海辺町プリンセスの初恋と夕焼けの味

秋月 奏

第1話

ふふ、ふふん。

鏡の前でオシャレな自分にポーズを決めて

私は家を出た。

爽やかな朝に初恋のレモンの味。

大人なレディのプリンセスが、王子様と紡ぐ甘酸っぱくて爽やかな恋愛。

知ってる。私には出来っこない。

...でも夢を見ることはタダでしょ?

後ろから、風に乗せて彼の声が響いてきた。


始業前の朝日が差し込む特等席。

心地よいざわつきの教室。

そんな完璧なシチュエーションで唯一のをよそ目に私は左手で頬杖をついて窓の方を眺めていた。

「なぁぁぁーー!聞いてるー?さっきの事ならごめんって!な?...ねぇ聞いてるー?!?」

はぁ...私は分かりやすくため息をつき

『...何よ?』

「お、やっとこっち向いた!」

手と顎を私の机に乗せ、顔だけを覗かせる彼はと笑う。小悪魔。

彼は更に小首を傾げ

「許してくれた?」

『あなた分かってやってる?』

「ねぇどっち??」

『嫌よ。会った瞬間カエル投げてきてそれで私畑に落ちてスカートも汚れたのよ?そんな簡単に許してもらおうだなんて甘いわ。』

ぷいっとまた窓の方を向く。

「あぁっ!...え〜まだダメ?朝だしちょっとびっくりさせたかっただけなんだって。な?許して!...ねぇ聞いてる?!ねぇー!?」

はぁ...私は何度目かのため息をつく。

だって、このやりとりもう8回目よ?

...それに、少し近いのよ。

頬杖をつく左手に伝わる熱は...

多分、ただ気温が高いだけ。


放課後の教室は特別。

オレンジジュースのような夕焼けに包まれて、なんだかロマンチック。

授業中、ちらっと彼を見て、

真剣な顔してるとか、眠たそうとか、

たまに目が合って誤魔化すようにふっと視線を逸らすとかそんな時間も特別だけれど...。

窓越しに見える夕日は少しだけ雲がかかっていて、私の胸の鼓動を僅かに早くする。

『綺麗...』

「何を見ているんですか?」

『夕焼けよ...って「えっ!?」』

不意に響く、ふわふわの綿あめのような声。

速水先生だ。この距離感の近さと割と整った顔立ちで生徒に人気がある。

私は騙されないけどね。

私は先生の袖を引っ張り首を傾げ

『どうしたんですか?先生?』

「はい?...あ、いや、あなたには何が見えているのかなと。」

出た...先生の遠回しな嘘。

私-女警官-は自由帳を取り出し、窓際の席に座ると、コンコンと机を叩いて先生-被疑者-を座らせる。

【さ、本当のことを言いなさい。】

【えぇ?今言ったことが全てですよ。】

【強情な人ね。でも、そんなの嘘。

だって、ここからは夕焼けと街並み以外何も見えないもの。

何を、なんて聞き方おかしいと思わない?】

【...いいえ、違いますよ。

夕焼けには、のですから。】

【...どういう意味?】

【さぁ?...ふふ、当ててみてください。】

【あら、勝負って事?いいわ乗った。】

私は左手を握って下唇に人差し指を軽く触れるように当てた。

【...ダメ、材料が少ないわ。

もう少し詳しく教えて。】

【えぇ、そうですね...

夕焼けの裏側は本当は1番大切で価値のある光景です。

けれど皆、表側の些細な光景ばかり見て、裏側を見る事を諦めたり見ない振りをします。

...恐らくは、ね。】

【私も...?】

んん...夕焼けの裏側...1番大切な。...1番大切な?あれ、この言葉、どこかで...


「ねっ!大人なレディになるとっておきの方法、教えたげよっか?」

「えっ!何それっ!知りたぁーい!」

「んふふ。ならば教えてしんぜよう。」

「えへへ、何その言い方〜」

「ふふっ。じゃ〜あ〜、小さなレディから見て、大人なレディに大切なもの。

なんだと思う?」

「ん〜...プリンセスみたいに美人さんで、可愛いお洋服きて、綺麗なお化粧も」

「はいぶっぶー残念〜!」

「え〜!なんでなんで!」

「ふふ、大人なレディにはね。

外見なんて関係ないの!もちろん立場もね。

1は、こ・こ!」

「ここ?」

「そう。シンデレラだってラプンツェルだって可愛いからプリンセスなんじゃない。」


【強さと優しさを兼ね備えた、その上まっすぐでかっこいいがあったからプリンセスになったの。】

あ。そっ...か。あぁ、そういう事。

幼き記憶と先生の言の葉が重なる。

2つの味が合わさって、黒く淀んだキャンバスに新たな色合いを描き出した。

トンっと、誰かが私の背中を押す。

私はゆっくりと指を離し、その手で服の胸元をキュッと握った。ふふっと笑みが溢れて、目を閉じても堪えきれない涙が頬を伝う。

先生はスっと席を立ち夕焼けに近づくと、

その手で窓を、透明な境界を開いた。

ぴゅーっとひんやりした空気が私の髪を撫で炭酸水を飲んだ時みたいに心地が良い。

「さて、さん。

改めて、答えを伺っても?」

そう問いかける先生の瞳はストロベリードロップのように透き通って見えた。

でも。私は小悪魔女子みたいにいたずらっぽく笑みを浮かべ、人差し指をピンと立てて唇の前に持っていく。

「...あっはは!秘密ですか。それは...ふふっ...残念です。」

そう口元に手の甲を当て笑う先生は一切残念には見えなくて。

ほんと、素直じゃない。

『ねぇ、先生』

私は唇から手を離し先生の元に歩いた。...もちろん自由帳は持ったまま。

【先生は...初恋。どんな味でしたか?】

「え?ふふっ...フランボワーズ、かな。」


いち、に。いち、に。

波風の吹く防波堤の上、前を悠然と歩くのは近所の黒猫ちゃん。

上手くバランスを取りつつ私はその後ろをついていく。

ふと彼女は足を止め、ソーダのような瞳をこちらに向けた。

「にゃー」

と一言挨拶しぴょんと砂浜に飛び降りる。

少し遠くにいたもう一匹の黒猫ちゃんの元に行くみたい。

頬をすりすりしたりしっぽを絡めあったりしちゃってる。

黒猫ちゃんも初恋ね。

私はまた両手を広げて歩き始める。

向かい側の歩道からふとガーッとスピードを出した自転車の音が聞こえた。

何かしらと振り返った数瞬後、私は全身から血の気が引くのを感じた。

『そこのお母さん!!止まって!ぶつかるわ!!』

そんな私の懸命な言葉は声帯を素通りし、空気となり世界に霧散していく。

嫌...!何で...何で私は!

やっぱり無駄じゃん!嘘つき!!

普通の女の子ならこんな事ない。

私が殺すようなもの。

私は下唇を強く噛んだ。お願い...助けてよ......

「おい!!あぶねぇぞ止まれ!!!!」

私の叫びに応えるかのように辺り一面に響く少し高めの、レモネードのようなアルト。

その声と剣幕にお母さんはすんでの所でピタリと止まる。

刹那、自転車が猛スピードで前を通り過ぎた。

「あ、ありがとうございます!助かりました!」

...え、助かったの...?日向が...良かったっ。

安心感で全身の力が抜け防波堤の上に倒れるようにしゃがみこむ。

日向は私の方に近づいてくると下から私を見上げニヤッとして

「白パンツ」

んなっ...!バッとスカートの裾を引っ張ってあわてて隠す。

「隠すくらいなら早く下りてこいって!」

『う...そうしたいのは山々なのだけど』

私は下を見て、裾を抑えているのと反対の手で肩を押さえる。

「...ぷっ、ふふ。えっ嘘だろ?まさか自分で登って降りるの怖いとか??」

『登ったときはこんな高くなかったの!』

「あ〜分かった分かった、ってかしてくれんのはいいけど、手離すとパンツ見放題」

『っっ...!!ばか!!変態!!』

「ははっ!ごめん調子乗った。んじゃ、ほら」

『...何?』

「飛び降りて来い!」

「ええぇっ!?『でも...』」

「大丈夫だ。絶対受け止める。」

...でも。胸がトクンと鳴る。

大丈夫かな。

重いとか思われないかな。

「あ、そうだ!」

『うん?』

「さっきの。ありがとな。」

『えっ?』

の言葉が見えなきゃ、間に合わなかった。だから、ありがとな。」

『...っ!』

ずるい。反則だそんなの。ほんと小悪魔。

咄嗟に下唇を噛み、まっすぐな彼の瞳をしっかりと見つめ返す。

少しだけ、こくんと頷きを送った。

彼はにやりと笑って

「任せろ」

『いくよ?...えいっ!!』

思いっ切り。タンっと防波堤を蹴って、彼に向かって飛ぶ。

潮風が私の髪を、スカートをなびく。

高さは1m程度だったけれど、気分は世紀の大ジャンプ!

これまで感じたことないくらい胸がスーっとする。

鼓動が早くなりすぎて、人生分使い切っちゃいそう。

ドンッ

強い衝撃の後、私は倒れながらも受け止めてくれた日向の腕の中にいる事を認識した。

「にしし。な?言ったろ美月?任せろって」

「ふふ、『そうね。ありがとう。』」

「そんじゃ!これで朝の事、許してくれる?」

『朝って...まだ気にしていたの?

ふふ...もう。』

私は彼をそっと押し倒し、その頬に唇をそっと合わせた。

『...じゃ、帰ろ?』

パッと立ち上がり彼に背を向け歩き始める。

「え...え待って待って!どういう事!?」

はぁ...まったくもう。

どこの世界でもは鈍感なものなのね。私は片足を軸に振り返って、上体を傾け親指と人差し指でふわっと丸を作った。


大きな木のある海浜公園。

クリームソーダのような木々と入道雲のすきまから、炭酸の封を開けたように風が頬を撫でる。

私はいつものようにその幹にもたれかかり、お気に入りの日記を取り出す。

それが母を亡くした私に告げられた病名だった。

声を無くした姫は誰にも気づかれず、泡となり消えるのがお約束。

だったら私は、最初から深海に身を投げようとそう決めた。だって、傷つくのは...怖い。

沈みゆく、何度も手を伸ばしそうになった。

水面から輝くあの夕焼けの裏側に。

その度に私は腕を押え、また海の底へと沈んでいく。

まるで息苦しさから逃れるように。

『...なんて。ほっんと、バカ。』

私はパンっと日記を閉じ手鏡を取り出す。

すぅーっはぁーと大きく深呼吸。

波打つ音を背後に、鏡に向かってポーズを決めた。

うん!完璧ね。

鏡に映るプリンセスは今日も最高に可愛い。

...待ち合わせまで、残り30分。

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海辺町プリンセスの初恋と夕焼けの味 秋月 奏 @puraguma

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