この鮮やかな景色の中で

輝井永澄

この鮮やかな景色の中で

 「オーラ」っていうのかな。その人が身に纏う「色」ってあるでしょ?

 私、それが見えるんだ。

 え? いや霊感とかそういうのじゃなくて。

 音を色で認識できる人っているでしょ? 共感覚ってやつ。これもその一種なんだと思う。

 でもそういうのって、はっきりと認識してないだけで、誰でも漠然とは見てるんじゃないかなぁ。


 * * *

 私のそんな話に、目の前の男はなるほど、と頷いた。

「確かにあるかも。この人は好ましい明るさだとか、なんとなくザラついた印象があるとか。二也弥さんはそれが色で認識できるんですね」

「ニャミでいいよ。堅苦しいなぁ」

 そう言って私が笑ったのに、男は愛想笑いも返さず、なるほど、なるほどと何度も頷いた。あからさまに興味のなさそうなその態度、それ自体はまぁ、構わないんだけど――

「そうだ、IDの交換、しませんか?」

 男が思い出したように言った。あ、一応私と今後も連絡を取る意思はあるんだ。

 男はスマホを取り出し、スキャナーアプリを立ち上げる。私は袖をまくり、手首の内側に埋め込まれたセキュリティレベル2のIDをそこへかざした。


 ピッ


 電子音と共に、私の目には白い輝きが弾けたように見える。

「メッセージしますね」

「うん」

 レベル2にはメッセンジャーとSNSだけを登録してる。プライベートメールアドレスや住所なんかはレベル3、足首のIDチップだ。まあでも――私は目の前でさっそくメッセージを打ち込んでいる男を見た。この人にレベル3を教えることはないだろうな。

「はぁ」

 私はつい、大きなため息をついてしまった。来月にはとうとう30歳になってしまうというのに、私の婚活はまったく進展がない。早く内腿に入れたレベル4のIDを教える相手に巡り合いたいのだけど。

 目の前にいる今日の相手も、そんなに条件が悪いわけではない――むしろ顔はかなりイケメンだし、収入もいい。でも――問題は、この人の「色」だ。地味目のファッションに反し、その身体の周りに纏う色は緑がかった黄色、透明感のない赤紫、濁った青がまだらになったような――

「……ギャンブルとか、好きですよね?」

「え? いやそんなことは……」

 すぐに否定したものの、一瞬目が泳いだのを私は見逃さなかった。それに、言葉では誤魔化せても、「色」は誤魔化せない。あの色は前の彼氏と同じ――パチンコ情報やオンラインカジノの通信を頻繁にやり取りをしている、そういった生体IDチップを持つ人の色だ。

 私はまたため息をついた。本当、見た目だけではその人の本質にアクセスすることは出来ないものだ。


 * * *

 アポ相手と別れた私は、気分転換に買い物でもしようと街を歩いていた。表参道の街は電波の色彩に溢れ、華やかに躍動している。行き交う人々が身に纏う色もやっぱり洗練されていてオシャレ。見た目は中身の一番外側、なんていうけれど、その人が生体IDにどんなサブスクを登録しているかとか、またはどんなトラッキングクッキーを引きずっているかとか、そういうのはやはり、身に纏うオーラとして表に出てしまうものなのだ。生体IDの通信する電波を、人は身に纏い彩っている。あ、ほらあの男の子とか、顔はそれなりだけどいい色してる。そりゃあんな美人を連れてるわけだよ。

「……そう、顔じゃないんだよなぁ」

 絶世のイケメンや超セレブと結婚したいなんて思ってない。ただ、自分と合う人と出会いたいっていう、それだけなのに。

 私は再び、スマホを取り出してマッチングアプリを開いてみた。でも、そこに並ぶ男性たちの顔写真をいくら眺めても、なにもピンと来やしない。美しさを感じるのにだって、結局情報が必要なんだと思う。やっぱり実際に会って「色」を見ないと――

「自信なくしちゃうなぁ」

 別にフラれたわけでもなんでもないのだけど。私は顔を上げ、原宿の街を見回した。最先端のファッション情報が濃密にやり取りされる街は、それ自体がクリアな青緑に覆われたような、きれいな色彩を持っている。自分が誇り高く感じられるような、そんな鮮やかな景色を持つ町。

「……まだまだ、次がある次が!」

 ほんの少しだけ自信とやる気を取り戻して、私はまた歩き出した。


 * * *

「どうですか? 素晴らしい景色でしょう!」

 車から降り立って木村が言った。良く言えばおおらか、悪く言えばガサツな人――ただ、そのことが気にならなかったのは、この人の「色」がとても澄んでいたからだと思う。

「エメラルドみたいな海に、抜けるようにどこまでも青い空、白い雲と、緑の大地。本当、こういう鮮やかな景色って日本の宝だと思うんです。俺も最初は退屈だと思ってたけど、この美しさが理解できてからはすっかりハマっちゃって」

 ガードレール越しに景色を眺める彼の隣に私も立つ。風に髪をなびかせる彼の横顔は素直に素敵だな、と思う。

 でも――私は彼と同じ方に目をやった。

 海と空、雲、そして山――そのすべてが、私にはくすんで見えた。ただの、田舎のつまらない景色。これのどこが、日本の宝なんだろう。そう思ったけど、私は黙っていた。

「今この土地の開発事業をやってて、いずれはここに住みつこうと思ってるんです。地元には反対する人たちも多いけど、ちゃんとコミュニケーションをとってやっていきたい」

 そんな話をする彼の顔を、私は見る――と、私のことを見つめる彼と目が合った。

「……ニャミさん」

 木村は思い切ったように、私の目を見て告げる。

「……ここで一緒に暮らしませんか?」

「え……っ」

 真剣な目に見つめられ、思わず彼から目を逸らし景色の方を見る。なんの色彩もない、灰色の景色が目に入ってきた。


 正直に言えば、彼からの告白は嬉しかった。条件や見た目を抜きにしても、素敵な人だと心から思うし、彼の「色」も好きだ。余計なサブスクもほとんど入れず、自分に必要なことだけ真摯に取り組んでいる生体IDが放つ、クリアーな水色。ちょっと垢ぬけないような顔もファッションも、その情報があれば途端に魅力的なものとして輝き出す。やっぱり情報がないと、人の美しさは理解できないのだ。

 だけど――私は原宿の街を歩きながら、思った。あんなくすんだ景色の田舎に、私は暮らすのか。

 オシャレなカフェもセレクトショップもなければ、そこに集まる素敵な人たちもいない。情報ネットワークの整備も遅れているような場所なのだ。あの海辺で生体IDは機能せず、インストールした様々なアプリも、情報サービスも無意味になる。

 「それがいいんだ」って彼は言ってた。だけど、そのことに前向きな返事を返せないまま、もう2カ月が経ってしまっていた。


「来週、またあの場所に行こう」

 先ほど、届いた彼からのメッセージ。まだ返信はしていない。でも、断れないだろう。この景色の中に暮らすのも、あと数年ってところなのかな――原宿の色彩を見つめながら、私は思った。


 * * *

 ゆるやかなカーブが続く広い山道を、彼の車は軽快に走った。

 もうすぐ着いてしまう。そしたら、答えを出さなきゃいけない。もし、ここで断ってしまったら、二度と結婚できないかも。だけど、この人を受け容れるということはここに住むということ――いや、例えば「私と結婚したかったら仕事を諦めろ」と言ってみるか? それか、遠距離別居前提で結婚するか――

 車が減速し、路肩に寄せて停車した。着いてしまったみたいだ。彼がドアを開け、先に降りる。そして、助手席側に回った彼が私の左側のドアを――開けた。

「……ニャミさん?」

「……うん」

 彼に促され、私は車を降りる。そして、目の前に広がる景色が目に入る――

「……えっ……!?」

 その瞬間、私は言葉を失っていた。

 そこに広がるのは、エメラルドみたいな海に、抜けるようにどこまでも青い空、白い雲と、緑の大地。鮮やかな色彩に彩られた、雄大な自然の情景。

「素敵……」

 思わず口に出していた。前に見た時と同じ景色なのに、今、私の目に飛び込む色彩はしっとりとした輝きを帯びてどこまでも鮮やかだった。

 彼が隣に来て、言う。

「開発計画はまだまだこれからなんだけど、まずは情報ネットワークを整備したんだ。ここら全域で生体IDが機能するよ」

 彼の話を聞きながら、私は雄大な景色に身を委ねていた。この鮮やかな色彩の中に抱かれる自分をイメージすると、それだけで心が穏やかになるようだった。

 彼の腕が肩に回されるのを感じた。


 ――生きて行こう、この色彩の中で。


 美しさを感じるのにだって、情報が必要なんだ。情報があれば途端に、魅力的なものとして輝き出すものがある。

 私は自然に沸き上がってきたその気持ちを抱き締めるように、彼の胸に頭を預けた。


 * * *

 それから、数年。

 開発計画はまだまだ途中だけど、この景色の美しさは全国的に認知され、多くの人が集まるようになった。やっぱり、美しさが伝わるためには情報が必要だっていうことだと思う。

 新しい店なんかも出来始めたし、都会からオシャレな人たちがたくさんやってきた。景色を彩る色彩は、電波に乗って華やかに彩られ、エメラルドの海と青い空には極彩色の虹がかかっているようだった。

 アスファルトの灰色の上に、踊るデジタルサイネージが陽光に照らされている。その中を彼の運転する車で走り抜ける。


 ――どんっ


 不意に、鈍い音と共に衝撃が走った。

「わっ!?」

 エアバッグが開いて車が止まる。

「ニャミ、大丈夫!?」

「う、うん……でも、なに?」

 私と彼はドアを開け、車から降りる。そして、車の前にまわりそれを見た。それは、くすんだ色の人の形をしたなにかだ。

「……地元の反対派かな」

 彼はそう言って気にも留めず、再び車に乗った。私もその後を追う。

「困るんだよな、今どき生体IDも入れないやつ。見えないんだよ」

 そう言って彼は再び車を発進させた。

 幸い、車はどこも壊れていないようだ。景色を美しく彩る電波の色彩の中を、彼の運転する車は快調に走った。

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