【非公開】12月24日・クリスマスの部屋(2) 

「こないだ入院した時、ね」

「え」

 喜びに浸りかける僕に、君は話を続けた。

「癌が転移したって聞いてー」

「…」

 君の母親からすでに聞いていた話なのに、心臓が一打ちした。

 君から直接、君の病状について聞くのは中秋以来初めてだった。


「…分かってた事なのに、“嫌だー”って思って」

 朗らかな言葉の奥に、ほんの一瞬、君の絶叫が聴こえた気がした。


「どうしても転移したトコだけでも…切り取ってしまいたくなって。焦った 」


 淡々と語る君の視線の向こうで、朝降っていた雪が、再び降り出していた。

 僕は、身動きが出来なかった。


「切り取っても…完治…するわけじゃないし、手術したら体力奪われるのも分かってたけど…手術したいってお願いしたの」


“今まで私、蛍が何して欲しいか全然分かんなかったんだけど、今はなんとなく分かるのよ”

 僕は君の母親の言葉を思い出した。


 君は、生きたいと願っていた。切実に、少しでも長く。僕が先の見えない単調な毎日を送っている間、君は僕の知らない所で必死に、生きようと足掻いていた。


「でも結局…」

君は空中に手を伸ばし、

「お腹開けてー」

滅多に日に当たることの無い細く白い指で、ファスナーを開けるジェスチャーをして、

「やっぱり無理ですーって」

また閉じる仕草をした。


 君の口から殊更淡々と語られる現実のあまりの重たさに、僕は一瞬、息をするのを忘れた。


「でもね、お腹開けたから、がんに直接、放射線、当てられてね。

 医師せんせい、“癒着の出血が”、とか、“位置が”、とか言って手術に反対してたのに、ギリギリのトコで攻めてくれたの。私、医師せんせいに診てもらえて良かったなぁって…

…ごめん、やっぱりこんな話、するんじゃなかった。大丈夫? 」


 僕と目があった君は、僕の顔を見て、心配そうに眉を寄せた。


「大丈夫」

 僕は慌てて首を振り、君の澄んだ目に映る頼りない自分と目が合うと、目を逸らした。

 君の話してくれた、君のいる余命半年という日常に今更ショックを受けている自分があまりに不甲斐無かった。君と毎日会っていながら君の見ている世界が見えていないくせに、君と一緒に戦う事が出来る君の担当医に嫉妬している事も含めて恥ずかしかった。


 僕は、僕の左手を包んだ君の両手に右手を重ね、僕の額に当てた。

 君の痛々しい程細くて、もう少しでも力を入れると折れてしまうんじゃないかと思う程華奢な手から、君の心臓の鼓動が確かに感じられた。


ーこの鼓動が、止まる。


 その事を今更強く感じた。


 君の事がこんなに大切なのに、僕は、君がもうすぐこの世から消える事をどうする事も出来ない。段々と、体を動かす事も、食べる事も出来なくなっていく君を、傍で見ている事しか。


ー何か出来ないのか、何かー

 焦燥が僕の頭に渦巻いていた。


 君の向こうで雪が静かに降っていた。雪は少しずつ、でも着実に積もっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カプセル・ダイアリー〜僕と君の往往書簡 ハト @midorino88

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ