな。お前の力を借りた。」


そう言って指差したのは、あの、逆さに吊られたてるてる坊主。




瞬間、かつての映像が鮮やかに流れ出した。


私がまだ小さかったころ。


レインコートとブーツがお気に入りで、雨を待ち遠しにしていたこと。


雨を楽しんでいたら、きつねのお姉さんに気付いたこと。


悲しそうなお姉さんを、励ましてあげようと思って、それで仲良くなったんだ。


でも、雨の日にしか会えぬのだ、と言われて。


どうにかして雨を降らせる方法を考えて、


そうだ、と思いついた時に、ミツハのところへ、てるてる坊主を持って走った。


これでいつでも会えるからねって、逆さに吊るして。


ミツハは本当に嬉しそうに、いつまでもそれを眺めていた。



「ミツハ、」


「そら、雨が止むぞ。」


ミツハが今度は空を指差した。

ついそちらに目を向けてしまったら、




もう、ミツハは居なくなっていた。


ただ太陽が神社を照らして、細かな雨が、わずかに降って、止んだ。





「…………。」



これは、神様のいたずらか。

たった数時間の、通り雨の間の出来事だった。


ふと手元を見ると、綺麗な飴玉の入った袋を、しっかり握りしめていた。




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雨の神様 星うめ @wakamori

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