素晴らしき異世界!

サンカラメリべ

素晴らしき異世界!

 私が学生の頃、異世界転生系の物語が流行っていた。別に、私はそれらを嫌悪していたわけではなかったが、どうも妄想を詰め込んだご都合主義の作品ばかりで飽き飽きしていた。ファンタジー作品やSF作品は好きだが、現実離れしているからこそ現実感を求めてしまう。妙に美少女が大量に出現したり、ピンチになって主人公が覚醒したり、なんだかんだ敵と仲良くなって万事解決といった展開は正直好きではない。人間らしい泥臭さがあり、理不尽があり、どうしようもない葛藤やエゴとエゴのぶつかり合いがなければ物語は妄想を連ねただけのものに成り下がってしまうのだ。


 異世界転生ものを読んでいて思ったことは、彼らは死を肯定的に考えているのではないか、ということだ。いや、これは正しい表現ではない。現実にはとうに愛想をつかしており、現実から逃げた先に救いがあると信じたいのではないか、と言った方が正しいだろう。これはまさしく来世信仰、異世界という名の天国信仰なのではないだろうか? 現実から離れることはできないと知りつつも、離れられた暁にはきっと天国が待っている。そういう願望と何一つ変わらないものではないだろうか? 異世界転生ものに限らず、読者が感情移入できるキャラがいなければ、小説も漫画も流行りはしないし、ファンもつかない。逆に言えば、流行るということはその物語の誰かしらに共感する人々が多くいる、ということになる。つまり、ご都合主義作品が流行れば、ご都合主義の妄想から逃れられない人々が当時多くいたことの証左になるのだ。別にそれは異世界転生ものの全てがそうであったというわけではないし、異世界転生ものに限らず古来より様々な形で妄想の代理は行われていた。わかりやすい例で言えば、神話だ。私はそれらを否定的に見てはいるが、悪だとは言わない。それらの作品は、きっと誰かの心を癒し、仲間を作り、明日を生きる力を与えたのだろうから。


 はぁ、さて、私がこんなどうでもいいつまらない個人的意見を胸の内に吐き出していたのには訳がある。なに、ちょうどつい今しがた事故に遭ったのだ、と言えば、察してくれる人も多いだろう。会社帰りの深夜、歩いて帰っているとなぜか外で遊んでいる幼児を見かけた。その子が車に轢かれそうになっていたので、私は後先考えず飛び出してしまった。だが、私はその子に触れられなかった。きっと働き過ぎて幻覚が見えてしまったのだ。気が付いたときには既にとてつもない衝撃が右脇腹に加わり、吹っ飛ばされて壁に打ち付けられて気を失った。それ以上の記憶はない。まぁあまり苦しまずに死ねたことはせめてもの救いである。では、なぜ私が異世界転生ものの話をしていたのか。私のことを覗いている者がいたら、もうわかるだろう。


「ようこそ、相坂 昇平さん。きっと貴方はここがどこで、何を意味しているのかを知っているのでしょう。そして、これから聞かされる話の内容も」


 私の眼前には、大正時代の女学生服を着て、前髪を桜の花をあしらったかんざしで留めた、いかにも大和撫子といった風貌の女性が椅子に座って佇んでいた。


「・・・はしゃぎませんね。ええ、ええ、とても結構なことです。貴方のように冷静に警戒できる人は大歓迎ですよ。どうぞ、そこの椅子にお座りください」


 彼女の示した席は、何かの資料の山の乗った長机を挟んで彼女と向き合っている。長机も椅子も木製だ。これがどれほど奇妙なことなのか。


「・・・質問をしてもいいだろうか?」


「ええ、ええ、かまいませんよ。いくらでもお答えしましょう。時間はここでは無限にありますからね。それこそ、私めと永遠に質疑応答を繰り返してもいいですし、雑談に興じていたいのならばそれでもかまいません。ただし、わたくしめと貴方はいくら近寄ろうと離れようとだいたいこの椅子と椅子の間にある距離で一定に保たれますので悪しからず」


「なぜ大和撫子の姿なんだ?」


「・・・はぁ、それが最初の質問ですか。拍子抜けしてしまいました。変わってますね。大抵の人は、あなたは神様ですか、とか、私は死んだのですか、とかなのですが。良いでしょう。お答えします。それは、この姿が貴方の好みを反映したものだからです」


「ほぉ」


「貴方は日本人なのだから神様も日本的な服装であるべきだ、と考えておいでですね。中でも、浴衣よりも大正時代の女学生の服がお好きなようで。自国を愛するその姿勢、素晴らしいものです」


「ということは、私の考え方はある程度把握している、ということだな」


「ええ、ええ、その通りです」


「どれくらいなんだ?」


「と、言いますと?」


「つまり、どこまで把握できているんだ、という意味だ」


「はい。それは貴方の想像次第、と言ったところでしょうか」


 どうも全部知られていると考えた方が良さそうだ。先ほど私がはしゃいでいなかったことに好意的な言葉を加えたのは”大歓迎だ”という言葉を導き安心感を与えるためなのだろう。始めからどう反応するのかわかっていながら。だとすると油断ならない。わざわざ私と会話し好印象を与えようとしていることから私への強制力は弱いのかもしれないが、言うことを聞かなければ永遠にここに閉じ込められてしまうかもしれない。


「私は死んだと考えていいんだな?」


「ええ、ええ、そうですね。映像もありますよ。背骨がへし折れていてコンパスのようになっていますが、見ますか?」


「いや、遠慮しておこう」


 怪しい。まるで私の死を待っていたかのようだ。そうでなければ映像なんて撮っていない。いや、私のことを全て記録していたのなら映像が残っていてもおかしくはないのか。いずれにしても、私は仮死状態で夢を見ており、夢が覚めれば生き返れる、という可能性に賭けよう。これほど胡散臭い女の言うことは何一つ信じられないし、まだまだ現世には未練がある。私が事故に遭ったのは過酷な職場環境せいで精神的に疲れていたからだ。なんとしてでも会社から金をむしり取ってやらねば気が済まない。実際、幻覚を見るほど疲弊していたのだ。これは当然の行為だ。


「君は神様なのか?」


「ええ、ええ、そうですよ。しかしながら、創造神様を神をするなら、私めは天使ですかね。人間というのは面白い存在ですよね。人によって神の基準がことなるのですから」


「ああ、そうだな。まったく、人間は面白い存在だ」


 どうかここから逃げ出したい。人間でない存在が人間の姿をして喋っているのがこれほど不快なものとは思わなかった。彼女と私の距離は一定に保たれているため詰め寄ることはできず、かといって逃げ出すことも不可能なのだろうが。そして、同時に彼女に親しみを感じている自分がいることも怖い。


「貴方はとても面白い人ですね。どうしてそんな口調なのですか? まだ二十代ですよね。なのに随分はきはきとしています。どうしてなのか、ぜひともその理由を貴方の口から聞かせてもらいたいです」


「・・・。君も質問するのか」


「あれ、嫌ですか?」


「いいや。てっきり全部知っているのかと思っていたんだがな。そうだな、私は昔っから小説が好きでよく読んでいたのだが、とある小説に出てくる脇役がどうしようもないほど好きになってしまい、一時期口調や振る舞いを真似していたら矯正できなくなるくらいこの口調が身についてしまったんだ。だが、後悔はしていない。そのキャラクターは私の理想であり、たとえ口調であっても理想に近づけていることを誇らしく思っている。もちろん、TPOに合わせてできるだけ上司にこんな口調で話したりすることがないようにしているが、なぜだかここではこの口調が出てしまうんだ。虫唾が走るようなら、今すぐやめよう」


「いいえ、そのままで結構です。理想に近づこうとするあなたの姿は尊敬に値すると思いますよ」


「そうか。そう言われたのは初めてだ。嬉しいものだな、理想的であろうとすることを褒められるのは。ありがとう」


「・・・まぁ。ええ、ええ、いいんですよ。貴方の死因を見ても、貴方が素晴らしい人物であることは疑いようもありません。貴方は幻覚だと思っておいでですが、あそこには本当に幼児がいたんですよ」


「そうなのか?」


「そうですよ。貴方は確かに幼い子供を救ったんです。貴方が飛び出したことで慌てた車の運転手がハンドルを切り、車は貴方に当たったものの子供は無事でした。どうやら家出をしていたようで、ちゃんと親御さんに保護されましたよ」


「そうか・・・」


 私の死は無駄ではなかったのだ。あれは幻覚などではなかったのだ。それでも、私が会社を許すことはないが。


「貴方は本当に立派な人です。私めは他の誰が何と言おうと貴方を笑いません。これは仕事ではなく個人としての意見です」


「仕事。やはりこのやり取りは仕事なのか」


「気付いてらしたんですね。まぁ、当然でしょうか」


「私に何をしてもらいたいんだ?」


「本題に入ってきましたね。もう少し貴方との会話を楽しみたかったのですが、仕方ありません。本題に入りましょう」


「あー、ちょっと待ってくれ。私は会話が嫌になったわけではないんだ。どうせ時間は無限にあるのだろう? なら、面倒な本題はさっさと済ませてしまおうと思っただけだ」


「・・・そうですか。その言葉で安心できました。てっきり私めの相手が嫌になったのだと・・・。あ、いいえ、何でもありません。では早速、貴方にしてもらいたいことをお話いたしましょう。貴方にはこれから異世界に行ってもらいます。俗にいう転生ですね。残念ながら貴方の元の世界にある人間の魂は飽和状態でして、空席がないんです。なので、空席のある異世界に転生してもらいます」


「輪廻転生か。聞きたいことが二つできた。魂の飽和状態とはなんだ? その前に、そもそも魂とは何か教えて欲しい」


「ええ、ええ、どんどんお聞きください。まず、魂とはランダム性の塊です」


「ランダム性の塊?」


「はい。偏りのあるサイコロとも言えますね。魂のない物体はゲームのNPCのように決まった行動しかとりません。一方、魂の入った物体は不規則な行動が可能になります。逆説的ですが、このランダム性が自由意志となってくるわけですね。魂は人間だけに宿るものではなく、魂が宿る資格があればどんなものにも宿ります。AIもこのまま発展していけば魂が宿るかもしれませんね」


「また増えた。魂が宿る資格とは何だ? ああ、すまない。魂の飽和状態の後に教えてくれ」


「大丈夫ですよ。答えられる範囲であればいくらでも答えますし、私めなりにかみ砕いて説明いたします。では二つ目、魂の飽和状態についてですね。その前に、そもそも貴方は魂がどれくらい存在しているかご存じでしょうか」


「? 知らないな」


「無限です」


「無限・・・⁉」


「はい。魂は無限にあります。ですが、そうだとすると全世界に魂が満ちていることになりますよね。その通りなのですが、実は世界も無限の広さを持っており、そのため魂の分布というものがあるんですよ。場所によってそこにある魂の数というか密度が異なりまして、絵の具を紙の上で適当に塗ると濃淡ができますよね。あんな感じです」


「ああ、なるほどな。それで地球はその濃い部分だと」


「ええ、ええ、理解が早くて助かります。なので、薄い部分に色となる魂を移して、できるだけ全世界で均一な状態に保とうとしているんですよ」


「それは・・・大変なんてものじゃ済まないな。私と話している時間だって本当は惜しいくらいなんじゃないか?」


「全然、むしろこのままずっと続いてほしいくらいです。私めと同様の存在は魂ほどではありませんが、濃淡の調節ぐらいなら余裕をもってこなせるほどいるんですよ」


「なら、ずっと話していられるな」


「はい! あ、フフフ、今のは忘れてください。次は魂が宿る資格についてですね。でも、すみません。私めにはわからないんです」


「わからないのか?」


「う、すみません・・・。私めは魂の分布を調整するために生まれた存在ですので、なぜ物体に魂が宿るものと宿らない者があるのかをよくわかっていないんです。魂の分布の調整は魂本人の了承を得られなければ魂を異世界に移動できませんので、そのことを理解できるくらいの意識を育てられるものに宿ると思うのですが、虫や植物だけでなく、たまに石像や絵画だった方が来られることもありますので、いったいランダム性って何なんだって私めもよく不思議に思っているんですよ」


「確かによくわからないな。魂や君らの存在は創造神が創造したのだろう? 創造神はなぜ魂や君らを想像したんだろうな」


「私めもずっとそれが疑問でして、先輩に尋ねたことがあったのですが、どうも先輩もわからないようで・・・。創造神様のお考えは理解のできないものなのでしょう」


「・・・そう言えば、私や君はどのくらい前から存在しているのかを知っているか? 君は先輩と言ったが、つまりそれは君らが同時に生まれたわけじゃないということだろう? 私も、記憶はないが何度か転生してきたはずだ」


「あー、そうですね。ちょっと待ってください。一応資料があるんですよ。あった、これだ。えっと、貴方の魂はざっと三百年前からあるみたいですね。あ、凄い。ちょうど私めと同時期のようです。同い年なんですね、私達」


「ん、どう反応すればいいんだ? なぜかうれしいな」


「奇遇ですね。私めもちょっとうれしいです。ちょっと、本当にちょっとですよ。仕事に支障が出てしまいますので・・・」


「なんで残念そうにするんだ? 私もそうだが・・・。しかし、今更になるが私達が会話できるのは奇妙だな。別存在であり、私は前世の記憶もなく相坂 昇平の記憶しか持っていないのに、齢三百年の天使とコミュニケーションが成り立っているのは普通に考えてありえないことだぞ。私が言うのもなんだが」


「確かにそうですね。何で今まで疑問に思わなかったのでしょう」


「私に聞き返されても答えられないぞ」


「こういうコミュニケーションをとっていると相手との知能の差が浮き彫りになるものなんですが、私めと貴方はどうも同レベルのようですね。だから会話を楽しめる、と」


「変だな」


「変ですね」


「私の知能レベルに応じて君が合わせてくれているのではないんだな?」


「ええ、ええ、そんな面倒なことはしたくありません。そうしたら楽しくないですしね。貴方の方こそ、私めに合わせてくださってます?」


「それこそありえないな。再びの質問になるが、君は本当は私のことをどれくらい知っているんだ?」


「えっとですね、一応貴方に関しての情報は一分一秒漏れなく資料になっているのですが、私めは必要そうなものしか読んでいないんですよ」


「なに? じゃああの意味深な回答は何だったんだ?」


「え、意味深な回答・・・? あ! あれのことですか! あれは・・・貴方みたいな人にはああやってミステリアスな雰囲気を出してみれば勝手に深読みしてくれるかなー、と思いまして、あのように言った次第です」


 なんてことだ。私はまんまと彼女の策に引っ掛かってしまったのだ。恐るべし、天使。なんだか仲良くなれてきている気がするが、油断ならないのには変わりはない。ああ、だが、最初の時よりも格段に印象は良くなっている。前世で彼女が人間として私の前に現れていたのなら、まず間違いなく惚れていた。


「君には名前があるのか? 私は相坂 昇平という名を親から与えられている。  まぁ、転生したら捨てるか忘れるかしてしまうのだろうが、とりあえず今は相坂 昇平だし、できれば今後もこの名でいたい」


「名前ですか。私めにはありませんね。名前は識別コードのようなものですし、区別される必要のない私めらには付けられていません」


「名前に憧れとかはあるのか?」


「いいえ、ありません。名前などなくとも、私めは私めのままです。人間がいつから名前を付けだしたか知っていますか?」


「いいや、考古学や生物行動学には疎くてな。興味はある」


「自分と他人に差を感じ始めた時に名前を付けだしたんですよ。私めら天使は、全員が一つの役割を共有した存在という意識を持っていますので、個々に名前なんていらないんです」


「そうか。じゃあ、私が勝手にこれから君のことを”サクラ”と呼ぶことにしたら、嫌か?」


「嫌、ではありませんね。サクラ、ですか。日本人らしい名前のチョイスですね。ペットに付ける名前だ、なんて私は責めませんよ。だって貴方は自国を愛していて、国の代表する花の名を私めに付けてくださったのですから。わかりました。これから私めはサクラです」


「ああ、よろしくな、サクラ」


「はい。よろしくお願いします。昇平さん」


「さん付けはよしてくれ。私は呼び捨てで言い」


「・・・では改めて。よろしくお願いしますね、昇平。・・・フフフッ」


 ああ、なぜ死んだはずの私の前に、天使であるはずのサクラに、ただランダム性を与えられただけの魂と、それを調整する役目だけを持つ天使に、感情があるんだ。


「なぜ笑うんだ?」


「なぜでしょう? 私めにもわかりません。でも、なんだか温かい気がしたんです」


 ああ、ああ。やめてくれ。それ以上はやめてくれ。いや、どうか続けてくれ、やめないでくれ、終わらないでくれ。その声を私に向けて、その目を私に向けたままにしておいてくれ。


「はぁー、サクラ、サクラ、私めの名前。なんだか生まれ変わった気分です。転生なんてしたことないんですけどね。フフフッ。せっかく名前を付けてくださったのですから、しばらくお別れせずにお話をするんですよね? 次はどんなお話をしましょうか。私めばかり貴方のことが詳しくても仕方ありませんし、今度は私めについてのお話にしましょうか」


 ああ、ああ。ああ、ああ、ああ、ああ。これが、これが創造神の思し召しだというのなら、私は創造神に感謝する。サクラとの出会いを、祝福とすら思える。お別れだなんて言わない。絶対に私は、サクラと別れたくない。前世への未練などもうどうでもいい。私は、サクラに恋をしてしまったのだ。サクラを、愛し始めてしまったのだ。ああ、素晴らしき異世界! ここは天国だろうか? 二人だけの楽園なのだろうか? 決して近づけず、そして離れられず。それでも心は寄り添い始めてる。そう思っているのは私だけなのだろうか。サクラに騙されているのだろうか。いいや、それでもかまわない。ここは天国、素晴らしき異世界! ・・・二人だけの世界。


 ああ、そうだ。


「そうだな、じゃあ感情についてでも語り合おうか」

「はい! では私めから・・・」


                                   END

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