夏の空蝉
鳶谷メンマ@バーチャルライター
一話完結 夏の空蝉
因果応報、自業自得。
そんな言葉、嘘に決まってると思ってた。
八月の東京。ジメジメとした嫌な熱気の夜。
手に触れるのは、ひんやりとしたアスファルトの感触。
腹部に何度も何度も何度も何度も繰り返し突き立てられる、血に濡れた刃物の感触。
もう痛みすら感じない。まるで映画の一幕でも見ているかのような、現実感の無い光景。
自分が殺されるなんて、そんなこと。
やったことは必ず返ってくる。だけど、報いを与えるのは神様なんかじゃない。
人の、深い深い憎悪。
次第に狭まっていく視界。溶けていく意識の中で、私が最期に思い浮かべた言葉は。
「ごめ、んね……夏帆…約、束…ごめ…ん…」
火曜日の昼中。
プルルルルッ。
あまりの暇に耐えかねて、美顔器のレビューを開いていた私のスマホが震える。
地元を出た雄一からの、久しぶりの電話だ。
「チーフ、ちょっと出てきていいですか」
小声でそう聞くと、目の下に大きなクマを刻んでいるチーフこと山川は無言でマルを作った。
長野県にある小さな雑誌編集会社「オリオン」。
そこでライターとして働くわたし、夏帆は今年で21歳の3年目。
高校を卒業してすぐにオリオンに就職したわたしだったが、友人たちは皆他県の大学に行ってしまい、仕事の忙しさからここ一年ほどは疎遠になっていた。
懐かしさを覚えながら通話ボタンを押す。
耳に飛び込んでくるのは、これまた久しぶりに聞く雄一の声。
「もしもし雄一?急にどうしたの?」
「…ああ、夏帆。…落ち着いて聞いてくれ」
頭痛が、止まない。
「…すいませんチーフ、今日早退けさせてください」
唐突な申し出に一瞬困ったような顔をする山川だったが、俯いたまま顔を上げないわたしの様子を見て、事情の重さを察してくれたのだろう。
これまた指でマルを作って、こくりと頷いた。
「…ありがとう、ございます…」
机の上に置いてあった荷物をガバッと引っ掴んで、足早に事務所をあとにする。
道に出て数メートルほど歩いたところで、ついに堪えきれなくなった涙が溢れ出てきた。
親友の千秋が、死んだ。
東京の大学に行くために上京していた親友は、一昨日の深夜に夜道で通り魔に刺され、病院に搬送されたが昨日息を引き取ったのだという。
そして今日の夜には、東京の斎場でお通夜が開かれるらしい。
雄一は千秋のご両親の頼みを受けて、高校時代の友人グループ一人一人に、お通夜に出席できないかを聞いて回っているのだそうだ。
突然の、親友の訃報。
「いつか夏帆の仕事が落ち着いたら、またTDL行こうね!約束!」
彼女のはつらつとした声が、脳裏に思い起こされる。
いつかの夏に千秋とした約束。もう何年前になるだろうか。
昨日のことのように感じられるその約束が、もう二度と果たされることはないと知って。止めどなく溢れる涙が頬を伝う。
ただ今は、千秋にちゃんとさよならを言わなくちゃ。
とにかく家に帰って荷物を整理しよう。
まだ明るい岡谷の街を、夏帆は家に向かって歩き始めた。
数分たって、違和感に気づく。
背後からの足音が、明らかに夏帆を尾けるようについてくるのだ。
ちょうど信号が青くなるも、夏帆はあえてその場から動かず。
しばらくしてチカチカと点滅し始めたタイミングで、彼女は全力疾走で横断歩道を駆け抜けた。
危うくトラックに接触しそうになるところをギリギリで避けて向こう側に辿り着くと、バッと振り返った夏帆が見たのは。
夏晴れの中、黒のレインコートを羽織った人影。
目深に被ったフードと、履いている長靴のせいで背格好まではわからないが……肩幅からして、女性…?
しかも、わりと華奢な部類に入る方ではないか。
それはともかくとして、先ほどからわたしを尾けてきているのはあのレインコートで間違いない。
千秋を殺した、女の通り魔。
まさか。
千秋のことといい、今あの女(?)の人に追いつかれるのはまずい気がする。
そう思い立った夏帆は再び走り出す。
数分後。アパートにたどり着くまで足を止めずに走り続けた夏帆は、もう尾いてきていないか、後ろを確認してほっと胸を撫で下ろした。
だが、それでも。
「ねえ」
背後からの声に、今まで体が忘れていた恐怖が頭を擡げる。
冷や汗が噴き出し、足の震えも止まらない。
そんな夏帆を置き去りに、声はなおも語りかけてくる。
「どうして、 」
何を言っているの、この女。
そんなわけが。
その言葉に、もうそれ以上何も考えられなくなる。
ああ、また頭痛だ。
「いやああああああああっ!違う、違う!やめて!」
ズキンッ、ズキンッと波のように押し寄せる激しい頭痛の中に、散りばめられた記憶の断片が私に語りかける。
そんな幻覚なんて見ても無駄だ。悪人は裁かれる。人の悪意によって裁かれる。
「どうして、 したの」
繰り返される、機械的な声。
気づく。
これは、私の声だ。
そう、私は逃げたいだけ。あまりにも醜い、私の心から。
なんで私だけ笑顔で隠して、本音を殺して、どうして私だけ。
言ったのに。応援するって。
「一緒に うね!約束!」
録音された音声のように頭を巡るのは、親友だったあの子の声。
あの日した約束は、本当にそれだけだっけ。
違う、私じゃない。私はそんなこと。
千秋は親友だったのに。まさかこんな事になるなんて。
違う、お前が悪い。お前のせいだ。
あらゆるインクが混ざりあって黒を成すように、夏帆の心が壊れていく。
「夏帆、わたしたち親友だよね!」
いつかの帰り道、彼女の言葉。
「わたし、夏帆のこと応援する!がんばろ!」
いつかの遊園地、彼女の言葉。
「…ごめんね、夏帆。でも、2人で決めたことだから」
いつかの喫茶店、彼女は去って行った。
ラムネ。ラムネが欲しい。
ああ、今日病院だっけ。でも千秋のお見舞いに行かなくちゃいけないから、キャンセルしとかないとな。……ちがう、千秋はしんだんだった。
バックの中身を引っ掻き回しながらまさぐる。
手に当たる硬い感触。違う、これじゃない。
さらに深いところを探すと、指がコツンと軽い感触を探り当てる。
これだ。ラムネが詰まった、プラスチック製のケース。
これがあれば、また安心の世界に行ける。
ガバッとケースの中身を一息で口に入れると、夏帆はそれを水で流し込み。
しばらくして押し寄せる安堵感と急速に迫る眠気に、彼女の意識は闇へと誘われていく。
もう二度と目覚めることはない、永遠の安息。
「ねえ、なんで」
最期に再び聞こえてきたその声に、晴れやかな気持ちのまま夏帆は。
ああ、そうだ。
「千秋は、わたしが殺したんだった」
夏の空蝉 鳶谷メンマ@バーチャルライター @Menmadayo
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